本の読める店

読書日記(101)

Entry diary101

9月1日(土)

帰ろうと、電気を消した次の刹那に目の前の扉の前に人影が頭から、にゅっと、それは階段だからで、頭からにゅっと、あらわれて、ぎょっ、として見ると、こういうときどの瞬間に気がつくのだろうか、見て、警戒しながら扉を開いたところだろうか、ああ、やあ、久しぶりだ、びっくりした、びっくりした、と言って、言わなかったか、アネちゃんがそこにいた、アネちゃんは姉崎なので姉ちゃんだが、「姉ちゃん」と書くと姉のように見えるからカタカナが妥当だろうと今思った、するとアネモネのようになった、アネモネと打ったせいなのか、アネちゃんが得たかもしれないあだ名が思いつかれた、それはアネックスだった、アネックス。アネックス、と呼ばれていたら、どういう心地で生育するのだろうか、アネちゃんはそういえば双子の兄弟があったから、そう呼ばれていた可能性はより高かった、姉崎兄弟、こっちがアネちゃんで、こっちがアネックスね、というような、それは、どういう心地で生育することになっただろうか、本館はあちらで、こちらは分館、俺は分館、離れ、その意識は、彼を卑屈にさせたか? あるいは分館の自由さを獲得して好き勝手やる男に育ったか? 僕はそのときまったくそのように思ったわけではなかった、扉の前の男がアネちゃんだとわかったときに思ったのは、久しぶりであることと、驚いたよということだった、久しぶりに会えてうれしいなとも思ったし、帰るのが遅くなるなとも思った、招き入れ、近くで飲んでたとか? と尋ねるとそうだとのことだった。冷蔵庫からビールを2本取って、ソファに座った。
元気そうだった、2年ぶりくらいだろうか3年ぶりくらいだろうか、しばしば来てくれて、閉店して、そのままダラダラとおしゃべりをする、そういうことをしていた、久しぶりで、子どもは何歳になったの、と聞くと、いちばん上が小学2年生で、いちばん下が3歳ということだった、そのあいだに他の年齢の子どもが何人かいるみたいだったが、昨日も聞いたのに、何度聞いても忘れてしまう、3歳、と思い、それは成人文法性が顕在化する頃だね、と、さっき中井久夫の文章で読んだことをそのまま言ったか言わなかったかをした。

これは全くの推定であるが、私の考えはこうである。二歳半から三歳にかけて、大きな記憶の再編成が行われる。成人文法性の成立に合致するような再編成である、そのために、古型(幼児型、前エディプス型)の記憶が抹消されるのではないかという仮説である。その前提として、誕生以来、あるいは胎児期以来の記憶は、いわば別の文法で書かれていて、成人型の記憶と混じれば混乱を起こしてしまう、つまり、成人型の記憶と両立しがたいものであると私は考えてみる。 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)p.50

彼は会社をやっていて、今はオフィスは乃木坂に構えているということだった、自分で事業をやっている大学のサークルの同級生という点でシンパシーを感じてくれているみたいだった、僕は事業は事業だろうし立派な価値のあることをやっているとも思っているけれども雇用を生むこともほとんどできていないという点なのか、後ろめたさではないが、いやいや俺なんてほんと鼻くそみたいなものだからねと、思っているわけでもないが、アネちゃんは本当にすごいなあ、という気分があった。なんせ3歳の子どもがいる。その、古型の、幼児型の記憶というのは主として「鮮明な静止的視覚映像」「非文脈」「非変動」「言語化や図像化しにくい」という性質のもので、外傷性フラッシュバックととても似ているらしい。

逆に、どうして、幼児型記憶が外傷性記憶と多くの点で同じスタイルをとるのであろうか。この疑問の答えは一つであると私は思う。すなわち幼児型の記憶は何よりもまず危険への警報のためにある。そもそも記憶は警告の一つの形として誕生したといえるかもしれない。もはや現前しない危険への警報を鳴らしつづけるものは記憶しかないのではないか。 同前 p.54

遅くまで、我々は話していた、またね、と別れ、店を改めて終え、家に着くと3時だった、遊ちゃんに、アネちゃんのことを話しながら、まだ飲もうとするの? と思いながら白ワインを飲み、それから、まだ読もうとするの? と思いながら『幻のアフリカ』を数ページ読んで、寝た。それが昨日だった。
起きたら、眠く、あそうだ、昨日遅かったんだった、と思い出した、納得の眠さだった、それでも働きに出た、よく働いた、ずっと働いた、夜の8時を過ぎたところで肩が悲しみを催すくらいに重くなって、唐突だった、それからもよく働き、ずっと働き、たまに中井久夫を開いた、閉店の時間を迎えたら、さらにどっと疲れが表に出た。
律儀に経理作業が消化されているから、8月の売上等が判明した、やはりいい月だった、ただ驚いたことに、6月と同水準だった、6月が忙しかった記憶なんてひとつもないのだが、6月にヘトヘトになっていた記憶なんてひとつもないのだが、6月はそんなだっただろうか、それとも、6月7月8月と暑さとそれなりの忙しさが積もり、それがここに来て疲れとしてあらわれたということなのだろうか、それにしても6月のことなんて、全然思い出せない、本が出て、保坂和志さんとのトークがあって、月初は怪我をしていて、ということくらいはさすがに覚えているが、忙しかったとか暇だったとか、そういうことがまるで思い出せない、読書記録を見てみたら、フラナガンの『奥のほそ道』を読んでいた、『失われた時を求めて』の1巻を読んでいた、『『百年の孤独』を代わりに読む』を読んでいた、『『ハッピーアワー』論』を読んでいた。日々が、思い出せない。

9月2日(日)

寝る前、『失われた時を求めて』の3巻に突入して、500円のワインを飲みながら読んでいた、「よくわかりもしない人のまえで、自分が愛しているものの話をしなくてはならない羽目に陥るのを避けるために」とあり、以前、バーに入ったときに、映画を見たあとだった、バーテンダーの人が業務として話しかけてきて「今日はどのような」的な、話しかけてきて、映画を見てきたんです、「ほう、なんという映画で」、というときに、とても同じようなことを感じたことを思い出した、それは、わかりもしないのにというよりは、興味もないのに、というほうが強かったかもしれないが、思い出したから、僕にとっては同じことなのだろう。

朝、起きたときは眠かった、起きて、外を見たらほとんど降っていないようだった、予報を見たら10時は4ミリ、11時は2ミリで12時にはやむということだった、今は4ミリに突入しようとするところだった、外を見たらまだだった、どうだろう、えいや、と思い、自転車に乗って出ると、降られる前に店に着くことができ、快哉を叫んだ、それで読書日記の更新をしたら第100回で、なんだか、100か、と思って、その括弧に囲まれた100の数字を、しげしげと眺めた、ちょっとしたものだよなあ、と思った、100週、欠かさずにずっと、このボリュームで日記を書き続ける、というのは、ちょっとしたものだよなあ、立派だなあ、立派でありたくてやっているわけでもないはずだけど、なにか、立派だなあ、と思った、立派だったし、なんというか、100週分、自分が生きた痕跡が確かな形で残っているというのは、索引が確かな形で残っているというのは、いいというか面白いというか豊かというか、あとで、いつか、きっと、役に立ちそうな気がして、うれしい、というような。

それで、店が始まり、いい調子の始まりで、1時半くらいにはおおかた埋まって、3時には一時満席になった、よかったのは最初のお会計が3時40分だったという点で、つまりゆっくりだった、最初の10人の方の滞在の平均時間はたぶん3時間半くらいだった、それはとてもうれしいものだった、それで、満席だったが妙にゆっくりした時間が流れている感じがあり、僕も座って本を読んだりしていた、それは気持ちのいい時間だった、最初は「「世界における索引と徴候」について」を再度読んで、それから進むことにして「外傷」の部に入り、その最初の「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」を読み始めると、「第二次大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか」とあり、外傷の再演に耐えられない、と思った、外傷の再演。
それにしても今日も中井久夫で、なんだか、ずっと読んでいたい気持ちがあるというか、理解したいということなのか、面白いということなのか、暇さえあれば開いている。言葉や考え方のモードみたいなものに慣れたいみたいなこともあるのだろうか、一読して再読すると前よりもなんとなくなにかわかった気になれるような気とかもして、そういう、わかる、みたいな体験、わかるようになった、みたいな体験をしたいということだろうか、こういう、バカみたいな言い方だけど難しい感じの本を読むと、たいてい、ほう、と思ったり、なに言ってるかわかんない、と思ったりして、すぐ疲れて離脱するし、無理して読み切ったとしても結局なにも残らないことばかりのような気がして、僕は、なにか、わかるようになりたい。というか、先週映画を見ながら「感動しなくてもいい、なにか残るほうが大事」みたいなことを思ったけれど、それは、たとえつまらなくても、なにかが残るとしたら、その条件としては少なくともあくまで画面を注視することはやめないということがあるはずで、難しい本を読んでいてわからない何も残らないそのときはきっと、読んですらいない、目は文字を追っているけれど、読んですらいない、だから、わかるようになりたいとかでもなく、読みたい、ということなのかもしれない。読みたい。

忙しかった日だったはずだったけれど空いている時間も常にあったようなそんな感じだったその夜は、久しぶりにExcelで皮算用をしていて、皮算用をしていると未来が暗すぎて、うわ、これ、どうしよう、という気になった、今日の売上はよかった、しかし先々、と考えていたら、うわ、これ、どうしよう、という気になった、どうやって、僕は生きていくのだろうか、と思って、夜は、勉強か何かをしている方があって、ペンを置く時とかノックする時とかの音がときおり強く響き、それから、今まで遭遇したことがなかった、スマホの画面をタップするときが爪が長いのかクリックするようなパチパチした音がやはりときおり、響き、ときおりというところが難しくて、少なくとも自分の発している音に対して自覚的ではないことだけは確かだけれども、ときおりというところが難しく、言いそびれているうちにより言いにくくなり言いそびれ続け、長く放置したあとに言うことはその人を傷つけることでもあるというか、なのでどんどん言いそびれ、しかし放置していることは、要は、他の、本を読むお客さんの、この場所に期待する環境を壊すことに僕もまた加担しているということであり、でも、決定的じゃないんだよなあ、うわあ、もう、どうしよう、うわあ、となっていたらどんどん時間が経っていった、近くに座っていた方の帰り際にお聞きしたらやっぱりときおり気になる音ではあったようで、本当に申し訳なかった、総じて暗澹とした気持ちになりながら、ちょこちょこと、働いていた。
へとへとに疲れて体が全身がへとへとに疲れを表現していて、寝る前、ソファでプルースト。ワインを飲んでいた、読んでいた、気づいたら、眠っていた、遊ちゃんの声で目を覚まして、危ない危ない寝るところだったというか寝ていた、といって布団に移って、寝た。

9月3日(月)

起きたとき曜日がわからない、朦朧としながら家を出て、仕込みをいくつかして、「解離という機制は圧倒的な脅威の事態を「ひとごと」にすることによって、無益で危険な損壊行動を止めさせ、事態を凌ぎやすくする。拷問、虐待そしておそらく死の場合にも駆けつけてくれる救済者であるが、将来まではおもんばかっていない。司法関係者はレイプ裁判において被害者が途中で抵抗しなくなる場合に解離という機制を忘れないでほしいものである。」と「トラウマとその治療経験」にあり、それから「外傷を語るべきか語らざるべきかについてさえ諸家の一致があるわけではない。ホロコーストの記憶を語らなかった家族のほうが長期予後がよいという報告がある」とあり、それらは僕は「ほ〜そうなのか〜」と思った箇所だが、「外傷」の部で、なんとなく辛い気持ちになっていって、いくつか飛ばして「症例」の部の「高学歴初犯の二例」を読むことにした、営業が始まって、暗い気持ち、疲れた体が目の前と、首というか首の斜め上くらいのところ、10センチか5センチ離れたところ、そこが疲れを発信している、体に向かって。
「高学歴初犯の二例」は保坂和志の『試行錯誤に漂う』で言及されていた文章で、引用されていたところに当たると、やはり、よいところだなあ、と思う、まえがきで中井久夫は「犯罪に関する二つの論文は「私も犯すかもしれないものとしての犯罪の学」というものを考えている。精神障害を「自分もなるかもしれない病い」として考えてゆくのと同じ姿勢である。」と書いているが、柔らかい、優しい。ありがたい。

事実について争わない時には、友人のある弁護士は「被告が聞いて納得して刑に服するような判決をかちとる」ことを目標として弁護を行うと私に語った。これは重要なポイントであり、多くの場合に刑を生かす力になるであろう。被告は判決文を一字一句聞いて忘れないことが多い。見当外れの判決文あるいはおざなりな判決文は、被告に憤懣を覚えさせるであろう。常套句でなく、具体的な細部に入り込んで、被告の置かれた状況を描きだす「血が通った」状況的理解にもとづく判決が望ましい。それは、妄想それ自身は理解できなくとも、それが生まれた状況や、もしそのように状況を(妄想的に)とらえたならば世界がどのように見え、人はどのように対処し、行動するであろうかは理解できるのと同じである。それは心の闇を成人言語で描きだすことと同じではない。実際は、被告のなかにすでに明文的に存在するものに一致した言明ではない。被告のなかにある混沌に秩序を与え、その説明ならば被告は「納得して」刑を受けるようなストーリーである。そのような判決は事後的だが、踏み越えに言葉を与え、人生の中に位置づけて、人生に意味を与え直すから治療的なのである。 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)p.311

これはその次の「「踏み越え」について」にあった。感動的だった。言語化は世界を貧困化することだと何度か書いてあった、それはネガティブなニュアンスではなかった、複雑な現実を減圧すること秩序立てることと並べて置かれた言葉だった、有用な貧困化。でもなにか僕は思うところがあるらしかった、それを越えることは本当にできないのだろうか、というような。だから、受け取ったら、頭がどうにかしてしまうような、破裂してしまうような、そういう過剰にリッチな現前みたいな力を持つことは言語にできないだろうか、『フィネガンズ・ウェイク』とかはそういうものなんだろうか、手に取ったこともない。

僕はけっこうもう疲れたのかもしれない、と、今日は思っている。疲れが取れたら、その思いは消えている。そういうものだった。疲れは全部を曇らせる。よくないものだった。

いや、いや、そんなことじゃない、世界の貧困化で思ったのは、言語がなにか越えることはできないかと思ったその先のものとして思ったのは、破裂してしまうような、なんていうそういうそんなものでは全然なかった、そんなのは、『ドグラ・マグラ』を読んだら頭が狂うみたいなつまらないものでしかなくて、そんなことではなかった、じゃあ、といえばわからないが、そんなものじゃなかった、と、皿洗いをしているときに思ったんだったか、ナプエでジントニックを作っているときに思ったんだったか、とにかく、俺は、思ったんだった。

夜、暇、一日、暇、夜、ゆっくり本を読みながら、夕飯をどうしようか考える、おかずは、減らしたくない感じがあった、ラーメンだろうか、ラーメンか、そう思っていたが、そういえばナスがあった、ナスがあるならば、豚肉もあった、なんか炒めものでも作ってそれで食ったらいいのではないだろうか、そう思って、思ったら座って本を読んだ、「身体」の部に入り、「身体の多重性」と「「身体の多重性」をめぐる対談——鷲田清一とともに」を読んで、「症例」の部に戻って「統合失調症の精神療法」を読んだ、なんなんだろうか、この、これは。ずっと。感動しながら読んでいた。

たとえば、過去を変えることは不可能であるという思い込みがある。しかし、過去が現在に持つ意味は絶えず変化する。現在に作用を及ぼしていない過去はないも同然であるとするならば、過去は現在の変化に応じて変化する。過去には暗い事件しかなかったと言っていた患者が、回復過程において楽しいといえる事件を思い出すことはその一例である。すべては、文脈(前後関係)が変化すれば変化する。 同前 p.263,264

玉ねぎを、炒めものを作るなら玉ねぎを使いたい、玉ねぎの甘みがほしい、そう思っていた、でも、ひとつ使うほどでもない、半端に切って残すのも気が引ける、どうしたらいいだろうかと、思っていたところ小さい玉ねぎがあり、それを使うことですべてが解決した、夜、暇だった、それにしても、疲れて、疲れた。こんなに疲れた疲れたと疲労を感じているのはいつ以来だろうか、同じように疲れた疲れたとだけ言っている時期があるように思う、一年前とかだろうかとも思うがもっと最近も言っていただろうか、覚えていないが、疲れた、疲れた、と言うこの口や指には、覚えがあった、馴染みがあった、よくあることだった。

9月4日(火)

ナスの炒めものは度し難くおいしく、炒めものを注文してこれが出てきたらうれしいなと思って、なんでだろうな簡単なこんな簡単なものなのに、なんでこんなにおいしいかな、と思った、たらふく飯食った、それで昨夜は帰宅後も中井久夫を読んでいて、よほどずっと読んでいたいらしかった、ウイスキーを飲みながら、読んで、寝た。

起きて、電車に乗った、副都心線のホームで柱にある停車駅表のようなものを見ていたら、副都心線はこれまで僕はまるで乗ることのなかった路線でなにか世界のあらたな結び目というか網目ができたような感覚があった、これに乗れば、渋谷、新宿、池袋という巨大駅全部を制覇できる、それは驚異だった、もしかしたら僕が僕の大宮育ちであることつまり埼京線ユーザーだったことそれが、この、逆から言おうか、池袋、新宿、渋谷、というその3駅をその3駅の連結を、特別なものに仕立てている。それにしても新たな網目だったし、新たなといえば先日だった、遊ちゃんが間違えてコロンビアの電話番号に電話を掛けていた、と発着信履歴の画面を見せてくれてそれはコロンビアかと思ったら実際はアメリカのコロンビア特別区で、調べたら、びっくりしたがワシントンD.C.のことで、「法律上の正式名称は「コロンビア特別区」(コロンビアとくべつく、District of Columbia)」のワシントンD.C.だった、ワシントンD.C.はコロンビア特別区というのか、という驚き。それはともかく最初コロンビアと聞いたとき南米のコロンビアで、それは僕はなんだか考えたことのないことだった、つまり、わたしたちの電話は、コロンビアに掛けることができる、ということは、まったく考えたことのないことだった、つまり、わたしたちは、電話でコロンビアとつながることができる、インターネットであれば、そう驚かなかっただろうが、電話というたいへん古風というか半端に古風なものが、それが驚いたのか、なんだか考えたこともなかった! と思った。のだった。ひっくり返った。
それで、電車に乗りながら中井久夫を引き続き読んでいた、この本は大きくて、A5判で、大きい、そのためなのか、開くとそのままパタッと開くので置いてそのまま読める便利さがあり、持っていると重いからありがたかった、膝に置いて、それで、左手にはスイッチコーヒーで買ったコーヒーの紙コップがあって、それで、膝に置いていたところ、空いていた右手がその指が、驚いたことに本のページをスクロールしようとする動きをしそうになったというかそういう動きをあからさまに脳裏に描いていて、わあ、と思った。昨日までも机に置いて読んだりしていたがそのときは起きなかったこの運動のイメージは、なんでこのとき起きたのか。アメリカ人。

次の場合は統合失調症でたぶん間違いないと思います。一卵性双生児のもう一方は早く統合失調症になっています。お父さんが小学生のときに亡くなられたあと、当時は社会保障がなくお母さんが借金をされました。借金取りが家の中に入り込んで食事をしたり泊まったり、いいようにされていました。つまり、過程が彼らに踏みにじられたのですが、お母さんはなすことなく、はいはい、と言うとおりにして、それに耐えている状況でした。兄弟姉妹が七—八人ぐらいいたのですがどんどん出ていって、最後の双子の末っ子だけが残りました。六年ぐらい耐えて十四歳になったとき、一番上の兄さんが社会人になって初めて家に戻ってきて、秩序を回復し、母と二人の弟を引きとって、一家を救ったということです。一人はその地方の伝統的な精神病院に入院したのですが、もうひとりは地元の高校を新聞配達をしながら卒業して首都圏に就職しました。 中井久夫『徴候・記憶・外傷』(みすず書房)p.128

ここを読んでいたとき、このセンテンスの終わりまで、なにかふっと油断していたというか気が遠くにいっていたのだろう、ちょっと考えたらそんなはずはないのだから、ちょっとも考えなかったのだろう、この前の前のパラグラフに「アメリカでも、外傷性障害を統合失調症と誤診されて非常に長く入院しているケースが決して少なくないということです。振り返ってみると、私もそういう事実をいくつか経験しています」とあったことに印象が引っ張られたらしく、これをアメリカの家庭の話として読んでいて、あ、違う、これ日本の話だ、と思って、改めて読んだら、まったく異なる光景が出てきて面白がった。
それでときわ台に着くと雨は大丈夫そうだった、鈴木さんは少し遅れるとのことだった、現地集合にしましょうとのことで、ときわ台の町を歩き、暮らしだなあ、と思いながら、面白く、歩き、前野公園にたどり着いた、きれいな、さっぱりした、機能的な、公園があった、着くと鈴木さんも着いて、それでリュックからグローブとボールを出して、キャッチボールを始めた。
捕って、投げて、捕って、投げて。ただただ愉快で、僕にとってはまず「捕って」なんだな、と、やっているときも思ったし、書きながらも先に「捕って」が出てきてやはりそう思った、捕って、投げる、この繰り返し、それが楽しくて、楽しいですねえ、と言った。30分弱、楽しんで、それで駅の方に向かって歩きだした、途中でざーっと雨が降り出し、いいタイミングでキャッチボールができた! と喜んで、駅で荒井さんと合流し、お久しぶりですねと言って、荒井さんはフヅクエの施工管理をやってくださった方で、頼りになる好青年だった、鈴木さんから先日、当てにしていたところが難しくなった、よかったら紹介してもらえないかと相談が来たので連絡をとってみたところ希望の着工時期等問題ないとのことで、それで今日、顔合わせと打ち合わせみたいなところでのときわ台だった、物件に向かった、行って、不動産屋さん含め4人で、その物件を見ながら、あれこれしゃべっていた、ひとつ、とてもいい案が出て、そりゃあ楽しいな! となった、僕はだいたいの時間は黙っていたが、ひとつ思ったことを言った、済んで、鈴木さんと喫茶店に入ってお茶をした、お茶をしながら、僕はその言ったひとつのことについてもう少し深掘りして話をしたり意見を聞いたりしていた、それで、雨がだいたいやみ、電車に乗って、帰った。
新しく店を始めようとしている人を見ていると僕はとにかく愉快で、楽しいなあ、楽しいなあ、となっていて、その貴重な場面に、施工管理の方を紹介するだけとはいえ、なにか関わることができたことは喜びみたいなところがあって、それと同時に、先々週くらいに初めて物件を見させてもらいに行ったときから僕も、いいなあ、僕も店をまた作りたいなあ、という気持ちが出て、それで、やるならどこがいいのかなあ、やりたいなあ、と思ったりして過ごしていた、なんとなく、下北沢、それか青山、というのが思ったところだった、というか、単純に想像しやすいというところでその二箇所なんだろうと思った、先日イメージフォーラムに行ったときに、その思いを強くした、要は、イメフォで映画を見る前、あるいは後、それからABCで本を買って、というときに近くにフヅクエがあったら、いいなあ、俺行くなあ、と、そう思って、青山、青山というか、住所でいったら渋谷1丁目とか渋谷2丁目ということになるみたいだった、ABCの至近だったら神宮前5丁目というらしかった、ヒューマントラストシネマ前の時間にも行きたい、とにかく、そのあたりにあったら、いいなあ、と思ったというか、行きたい場面の想像がつきやすかった、そういうことを考えて暮らしていたが、じゃあ、と思って借り入れとかをして返済とかをして回収して、という計算を簡単にしてみたら、これは大ごとだぞ! となって、暗い心地になった、とてもじゃないけど厳しいんじゃないか、現在の超絶好調という日が平均、ぐらいが必要だった、あるいは初台の調子で考えちゃいけないのだろうか、どんな調子で考えたらいいのだろうか、ともかく、考え出すと面白いらしく、夜、店、働きつつ、鈴木さんに話の続きでLINEを送った、こうする場合だったらこういうメリットがあるしこういう懸念点がありますよね、逆にこっちだったらこういうのも考えられますよね、等々言っていて、途中で、サンドイッチでも作っているときだったろうか、ふと、あ、これ、俺、危ない、と思った、これは俺の態度というか姿勢は危ないやつだ、老害的なことに進化していきかねないやつだ、「俺の正しさ」みたいなものをやたら前に出そうとするやつだ、危険、危険、と思って、反省して、やめた。

だから夜、店、風強い、ひきちゃん元気、バトンタッチ、その前にフヅクエで働きたいと申し出てくださった方とお会いして、店は営業中なので、スタバに来ていただいて、スタバで、面談というかお話。わかるなあわかりますそれすごく、という話であるとかをした。
新しい店とか、ほとんど人を雇うこともできていないのに、本当に笑止だなと思う。

9月5日(水)

昼前まで寝、うどん食う。出、電車乗る。今日は『ユニヴァーサル野球協会』の日らしく、読む。野球ゲーム狂いの中年男性が、「公式記録ブック」に向かう。

この野球年鑑に、ヘンリーは選手成績から始まり記者の特電に至るまで、また、ひとシーズン通しての分析から一般的な野球理論に至るまでUBAのすべてを書き込んだのだった。要するに、どんなことで保存しておく価値があるということなのだ。文体も変化に富んでいた。余計な言葉を省いて実際的なデータのみを扱う極端に簡潔な文章があるかと思えば、スポーツ記者特有の誇張した言葉遣いがあった。また、理論家たちの科学的で客観的な文体があるかと思えば、随筆家や逸話作家たちの文学的な文体もあった。それに加えてテープに録音したインタビューや選手たちの寄稿記事、選挙関係の記事、死亡記事、諷刺、予想、醜聞なども混じっていた。年鑑では試合の細かな経過に触れなかった——たとえば、スター選手や主戦投手を喩えとしてもちだしたり、あるいは意図的に若干の思い違いを犯したりする場合を除いて、球団の分析にあたってはあえて選手個人に言及しなかった。それによって協会全体の概観的な視野が得られた。協会で起こった出来事から影響を受けやすいヘンリー自身の移り気な気分が記述に変化を与えた。壮大な考えがあれば皮肉な考えもあり、歓喜があれば絶望もあり、熱狂があれば無関心もあり、愉しみがあれば消耗もあるといった具合に、ヘンリー自身の揺れ動く気分が記述に変化を与えたのだ。最近は憂鬱気味でセンチメンタルな傾向があるのにヘンリーは気づいていた。すぐにそんな傾向を克服できることを願った。 ロバート・クーヴァー『ユニヴァーサル野球協会』(越川芳明訳、白水社)p.83,84

どんどん深みにハマっていく。心配になっていく。辛いだろうなと思う。ゲームに侵される。ゲームが肥大していく。ゲームが先にある。書かれ続ける日記も陥りそうな強迫的な状態だった。
この異常に細かいゲームの様子を見ていると、どんどん現実に近づけていきたくなるだろうなと思うと、だんだん、折り畳まれて、行き着く先は現実の野球になるのではないかと思う、行けば行くほど、現実との小さな差異に目が取られ、近づけて、なお足りなくて、進んで、先にあるのは、なんだかすごく怖い状況だった。
それで、竹橋。東京国立近代美術館、「ゴードン・マッタ=クラーク展」。
最初のほう、なんだか戸惑って、ほう、切るのか、切ったのか、と思って、模型を見ていたら面白くなった、模型を見ながらその中を歩いている様子を想像したら面白くなった、「ヤコブの梯子」でグンと面白くなって、その次の「スプリッティング」ですっかり面白くなった。映像を、壁にもたれて座って見ながら、切ってる〜、と思って、とてもよかった、光が、切られた向こうから差し込んできた光が庭に線を引いていて、それがよかった、どこまでも体を使って、ちまちまと切っていくその大音響と土埃にまみれた運動が、とてもよかった。切られた家を見る体験はちょっと、考えたこともなかったようなものだったというか、家って切れるのか! と思ったというかすごかった、知っていた世界みたいなものが揺さぶられるようだった。それから、その向こうに抜けると広いところに「スプリッティング:四つの角」という、切られた家の四つの角、屋根があって、それをまじまじと見ていた、天井の木材の薄さが生々しかった、こんな薄いの! というような。
そのあとも、微妙な土地を買ってみましたといういくらかデイリーポータルZの企画みたいなものもなんだか妙に面白く、次の赤い車がゴミ埋立地で埋め立てられていく映像もやたらグッときた。記憶が陵辱されているみたいだった。つらかった。
最後に「日の終わり」をたくさん見ていた。港に建つ倉庫の床や壁を切断する作品で、天井から吊ったブランコに乗りながら火花を散らしながら壁を切っていた。光が、滲んで、こぼれて、太い輪郭の線になって、ぽっかりと切り取られると、どっと溢れてなだれ込んでくる、その様子をずっと見ていた。とにかく、この人は、ひとまずのところ高いところが大丈夫な人なんだな、ということを思った。怖そうだったが怖がってなさそうだった。
その映像を見ながら、そろそろ出ようかな、テアトル新宿、16時20分の回、『寝ても覚めても』、と思っていて、まだ間に合う、まだ間に合う、どうしようか、と思っていて、展示も、ここまで見ると疲れていて、最後のところはささーっと掃くように見ただけで済ませて、出た、出て、竹橋、東西線で九段下、都営線で新宿三丁目、ちょうどくらいで間に合う、と思って、九段下でおりたところで、行くのをやめた。展示をじっくり見ていたら疲れていて、ぼんやりしているし、頭はゴードンたちだし、この状態で見に行くのは映画に対しても自分に対しても失礼だなと思い、やめる決断がくだされた、それで逆方向の電車に乗り、ロバート・クーヴァーを読みながら家に帰った。
家に帰ると遊ちゃんがいて、展示の話を、あれが面白かったあれも面白かったと話して、遊ちゃんは数日前に行っていた、面白がるものが違うのは面白いと思って、僕は小腹が空いたらしく、買ったままずっと開けていなかったポテチを開けて、食べた、ルイボスティーをいただいた、中井久夫を読みながら、ポテチつまみ、眠くなり、眠った。
起きるとというか起こしてもらうと、眠くて、いやあこれは本当に映画に行かなくてよかったなと思って、もっと寝ていたいなと思いながらも、家を出、新宿に出た、新宿駅はいつだって気分が悪くなった、紀伊國屋書店に寄って何か本を見ようかと思っていたが寝すぎて時間もなかった、なんとなく思っていたのは『エコラリアス 言語の忘却について』だった、またみすず。5000円する! 4000円を超えると躊躇する。躊躇したし、だから、時間もなかったから寄らなかった、寄らないで、お多幸に入った、3階は初めて来た、座敷になっていた、ななえさんがもう来ていて、二人は少し遅れるということだから先に飲み物を頼んで、乾杯をした、すぐにあこさんが来て、しばらくするとさっちゃんが来た、それで、4人でおでん等々を食べながら、飲み飲み、話した。みな、10年来の付き合いだった、この人たちは僕にとって愉快な人たちだったというか、自分の種々の選択に関係なく会っていた可能性のある人たちで、それが僕を愉快にさせた、つまり、みな大学生のときに出会ったわけだけれど、さっちゃんは僕の小学校の友だちの高校の友だちの大学の友だちで、だから、僕がどの高校に進もうと、どの大学に進もうと、関係なかったということだった、あこさんはさっちゃんがネットを通じて知り合った友だちで、ななえさんはあこさんがネットを通じて知り合った友だちだった、家系図みたいなものを書いていったときに、ななえさんと僕がいちばん遠くにあるわけだけど、この遠さは、そして知り合ってこうやって10年来知り合っているというこの近さは、僕はいつでも考えると愉快だった。と、書いていて思ったが、僕がどの高校大学に進もうと、とずっと思っていたが、さっちゃんと僕が知り合ったその場所は江ノ島で、そこに僕が行ったのは家が近かったからではないか、そう思うと選択と関係してくるような気がにわかにしてきた、でも、そのあと、映画館でばったりと出くわすということを何度もしていて、そういう場所で出会っていたかもしれなかった、でも、そのときは、出会うというか「実は同じ場所にいた」というだけで、出会っていなかったかもしれなかった、とにかく、おでんを食べ、ビールを飲んで、僕は、笑っていた。

酔っ払って、10時半過ぎに店を出て、三人はもう一軒行くというが僕は酔っ払って帰ることにして、帰った、紀伊國屋書店の側壁が、禍々しい感じでのっぺりと巨大に垂直に切り立っていた、崖のようだった、帰って、電車に乗りながら中井久夫を読んでいたら、酔っ払った感じと眠い感じが遠のき、中井久夫のこのよさはなんなんだろうかと思い、総じて、謙虚、謙虚なんだよな、ということに気づいたというか謙虚という言葉が浮上した、謙虚で、他者を尊重する態度、本当にかっこいいなと思い、どこかでもう一杯くらい飲んで読んでといこうかなと思ったが、満腹だった、もうお酒もいらないし食べ物もいらない、それで、家が一番、と思いながら帰宅した、家に入ると、ほっとした、しばらく中井久夫を読んで、寝そうになったので布団に移ってロバート・クーヴァーを読んで、12時前には寝ていたのではないか。

9月6日(木)

朝、店に着いたときには疲れていた、クソみたいな体だなと思いながら仕込みをしながらここ数日そうしているようにS.L.A.C.Kをシャッフルで聞いた、途中で八百屋さんに行って八百屋のおじちゃんおばちゃんとケラケラと話して、なんだか元気が出た、戻って、開店前にほんの数ページ中井久夫を読んで、体が疲れていた。
夕方、真っ暗になる前、シロップを作ったりチーズケーキを焼いたりが一段落して、読書をしていた、そこで「反対思考 Kontrastdenken」という言葉を学んだ、「強迫症における」ものらしく、「たとえば神聖なものの前で瀆神的考えが起こってしまうことであり、無垢なものに対してそれを汚すイメージが湧いてしまうこと」とのことだった。こういうものに対応する言葉があったのか、と思って、言葉があることは、人を傷つけることもあるし、人を救うこともある。今、調べてみたら、あまり検索結果には出てこなくて、もしかしたら別の言葉で流通しているのかもしれない、わからないが、それで、「アジアの一精神科医からみたヨーロッパの魔女狩り」が読み終えられて、これで全部が読まれたことになって、意外なことに全部が読まれた。また最初の「世界における索引と徴候」を読みたい、僕は今こういうものを読みたいらしいのだが、何を読んだらいいのだろうか、こういうもの、ということを説明しろと言われてもなんと言ったらいいかわからなくて、困った。世界における索引と徴候について考えられたものが読みたいんですけれど、何かありませんか、と、書店で、員に聞けばいいのだろうか。それだったらですね、と員は言うだろうか。俺がお前ならここでゲームを降りる。なんでKid Fresinoが出てきたのかわからないしきっと正確でもない。
そうしたら、夜は、完膚なきまでに、暇だった、夜はというか、よくよく伝票を見てみたら、14時半の方の次に来られた方が今日、一人しかない。20時半に来られた方の一人しかない。すごい日だ! と思いながら、『ユニヴァーサル野球協会』を読んだり、ミランダ・ジュライの読書会の告知をしたり、メールを返したり、していた、夜はゆっくりと更けていって、10時半で無人になって、もう誰も来ないんでしょどうせ、と半ば不貞腐れながら看板を早々に上げて、ショートブレッドを焼いた、どうしてだか、キャロル・キングを聞きながらやった。ソー。ファー。ラウェー。

それでそのあと、『ユニヴァーサル野球協会』をだから結局、ダラダラと読んでいた。
大谷の18本というホームランも、すごいけれど(それにしても大谷はどうするのだろう……)、丸が34本も打っているということに驚く。40本行くぞこれ……丸ってそんな長距離砲だったのか……今日はウィーラーが怒ったのか……そういえばオコエ瑠偉は今年はどうしたのだろう……怪我とかでもしているのだろうか……どうしてだかちょこちょこオコエ瑠偉のことを思い出す……活躍してほしい……ソフトバンクは大竹が2勝目か……なんかこの、一年目で即戦力になる育成ってたまにいる気がするけど……球団にとってもサプライズなのかもしれないけど、そういうつもりがあるんだったらそもそも最初から育成じゃないドラフトで取ればいいというか、取るべきなんじゃないかと思うのだが……
ということが書かれていたような気がして、閉じて、飯食って、飯食いながら『週刊ベースボール』を読んでいた、9月3日号で、後ろのほうに巨人の菅野のコラムがあって、読んだ、そうしたら、甲子園の話題から、最初のほうで「指導者の方には選手たちの将来を見据えた指導・起用をしてほしいと切に願います」とあるコラムで、そこに至るまでのところで、僕も甲子園ありき、勝利ありきの姿勢に対して「ほんとよくない」と思いながらも、でも、そこが当人たちにとってすべてだったら、みんながプロに行くわけではないのだから、将来のためと言われる将来とはなんのことなんだ、俺には今のこれがすべてなんだ、と当人たちが思っているのだとしたら、と一方で思ったりもしていたのだけれども、それに対してもエクスキューズが置かれていて、「野球を職業にできる選手はほんのひと握りです。しかし、プロがすべてではないですし、さまざまなカテゴリーで野球を続けられるように」とあり、いいエクスキューズで、それで、そのコラムの終わり、自身の高校時代のことが書かれていた、予選の準決勝で160球投げた、その日、明日は他のピッチャーで行くから、と監督から言われた、その気でいたら翌日、つまり決勝当日、やっぱお前で行くから、と監督から言われた、「これはつらかった」とあった、「そこでストップをかけてあげられる人が指導者であるべきだと僕は思います」とあった。当時の東海大相模の監督は現在も東海大相模の監督だった。腹いっぱい食った。

9月7日(金)

昨夜、帰宅して寝る前、プルースト、で、寝。珍しく寝付けず、少し夢に引き込まれたと思ったら途切れ、を繰り返し、だんだん手足がもやもや気持ちが悪くなってぶんぶんしたりするも晴れず、眠れず、起き上がり酒を注入してみたり。プルーストに子守唄を歌ってもらおうとまた開き、読む。

とりのこされた私が、目のまえにあるみどりのかたまりのなかに、一つの教会の姿を認めるには、教会の観念をいっそう強く把握してみる努力が必要だった、そういえば、語学の訳読や作文の時間に、一つの句を慣れてしまった形からひきはなして練習しなくてはならないとき、その句の意味をいっそう完全につかむ、そんな生徒の場合とおなじように、一目でわかる鐘塔のまえに立っていたら、ふだんほとんど私に必要ではないあの教会という観念にたいして、私はたえず注意を喚起しながら、木蔦のここのしげみのアーチは、ステーンド・グラスのはまったゴチック窓のアーチにあたる、あそこのあの葉の突出は、柱頭部の浮彫のせいだ、などという注意を怠らないようにしなくてはならなかったのである。しかし、そうしているうちに、すこし風が吹いてきて、動くポーチを、そよそよとわたり、波紋が、光のようにふるえながら、つぎつぎにひろがっていった、そして葉という葉は一つ一つひるがえり、植物の正面入口は、おののきながら、円柱の手を自分にひっぱりつけるが、円柱のほうは、波うち、愛撫され、逃げて行こうとするのだった。 マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈3 第2篇〉花咲く乙女たちのかげに 2』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.46,47

ときどき本当にうっとりするような光景が目の前に広がって、わあ、という気持ちになる、なって、目が眠くなるどころか冴えて、美しい娘、消え去る怖れ、消え去る望み、それから、ユディメニルのほう、三本の木。

この快感は、なるほど、思考の上に思考をはたらかせるある種の精神の努力を要する、しかし、この快感にくらべるならば、これをあきらめさせる投げやりの気楽さなどはじつにとるに足りないもののように思われるのだ。対象が何であるかが単に予感されるにすぎないこの快感、私が自分自身でつくりださなくてはならないこの快感、それを私はまれにしか経験したことはなかった、しかしそのまれな経験のたびごとに、それまでの長い中間に起こった事柄は、ほとんど重要性をもたないものに思われ、この快感の唯一の実在にしっかりと私がむすびつくならば、ついには真の生活をはじめることができるだろうと私には思われるのであった。 同前 p.51

というのは三本の木を馬車の中から見たときに得た不完全な快感、つかみだせなかったなにものか、つかみだせなかったがたしかにあると思われたなにものか、についての記述だけれどもこのとき三本の木は徴候になっているということなんだろうか、ですか、中井先生! と思って、面白くなって、たいてい、5ページも読んだらいいような、多くても10ページとか、そんなペースがこの本のペースだったが昨夜だけで30ページ読んでいて、これは異例だったし、だから、それだけのあいだ眠れなかったということだった、それでもいつか、寝て、寝る前、どうしてだか『早春』の場面が思い出されて、それで、思い出したついでに「イエジー・スコリモフスキ」と頭で唱えて、そのあとは「クシシュトフ・キェシロフスキ」と唱えて、キェシロフスキのあとは、「キ」でしかないし大変な名前でもないが「アッバス・キアロスタミ」と、唱えて、キアロスタミじゃなくて、他にいた気がするんだよな、難名が、と思ったし、難名という言葉を初めて使った、そんな言葉があるのかすら知らなかったが「なんめい」と打ってみたらこのように出たからあるのだろう、それで、それは思い出すことはなく、『早春』の、いくつかの場面を思い出して、思い出せなかったりして、寝て、起きて朝だった、背中を寝違えていて、背中に横一本、なにかが走っているようなそういう痛みがあった。

「難名」で検索すると、中国語辞書がヒットする。読み方は、「Nán míng」。

夕方、やることも落ち着き、今日はプルースト。今朝、ふと、今日はもしかしたらバルトの『明るい部屋』を読み出すのではないか、と思ったが、プルーストだった、ロベール・ド・サン=ルー侯爵のお出まし。印象が、万華鏡みたいにくるくると本当にくるくると変わる、「彼が私に名刺をさしだしたとき、下手をすると決闘をもちこむのではないかと思った」とある次のセンテンスで「しかし彼は、文学のことを私に話しただけで、長いおしゃべりののち、これからは毎日何時間でも会っていたい、と告げた」、笑った。印象最悪の登場の10ページ後には親友になっていた。夜は忙しくなって、動き始めたら背中の寝違えが痛くなって、次第に忘れた、店が終わったらまた思い出して痛くなった、飯は食わなかった、ロング缶を2つ買って、公園で飲んでいた。電車が近づいて、遠ざかっていった。夜は清々しく、気分よく、ときおり頭上の葉がすとんと落ちてきて、驚かせた。



お知らせ
読書日記が本になりました
9月26日 会話のない読書会 ミランダ・ジュライ『最初の悪い男』

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