本の読める店

読書日記(93)

Entry diary93

7月6日(金)

小雨、とぼとぼと歩きながらニュースアプリを開くと麻原彰晃らの処刑が執行されたとあり、開くと、「松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(63)」とあった、63? と思い、見ると、1955年生まれ、84年にオウム設立、90年衆院選立候補、95年地下鉄サリン事件、とあった、坂本堤弁護士一家殺害事件は89年、つまり、35歳のときにはもう、狂信的な集団のリーダーというかカリスマという確固たる地位を築いていたのか、サリン40歳か、と思って、若かったのだなあ、と思った。

店、着、昨夜読んでいたプルーストのよかったところをパシャリしようと思い開くと、どこだっけ、と思って開くと、昨日の続きを読むことになっていた、そこもまたよかった。

しかしながら、ジルベルトをとりかこんでいるすべてのものを、そのようにひねくりまわし、ひっかきまわすことによって、そこから何か幸福なものがとりだせるかもしれない、と私には思われたのだ。ジルベルトがその家庭教師をたいへん愛していることを、私はくりかえし両親にいうのであった、あたかも、そういう意見を出しつづければ、百度目にはついに効果をあらわして、永久に私たちと生活をともにしようとやってくるジルベルトを、突然私たちの部屋にはいらせることになるかのように。 マルセル・プルースト『 失われた時を求めて〈1第1篇〉スワン家のほうへ 』(井上究一郎訳、筑摩書房)p.696

朝ごはんを食べながら『週刊ベースボール』を読み、それから働いた、よく働いていた、ここのところ、土曜日に日記の推敲をしているとなかなか長くて大変で、昨日までの分を今日やっちゃおう、と思ってやり始めたら、やっぱり長くて大変で、なかなか終わる気配がなかった、途中、いやその前か、仕込みの一環で水なすの一本漬けをつくろうとした、これは、そろそろピクルスを仕込もうと八百屋さんにカブを買いにいったところ、カブは午後に来るんだわ、ということでないということで、今日は水なすがいいのあるよ、と言われ、先日おばあちゃんちで出された漬物がとてもよくて、こういう漬物はどうやったらできるのかなあ、と思っていたところだったので、ほいほいと買った、それを漬けた、どうなるだろうか。
今日も、暇な日だった、先週、いま忙しくならなかったらいったいいつ忙しくなるの、というような時期だから、というようなことを書いた記憶があるが、今週は総じて暇で、いったいいつ忙しくなるの、というようなところだった、夕方、誰もいない時間が続いた、その時間、また文字起こしをしていた、本当に面白い、「あのだから、ええとなんだろ、こうさえっ、新しくB&Bがここにできたってことを、驚きで、初めて来たときに驚きであって、しかも隣にサイゼリヤがある、っていうことにびっくりしたっていうB&Bてのが、」というところがあって、この「さえっ」がいい、これは「サイゼリヤ」を言おうとして止まって、サイゼリヤを出す準備というか、サイゼリヤが出るために必要だったことが言われて、改めてサイゼリヤが発せられるというか、思考の順番というか、軽重ではないが、発想の出どころみたいなものが生々しく表れるようで、こういうところは本当にいい、と思いながら、本当に面白い。それで、聞いていたら、思い出した、月曜日、飲んだとき、このトークのときの話にもなって、武田さんが教えてくれた、休憩時間のときに内沼さんに近づいていったら内沼さんが「イエーイ」と言いながらダブルピースをしてきた、というそういう話だった、聞いて、それはいいなあ、なんだかすごくいいなあ、とニコニコ思った、武田さんもうれしそうに教えてくれた、それで、それが録音されていないかと思って休憩時間のあたりをしばらく聞いていたら、聞こえた、笑った。それでまた思い出した、全部が終わったあと、僕がトイレに行っているあいだに内沼さんが、「この仕事やっててよかったなあ」と言ったと遊ちゃんが教えてくれた、なんだか、それは、なんだかうれしいなあ自分がその喜びの事象に関わっていられてうれしいなあ、ととても思ったというか、ホクホクと思ったのだった、遊ちゃんもうれしそうに教えてくれた、そういうことを思い出した。自分のまわりで起きた、目撃した、人が喜ぶ喜びだとか、楽しむ楽しみだとか、そういうものを、今まで以上に、留めておきたいような、そういう気分が今、たぶん高まっている。

そうしていたら夜になったらいい調子というかそこそこに金曜らしい夜になって、よかった、働きながら、少しずつ推敲しながら、11時くらいになってやっと金曜日に追いついた、こうやってその週のうちに推敲をしていると、日記になにか、巻き込まれるというか巻き取られるような、変な感覚になる、なった。
推敲していたら、やっぱり人名の出し方はなんだか難しいなあと思った。今度、他の人の日記を読んでどういうふうに出されているかを見てみようと思ったというか、他の人の日記を読んでいて人名がさらっと出てきたときに思うのは、なにか引っかかったりすることがこれまで起きたことが何度もあるような気がしている、その、あの、置いてけぼりにされるようなあの感じは作りたくない、というときに、どうしたらいいのか、というのがあって、これまで僕は人名を出した数で圧倒的に多いのは内沼さんだけど、それは『読書の日記』の打ち合わせの場面だからじわじわ宣伝も兼ねて書いていこう、ということで内沼さんとの打ち合わせのときは名前を出して書いていたけれど、その週の初出時には「NUMABOOKSの」と入れていて、入れることによって「内沼さん?」というのを読む人に与えないようにしていた、あるいはひきちゃんのことも、たいていは、入れないこともあったけれど、「スタッフの」を入れてクッションを作ることが多かった、でも、いや、どうなのか、「彼女の」と毎回入れるのもおかしいし、「編集者の」とか「デイリーコーヒースタンドの」とか、「友人の」はありか、友人の、でいいのかもしれない、というかそもそも「友人」でいい、でも友人かわからない場合も多々あるだろう、それに、いや、どうなのか、等々、やっぱり来週は元に戻るかもしれない、と思いながら推敲していた。

帰宅後、また文字起こし。家でやっていると、気が抜けているのか、のか、というか気はもちろん抜けている、そのため、なのか、おかしいことがあると簡単にゲラゲラ笑った。

7月7日(土)

朝、パドラーズコーヒー。今日、パドラーズコーヒーの2店舗目というのか姉妹店というのかの家具と生活雑貨のお店ブルペンがすぐ近くでオープンする日だったはずで、それに伴うというか、オープン待ちみたいな人たちがパドラーズに押し寄せていたりするかな、混んでるかな、と思ったら、静かな土曜日の午前、という感じで、外の席には誰もいなかったくらいで、拍子抜けした、アイスのラテを飲んだ、おいしい。遊ちゃんは何箇所も蚊に噛まれていて、噛まれないために途中から腕をふらふらさせていた、効果はあったか。
出、店まで歩き、途中で八百屋さんと肉屋さんで野菜と肉を買った、店で、僕はご飯を食べたりしながら、話し、帰っていった、それから、店を開けた。

日記体の身振り。ダイアリスティック・ジェスチャー。改めて日記を推敲というか手入れをしながら、人名、どうしようか、というふうに悩んだ、そういえば武田さんはどういうふうに書いてたっけ、と見に行くと、「夜中、マセ、たかくら、けんすけの3人でモンハンやる。」というような書き方だった、こういう書き方がいちばん素直でやっぱりいいのかもしれない、とも思った、「そういえば友人の編集者の武田俊さんはどういうふうに書いてたっけ」よりもよほど、圧倒的に正しい態度な気がする、「マセ、たかくら、けんすけ」、読んだら、ああ、友人なのね、と落ちる、それで十分な気もする、でも本当にそうだろうか、とも。なにかわからなさを、引っ掛かりを覚えるのだろう、自分が取る態度として何がもっともいいのか、わかりかねている。
と思いながら、誰?www とも思った、なんでそんな日記の書き方悩んでるの?www というようなたぐいのアホらしさも感じた、そんなに日記って大事なものだったっけ、というような、ちょっと何かのバランスを崩している感じがある。先週は24000字にもなった。書きすぎている。

ゆっくりしているような、そんな気でいたが悪くない感じの休日だった、働いていた、途中、靴がほしくなったというか今というかずっと履いているビルケンのサンダルがもういい加減ぶっ壊れる感じなので、4年前くらいに一度ソールを張り替えるというのか付け替えたが、もうさすがにそろそろだろう、というふうなので、ペラペラにすり減り、穴も空いている。雨の日は即座に靴下が濡れる、というふうなので、買わないとなと思って、今度はくるぶしをちゃんと守ってくれる靴、つまり多分それは靴、靴と呼ばれるものにしよう、と思い、前から少し思っていたが今日、明確にそう思い、なにかきっかけはあっただろうか、とにかく思い、前に遊ちゃんに教えてもらったNAOTというブランドのサイトを見たり、それからビルケンのサイトを見てみたところそうなのかサンダルだけじゃなくて靴もあるのか、と思ったり、してから、他の用事で、というか滝口悠生さんとのトークイベントについてのことでやりとりがあった内沼さんに、そうだ前に内沼さんが履いていたやつがあんなのがいいなって思ったことあったんだ、と思って、何を履いてらっしゃるんですか、と問うたところ、僕の問いの雑さによってというか語彙の貧しさによって、あ、それじゃなくて、それでもなくて、というやり取りを何度かおこなった結果、内沼さんが履いている靴についていたずらに詳しくなる、ということが起きた。なんだかすいません、と思って愉快だった。
それで、そうしているうちに、革靴とスニーカーの違いを今日初めて認識したような気がして、今の俺の認識はこうだ、革靴は革が使われた靴、スニーカーは布が使われた靴、どうだろうか。それから、そのあと、自力でも調べてみよう、と思って、調べようと検索バーにカーソルを当てたその瞬間、いや待てよ、俺の手持ちの検索ワードは「革靴」しかない。これじゃあ、絶対にいいところには辿り着かない、と思って検索を回避した。
学び、と思い、「スニーカーとは」で検索した、すると、「スニーカー(sneakers)とは、天然皮革や人工皮革、合成繊維などのアッパーとゴム底などで製造された運動靴の一種」とのことだった、ん? 皮革? というところで思考は停止して、視線を右にずらすと「他の人はこちらも検索」のコーナーに「靴」「ブーツ」「履物」「被服」「サンダル」とあり、シンプルでいい、と思った。
それから『新潮』の8月号を開くことにして開いたところ、木村友祐の講演原稿「生きものとして狂うこと——震災後七年の個人的な報告」を読んだ、そのあとに宇田智子を開いた。

閉店後、お客さんと話していた、『レディ・バード』の話になり、話しているといろいろな場面が思い出されて、それだけで感動した、一週間、特に思い出すこともなかったけれど、思い出すということはすごいことだなあ、と思った、私はこの町で母親になりたい、という彼女の姿、ああ、そうか、生き方、生き方なんだなあ、と思った、彼女の存在によってその言葉によって、ただの寂れた飛び出したい田舎町の物語ではなくなった、それから、免許を取ったあとの、ドライブ、その前の、教習所の教官の君ががんばったんだから、という言葉、泣きだす教師、はりきるアメフトコーチ、素直に従う生徒たち、の愉快さ、いくつもの場面が浮かんできた。

閉店後、また文字起こしをし始めたら止まらなくなり、2時近くになって慌てて飯を食い帰る。5万4千字。7万字くらいに着地するだろうか。
寝る前、プルースト、読んでいると、「中二階」という単語が目に止まり、そういえば、チェーホフ、『中二階のある家』、買ったきり忘れてた、ということを思い出した。

7月8日(日)

日記を更新しようとしたら文字数が多すぎて更新できない、というエラーが出た、それで金曜日分を取り払って更新した、翌週に回すことにした、それから働きながら、2回目の推敲というか、をしていた、こうやって、更新前に一度、更新後に一度、チェックしているということは、書いているときにも読んでいるわけだから、都合3度、自分の日記を読むということだった、幸い、僕は自分の書いた文章が肌に合っているのか好きだから、苦ではないが、少し時間を取られすぎているような感じになり、どうなのか、という気持ちになった。

暇な日曜。極端に暇な日曜。推敲もあっという間に終わって、よかったとも思ったが、困った、と思いながらピクルスとカレーの仕込みをしていた、最近ピクルスににんにくを少し使うようになったら、満足のいく味になったような気がして嬉しがった、カレーも少しずつ変わっていく。
宇田智子を開いていくつか。そのあと、茄子の一本漬けを作ったときからチラチラ思っていたことだったし、トークイベントの告知が今日なされたことで後押しされた格好で、久しぶりに滝口悠生の『茄子の輝き』を棚から取ってきて読み始めた、ゆっくり、しかし確かに始まる感じあって、最初からなんというか充実感、というふうになる。一瞬でなる。すると3ページ目に「月曜会議では、たとえば日頃の業務体系における不備や問題点、OA機器や文房具、その他備品の取り扱いや設置場所について、社員の待遇面での改善要求、あるいは花見や歓送迎会、年末年始の飲み会の幹事選びなどが議題になった」とあって、なぜか、このセンテンスが目に流れ込んだその瞬間に、鼻がツンとなって、泣きそうになった、この小説でそのあとに流れた、そのあとと言っていいのか、あるいは以前だったりもする、流れた時間の全体や、いくつかの場面、居酒屋で、茄子が輝いている、島根の土産物屋で、店番をする、ことを語る、廊下で、観葉植物があり、歯医者があり、千絵ちゃんがあらわれる、うろたえて、煙草を吸う、会津若松で、酔いつぶれる、カーリングを見る、そういう、いくつかが、やってきて、泣きそうになった、泣きそうになって、とてもなにか豊かな心地になった。
この連作短編集を開くと、というか思うと、思い出されるのは雨の日の夜に営業中に読んでいたときのことだった、ことだったといっても何もないが、読んでいた、週末で、どこかの花火大会が、なんと決行されるらしい、と思ったそういう日だったしきっと花火の上がっているような時間帯だった、暇で、だらだらと読みながら、グーグルマップを開いて出てくる通りの名前を検索して、高田馬場のこのあたりか、と思ったりしていた、その夜を思い出す、花火大会、といえば今日、夕方、遊ちゃんとのやりとりの中で、花火大会のことが出てきていた、出てきていたというか出したのは僕だった、今日は各地で夏祭りがおこなわれているという、渋谷でも浴衣姿の人を多く見た、というから、どうりでフヅクエが暇なわけだ、さすがに花火大会はまだだよね、と言った、送った、花火大会なんて久しく行っていない、ということで、人が多くないやつだったら行きたいね、と僕は送って、そんな花火大会は存在するのだろうか、平日開催で、混雑していない花火大会なんて、あるのだろうか、と思った、夏、どこかで花火をしようねということを言ったら、言ったそばから、とてもそれをしたくなった、それが夕方だったか、『茄子の輝き』を取ったのは、このあとだろうか前だろうか。あとだったら、「花火大会」という発語が『茄子の輝き』を導いたというふうにも思うし、前だったら、あれ、逆か? あれ、わからなくなった。まあいいけれど、とにかく『茄子の輝き』は行ってもいない花火大会となにか結びついて記憶されているのかもしれなかった。それで今日、1年近くぶりに読みながら、会社の入っているビルの廊下の、大きい窓のほうからは新目白通りに出る道路が見え、反対の非常階段からは神田川が見えるというか、神田川側が見える、というあたりでまたグーグルマップを開き、ということは、このあたりだろうか、と思ったりしていた。
「お願いだからそのいらいらは私だけに向けて、千絵ちゃんには向けないでほしい」とあった、その祈りは、「寝相」の老人の祈りと完全に響き合っていた、「寝相」を読んだのは『茄子の輝き』のあとだろうか、前だろうか、「寝相」というか『寝相』は、新宿御苑、それから幡ヶ谷駅前のガードレール。

夜は少しまともな感じになり、働くことができた、喜んだ、喜びながら、ときおり座って続きを読んだ、「お茶の時間」が終わり、「わすれない顔」を読んだ。

そもそも観光は口実みたいなもので、できるだけあちこちを多く見て回りたいなどとはふたりとも思っていない。行って、帰ってくれば、その間に何をせずとも何かしら心に残る景色や出来事や出会いというものがある。妻はそういったものをこそ愛おしんだ。 滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社)p.46

行って、帰ってくれば。

閉店後、グーグルマップを開いて、総社のあたりを見ていた、高梁川であるとか、酒津であるとか、サラリーマン時代、営業で行っていた事務所は、どこだっけ、川、近かったっけ、とか、見ながら、かつてはすんなり頭の中に像を描けたはずの地図が、そうはならず、少しずつ、道と風景が立ち上がる、ぶつ切りで立ち上がる。

7月9日(月)

朝、ごぼうときのことクミンの炒めものを作っていた、ささがきにしたごぼうと塩とオリーブオイルでしばらく蒸して、それからきのことクミンを入れてしばらく蒸して、醤油と酒とみりんで煮て煮詰めて、みたいなことで作った、最近これが好きだった。工程を書いていて気づいたが炒めていなかった。
それから、営業時間が始まって、大根と豚肉のいつもの煮物と、それからブロッコリーの白和えを作っていた、作って、作ると、特にやることもなくなり、『茄子の輝き』を読みながら、読み、働き、読み、働き、というふうに正しく一日は過ぎていった、なんだか一日疲れていた、両肩というか肩甲骨のあたりがじんわりと重い、疲れていた、疲れが貯まっているというような疲れ方をしていた、そんなに疲れるほど働いたっけかと思ったが、どうだったか。
『茄子の輝き』の語り手がかつて働いていたカルタ企画は、豊島区高田3丁目12あたりだろうか。

いや、人の、と私は言いかけたところで、ちょっと胸がいっぱいになって、片手に握っていた煙草のケースから一本抜き出してその場ですばやく火を点けてしまった。彼女がしゃべる時の変わった抑揚は、どこかの方言なのかもしれなかったが、これまでそんな方言は聞いたことがなかった。方言というより、ほとんど歌のように聞こえた。私はひとつ吸い込んで煙を吐いたあと、人の名前にもありますけど、植物の名前でもあるんですね。僕は、と言いかけてまたもうひと口煙草を吸って、吐いて、僕も家で、育ててるんですベンジャミン。他にも、他にもいろいろな植物を育ててて。 滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社) p.76

読んでいるとちょっと胸がいっぱいになる。何度も、ちょっと胸がいっぱいになる。読みながら、そうか、このあたりはこのあたりだったのか、もっとあとの話かと思っていた、等、そういうことを思っていた、これは、たぶん初めて読んだ直後にも感じたことだったし、テジュ・コールの『オープンシティ』を読んでいたときにも同じことを思った、とたぶんそのときも思った感じと同じだった、それはつまりなにか「全体」みたいなものとして記憶されているということで、僕はそれは面白かったし、豊か、という言葉でなにか思うところだった。
それから、語られているのは2016年で、舞台というか、主に描かれているのは2011年の地震のあとの時期のことで、神田川が大雨で冠水したら、ということが言われたり、冠水して、ということが言われたり、ということもあるだろうというか、単純にニュースがそうさせるのだが、岡山の、と打ってから、やっぱり僕はこれを岡山のことだと捉えているんだ、と思った、西日本の大雨の、屋根と泥水の風景を何度も思った。2011年、僕は岡山にいて、2018年、僕は東京にいた。なんでこれだけのことに、うしろめたさを感じているのだろうか。というか、いつまでこんな幼稚な感情に付き合うつもりなんだろうか。

帰宅後、文字起こし。気づいたら4時になった。明るくなりつつあった、寝る前、プルースト。第1巻が終わりを迎えて、驚いた。

7月10日(火)

昼前起き、店、ひきちゃんと挨拶を交わし、出。電車で『茄子の輝き』を読んでいると、読んでいたのは表題作の「茄子の輝き」だった、

日が暮れて高速を降り、会津若松の市街地に入ったあたりで、おい、すごい雪だな! と急に目覚めたらしいお父さんが大きな声で言った。私もそれで目が覚めて、外を見ると真っ白で、落ちてくる大粒の雪はまだまだやみそうになかった。
助手席のお母さんがお父さんの方に振り返って、伊知子たち今年中に籍入れるんだって、と言い、お父さんは、えっ、と固まったあと、そうかそりゃおめでとう、と隣の私に言った。私も驚いたふうな顔をして見せてから、はいありがとうございます、と応えた。 滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社) p.109

このあたりからぐんぐんとじわじわと感動して、なにか、都営新宿線、乗りながら、それから、
「会津若松。雪。伊知子、」
というそういうふうにはじまる行があって、実際は

そんなに細かく書かないのよ。メモみたいなもん。今日もこれだけ、と言ってお母さんは私に日記帳を見せてくれた。「朝食、パン。宇都宮で伊知子・一瀬くんと合流。袋田の滝、白河の関、会津若松。雪。伊知子、今年入籍の予定。」 同前 p.111

というパラグラフだから前後があるけれども、「白河の関、」で行が終わって次の行の頭に「会津若松。雪。伊知子、」とあるのを見たときに、とん、とん、とん、と、こつ、こつ、こつ、と、ジェンガで、あいだのやつを抜くときのように指で軽く、とん、とん、とん、こつ、こつ、こつ、とやったら無事抜けて、落ちた、というときのように、感動のさざなみみたいなものが、押し寄せるというか叩いてきて、それで、あふれる、という瞬間があった。ずっと、泣きそうなというか、涙を目の淵にためたまま、いつそれがそこから落下してもおかしくない、そんな様子で読んでいたら、落ちた。
次の「街々、女たち」に行くと、何度か語り手が自分の年齢のことを言っていた、33歳、とあった、ちょうど昨日、僕はまだ32歳だが、ひと足先に誕生日を迎えた地元の友だちに「33歳!」と送ったところだった、ちょうど、今の自分、たちと、同じ年齢の語り手が語っているその小説を読んでいると、蔵前に着いて、それでA7出口、厩橋のところで出て、いやそれはあとの話だった、同じ年齢の語り手が語っているのだなと思ったのはあとの話だった、蔵前に着いて、A7出口、厩橋のところで出て、ほんの少し歩いたところの建物の3階だったかに目的地の靴屋さんNAOTがあった、そこに上がっていくと踊り場が、2階も3階も同じようにとてもいい雰囲気で、植物があり、それがいい光を受けて、広々とした心地にさせた、その3階にあったNAOTに入ると、入って、いろいろと履かせていただき、当初僕は紐のない革靴みたいなものを買おうと思っていたが、紐のあるものを履いてみたらずっといいように見えた気がして、いくらか迷った結果、紐のある革靴を買うことにした、たぶんWISDOMという種類のものだった、NAOTは作業場になっている奥のスペースの広い窓のすぐ向こうに川があって、隅田川の花火大会のときはここでみなさんで花火を見るということだった、それはとても贅沢そうだと思った、隅田川の花火大会は7月28日だった、それは、僕の『茄子の輝き』の記憶と結びついている花火大会は隅田川の花火大会だったろうか、どうだったか。
無事買えたが僕は、靴のことなんて何も知らないというかファッションなこと全般なにも知らず、NAOTも遊ちゃんに教わったものだった、僕はNAOTを教わったことによって、ビルケン、NAOT、という2つの選択肢を靴について持つことができたというわけだった、ビルケンを買ったのは6年前とか7年前とか岡山で、だから、だからというのも特に根拠のない話だが、僕はこの靴を6年か7年は履くのだろう、そしてそこで、また新たな選択肢を学ぶのかもしれないし、また同じところ、2つの選択肢から考えるのかもしれない、とにかく、長い年月履き続けていたビルケン生活に終わりを告げるその日、僕のリュックには『茄子の輝き』があり、それを読んでいた。
それを読んでいた、NAOTを出て、そこからすぐのところにあるハンバーガー屋さんであるところのMcLEANに入って、お店の方に一番人気だとうかがったチーズとアボカドのハンバーガーを頼み(名物は天ぷらのハンバーガーとのことだった)、そこはこちらがハンバーガー、背中側がコーヒースタンド、みたいな作りになっていて、コーヒースタンドのほうでアイスコーヒーを頼み、2階に上がって、そこでまた『茄子の輝き』を読んでいた、33歳、とあった、僕は今32歳、秋に33歳、同じ年の語り手の話を、聞いている、と思った、思うと、ふと、なにか、いま自分がしていることはとても信頼のできる友人の話を聞いているようなことにかなり近いと思った、本がよき友だちになる、みたいなのはもしかしたらこういうことなのかもしれない、と思った。初めて思った気がした。

ハンバーガーはとてもおいしかった、危うく刺してある鋭利なものまで食べそうになって、怖い気持ちになったが食べずに、負傷せずに済んだのでよかった、ハンバーガーという食べ物は、ひと息に食べる以外にしようのないものだなと思ったし、その制約はむしろいいことのように思った。ひと息に食べた。とてもおいしかった。
電車に乗り、少し歩き、濱口竜介監督の新作『寝ても覚めても』の試写会場に行った、試写。試写会場というのはどういうものなのだろう、と思った、試写なんてたぶん初めてだった、僕が懸念していたこと、いやむしろ普通に公開してからお金払ってちゃんとした劇場で見たほうがいいのではないか、と思ったりしていたが、それはもしかしたら半分はその通りかもしれない、画面はやはり大きくはない、シネマカリテぐらいの大きさだった、つまり小さかった、通された席につき、それで映画を見た。
原作の柴崎友香の小説はとても好きな、おそろしい、凄い、ものだった、その映画化をなぜするのだろうと思っていたが、見てみればそれは必然的なことだと思ったというか、『PASSION』、『親密さ』、『ハッピーアワー』とまったく通底するというか、正しく生きること、自分なりに正しく生きること、そのことが描かれた映画だと思った、爆竹、スローモーション、美しい始まり。それから、くっしーの突然の演技と怒り、朝子の抗弁、亮平のあまりにすばらしい取りなし、マヤの許し、ちょっとここが、最高で、涙がごうごうと溢れて困った、こういう瞬間を、僕はやはり目撃したい、ここがいちばん強度のあるシーンのように僕は思った。そのあと、許されねえなとおっちゃんが言って、言った、そのあと、許されたいわけではない、一緒にいたい、と言った、朝子は桜子だった、許されたいとは思わない、とかつて彼女も言った、そういうことだった、正しさ。誰も否定できない正しさ。苛烈な正しさ。二人が走る、奇跡のようなロングショット。
あわわわわ〜と思いながら出て、初台に戻って、少し時間があった、なにか考え事をしたかった、ドトールでアイスコーヒーを買って、屋上に久しぶりに行って、煙草を吸いながら、さっき見た映画のことを考えていた。もう一度見たい。というか見るだろう。

7時前、店に戻り、ひきちゃんとおしゃべりをして、チーズケーキを焼いた、8時から「会話のない読書会」だった、10人、ちゃんと来てくださり、短時間、ぎゅっとぎゅっと働いた、全員が、『読書の日記』を読んでいた、フヅクエで書かれたフヅクエの人が書いた本をフヅクエで10人の人が同時に読んでいる、フヅクエの人が淹れたコーヒー作ったご飯を飲み食いしながら、読んでいる、という、その異様な状況を人々は楽しんでくれただろうか。僕は楽しかった。
終わって、みなさん帰っていかれて、わーっと洗い物をして、片付けて、ご飯を食べて、満足した、日中、熊本のときにそうしたのだが、誰か知っている人に直接お金を渡したいというか、それが僕にとっていちばん素直なやり方なんだよな、と思っていたら、Facebookを開くとちょうど、これ以上ないほど信頼できる友人が、真備町から車で数十分のところに住んでいて、自身は被災していないが今は日々復旧支援で足を運んでいるというその友人が、募っていて、なんて素晴らしいタイミング、と思って送金をした。

家に帰り、少し、文字起こし。少し、プルースト。

7月11日(水)

昼前まで寝ている、起きる、家を出る、青山のほうに出る、丸亀製麺でうどんを食おうと思ったら行列ができており、列は早く流れるような予感はしつつ、慌てたくもないので諦めて、夏、暑い、コーヒースタンドのザ・ローカルに入り、アイスコーヒーを飲んだ。2杯めのコーヒーをテイクアウトで、ホットで、いただいて、イメージフォーラムに行って『ザ・ビッグハウス』。想田和弘、テリー・サリス、マーカス・ノーネス監督作品、とのこと。
すごかった。全米最大の収容人数を誇るミシガン大学のスタジアムの通称なのか正式名称なのかが「ザ・ビッグハウス」で、そこでおこなわれるアメフトの試合を形作る人々の姿が主に映されていく、チアリーディングの人たちやマーチングバンドの人たちの足取りの強さや確かさに目を見張るところから始まり、警備員たちのミーティング、大量の食べ物を作るキッチン、放送席、スポーツメディアの人たち、医療スタッフ、搬送用のカートの人たち、警察と警察犬、清掃チーム、用具のメンテナンス、マウスピースを並べる係、スタジアムの外でも、チケットを転売する人、神の教えを道行く人に伝える人、チョコレートを売る親子、グッズショップの人。なんというか、10万人規模のお祭りを支えるのは、そりゃあもう、ものすごい数と種類の人たちの働きなんだよな、と思って、ずっと面白かった。試合中の、スタジアムの熱狂というか地鳴りのような声の集まりもすごかった。すごかった。

とても満足し、いったん家に帰るつもりだったけれど、やめて、丸善ジュンク堂に行きたかったけれど、やめて、本屋はすぐそこにある、と思って丸亀製麺でうどんを大量に食べたあと、青山ブックセンターに行った、それでうろうろと本棚のあいだを歩きながら、映画を見ているあいだにアメリカ、中西部アメリカ、と思って、彼らの熱狂というか、ちょっと怖いぞこの熱狂、という熱狂に触れながら思い出した、ジョン・クラカワーの『ミズーラ』、あれももしかして中西部の話じゃなかったっけか、と思って、それを探していた、しかし見つからなかった、そもそも『ミズーラ』というタイトルを思い出せなかったので調べたところモンタナ州とのことで、モンタナ州は北西部とのことだった、全然違ったな、と思って、でもいま改めて検索したところ「同大学のアメフトチーム「グリズリーズ」は、市民たちの誇りでもあった」とあり、だからアメフトチームの人たちが起こしたレイプ事件を追うノンフィクションなのだろう、だから、やっぱり関係なくはなかったんだな、と思った、やっぱり読んでみたい。それで、見当たらず、ミシェル・レリスの『幻のアフリカ』も、探したがたぶんなさそうで、それでうろうろと歩いていたところ、全然思ってもみなかった2冊を手に取っていた、思ってもみなかったし、まったく知らなかった2冊だった、エレーナ・ムーヒナ『レーナの日記——レニングラード包囲戦を生きた少女』、ジル・アレグザンダー・エスバウム『ハオスフラウ』、前者がみすず書房で後者が早川書房だった、早川書房の、翻訳権独占がどうのこうの、みたいなことが書いてある小説を手に取ることは普段はなくて、なんでないのだろう、なんでだかあまり信用していないのか、その喧伝の仕方ってなに? みたいなところがあるのかもしれない、とにかく普段はないのだけど、なんでだか気になった、それでその2冊を買った、出て、それでビールを飲みながら神宮球場を目指した。
一塁側に上がり、チケットに書かれている席を探すと、先に着いていた西山が息子を抱っこしてグラウンドでおこなわれている練習を見ていた、息子は、2歳のちびっこは、グラウンドをほとんど見ていなかった、野球への興味は今のところないらしかった、今日はここに来る前は博物館に一緒に行っていた、恐竜がすごかった、本物の恐竜を見たい、それが今の彼の願いだったが、本物はもういないんだよ、と西山は教えた。かつていたが、もういない、ということを、2歳時はわかるのだろうか、どういうふうに理解されているのだろう、と思いながら、その話をしていると、「ほね」と彼は言った。そう、骨だね。
試合開始くらいのタイミングで仕事終わりの奥さんが息子を引き取りに来て、それで一緒に外に出て、遊ちゃんが手を引いて、スタジアムの階段をひとつひとつ上手におりていった、西山の奥さんとはとても久しぶりだった、久しぶりだね、ということを言った、ちびっこは、お母さんの登場に安心したのか、ずっと持ったままで口をつけなかった白いせんべいをやっと食べ、せんべいは口の丸い形の分だけなくなって、できた形をこちらに見せながら「ねこ」と教えてくれた、もう少し食べると、その耳に当たる部分がなくなって、今度は何になった、と聞くと、「おふね」ということだった。

席に戻って、野球を見た。7月のナイターはこんなに暑かったか、という程度に蒸し暑く、飲むビールはぜんぶ汗になるようだった。グラウンドでは、野球がおこなわれていた、ヤクルトと巨人の試合だった、巨人の試合を見るのなんて本当に久しぶりで、坂本や吉川やマギーや岡本や亀井や長野や陽岱鋼や宇佐美や山口がいた、最初の打席の時点で、4番・岡本の打率が.299で、5番・亀井が.288、6番・長野が.277だった、それで、その次の陽岱鋼は、じゃあ、どうだ、と思ったら.264で、2厘差、惜しかった。亀井が2本のホームランを打って、他にもマギーがホームランを打った、盗塁は見られなかった、全体に、足を使って「わあ」みたいなプレーはなかった、山口は、毎回打たれているな、と思いながら見ていたが、けっきょく6回3失点でQSを達成していて、わからないものだな、と思った。上原が投げるのを見ることができた、よかった。
それにしてもいつも、いつも思うのだけど、ヤクルトの、投球練習時の内野の守備練習というのだろうか、あのときのヤクルトのそれは、いつもなんだか、他のチームと比べてちんたらやっているように見える、のだが、どうなのだろうか。

暑い、暑い、と言いながら、代々木まで出て、知らない道や知っている道を歩いたところ代々木まで出て、焼き鳥屋さんに入って飲み食いをした、子育ての話、学校教育の話、ほうほう、と思って、話した、12時前、西山と別れ、帰った、長いこと外にいたためか、体がはっきりと疲れていた、寝る前、『レーナの日記』。1941年5月。試験や、好きな男の子のこと。

7月12日(木)

起きても体がはっきりと疲れていた、母親から連絡があり、今朝おばあちゃんが亡くなったとのこと。すぐ、通夜と告別式は今日明日だろうか、であるならば、早く段取りをつけなければ、と思う。父親に電話をして、日曜月曜になりそう、と聞く。ソファで遊ちゃんと話していたら、平気な顔でしゃべっているつもりが涙が次から次へとべったりと流れていって、そうか、と思った。

夕方まで、何かしらやることがあって、やっていた、トマトソースをこしらえたり。それでやることが済んで、通夜、告別式は日月に決まった、とのことだった、金曜土曜、どういう仕込みをしたらいいのだろう、と考えたが、考えてもよくわからなかった、それで、当座のところ、やることが済んで、日記を書いたり、本を読んだり、していた、『ハオスフラウ』を開いた、2ページ目くらいに、「バスでは行かれない」「どこまで歩いて行かれるのか」という訳文があり、行儀のいい言葉、行儀がいいのか知らないがなんとなく行儀がよく僕は感じる言葉があり、なんだかいいなと思った、しばらく読んで、それから『茄子の輝き』の「街々、女たち」をおしまいまで読んだ、本当になんというか、開いて、少し読むだけで、水面にひとつしずくが落ちて、波紋が広がるような、そういう感覚になる、いろいろな場所に、とんとんと、しずくが落ちて、波紋が、いろいろな場所に、重なったりしながら、広がる、そういう小説だった。
極度に暇な一日になった、あんまり静かな時間が流れていたせいか、ぼーっとしていたのか、音楽が消えていたことに気づかなかった、 ということに気づいて、つけたところお一人だけおられた方がちょうど帰られるところで、すいません音楽消えていたこと気づかなくて音楽掛かってなくて、と伝えたところそういうものかと思っていた、というかあまり気づかなかった、ということだった。音楽は、ドローンが多いから、僕の席だと特に背中の冷蔵庫のファンの音等に混ざって、フェイドアウトしてもそのまま持続音が持続しているような感じになることがあり、エンドレスのリピートで勝手に掛かっているから掛かっているはずだと思いながらも、たまに掛かっているのか掛かっていないのかわからなくなることがある。そういう日だった、8時には誰もいなくなり、そのあと、ずっと、誰もいなかった、いなかったので、文字起こしをしたところ、やっと終わりになった、69,984。7万字くらいかなと、予想したところにぴったりいって、びっくりした。それからまた『ハオスフラウ』に戻った。

一日、かなしさみたいなものがつきまとった。暇だったこともそれに拍車をかけた。こんな日は忙しくあってほしかった。ぼんやりしている。なんか、いいビール飲もう、と思って、ミッケラーのビールを飲んだ、飲み終わると、もう一本飲みたい、と思って、ハートランドを開けた。
なんだかむしゃくしゃしているようなところがあった、それでご飯を食べ始めたら、大盛りのご飯3杯みたいなバカみたいな食べ方をした、茄子の一本漬けや鶏ハムなど、ご飯が進むものがあったことも一因というか大きな理由だが、というか最たる理由だが、むしゃくしゃした心地が後押ししたような格好もあった、後押しというか、今の気分と見合う行動を取ってみたらどうだろう、みたいなところでの暴食というところがあった、この貧しさ、と思っていた、この貧しさ。
日曜、月曜と3連休のうしろ2日を閉める、売り上げ、と思った、月曜日、告別式が終わって夕方には出られるだろうから、夜には戻れるだろうから、夜だけ開けようか、というような思いがもたげたのを僕は感知した、少し考えて、そうはしないことにしたが、それにしてもこの貧しさ、と思った、なんで、こんなに余裕がないのだろうか。余裕なんて、今の店の調子がいいわけでは多分ないけれど(本が出たらしばらく忙しくなるかと思っていたのに!)、余裕なんて、別段、たとえばひと月のあいだ店を閉めていたって資金繰りがどうのこうのでダメになるような、そんな状態でもないし、なんなら一年くらいぷらぷらするくらいの蓄えはできているはずだ、それなのに、なんでこんなに目先の売上を欲するのだろうか、この貧しさ。
いやこれは、売上に対してではなく、お客さんに対してなのかもしれない、また閉めてんの、となって、なにかそっぽを向かれることを恐れるような、そんな心地がどこかにというかたしかにある、この余裕のなさだ、そっぽを向かれることが怖い、今の、週一日は休みにしている状態だって、休んじゃっていいのかな、これによって離れるものがないだろうか、というような恐れを、僕は確かに感じているということを僕は知っていて、いやいや、週一日休むとか、休むでしょ、というか、休むでしょそりゃ、と思うのだけど、でもなんだか怖さがある、やっぱり毎日開けていたいよなあ、そうしたらこういう心地になることもない、と思うと、やはり、早めにまた、人員を募ったほうがいいのかもしれないと思う、5月にスタッフが減って、それから体制はそのままにして休日を設けることで対処というかそういう感じにやっていたのは、なんだかいろいろ慌ただしい気分だしいま人を育てるというかトレーニングするみたいなのは余裕ない気がするなと思って、なにか落ち着いたらまた募って体制整えて毎日開けられるようにしたいなと思ってのことだったが、そろそろなのかもしれない、わからない、そもそもどれだけ人に払うお金があるのか、どのくらい払えるのか、払い続けられるのか、いまいち水準がわからない、週1日人員なのか、2日人員なのか、3日人員なのか、4日人員なのか、僕の働き方も変わってくるし、お金の出方も変わってきて、どこがちょうどいいところなのかまったくわからない、でもそろそろかもしれない、なぜかって、と考えたときに、今日が度し難く暇な日だったからだ! という、この目先しか見えない貧しさ。

むしゃくしゃして、帰ったら、眠くなって、本を読もうと寝床に本を持っていくも、開くことなく、寝た。

7月13日(金)

開店前、宇田智子を少し読む。冷え取り靴下について書かれていて、4枚履きを小島信夫が実践していた、ということを知って愉快だった。

昼、意想外に定食が出て、おお、どうしたらいいのだこれは、となった、金曜日、土曜日、そこから2日が空く、どう考えたらいいのかわからなくなるというか混乱する、思考コストの点でも、休みなく営業しているというのは楽だった、ただ反応すればいいだけだから。

午後、暑い。店はこれは、暑くはないだろうか、僕は少し動くと暑くなる、でも長い時間、動かないで過ごす、という過ごし方を前提に、寒くなりすぎないように、と思ってエアコンを入れているから、僕の感じ方はサンプルにはならない、どうなのだろうか、と思いながら、意想外の定食の減りに対応するために煮物をこしらえ、それからごぼうのおかずに着手した、考えることが面倒になったらしく、またごぼうときのこの炒め煮みたいなものになった、前回と違うのは、クミンを使っていない点、バターを使った点、オリーブオイルではなくごま油を使った点、だけだった、甘辛く、煮詰めていく。お客さんは誰もいない。
とてもさみしい気持ちが、どうにもお腹や胸のあたりに満ちていた、『茄子の輝き』は「今日の記念」に入った、住民票を取りに役所に行くとカップルが多くいて、それでこの日が「いい夫婦の日」だったことが知れた、そのあと、語り手は戸籍課に行き、すべて自分の名前で埋めた婚姻届に丁寧に押印までして、窓口に出す、という、かなり不穏な場面があった、こんな不穏なところあったっけな、と思いながら読んでいた、それから品川のほうに行く、荒涼とした、さみしい、不安な気持ちを彼は覚える、そういうところを読んでいたら、僕もそのままさみしい気持ちでいた、3時半、やっとお客さんが来てくれて、なにか、安堵するようだった。
それにしても、「今日の記念」を読んでいて、驚いた、あのエピソードはいつ出てくるんだっけかな、と思っていたエピソードが立て続けに、オノとのラーメン屋での素敵な昼食の場面で描かれていて、そうか、伊知子のコラージュ写真を目撃したところも、島根に行った千絵ちゃんとの長話も、ここだったのか、となって、やっぱり、この小説に流れている時間はなんというか本当に線状では記憶されていなくて、まるい波紋みたいに、なっていて、全部がここで、全部は言いすぎだが、多くがここで、わーっと、広がって、たぶん去年読んでいたときに日記で「滝口悠生が今ホワイトステージのうえにいて聴衆はうおおおと吠えている」みたいなことを書いた、ということはつまりそれはフジロックの時期だったのだろう、時期というか、フジロックの週末で、かつ花火大会があった週末なのだろう、フジロックは7月最終週だから、やはり隅田川の花火大会だったのだろうか、それで、ホワイトステージ上の滝口悠生、聴衆の俺、両腕上げて咆哮、それと同じ気分にやっぱりなった、ここはすごい、すごい、となって、

え、でも、ちょっとかわいい、って思いましたよ、あの写真、とオノは言った。何これ、おもしろい馬鹿みたい、って。
オノは知らぬだろうが、部屋の押し入れの中には同様のアルバムが何冊もある。伊知子と別れてから少しした頃、私は少しずつその写真群の制作をはじめ、沖縄旅行編、会津若松編、世田谷の日々編、学生時代編などふたりの過ごした場所や思い出の場所ごとにまとまっていった。もちろんそこには、当時実際に撮った写真や、ふたり一緒に写った写真もあるが、同様のコラージュで私たちの記録は大幅に増補されていた。 滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社)p.184

ここを読んだ瞬間に、目頭がカッと熱くなって、涙が溢れて外に退避した。厨房奥の扉を開けると段差の次に大きな矩形の穴が目の前にあって、扉前のスペースの鉄の板のほとんどが錆びて朽ちて割れて落ちてできた矩形の穴が目の前にあって、真下の地面がよく見える、以前は今にも落ちそうなたわんだ状態だったが、いつだったか忘れたがパキッと落ちたのだろう。どれだけの音が鳴っただろうか。今の足の踏み場は板の残った20センチくらいのところで、そこは安定していて安心で、そこから下に急勾配の階段と手すりが外壁に沿って続いている、階段といっても下の通りとはつながっていないというか、階段の終わりは下の店のポリバケツや酒瓶の空ケースで埋まっているから通ろうにも通れない、通ろうとするならばとても大掛かりな動きになる、そういう状態で、僕はいちばん上の段に腰掛けてそこで煙草を最近は吸っている、誰の迷惑にもきっとならない場所だった。幅は体よりほんの少し広い程度だから狭くて、慣れたら気にならなくなった、いつかスマホを下に落とすのではないかということは懸念している、そこで座って、煙草を吸いながら、涙で目を熱くしながら、本の続きを読んだ、やはり、このあたりはほんとうにすごい、

いちど弾いてみないと、その日、その場所でギターからどんな音がするかはわからない。でも、いちど弾いてしまったら、はじまってしまったら、それがどんな音でも次の音を続けないといけない。歌うことも同じ。声を、出してみる。出たら、次の声を出す。
千広くんがいつかそう言ったそのことに、私はとても感動した、と千絵ちゃんは言った。それを聞いて私は、楽器で音を鳴らすというのはそういうことだったのか、と知った。私は楽器が弾けない。そして私は、悩んでばっかりだ。会社の仕事でもそうだし、お昼に何を食べるか、お弁当のおかずは何にしようか、どのジュースを飲もうか、お茶にしようか。そして、道にも迷う。知っている道を歩いていたはずなのに、いつの間にか全然知らない道を歩いている。けれど、それは全部、間違いたくないから悩んだり迷ったり困ったりするので、その時鳴った音からまたはじめればいい、とそういうふうに思えた。そう考えるようになって、いきなり悩みや迷いがなくなるわけではないけれど、私はそれからというもの、楽しいと思ったり、嬉しいと思ったら、あまり深く考えずその楽しさや嬉しさに存分に浸ることにした。そしたら、音楽のようになった。私は、自分の生活のなかに楽器を見つけてその楽器なら弾くことができたみたいだった。 同前 p.190

そこから、チーズケーキを焼いて、焼いているあいだに終わった、最後も、本当に風通しがいいというか、文字通りに景色が前方に開けている感じで、見晴らしがいいというか、気持ちがいい、うれしい、やさしい、ありがたい。

夕方、白水社のメールマガジンを開いたら、7月13日発売の、『ぼくの兄の場合』という小説を知り、急にとても読みたくなった、日曜月曜の移動のときに読みたくなって、それで遊ちゃんに今日大型書店に寄るなり寄らないまでも横を通るなりするような用はないだろうか、と訪ねたところ、渋谷の丸善かな、と言ってくれたため、お願いしようかと思ったが、入荷しているか確認しておこう、と思って電話してみたところ、まだとのことで、週末はないので、早くて週明け、とのことだった、それで、諦めて、店が終わって余裕があったら蔦屋書店に行こうかな、と思って、思った。ぽやぽやと働いて、10時を過ぎて、先に確認しておこう、と思って蔦屋書店に電話を掛けてみたところ、未入荷とのことだった、未入荷とのことで、なんだか安心して閉店まで過ごすことができた。Amazonで、夕方に見たらまだ未入荷と表示されていたが、見たら残り7点、みたいな様子になっていたので、ポチった。明日、届くだろうか、届かなくても構わなかった。いや、本当は読みたい。

帰宅後、髪切り、寝る前、『レーナの日記』。試験が終わって、夏休みになって、自由だ、と思っていたらドイツが侵攻してきた、一気に、戦争になった。




お知らせ
読書日記が本になりました
8月1日、滝口悠生さんとのトークイベントがあります@青山ブックセンター

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