そもそも「ブックカフェ」とは

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このページは、本の読める店fuzkue店主・阿久津隆『本の読める場所を求めて』(朝日出版社、2020年)の初稿です。
書籍は全国の書店、フヅクエのオンラインストアAmazon等で購入いただけます。
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ブックカフェだとばかり思っていたが、そもそもここは?
そもそもここは、一体なんなんだろうか。
ブックカフェとは、そもそもなんのための空間なんだろうか。なんのための誰のための場所なのだろうか。
改めてブックカフェとはなんなのかと調べてみることにする。手元にちょうどいいものがあった。「秋こそ行きたい ブックカフェ」という特集の雑誌だ。
特集のリード文というのか、文章にはこうある。
日が短くなるにつれて徐々に日常が落ち着きを取り戻す
秋の季節のコーヒーライフに、本はぴたりと寄り添ってくれます。
今回ご紹介するのは初訪問でも思わず長居したくなるような
居住性の高い素敵なブックカフェばかり。
椅子に深く腰掛け、一杯のコーヒーと
一冊の本を手にすれば準備はもう万端。
深呼吸ひとつして、両者の幸福な化学反応に身を委ねれば
さあ、私たちの心はいつしか未知の大海原へ……。
『珈琲時間 2018年 11 月号』(大誠社)p.10,11
ここで描き出されている光景は、かたわらにコーヒーを置いて、ゆっくりゆっくり、読書に没頭している、そういうものだといって間違いないはずだ。
ブックカフェよ、やはり読めるということか、と思うがそれは早とちりだ。
次のページから紹介されている16のお店に共通しているのは「コーヒーがあり、そして本がある」ということくらいで、主だった用途も店の意図も、ばらばらだ。多様な顔ぶれという面白さはあるし、それぞれのお店にそれぞれの魅力がきっとあるのだと思うが(ところでフヅクエも紹介していただいています)、「本を読む」ということに力点が置かれているわけでは、必ずしもない。
つまり、ブックカフェとは、コーヒーがあって本がある、くらいの、極めて大雑把な呼称でしかないのだろうか。
もう少し調べてみると、「日本ブックカフェ協会」という組織のウェブサイトを見つけた。
「ブックカフェとは」という項目があった。それそれ、知りたかったのそれだよ、と思い、読む。それによるとこの通り。
近年おしゃれで個性的なブックカフェが全国的に増えています。一杯のコーヒーと一冊の本から始まる新しいストーリー。ブックカフェとは、そんなストーリーを作り出す空間であり、カフェと本屋が合体したお店のことです。おいしいコーヒーを飲みながら店内の本棚に並ぶ本を自由に手に取り読むことができ、気にいった本は購入できます。
ブックカフェにも様々な業態があり、分類するといくつかのパターンに分けられます。
1.新刊書店とカフェが併設
2.古本屋がカフェを併設
3.閲覧のみのカフェ
「カフェと本屋が合体したお店」、「本を自由に手に取り読むことができ、気にいった本は購入できます」とはあるが、「閲覧のみのカフェ」もそこに含まれていることから、やはり、カフェで、そこに本があれば、どうやらブックカフェのようだ。(「カフェとは?」という問いについてはいったん置いておく)
次に「なぜブックカフェが「生まれた」のか?」という項目を見てみる。気になる。
現在の日本では年間7万点から8万点が出版されています。同時にネット社会が進化して、膨大な情報に誰でもいつでも簡単にアクセスできる時代になりました。膨大な出版物や情報にあふれる一方で、書店に並んでいる本はどこも同じような品揃えの店が多く、何となく物足りない。自分の関心のあるテーマや趣味、嗜好にあった店に行きたいというニーズからブックカフェが生まれました。
同前
「書店はどこも同じで退屈だ。でもブックカフェなら、自分の嗜好に合った本を見つけることができる」ということなのだろうか。書店は怒ってみてもいいかもしれない。
ともあれ、ブックカフェの機能のひとつは「本と出会う」ということにあるようだ。
それから「なぜブックカフェが「増えている」のか?」。
ここ最近20年間は毎年300~500店のペースで新刊書店が閉店しています。従来型の古本屋も店主の高齢化や後継者難で減少傾向に歯止めがかかりません。「毎日新聞」2015年2月27日付によると、地元に新刊書店がない自治体が全体の5分の1にあたる332市町村もあります。東京への一極集中やそれぞれの地域の人口の減少によって将来の生活基盤が失われる可能性がある「消滅可能性都市」と一致する自治体が多いのです。
もうひとつは希薄になりつつある人間関係と孤独です。現代は「個」というものが重視される時代です。家庭や学校、会社組織においても「個性」を伸ばすということが盛んに言われています。それ自体はいいことだと思いますが、一方で人間関係が表面的で希薄なものになってきています。ネット社会になり「つながる」時代になってきたと言われていますが本当に「つながっている」のでしょうか?人は一人では生きていけません。ファーストプレイスである「家庭」、セカンドプレイスの「職場」に加えてサードプレイスとして「ブックカフェ」のニーズが高まってきています。このような時代の変化が「ブックカフェ」の増加につながっていると考えられます。本とカフェは相性がいいことと小資本で開業できることもブックカフェが「増えている」大きな要因のひとつです。ではどんな方が開業しているのか???
同前
書店が減っている。やはり本との出会いの場所がなくてはならない。そこで、町の本屋の役割を担うものとしてブックカフェが必要とされている、ということだろうか。
そして、現代社会において人間関係が希薄になっている。つながりを取り戻す必要がある。そのため「ニーズが高まってきて」いるのが、「サードプレイスとしての「ブックカフェ」」だという。 僕には「サードプレイスとしての」に続くカギカッコの中がどうして「ブックカフェ」になるのかわからない。他のいろいろなものが代入可能ではないか。いささか強引で飛躍のある説明に思えるが、好意的に解釈するならば「本好き同士、仲良くつながりたい」という「ニーズが高まってきて」いるということだろうか。
まとめると、ブックカフェの定義は「本のあるカフェ」ということだった。なんというかもう、ブックのカフェ、そのとおりのところに落ち着いた。
そして、その主だった機能としては二つ。
1.「本と出会う」(個性的な品揃えで嗜好に合った本が見つかる/減りゆく町の本屋の役割を担う)
2.「人とつながる」
すごい! いろいろできるぞ、ブックカフェ!
怒られる。
それにしても。
定義を確認したわけだが、ブックカフェ特集冒頭で示された光景とは裏腹に、どこにも「本を読む」ということが言われていなかった。
「ブックカフェとは」のページ全体で、「読」という文字自体、最初のパラグラフの「並ぶ本を自由に手に取り読むことができ」の一度きりしか登場しない。
ブックカフェのデフォルトの機能には、「本を読む」というものはないのだろうか。あるいは、言わずもがなのものとして内蔵されているのだろうか。