本の読める店

読書日記(111)

Entry diary111

11月10日(土)

朝、おならブヒ〜〜〜! くっさ〜〜〜! みたいな夢を見てゲラゲラ笑ったところそのままゲラゲラというか引き笑いで笑っていたらしく遊ちゃんの声で目が覚めるとまだ笑っていたから自分でも聞けて、隣の部屋でその声が聞こえてきた遊ちゃんは泣き声なのか笑い声なのかわからなかった。自分で聞いてもそうだと思った。
「笑ってる? 泣いてる?」
おもしろー! おもしろー! という感覚は続いていて、笑いながら、「笑ってる」と言った。

朝、眠い、煮物と味噌汁をこしらえ、のんびりした心地で準備したところ、昼、店始まり、暇だった、日記の推敲とかをしていた、そのあと、まだ暇だった、InDesignは常に開かれていた、夕方、暇なままだった、山口くんがやってきた、暇なペースだったので手出しをせずに見守るという形にして、まだまだぎこちはなかったが、いろいろなことができるようになってきた感じがあった、よかった、いん・でざいん。案内書きとメニューの再創造に着手した。リクリエイション。雨が降ったりしていた。
それから、イラレの解約に向けて、細々とした、イラレで作っていたもののInDesignでの再創造に着手し、もうだいたい、イラレを開く用向きもなくなる、そんな状態になったため、InDesignを月々プランから年間プランに変更したあと、イラレを解約しようとすると1万円近く解約料が発生するとの由、見たら、このイラレのプランをInDesignに変更できたようだった、どうしてだか一括払いの年間プランだけだったが、できたようだった、だから、早まったと思ったが、クーリングオフというか、InDesignのほう、解約できないだろうか、と思っているが、今はまだ、「まもなくプランを管理できます」という表示で、契約したてだからだろう、なにかいじれない状態になっている、
と、いじれる状態になった、そのため、というか見たら14日以内だったら無料で解約できるようで無事解約でき、イラレのプランをInDesignのプランに変更した、一括払いだったから3万円近く掛かった、そのため、向こう12ヶ月はお金を払わなくて済むことになって、来月以降、得した気持ちが芽生えた。

結局、ここのところで言えば空前の、絶後であってほしいような、そういう暇な休日になってしまって、閉店後、山口くんに氷を割る方法を指南したというか、一番、自分の体で覚える以外ないタイプの作業だったからひたすら氷を割ってもらった、僕だったら10分くらいで終わるものだったが、50分くらい掛かって、そういうもんなんだなあ、と思った、氷はだんだん溶けていって、溶けつつある氷にアイスピックを当てる様子を50分見続けていたら、なんだか次第に淫靡なものを見ているような気になって、笑った。
山口くんに、日記を書いてもらったら面白いな、と思っていて、そのあとに彼の小説を読んで、むしろお願いするの憚られるな、と思って、でも試しに「日記どうですかスタッフ日記的な、タイトルはね、ファイヤーダンスの読書失敗日記とかどうですか」とか、言ってみたところ乗り気で、それで、初めて入った日からつけてもらって、三日目くらいのときに「どんな?」と聞いたところ、いろいろ試行錯誤しながら、でもなんだか楽しそうな顔つきだったので、楽しいなら何よりだ、と思っていた、その日記が一週間分が溜まったはずだったから更新のことも考えて、タイトルほんとに何にしようね、と、氷と格闘している山口くんに言うと、日記の話を僕もしたかったところで、一週間書いてみたら、どうにも面白くならなくて、自分にとってもしっくりこなくって、今は書くタイミングではないようだ、という話で、あれや、これやと話して、その決定自体は残念だったが、なにか率直な気持ちのいい、空気のような男で、僕はとても好ましかった。
夕飯を食べ、こうやって二人で並んで夕飯を食べるというのは変なものだった、食べ、山口くんは帰っていって、僕も2時過ぎに店を出た、遅くなった。

帰って、帰ると、部屋が、僕の誕生日を祝う飾り付けがなされていて(「33」の形の風船とか、リボンとか、くす玉とか)、僕は、幸せな気持ちが胸いっぱいに広がっていくのを感じた。

11月11日(日)

遊ちゃんとあれやこれやと話したあとに『両方になる』をしばらく読み、現代編になってからずいぶん読みやすく、やっぱり結局、結局というわけではないが15世紀の語り手よりは読みやすさはずっとあって、15世紀の画家の語りは、画家らしい視点で、それはそれぞれ新鮮で面白かった、現代編になってからずいぶん、それで、読みやすく、しばらく読んで、3時半とかになっていた、まずい、まずい、と思って寝て、朝になると起きた。
今日は仕込みがほとんどなかったためパドラーズコーヒーに行ってコーヒーを飲もうというところで、パドラーズコーヒーに行った、入ると、入って、コーヒーを頼もうとすると、今日のポップアップ的なやつで静岡のイフニコーヒーの方と陶芸家の方の廃棄コーヒー豆を使ったコーヒー器具のためのクラウドファンディングの、それで夜にトークがあって、という日だったらしく、コーヒーを頼もうとすると、横のブースの、イフニコーヒーのやつも飲めますよ、と言われたので、じゃあせっかくなのでそうしようかということでそちらのコーヒーをいただいた、かっこいい形のドリップポットでぽたぽたと抽出しているあいだ、横で、陶芸家の方があれこれと説明してくださった、うつわの釉薬は、なんだっけな、土と灰となんとかだっけな、それで作って、それがガラス質のあのうつわの、てらてらした、それが釉薬、その灰のところに、コーヒーの焙煎で出た廃棄豆を灰にしたものを使って、うんぬん、というそういうことで、僕はずっとこの「釉薬」という文字が読めなかった、今も、まず「ちゅうやく」と打っているから、いまだに「ゆう」とはどうも呼びづらい字面らしかった、あの、ちゅうやくじゃなくて、なんていうんだっけ、うわぐすり、と、「うわぐすり」と打つと、「釉薬」となり、「ゆうやく」と「うわぐすり」はまったく同じ字だったのか、と目が開くようだった、そして、うつわのなにかのときに「釉薬」って見るけど、それがあのテラテラしたものだったということをやっと初めて知ることができた、忘れなさそうな覚え方で知ることができた、それで、その同じシリーズというか今度だから量産しようとしているそのプロダクトのシリーズのその同じそのやつの、だからドリップポットと同じやつのシリーズの、マグカップでコーヒーが出され、外のベンチで、晴れていてあたたかだった。コーヒーが、なんだかやたらにおいしくて、遊ちゃんも、おいしい、おいしい、と言った。

店、飯食い、開店、今日は昨日と打って変わってで開店と同時に忙しいような感じになって、ずーっと動き続けていた、それは、なんだか妙に気持ちのいい時間で、朝のパドラーズタイムのさわやかな効果もあったろうし、また、パズルがはまるように、極めて効率的に動くことができて、その効率な鮮やかなお手並み、それに我ながら感心する、そういう気持ちよさもあって、それで、6時くらいまで満席に近い状態がずっと続いて、あっという間に昨日の数字を越して、昨日の倍まで目指せるかもしれない、そうしたら昨日の凹みも平日の凹みも取り返せる、と思ってそういう忙しさで、僕はしかしまるでテンパることもなく、鮮やかに、動き続けた。
7時過ぎ、誰もいなくなった。
7時半にご予約がひとつ、ついさっき入ったところで、誰もいない店内で迎えるのは申し訳ないというか申し訳ないなと思っていたら、来なかった。なのでそれで、なんかしようと思い、整理整頓的なことをしたりしていた、1時間くらいは誰もいない状態が続いたか、誰もいなくなって、そのときは、ここからまたわーっとなって、大変な一日だ! になるぞ! みたいなつもりでいたがまったくそういう日にはならないらしかった、整理整頓的なことをしているとお客さんがひとり来られ、よかったよかったと思い、それから、あとお二人、来られた、とにかく静かな夜だった、もう、InDesignにはワクワクしない、ウキウキしない、開きはしたが、面倒だな、という気持ちが先に立つようになった、潮時だった、わかっていた。
それで、そうなるとどうなるか、読書だ、というところでとても久しぶりに能動的な心地というか欲望の発露としてという形で、営業中に本を開いた気がした、『両方になる』を、開いた、ティーンエイジの女の子たちの話は切なくて、お母さんや周囲の人たちとのやりとりも、よくて、よかった、楽しい、楽しい、あとちょっとで読み終わる、という様子になってきた、はたと、明後日の電車でなにを読もう、となった。明後日、草津に小旅行で、しかし遊ちゃんが都合によりまったく違う土地から向かう、草津集合という形になったので、ということは行きの電車はお弁当とビールとかでやいのやいのの予定だったのが、本を読む、ひたすら読む、そして寝る、というそういうものになるということだった、だから、なに読もう、と思って、クレスト・ブックスの山のやつってもう出てるのかな、と思って調べたら10月末に出ていて、これかなこれ読みたかったんだよな無性に山とかそういうやつを読みたくなることがあるんだよな、と思って、というか、いつどこで買おう、と思って、思った。それで特急電車に乗る上野駅の周囲に、本屋さんないかなと調べたが、危うい感じがあり、Amazonさんに持ってきてもらうことにした、それから、でも一冊でいいのか? という思いがもたげ、もう一冊くらい用意しておこうかな、と思い、ふいに、滝口悠生の『愛と人生』はまだ読んでいなかった、去年の秋に箱根に行ったときは『高架線』を読んだ、今年、葬式で実家に帰るときは『死んでいない者』を読んだ、「普段と違う場所」と滝口悠生は僕は好きな組み合わせというかこれまであった組み合わせで今回もまたいいのではないか、と思い、見ると、来月文庫化されるようだった、単行本をポチった、が、到着日が12日あるいは13日となっている、どうか前者であれ!
と思ってから読書に戻り、とてもいい時間だった、体の中に小説の世界が染み渡るようで、気持ちがよかった、閉店すると、なにか体がポカポカした感じというかポカポカではない、運動した日の運動の数時間あとの疲労感みたいなものが、心地よい疲労感みたいなものが、あり、それは読書とは関係なく前半の大忙しの大働きのためかもしれなかった。たらふく飯食い、帰り、続き読み。また遅い時間になって、眠い。

11月12日(月)

サンドイッチ、オープンサンドイッチ、なんでサンドイッチなのにオープンサンドイッチなんだろうねえ、という話を遊ちゃんとしていたら、もともと北欧だとかのなにかだったらしく、それが、だから北欧のどこかの国の言葉でもともとあった、それがどこかで英語になったときにオープンサンドイッチになった、オープンなのにサンドイッチ、という話を遊ちゃんとしていたら、それだったらオープンイッチ、いや、オープニッチでよかったのにね、という話を遊ちゃんとしていたら、あれ、そういえば、サンドイッチって人名じゃなかったっけ、伯爵とかの、カードゲームとかが好きとかの、という話を遊ちゃんとしていたら、だからそもそもサンドイッチって別にサンドしなければいけないわけではなく、いや、というか、あそうかというか、だから、サンドって、サンドするって、日本語か! サンドイッチから派生して、そんな意味ではない意味に転用した、日本語か! ということに気づいたときの、喜びといったらなかった。きっと知られた話だろうが、知らなかったので、そこに自分で辿り着いたときの、その気持ちのよさは格別だった。なお、サンドイッチ伯爵だったか侯爵だったかのルーツであるサンドイッチ村は、サンドは砂で、イッチは村とかを意味する、語源を辿るとvillageとかともうんぬんかんぬん、そういう語で、サンドイッチは「砂の上の港町」というような意味合いだそうだ。

朝、遊ちゃんと一緒に出、家の前で、じゃ、また明日、草津でね、という二度となさそうな挨拶をした、店に行った、仕事をした、いっしょけんめい仕込みをし、それから、変に忙しい感じの日になり、変に忙しいなと思っていたら夕方、山口くんがやってきて、そのタイミングで「スーパー行ってくる、30分で戻ります、もし自信のないメニュー頼まれたらその旨を伝えてあとどれくらいで戻ってくるからそのくらいお待ちいただけますかと伝える感じで」ということを伝え、スーパーに行った、買い物をして戻ってきて、そういえば人は、というか主語が大きかった、僕は、これまで長いあいだ本当にまったく考えもしなかった、考えもしなかったけれど、いざそうなった瞬間に、これだったね、これしかないね、ということがよくある、そのひとつが最近、スーパーで、カートを使うようになったということだった、これまで、重くても、手でカゴをぶら下げていたのだが、それはカートだとエレベーターに乗らないといけなくなるからで、エレベーターに乗りたくなかった、階段で上がりたかったからなのだが、カートを使ってぐるっと一周して、元の場所にカートを戻してそれで階段で上がれば、いいじゃない、ということに思い至り、カートを使うようになった、すると、全然重くないんだ!
そういう気づき、学びがまだまだたくさんある、そういうことだった、夕方それでスーパー行って戻り、町は少しずつ夜になって、帰宅の人たちであろう人たちもちらほら、その人たちを横目にまた店に戻り、それからは、ゆっくりやるか、僕はまあ見守り役で、なんか適当に、なんかしながら、昼忙しかったし夜は僕は座っているくらいでもよかろう、と思っていたら途切れず夜も忙しくなり、オーダーが集中する時間もあり、手伝った、けっきょく調子のいい休日くらいの月曜日になって祝日だった、先週は劇的に暇だったはずだった、先々週はやはり調子のいい休日くらいだった記憶がある、隔週で忙しい月曜日、まったくわからなかった、山口くんは、大丈夫かなこの忙しさ、と思って、心配になったが、明日の準備というか下ごしらえとかがたくさんあり、僕は僕で気が急いていたので見守るというわけにはいかなくたくさん手出しというか一緒にやり、手を出さないで見守る、というのは辛抱強さが必要だし余裕も必要なことなのだということを改めて知った。小笠原、ラミレス、その中での、坂本。というような。

『愛と人生』は届かなかった。飯食い、帰宅。家には誰もいない。誰もいない家。変な感じで、ウイスキーを飲み、ミックスナッツをつまみ、ながら、『両方になる』。読み終わり、美しい小説だった。
もう少しなにかつまもうかと思ったけれど3時で、やめて、布団に移り、誰もいない布団、変な感じで、千葉雅也の『意味がない無意味』を開いて、「あなたにギャル男を愛していないとは言わせない」を読み、全然なに書かれているかわからないけどかっこいい面白いと思いながら読んでいたらいつの間にか眠っていて、目を開けると明かりがついていて、だから寝落ちしていて、そのまま寝た。

11月13日(火)

いつもと変わらない時間に起き、なんとなく慌ただしい気分になりながら用意し、家を出、コーヒー買って電車に乗って、上野まで、プルースト。ここまでこれマジで退屈そう、という感じだった第4巻が、途端になんだか面白い気配というか感覚になった、プルーストは移動中に映える。というわけではないが。移動中のプルーストがやたら面白いときは、たしかにいくつも記憶にある。

上野、早く着き、余裕あり、と思って余裕綽々でいた、みどりの窓口に行って、えきねっとで予約した内容を変更したいというか2席だったところを1席にしたいのだが、できたりするのだろうか、とお尋ねしたところ、窓口でやると30%の料金が掛かってしまう、えきねっと上でやればキャンセルひとつ310円でできる、だからえきねっと上で変更手続きしてください、と言われ、どうしてそこまで違うというかなんでこんなに管轄みたいなものがまったく違うんだよと思いながらも、言われた通りにすることにして、壁にもたれながらえきねっと。パスワード? 知らないよ、と思い、再発行、すでに面倒。入力が数字しかないところもなんというのか数字前提の入力にさせてくれないから、いちいち「あいう」から「☆123」に移らないといけないし、打っても打ったらすぐ遷移するわけではなくエンターをしてさらに自力で移動しなければいけないし、そうやってイライラしていると見えるところの表示に半角のカタカナが見えてきたりしてイライラは募るというか、人をバカにしているのかという憤りが積もっていく。人数を変更する、ということができるようだった、人数だけ変更、という項目があった、どうにか辿り着いた、そこで人数を変更しようとすると、席については「どこでもよい」みたいな選択になり、えっと、どこでもよいというか、元の席のままひとつキャンセルしたいという格好なんですけど、人数だけ変えたいんですけど、と思っていたが、どこでもよい、いやどこでもよいではない、なんか適当なところ取られそう、という懸念が否めず、それで席も選択することにしたが、もともと取っていた席は選べない、なんなの、なんなの、と思いながら、何度も、クソ腹立つと思いながら、時間が減っていく、ご飯買いたいのに、時間が迫ってくる、イライラしすぎて泣きそうになりながら、どうにか完了し、発券し、時間はないのでニューデイズで綾鷹とおにぎりを4つ買って、乗り込んだ、つまんない。

一人で乗る特急列車の旅、というのは、やっぱり味気がなかった、もともと一人旅の予定で乗っている特急列車であればそれは途端に風情になったかもしれないが、なっただろうが、二人で乗るはずだった特急列車に一人で乗って、ニューデイズのおにぎりをバクバク、ただ腹満たすためだけに食う、そういう特急列車はなんだかやっぱり違った、王子のあたりで見かけたなにかに反応して、地図を開いたりしていた。
パオロ・コニェッティ『帰れない山』を読み出した、少年がいて、活発でやさしい母親がいて、頑固で山好きの父親がいて、ミラノで暮らして、山に別荘を借りた、そこで少年は、友情を育んだり、山を愛したり、した。山のふもとの彼らの夏のあいだ暮らす村は寂れる一方で、住んでいる人はもう数えるほどだった、そこで出会ったブルーノと、歩いた、探検をした。
窓外の景色を眺めていると、広がる光景はとっくに静かな鄙びたものになっていて、紅葉しかけた、あるいは枯れかけた葉をまとった林というか森というかがあり、木と木のあいだから同じような色合いの田んぼや、電線や、ぽつんぽつんと家の建つ集落が見えた。

そんな村の中心に、周囲の家々よりもはるかに現代的で、威厳を感じさせる建物があった。三階建てで、壁は漆喰で白く塗られ、外階段や中庭まである。まわりを囲む塀の一部が崩れていた。僕らはそこから、庭を覆いつくすようにはびこる灌木をかきわけて中に入った。一階の入り口には鍵がかかっておらず、合わせてあっただけの扉は、ブルーノが押すとあっけなく開いた。そこは薄暗い玄関ホールになっていて、木製のベンチと外套掛けが設えられていた。それがなんの建物かはすぐにわかった。おそらく学校というものはどこも似通っているからだろう。ただし、そのグラーナ村の学校は、いまでは灰色の大きな兎が数羽飼われているだけだった。一列に並べられた小屋のなかから、怯えた様子でこちらの動きをうかがっている。教室には、麦わらや秣、尿、もはや酢になった古いワインの大瓶ダミジャーノが何本か転がっていた、とはいえ、壁から磔刑像をはがして持ち去ったり、教室の後方に積みあげられた机の板を割って薪にしたりする無法者はさすがにいないらしい。 パオロ・コニェッティ『帰れない山』(関口英子訳、新潮社)p.34,35

こちらでも、立て続けに学校らしき建物が見えた。最初学校が流れてきて、廃校なのだろうか、となにかの要素を見て思った、10分もしないうちにまた学校らしき建物が見えて、やっぱりなにか、変な静けさがあった、廃校だろうか。すぐにまた見えて、同じように思った、群馬のどこかだった、廃校らしきものが3つ狭い間隔であったという格好だった。
Erykah Baduを聞きながら電車に乗っていて、先日ツイッターでなにか言及するツイートを見かけて久しぶりに聞きたくなって聞いていた、久しぶりに聞いて、やっぱり好きだった、声だけになってしまいたい、と思うことはあるのだろうか。それともなにか、伝えたい言いたい事柄というのは声を自由に発したい欲望といつも同じだけあるのだろうか。
うとうととしながら、うつらうつらとしながら、歌声を聞き、最後、眠りに落ちたようなところできっとそうなるであろうと思っていたとおりに電車は駅について、僕は降りた、長野原草津口。そのホームを歩きながら、一人で着いたことにやはり変な、寂しい、おかしな、違和を感じていた、バスに乗って、草津温泉に向かった、最前列に座っていると、これから草津節メロディラインが始まりますよ、時速40キロで走ると草津節が流れますよ、という案内が見えて、どういうことだろう、と思っていると、道路に刻まれた溝とそこを走り抜けるタイヤの摩擦で、音が流れるようになっていて、それでもって、なにかテルミンめいた音色の不安定なメロディが、流れた、それはなんていうかもう、愉快だった。

20分ほどで草津温泉のバスターミナルに着いて、降りると、草津温泉で、歩いて、すぐに、三関屋旅館は見つかった、入って、あとでひとり合流です、というのでチェックインした。今度草津に行くんだけどどこがいいですかねと、かつてリクルートでじゃらんで働いていた友人に聞いたら三関屋旅館と、即答だった、即答だったので他は調べずにここに決めて予約をしていた。食事は朝ご飯だけのお宿で、夜ご飯はない、そういう旅館が、とにかくいい、と絶賛され、そして口コミとかを見ていたら、というか見なかったけれど星だけ見たらやたらな高評価で、僕は宿泊施設とかのリテラシーがまったくない、解像度が極めて低い、そういう人間からしたら、きっと安易に宿泊施設を測る要素として大きなものの一つであるはずの夕食という項目をなくした旅館が、これだけなにか、いい、いい、と言われるというのはどういうことなのか、想像ができなくて、だからよりいっそう、楽しみだった、そういう三関屋旅館だった、チェックインして、宿の方は物腰のやわらかい、自然な、普通に話す感じの方で、こういうのはとてもいいよねと思いながら部屋に案内していただき、入った。窓の外を見ると向こうにおそらく湯畑と言われているものであろう草津の中心的なスポットめいたものがあって、湯気が上がり、人がたくさんいた。遊ちゃんが来るまで3時間以上あった、どうしたものかなと思い、すぐそばに喫茶店があるようだったので本を持って行った、マンデリンを注文し、本を読んだ。標高1200メートルの草津の地で、山の話を読むというのはちょうどいいことだった、少年たちの遊ぶ山のどこかで、水が湧き出るところがある、そういう場面があった、草津では、温泉が湧き出ていた。
30分くらい読んで、部屋に戻ることにして、布団に横になって、また読んで、うつらうつらして、眠った。
起きると夜で、バスターミナルまで歩いた、冷たい空気が気持ちよく、セーターを着た体をちょうどよく、包んだ、東京とは当然、違う冷涼さ、一足先の冬の冷たい空気で、うれしかった。少し待っているとバスが停まり、遊ちゃんが降りてきた、ひさしぶり、というような挨拶をして、旅館に向かった、まるで地元民のように僕はすらすらと歩いた!
すぐに夕飯を食べに出ることにして、出た、さっき喫茶店に行くときも湯畑は通らないようにしていた、初めて湯畑に出て、わあ、湯畑だねえ、草津だねえ、と喜びたかったからだった、それで、喜んで、ライトアップされた湯畑はフジロックみたいだった、焚かれて光を当てられたスモーク。Erykah Baduがその中から登場しても誰も変には思わなかった、歩いて、急峻な坂を上がり、大茶庵に入った、少しお店を調べていたらちゃんこ鍋がおいしいということが知れて、それでとても評価も高かった、けっこう僕は、Googleの口コミの口コミ数と点数を当てにするところがあって、それによって選定された格好だった、元力士の方がやっているとのことだった、入ると、一人で切り盛りされていた。ビールを頼み、遊ちゃんの帰省の話を聞いたり、いろいろ、話した。遊ちゃんが中学時代に生徒会長をやっていたことを知って、快活に笑った。
ちゃんこ鍋は、とてもおいしかった。
何組かあったお客さんがいなくなると、お店のおじちゃんと話し始めて、なんだかものすごくチャーミングな人で、船の旅が本当にいい、という話をすごく嬉しそうにしてきた、その話をたくさん聞いた、とにかく優雅でいい、ディナーとかでたまにおしゃれをするのはとてもいい、そういうことだった、船旅なんて考えたこともなかったが、渡されたパンフレットというのかリーフレットとかを見ていて、なるほどこういう旅行もきっととてもいいだろうな、と思った、いつかそんな機会があるだろうか。「ちょっと古いやつだから」といって、見せてもらっていたものとはまた別の、「世界のクルーズ」と書かれた2016年の、リーフレットというかパンフレットというかをもらった。
本当にかわいい人だったねと喜びながら歩き、ライトアップされた湯畑を、ひきちゃんに送りつけたろ、と思ってパシャリして、宿に戻ると、一緒のタイミングで階段を上がっていた旅館に付いている整体の方が話しかけてきて、今まで整体をしていました、うんぬんかんぬん、というので、いやーそれはお疲れ様でしたね、おやすみなさい、と別れて、部屋に入って、なんだか草津のおじちゃんはみんな人懐っこいねえ、今まで全員人懐っこい、と言って、僕たちは喜んだ、楽しんだ。部屋に入って、Youtubeでお経を検索してしばらく聞いたり探したりしていたら、なにか怖い話の音声読み上げの動画に当たり、怖い話といっても隠し念仏についての話だったから怖くなかった、音声読み上げの声はいびつというか、不安になる抑揚だった、つい10分くらい聞き続けた、早起きだった遊ちゃんはぺたっと畳に顔をつけて浅く眠っていた。

風呂に入り、3つあって、そのうちの1つに入り、上がったあとに他の風呂を覗いたらそちらも気持ちよさそうな、全然違うつくりで、明朝こっち入ろう、と思って、草津の温泉は強酸性ということだった、アトピーがよくなった。本をしばらく読むとすぐに眠気がやってきて、寝た。

11月14日(水)

8時、朝飯、過酷な早起き。朝ご飯、おいしい。こんにゃくの刺し身というのか、等、どれもおいしい。ご飯をたくさん食べる。おひつうれしい。食後にコーヒーと一緒に出たお茶請けの甘納豆がやたら好きで、甘納豆めっちゃおいしいなと思う、女将さんといくらか話す、やっぱり、とても人懐っこい方で、よかった。風呂に入り、檜風呂的な、檜かどうか知らないが、そういう風呂で、光が気持ちよく、お湯も気持ちよく、アトピーが全快した。
チェックアウトして、出。散歩。湯畑のそばを歩いたときに遊ちゃんが昨日聞いたお経が面白かった、そのお経を唱えてケラケラ笑って、僕も笑った、コーヒーが飲みたいよね、というところで、観光地のコーヒー問題というのはあるような気がする、観光の町においしいコーヒースタンドがあったら、町のコーヒーを一手に引き受けるような展開も狙えそうな気がするし、旅館に卸したり、よさそうな気がするが、そもそもそこまでおいしいコーヒーみたいなものに対する需要はないのだろうか、どうなのだろうか、とにかく、コーヒーが飲みたいよねというところで、セブンイレブンに入ってコーヒーを買った、おいしかった、きっとこの町で一番おいしいコーヒーはセブンイレブンのコーヒーなんじゃないだろうか、どうだろうか。
西の河原公園に向かい、途中でふかしたての温泉まんじゅうをいただき、おいしくて、西の河原公園へ行き、緑色の、びっくりするくらい緑色の水を見て、おばちゃんがバスクリンと言っていて、よかった、ベルツ博士、どこに通じるのかわからない階段をのぼっていって、山をぐるっと歩いた、『帰れない山』の父子の登山のことを少し思い出したりしていた、観光地の仕事、迎え、見送る仕事、そのことを考えていた、店だって同じだった。ぐるっと回って、あずまやで休憩しながら、帰りの電車を決めた、草津、特に行くところもすることもなさそうな観光地で、調べていないからもしかしたらあるのかもしれないが、調べていない限り、知らない、そういう町で、こういうなんというかなんにもしない旅行は気分がよかった、なににも追い立てられない、よかった。
お蕎麦屋さんに入って、てんぷらとお蕎麦と日本酒と板わさを頼んで、向かいの壁に色紙があって「バナナマン」とあって、さらに「2018.11.14」とあり、あれ、今日? となり、どうやら今日、バナナマンがいたらしかった、色紙の写真を撮った、バナナマンは山口くんが僕の知る限り最敬礼というかもっとも何か好きというか大事な存在だったはずだった、帰ったら自慢したろ、と思った。

特にやることもなく、湯畑を眺めながら座って、遊ちゃんはやはり昨日さわや書店で買ったという『私を空腹にしないほうがいい』を取り出して、岩手弁で書かれた文章を岩手弁で音読した、初めて聞いた、音楽みたいだった。そのまま座って本を読もうかと思っていたが、寒くなりそうだったので、そうはせず、しばらく座ったり、したのち、喫茶店に入ってコーヒーを頼んだ、出て、お土産物屋でお土産物を見て、甘納豆を買った、バスの時間が近くなったのでバスターミナルに向かった。発車時間まで少しあり、上の階に温泉図書館なるものがあるということが知れ、上がってみた、草津温泉についてのパネル展示があり、明治大正昭和と、湯畑の様子の変遷を見て、面白かった、時間湯の様子の写真もあり、圧巻だった、おもしろー、おもしろー、と思って遊ちゃんが見えたので手招きして、おもしろーだよ、と言って見て、バスに乗って、駅に戻った、3時40分の特急電車で帰ることにした、バスの到着から電車の発車まで、40分くらいあり、なにもない駅でどうやって時間を過ごそうかと思い、散歩をした、橋の上に立ち、川を見下ろした、護岸壁を見ていたらぎりぎり登れそうな勾配で、登りたく思う地元の小中学生のことを想像したら、足がすくんだ、楽しい、楽しい、と思って登って、途中で自分がいる高さに気がついて、足が震える、固まる。下りることも怖いし、それ以上高くに行くことも怖かった、どうしたらいいだろうか……

つまみとビールを買って電車に乗って、飲み飲み、景色を見たりしながら、本を読んでいった、空が、雲が、桃色に色づき、紫色に色づき、山吹色に色づいた。2本、ビールを飲むと、途端に眠気がやってきて、まだ高崎を出たくらいだった、遊ちゃんにもたれかかって、眠った、起こされて起きたら上野で、降りた。のどが渇いて、コーヒーが飲みたかった、コーヒーが飲みたい、と言った、どこで飲もうね、となって、その前に本屋さんに入って、『新潮』の新しいやつを買った、昨日の夜ちゃんこを食べながら千葉雅也の話になって、遊ちゃんが千葉雅也がやたら好きだった、それで、ツイッターを見たりしていたら『新潮』を読みたくなって、滝口悠生の日記の続きもきっとあるだろう、と思って本屋さんで買って、明正堂書店、見たら『帰れない山』も置いてあった、失礼いたした、それから、コーヒー、どこで飲もうね、となって、歩いて20分と少し掛かるが、特に僕はこっち側にいることがまれで、せっかくの機会と言っても差し支えのない程度の距離だったため、浅草まで歩くことにして、フグレンの浅草店に向かった、暗くて、あれ、まさか休みかな、と思ったらやっていて、薄暗かった、仄暗かった、そこは、たしかにフグレンだった、渋谷というか奥渋谷というか富ヶ谷のあの店を、縦にも横にも広げた空間があった、希釈ということではなかった、フグレンだった。かっこよかった。ドリンクを受け取ると2階に上がって、ソファで、アイスのアメリカーノを飲んだ。渋谷の店のソファの席のこととかを話した、あの席は無条件に成立するものではない、たぶん、店の人間の視界に入るというか、店の人の視線に守られた状況で初めてあれは成立する、あの心地よさは生まれる、2階の、お店の人の目の届かないこの空間に同じソファを置いても、同じことはきっと起きないだろう。そういうことを話していた、それで出て、浅草駅まで歩いた、歩きながら、アーケードの下を歩きながら、いろいろなお店が軒を連ねていて、道路をまたいで向こうにスターバックスが見えたときにふいに、京都みたいだなあ、と思って、そのあと、歩いている並びにUFJ銀行を見たときに、京都みたいだなあ、と思った、挙げ句、雷門を見たときに、京都みたいだなあ、と思った、ひどい解像度だった、それにしても、我々はいま浅草にいるねえ、と思ったら、おかしかった、さっきまで草津にいて、今度は浅草、どんなこれはツアーなんだろう、と思った、浅草津。電車に乗って、メトロの冊子をふたりでやけに楽しんで見ながら、帰った。もう2杯、お酒を飲む店に寄ってビールを飲んで、しばらくまたあれこれ話して、家に帰った、すぐに寝た。

11月15日(木)

たくさん寝たはずなのに十分眠かった、この人生から眠気が取れることなんてあるのだろうか、と思ったあと、先日見たツイートで、いつも眠かった、この人生は眠気とともにあるのだろうと思っていた、ジムで走るようになったらそれがなくなった、運動すごい、みたいものを見かけ、それを見て、見かけ、早く俺もまた走るようになりたいなと思った、まだ走っていなかった、だからまだ眠かった、店に行った。
コーヒーを飲み、仕込みをし、日記を書き、いい旅行だったなと思い、朝ご飯を食べ、店を開け、働いた、暇で、いろいろとやるべきことをこなしていった、夕方、だいたい済んで、夕方、昨日は今頃は電車に乗っていて、等々思って、いくらかのさみしさを感じた、このさみしさはどういったさみしさなんだろうか、夕方、だいたい済んで、本を読むことにして読んだ、まずは『新潮』を開いて、「アイオワ日記」がまたあることを確認してよかったと思い、「差別と想像力——「新潮45」問題から考える」を読んだ、順番に読んでいった、千葉雅也のやつが圧倒的に面白かったというかすごかった、それから、『帰れない山』に帰った、読んだ、そろそろ読書疲れたな、そろそろ働かせてほしいな、と思っていたところ夜は忙しいとまではならないが悪くないとんとんとんという感じで、働いた、働いたら、閉店時間になった。閉店前、『両方になる』が、実は2パターン存在する、売り場で混在している、イタリアのとイギリスの、目パートと監視カメラパートの、その順番はランダムで、僕は目、監視カメラ、の順のものだったけれど、監視カメラ、目、の順番のものもある、という衝撃の事実を聞いた。それは、けっこう衝撃というか頭を殴られたような感じがあった、それはまったく違う読み方というか読書の時間になるのだろうなあと思った、それは、なんというか、すごいぞそれは、という事態だった。内容の同一性の担保されていない本、というのは、なにか揺るがされるところがあった。
ご飯を食べ、食べ終えると、しばらくのあいだソファに座って続きを読んだ、すると、読み終わった。山、と思った。

寝る前は千葉雅也。ギャル男のやつを続きを読んだ。ただただ、闇雲に、かっこいい。それから、プルースト。開いた記憶はあるが、どこまで読んだか探した記憶はあるが、その先の記憶がない。

11月16日(金)

どうしてだか、パン屋さんでパンを切ってもらっているあいだに開いたスマホにて、木梨憲武のインタビューのYahoo特集の記事を見かけたとき、「店に着いたらコーヒーを淹れて、飲みながら、この記事を読みたい」という欲求がやってきて、不可解だった。
開店後、開店すると、なんだか妙にパタパタとお客さんがあり、いくつかのものが予期せぬ減り方をして、うろたえた、つまり、あれ? これ、今日間に合う? というたぐいのものだった。パタパタしたのはすぐに落ち着き、それからはじっくりと腰を据えて、

じっくりとなにかを腰を据えてやったことなど、これまでの人生にあっただろうか。浮薄に、漂ってきた。

夕方、山口くん着、30分で戻りますと告げ、外に、皮膚科に。待合室は相変わらずの閑散で、誰もいなかった、診察券を出すと20秒で呼ばれて、患者の皮膚を見る気の相変わらずない先生は僕を見るなり「大丈夫そうね」と言った。いやいやいや、今www どこが見えてるっていうのwww と僕は思って、皮膚が露出されていたのは手と首の上だけだ、思って、「そんなことないです」と笑って言った。見ず、見せず、処方の指示を出し、処方箋をもらって病院を出た、5分掛からなかった、名医というか名院だった。薬局で薬を受け取り店に戻り、それから、引き続き、働いた、今日は11月16日の金曜日、夜、暇だった。

夕方まで調子よく、夜はご予約が2つあったから、少なくともあと2人は確定で、それだけのわけはなかろうからけっこういい金曜日になる確率高いぞ、と思っていたら夜、6時以降の話だ、なんとそのおふたりだけで、終わった、圧倒的に暇な夜となり、山口くんも変に忙しい日だったり変に暇な日だったり、ちょうどいい日になかなか出くわさず、大変だなと思った、チーズケーキの焼き方等、適当に教えたりしつつ、10時半になっていい加減なにもやることもなくなった、僕は本が読みたい、なので山口くんにも「本でも読んでれば?」と言って、僕は読み出した、『新潮』の、滝口悠生の、「続アイオワ日記」を開いた。

昼すぎ、ホテルに戻り。雨になる。コモンルームにベジャンがひとりでいたので、私はあなたの昨日の話を聞いている時に、あなたが子どもの頃に見た色を見たと思います、と伝えてみた。ベジャンはゆっくり、サンキュー、ユウショウ、サンキュー、と言った。べジャンは私の目をしっかり見るから、私も目をしっかり見る。言ってよかった。 滝口悠生「続アイオワ日記」『新潮 2018年12月号』所収(新潮社)p.80

のっけから感動して、そのあとも、ことごとく面白いというかずーっと面白い、いちいちずっと面白くて、面白い、面白い、と思いながら読んでいた、ひたすら面白い、ひたすらグッと来る。

今日書き終えたというパネルのためのテキストを読ませてもらう。彼の育った小さな町のことや、子どもの頃のこと、お父さんが毎日寝る前にお話を聞かせてくれたことなどが書いてあったのだが、私は先日授業でベジャンの話を聞いていた時と同じ感じで感極まってしまう。ふだんから私はわりとすぐ泣くが、ここでは自分でも不思議なくらい他のライターの人生に素朴に反応してしまう。ここに来るまで全然知らなかった人に、これまで生きてきた時間があり、何事か考えたり志したりして、勉強をし、その人がものを書く人になった、そういう時間と歴史があったことを知って、感動する。私は彼と出会ってしばらくの間、言語力の乏しさゆえに彼についてほとんどわからなかったけれど、こうして時間を重ね、彼の誘いで一緒にインドネシアのご飯を食べて、ようやくその一部を知ることができた。ファイサルはそんなことは知らないのでけらけら笑いながら、どうしたのどうして泣いているの、と言って私の肩を叩いた。彼の育ったのはスラウェシ島の南にあるターラという小さな村で、プログラムが始まった二日後にインドネシアで大きな地震があった時に、地震のニュースを見たけどあなたの家族は大丈夫? と訊いたらそんなに近くじゃないから自分の家族は大丈夫、と言っていた。でもひと月後に今度はスラウェシ島で地震と津波があり、彼の村や家も大変な被害を受ける。幸い家族は無事だったが、知人も何人かなくなった。 同前 p.82

先月号では、わからない、わからない、とたくさんのわからないが出てきたが、今月号でも出てくるが、それよりも、少しずつわかってくる、つかめてくる、そういう様子が多く書かれている、何人もの人たちと交流が生まれている、感じている親しみみたいなものがペン先というか指先から自然にこぼれていく、その様子を見ながら、プログラムが終わって帰国することを知ったときに感じたさみしさみたいな感情がまた思い出されて、また、そしてもう、さみしくなっていく。

その後、ホテルのコモンルームでベジャンの誕生日のお祝い。誕生日は明日だが、明日の夜はベジャンはいないそうなので今日。部屋着でふらりとコモンルームにやって来たベジャンはサプライズの誕生祝いに驚き、感激して、部屋に戻ってきれいな赤い洋服に着替えてきた。よろこんだり感激している時は子どものように純粋な表情になる。シャンパンを開けて、ベジャンは一時間以上踊りっぱなしで、みんなで順番にダンスの相手をする。アジアの男性は概ね踊りがへたでみんなの笑いを誘う。こういう場にいないことの多いチャンドラモハンが珍しくこの日はいて、最初は自分は踊れないと固辞していたが、最後にはとうとう立ち上がって踊った。戸惑い気味に、拳を握ってゆっくり足踏みをするチャンドラモハンの踊りは、日本の演歌歌手のようで、みんなは笑って、チャンドラモハンは恥ずかしそうだったが、私は結構感動した。クールなロベルトもずっと固辞していたが最後は酔ったのかとうとうベジャンと一緒に踊った。男性でいちばんダンスが上手なのはアラムで、アラムとベジャンが踊ると歓声があがった。 同前 p.92

だからこのさみしさは滝口さんのさみしさを想像したさみしさでもあるが、同時に、テキストを通してべジャンを、チャンドラモハンを、ロベルトを、ファイサルを、カイを、好きになっていっている僕のさみしさでもあるらしかった。
全部読むのももったいないというところもあり途中で閉じて、立ち上がって振り返ると、冷蔵庫にもたれて立っていた山口くんは『茄子の輝き』を読んでいた。お、なになに、滝口悠生じゃん、という顔を見せた。

そのまま閉店。なんだったんだろうか今日は。12時前には片付けも終わり、夕飯。『茄子の輝き』の話をして、前に通じるものを感じたと言った山口くんの小説の話をした、どちらも、やさしいというか、人を悪者にしないところに留まろうとする意志というか、留まるではないか、むしろ悪者にしないために想像の手を伸ばそうとする意志というか、そういう、だからそれは僕はやさしさで、そういうやさしさがあると思ったし、どちらも連作短編集的な形の小説で、僕は『茄子の輝き』の記憶も山口くんの小説の記憶も似た形で記憶されていてそれは小説内での位置とは関係ない、どのあたりのページというのでは全然ない、というかそれは覚えていられない、もっと漠とした、もっと大づかみの、自分の記憶みたいな記憶のされ方をしていて、それはなんでなんだろうね、という話をした、話していたら、時系列がバラバラで描かれる小説というのはその形はもしかしたら時間がまっすぐに進む小説と比べてより記憶の形に近いのかもしれない、ひとつのエピソードがあって、そこから波紋が広るみたいな形で記憶がきっとあって、またひとつの点、波紋、そういう、そもそも記憶に似た形の小説を読んでいると、自分の記憶みたいな記憶の仕方を読む方もしていくのかもしれない、と思った、言った。

帰宅後、千葉雅也。「美術史にブラックライトを当てること——クリスチャン・ラッセンのブルー」。最初の水槽の話からビリビリかっこよく、見ずに見る、そのまま次の「思弁的実在論と無解釈的なもの」に行くが、頭が追いつかないのでやめて、その次の「アンチ・エビデンス——九〇年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い」に。

何かを「ある程度」の判断によって、大したことではないと受け流す、適当に略して対応する、ついには忘却していく……このような、「どうでもよさ」、「どうでもいい性」の引き受けは、裏切りの可能性を受忍しつつそれでも他者を信じることと不可分なのであり、そしてそれは、エビデンスの収集によって説明責任を処理することよりもはるかに重く、個として「実質的に」責任を担うことに他ならないのだ、と。
どうでもよさは、説明責任よりもはるかに真摯である。 千葉雅也「アンチ・エビデンス——九〇年代的ストリートの終焉と柑橘系の匂い」『意味がない無意味』所収(河出書房新社)p.166,167

「読書日記」の他の記事