xxx『xxx』を読む(5) 読む本が決定される

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これこそがそれなんじゃないのか、ジェイムズ・ジョイスの『若い藝術家の肖像』を前にした時、そのような思いが私の脳裏を去来しました。ひとたび「これこそがそれなのでは?」と思ってしまうとなかなかそれを修正することができないタイプの人間であるため、この手触りは俺はきっとこれにするな、十中八九、と思いながらも一度冷静になろうと、海外文学の棚を離れ、他の棚の本を眺めたり、一度外に出て煙草を吸ったり、そのようなことさえおこないました。
そういった無駄な時間稼ぎを終えて再度その本の前に立ってみたところ、予想通り「やっぱりこれなんじゃないか、それ以外ちょっと考えにくいわ」と思い、とうとう長くだらだらと読む本が決まったのでありました。
「決まったのでありました」とか言ってなんか一人で盛り上がってて、でも一人だろうとなんだろうと盛り上がってるから気分はとても盛り上がっていて、今日なんかも「これは絶対に頻繁に必要になるぞ!」みたいな気の早い、そして妙にウキウキしたあれでGoogle日本語入力の辞書に「藝術家」を登録した。藝術までは普通に出るのだけど家をつけるバージョンはないから「げいじゅつか」と打つたびに「藝術か」みたいな疑問とも落胆ともつかない変換になるので、登録した。
ところで肝心のこの本だが、PCの前に座っている今の位置からだと見えない。雑誌や読みかけの本のあいだに挟まれて隠れているためだ。ちょっと顔を動かして覗いてみる。寝違えの首の痛みが一週間くらい続いていて(朝起きるたびに痛みがリセットされる)左方向はちょっとしんどいのだけど、幸い本を覗くのに必要な運動は右方向だ。
すると、なんていうフォントなのかわからないけれどもベルサイユのばらみたいな雰囲気で「ジェイムズ・ジョイス、若い藝術家の肖像、丸谷才一」というのが見える。それらは白地に黒文字で、その下の金色の帯は今は陰になっていて読めないけれども、たしか世界遺産がどうの、文学の世界遺産だっけな、そういう感じのことが書かれていたと思う。ちょうどいまその古道が世界遺産である熊野についての本を読んでいるから、世界遺産つながりでタイミングがよかった。
今の段階で懸念していることが一つある。
それはそこに書かれた「丸谷才一」という文字というか個人名で。位置的にはこれは翻訳者を指すのだろうというかそこまでは確かなんだけど、僕は丸谷才一って一つも読んだことがないのでまったくの人違いだったら「失礼」という感じなのだけど、旧仮名遣でいまだに書いている人でなかったっけ?という、これ合ってるかな。なんか勝手になのかなんなのかそういう印象がある人で、翻訳まで旧仮名遣いでやられたらこれたまったもんじゃないなという。「藝術」だしね。なんか。(ただタイトルが「若ゐ」となっていないから大丈夫な気もする)
あとこれはインターネットを駆使して調べたことなのだけど、この集英社かどっかの、これもいま陰になっていて確かめる術がないのだけど、たしか集英社のやつ、これが出たのが2014年か2013年でかなり最近で、それ以外にも岩波文庫であるようだった。そちらは「藝術家」ではなくて「芸術家」だったように記憶している。どっちがいいのかっていうのだけ、だから買う前に考えたんだった。岩波の見慣れた表紙も捨てがたい。でも集英社かどっかのこのバージョンは表紙が鮮やかな水色で、これも今ちょっと確認する術がないのだけど、挟まれているから、たしか水色で、それがキレイだったのでこちらにした。
そのため集英社かどっかの丸谷才一翻訳のジェイムズ・ジョイス作の『若い藝術家の肖像』がこれから読まれることになった。