本の読める店

時間のかかる読書を僕もしようかな宣言

Entry blog fuzkue56

今日、何かと時間があったので本でも読もうと喫茶店に入った。蓮實重彦の『「ボヴァリー夫人」論』もだいぶ終わりに近づき。
そのお店はだいぶ静かで読書にはうってつけの環境だったのだが、どうにも頭が「和え物作って、出汁とって、あとは植物に水やって…」とか考えてしまってまるで集中できず、あまりに集中できないのでキリの良いところで出よう、この章だいぶ続いたからそろそろかな、とか思って一枚ページをめくるとまさかのブランク、つまり終わりで、両肩がわっと上がるほどに驚いた。完全に油断した!まさか本編のあとの註釈でこんなにページを取っていたとは!700ページ読んできてこんな終わり方って!と何かとびっくりしちゃったのだけど、ともあれ、あとがき等はまだだけどひとまず読み終えた。

それ自体は今日書きたいこととはあまり関係なくて、並行して読んでいる本の一つが宮沢章夫の『時間のかかる読書』で、これは横光利一の短編「機械」を11年かけて読んでいったドキュメントで、文庫の裏のところにはこう書かれている。

「脱線、飛躍、妄想、停滞、誤読、のろのろと、そしてぐずぐずと――決めたことは「なかなか読み出さない」「できるだけ長い間読み続ける」のふたつ」

何かで知ってなんとなく気になっていて、本屋に行って手に取ったときに読んだこの裏の文言で「これは俺好きそう」と思って買って少しずつ読んでいるのだけれども、今のところ思ったよりもスマートに読みが進んでいるからそこは意外で、もっとぐずぐずしてくれていいのになと思わないでもないのだけど、いずれにせよ魅力的な本だと思う。とても面白く読んでいる。

長い時間をかけて読むこと。
『「ボヴァリー夫人」論』も、あとがき読んだら書いてあるだろうけどおそらく数十年かけて読み続けられ、考え続けられ、書き続けられてきた集大成なんだと思うのだけど、時間をかけて読むことってそれだけでけっこう感動的だなと思うところがあって。

というか何にせよ時間が横たわるだけでけっこう感動的というか。
見ていないからあれだけど、リチャード・リンクレイターの新作のなんとかというやつは、オバマ大統領が今年のベストとして挙げたというニュースを先日見かけたけど、12年とかかけて撮影したものとのことで、たぶんそれはそのことだけで、「あ、年月」みたいな実感に襲われるだけで、けっこう僕は感動しちゃうだろうなと思っている。
というか時間ってそれだけですごいというか。
『インターステラー』の23年の説得力というかリアリティというか、うわー本当に経っちゃってるよこれ…というあのやるせなさと絶望感。あれ、話がずれてきてるな。

なんだっけな、そう、だから、あれ。時間のかかる、非効率な、行き先の見えない振る舞いってとても重要だよなというのがあって、そのためというわけでもないけれども、このブログの特に学習系カテゴリーとかの、どこにも辿り着かないような、どこかを目指しているはずなのに一歩も進まないような、そういうことって存外に大切じゃない?みたいな開き直りを持っているのだけど、僕もだから宮沢章夫・蓮實重彦両氏にならうとか言ったらあれすぎるけど僕なりにそういった形で、時間のかかる読書を来年とか何か一編決めてやってみようかな、楽しそうだな、何にしようかな、と思いました、という思いつきのなんでしょうかこれは、報告?ひとりごと?でした。

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