本の読める店

読書日記(74)

Entry diary74

2月24日

24日。ずっと働いていた、スロウなスタートだったからゆるい休日かと思ったが、ひいひい言う休日になった、猛烈に働いていた、たくさんの仕込みも並行して、あるいは「あ、やらないと!」となってやって、だからすごい働き方だった、僕のフヅクエスキルは高くなる一方だった。
へとへとに疲れた。悪いことも起きず、いい一日だった。一年前とくらべても、この店はどんどん美しくなっているというか、この店が見せてくれる光景はどんどん強く美しいものになっていると思って、感じ入った。

夜、カウンターの端の席に座った方が『新潮』を持ってきていて読まれていた。お、新潮だ、と思った。その方が帰られてわりとすぐに来られた方が同じ席について、そして『新潮』を持ってきていて読まれていた。お、新潮だw と思った。先日も読んでいた方がいた。さすがに同じ席ではなかったか。『新潮』は、水色だったり、文芸誌特有の形状であったり、裏表紙の片岡鶴太郎の写真だったり、そして文芸誌なのでカバーが巻かれていることがないこともあり、すぐにわかる。
日記特集の『新潮』がよく読まれる店。なんというか、面白かったし、よかった。

日記特集ということで、僕は最近は日記の気運が高まっているのだろうか、と思っていた、それは僕の日記本にももしかしたらどうだろう追い風にならないだろうか、とかも思っていたのだけど、『新潮 2018年 03月号』のAmazonのレビューがひとつついていたのでなんとなく見に行ったところ、「例年のように3月号は前年一年の日記リレーが巻頭であり」とあり、なんだ、毎年やっていたのか、と知って拍子抜けしたというか、そうなのか、まるで知らなかった、でも今年は僕もこうやって読んだことだしなにか例年よりも話題になっているのではないか、とも思ったが、そのあとになんとなく2017年であるとか2016年であるとか2015年であるとかの3月号を検索してみても、そんな様子の表紙は見当たらなかった。もう少し検索してみると「小誌の日記特集としては東日本大震災の年2011年以来のもの」とのことだった。このレビュアーの方の認識はどういう経緯で組み立てられていったのだろうか。

2月25日

開店前の仕込みがそれなりにハードな量あったのでトーキング・ヘッズを流しながらおこなうことになった。シャッフルで聞いていた。どれもかっこよかった。とてもアガった。今日特に新鮮によかったのは「House In Motion」だった。
忙しい日だった、18時までは。というところで、18時までで猛烈に疲れた。しかし真面目にいろいろやるべきことをこなしていった。21時ごろには落ち着き、『中動態の世界』を読んで過ごそうかと思ったが、ふと、原稿の直しを進めたほうがいいのではないか、と思い、やることにした。それで200ページ進めた。断片断片を読むでもなく読むだけでも、いろいろな記憶が起きあがってくるのを感じる。というか、初校のときもそうだったけれど、今日やっていたところは「三月の5日間」や『10:04』が引用されているあたりの時期で、この時期を見返すとどうやら幸せな心地になるらしかった。
『わたしたちの家』は音楽もとてもよくて、それでというのか、勢いなのか、サントラを買った、それは何度か聞いたがやはりよかった、クレジットを見ると手がけているのは杉本佳一で、ふむ、と思っていたところ、今日原稿直しをしていたら杉本佳一に言及しているところがあった、FourColor名義の、12kからリリースされている音源を購入していたし日々聞いていた。

閉店後、トーキング・ヘッズを再び聞きながらショートブレッドを焼き、やりきったと思い、満足した。寝る前は『中動態』。能動態の対立項に中動態を置いてみるとき、能動態の定義は、対立項が受動態であるときとは変わり、意思を含意しない。というところで寝た。一歩一歩おもしろい。

2月26日

仕込みをガシガシおこない、ひと段落したところで、あとは『中動態』を読もう、と思ったが、原稿直しをすることにした、それで200ページ済ませた。そのあとは経理をしていた。それで夜になり、やっと『中動態』を読み始めた、面白い。

二日間で400ページの原稿直しをおこなった結果、肩がバカみたいに重くなって気持ちが悪い。
今日は一日、惨憺たるほどに暇だった、おそろしい暇さだった。気にしてもしかたがなかった。
9時過ぎにはどなたもおられなくなって、やることもなくなって、ソファで『中動態の世界』を読んでいた。ジャック・デリダ。ハンナ・アレント。ミシェル・フーコー。ハハハ。列挙してみただけ。読んでいたところ動詞は後発的なもので、最初は名詞で、動作名詞みたいなものから動詞が確立していった、みたいな話のところで、その痕跡のあらわれみたいなものだったか、非人称的な構文である「It rains」、というその「It rains」、この単語というか2語を見た瞬間に「あ」と思い、聞きたくなり、誰もいないから聞いてもいいから聞きたい気分に任せることにしてしかし思い出せない、「UKロック rain」であるとかでググり、いやたしか、そのrainはon meするんじゃなかったか、それで「UKロック rain on me」でググったところ出てきた、Travisだ、Travisの「Why Does It Always Rain on Me?」だった、Travisをアップルミュージックで検索したらすぐにこの曲は出てきた、それはシングルを集めたアルバムに収まっているようだった、僕はしかしこの曲が入っていた元のアルバムというか、他の時期と混ざったものではなく、その時期を聞きたかった、それで調べたら『The Man Who』だった。ザ・マン・フー。
なつかしさで胸がつぶれるかと思った。アルバムは99年発表のようだった。2001年のフジロックはたしかUKな感じがけっこう強くて、Oasisが出ていたり、したはずで、あとはUKじゃないけど覚えているのはニール・ヤングとボアダムスと、ああ、まだ思い出す、ROVOも出ていた、渋さ知らズオーケストラも出ていた、というか僕はナンバーガールを見たいがために行ったんだった、とにかくその2001年のフジロックで、Travisのライブを、グリーンステージでおこなわれていたそのライブを、いくらか見たのではなかったか。明らかにTravisがこの曲をグリーンステージで歌っている場面を僕は知っている。だけどもしかしたらあとでWOWOWで見たのかもしれない。というか本当に2001年だったのかはまったく自信がなくなってきた。とにかくこの曲、そして『The Man Who』だ、このアルバムを僕は近所のレンタル屋さんで、ウェアハウスで、借りたのだったのではないか、それでMDに焼き、いくらか聞いたのではないか、特別好きなバンドというわけでは全然なかったというかなんの思い入れもないけれど、なんとなくなにか甘酸っぱいというか酸っぱいというか、胸がつぶれるような、なつかしさがあった。15歳だった。
そのUKなロックを誰もいない店内で流しながら、もう少しだけ『中動態』を読んで、店を終え、飯を食った。今日は酒は飲まない。

飲んだ。

2月27日

久しぶりの丸一日休み。起きて歯を磨いて家を出てパン屋さんで朝ごはんを食べて小田急線に乗って『中動態』を読んでいると肩が重くなってきて、気持ち悪くなっていった、途中で眠気がやってきた、うつらうつらしていた。
相模大野からは、なんとなく意識をはっきりとさせたかった。中央林間、大和。次に止まるのは。そこに至るまでに。桜ヶ丘、高座渋谷、そして忘れないよ長後。オー、ヤー、あの懐かしのラブリー ——ああ——来るぞ、来る来る、あのかわいいラブリー——AHH——
湘南台!
大学を卒業して以来たぶんこの駅で降りたことはなかった、通過したこともなかった、駅を見たらいくつもの思い出というか、思い出のトリガーみたいなものが引かれるだろうかと思ったが、存外に、なにも思い出さないというか、窓外に見える光景はなにも僕に刺激をもたらさなかった。あれ、なにもなつかしい気持ちにならない、と思って通り過ぎてしまった。いやかろうじて、駅のホーム、2階にある、あのホームの感じ、それはなにか、よく乗ったよな、ということを思わせただろうか。とにかくその程度だった。

晴れていた。藤沢で乗り継いで片瀬江ノ島駅に出た、もう肩の重さは消えていて、すっかり忘れていた、片瀬江ノ島のほうがよほど、なにかだったかもしれない。駅から出ている橋を渡ったところのビルの4階にオッパーラがあって、サークルの追い出しコンパで会場として借りた。その話をしにいった日中のあかるい店内、それから追いコン当日の夜の光景、DJブースの裏側で特に協力してくれた友だちとすごくいい握手をしたこと(僕は代表だった!)、酔っ払いすぎないように気をつけながら飲んだビール、あの夜、海には出たんだっけか。そんなことを思い出したり、思い出したことをそのまま話したりしていた。
オッパーラのふもとにあった売店で江ノ島ビールを買って海に出た。浜には出ないでその手前のコンクリートづくりの遊歩道のようなところに腰掛けて海を見た。人はまばらで、波はおだやかだった。海上を、立った状態でパドルを漕いですすんでいく人があった。簡単なヨットみたいなものも出ていた。
海沿いの道を歩いていった。少し行くと浜はなくなって海がすぐ始まっていた。キラキラと太陽の光を受けながらたゆたうサーファーが一人二人といた。腹ばいになって沖のほうに進んでいくとき、小さな波をお腹で受けて乗り越えるとき、それがいちばん気持ちがよさそうで、いざ波と同調して乗ろうという運動が始まると、なにか面白さが減じるような気がした。当人たちにとってはもちろんそんなことはないのかもしれなかったが、背中を見せてたゆたう人のうえに降り注ぐ陽光と、ずっとずっと続く海と水平線とそのうえの空と、というそのビューは気が遠くなるくらいにうつくしかった。静かだった。
右や左の歩道を歩いているうちに暑くなってきた。汗ばんできてジャケットを脱いでかかえ、すいすいと歩いていった。途中途中で、珊瑚礁とか、行った覚えのある店があったり、わかめらしき海藻がとても秩序だって干されていたり、いったん見なくなっていたとんびがまた空を舞っていたり、そういう様子を知覚しながら歩いた。稲村ヶ崎。

しばらく右側の道を海をより近くに感じながら歩いていると、左側の道沿いに黄色い建物があって、それは行き先だったタベルナ・ロンディーノだった。大学時代、ルームシェアをしていた友人と特に来た覚えがあった。卒業に伴いルームシェア終了、彼が引っ越す前の日、そのときに彼が付き合っていた女の子と3人で、彼の小さい古い車に乗ってここまで来た。荒天で、雷が間欠的に全体を白くさせるようなそんな夜だった。翌日、その車で大阪に向かっていった彼は出発したあと泣いた、ということをあとで彼女から聞いた。
彼とはもう一度来たような記憶があるが、鎌倉で待ち合わせたときの憂鬱そうな様子から社会人になってからだったと思っていたが、もしかしたら前のことで、就活でもしているときだろうか。
両親とも来た覚えがあった。引っ越しの手伝いに来てくれたときだろうか、だとしたら立て続けに行っていることになるが、違っただろうか。父の運転が以前よりも荒くなっているようにそのとき感じて、変な不安を覚えたような記憶がある。
最後に来たのはたぶん、就職後、いつだったろうか、冬だった、寒いときだった、友人の女の子と鎌倉から、パンを食べたりしながら浜辺を歩いて、それで行った、というのはしかし本当だろうか。行ってなかったか、どうか。
とにかくとても久しぶりのこの店は変わらずに僕はとても好きで、前菜をあれこれ頼み、パスタを頼み、白ワインを飲み飲み過ごした。暑くなっていたからテラス席にしたが、次第に体温が奪われていくようで寒くなってはいった、しかし気持ちはいいままだった。イカ墨のスパゲティはやっぱりすごくおいしかった。気分がよく、3杯ワインを飲んで、昼間からこんな時間を過ごすというのはけっこうなところすばらしく贅沢だった、休日と旅行のあいだのような、いい心地があった。「海の見えるイタリアンのテラスで昼間からワイン」。とてもバカみたいな字面だけど、字面がバカみたいだからといって体験もバカみたいになるとは限らないということだった。海を見ていた。
『中動態の世界』を読んでいたらインド・ヨーロッパ語族の起源というか、言葉がどこからどういうふうに伝播していったかということが書かれていて、それはウクライナのあたりからということだった。その根拠のひとつが「海」を表す言葉がないというか、ほうぼうに散っていった場所場所でまったく違う海を表す言葉が出てきていること、だけど船はあったらしい。つまり川や湖はあった。雪も降った。そういうことから類推されるらしい、というその話が僕はとにかくキュンキュンとするところだった。それから、歩いている途中で西田幾多郎の仮寓がこのあたりにあったということが書かれた石碑があったが、1930年くらいの日本人研究者の話も、すごく面白かったというか、その時分、日本で、どうしてそんな研究が可能だったのだろう、どうやって論文を探して読むのだろう、想像がつかない、とドキドキした。知、みたいなものはしかしそれにしても、この本を読んでいると、こうやって一歩一歩が積み重ねられていく、連綿と受け継がれていくのだなあ、という気になる。途切れさせてはきっといけないものなんだろうなあ、という気になる。

夕方になった。歩いて長谷まで行こうかと思っていたが、寒かった。稲村ヶ崎から電車に乗ることにした。稲村ヶ崎。保坂和志。『季節の記憶』。また読もう。2駅先の長谷で降りてバスに乗って北上した、甘いものを食べたかったし、あたたかいコーヒーを飲みたかった。POMPON CAKESに行って、チーズケーキとガトーショコラが残っていたのでそれとコーヒーをお願いして食べた。おいしかった。すぐに人がわらわらと入ってきて、撮影のロケハンということだった、たくさんの人があった。

バスで、鎌倉に出ようとしていたが、反対側のバス停からは藤沢行きが出ていた。鎌倉に出て、江ノ電で藤沢まで行って、小田急、という予定だったが、鎌倉に用事もなかったこと、そして何よりも「鎌倉ショートトリップ」のつもりのものが鎌倉未踏のまま終わることの愉快さが勝り、藤沢行きのバスに乗って、そこから電車に乗った。車内では『中動態』を開くもすぐに眠った。
寒かった、鍋焼きうどんが食べたいとずっと思っていた、しかし本当は「寒い」ということが一番だったのではないか、そう思い、銭湯に行くことにした、それは妙案だった、銭湯に行き、あたたまり、ビールを飲み、念のためスーパーでうどんや鶏肉を買って、帰り、ウイスキーを飲み、やはり、うどんを作り、食べ、『中動態』を読み、12時になる前に眠った。

2月28日

10時間近く寝てもまったく眠かった。家賃の支払い等を済ませると新宿に出て、伊勢丹の地下2階におりた。ニールズヤードのルームフレグランスとモルトンブラウンのハンドウォッシュを買った。これまで、いろいろと違うブランドをそのつど買おう、と楽しんでいたが、ニールズヤードもモルトンブラウンも現在使っているものの違う香り、というだけの変更で、今日のこの選択に遊びはなかったし、なんというか、よくないなと思った。楽しまないと、ただの安くない買い物になってしまう、というか。
それから靖国通りに出て、ちゃんとした駐輪スペースがつくられつつあるところのようでよかった。今はまだ精算機が作動していない状態らしく、ちゃんとした駐輪スペースを無料で使える、という状態でなにか得した気になった。ロボットレストランであるとかの横を通ってTOHOシネマズ新宿に向かった。
いくらか時間があったので待ち合いのロビーのソファに座って『中動態の世界』の続きを読んだ。開場されて予告編が流れているあいだも読んだ。すると読み終わった。なんというかとてもいいものを読んだ気分だった。映画が始まった。マーティン・マクドナーの『スリー・ビルボード』だった。なんとなく『中動態の世界』で最後に扱われるメルヴィルの『ビリー・バッド』の話と響き合うようなところがあったというか、ハンナ・アレントが善は過剰になるから危ない、みたいな、だったっけか、言っていると、書いてあったっけか、だった、徳の支えが必要みたいな、だったか、そういうところでなにか響き合うところがあった気がした。
なんとなく重苦しい話なんだろうなとは思っていたが、それにしても重苦しい、すごい話だった。とんでもないクズ警官が出てきて、彼が怒りだけから商店のガラスを割り、ズカズカと階段を上がり、拳銃で民間人を殴り、窓を割り、そこから突き落とす、という場面があり、はっきりと「あっ」と声が出た。そこからはなんというか、見ていて、怒りで吐きそう、ってなりそう、と思う気分が続いて、しかしさまざまあって、感情のやりどころがなくなった。
すごい映画だった。
それにしたって、しかしそれにしても、ミズーリ州ではこんなにも犯罪は放置されるものなのだろうか。警官の暴行は殺人未遂だろうし、放火も犯人が検挙されることはなかった。ここまでのものなのか。だとしたらとんでもない世界だった。

肩が重かった。苦しい。息が苦しい。ドトールに行ってホルヘ・フランコの『外の世界』を読み始めた。途中で生命保険会社に電話して控除証明書の再発行をお願いした。国民年金の控除証明書も再発行しないと。なんでないのだろうか。年金番号がわからない。わからないとならない。
甘いものが食べたくて、それでコーヒーと一緒にパンオショコラを食べた。パンオショコラを食べたらもうひとつパンオショコラを食べたくなった、それからコーヒーももう一杯飲もうかと思った、しかし我慢した。180円や220円がなにかもったいないような気がしたためだった。それで『外の世界』を読んでいた。読んでいたところザ・バンドの名前が出てきた。そうだザ・バンドだった。『スリー・ビルボード』で掛かっていた、それは女性ボーカルのバージョンだったか、ザ・バンドの「The Night They Drove Old Dixie Down」だった。思い出せそうで思い出せなかったバンド名、それがザ・バンドだった。夜に聞こうと思った。
小説を続けた。コロンビア。メデジン。ドン・ディエゴ。読みやすい……とポスト・ピンチョンの身なので思った。面白そうだった。

店に出たが、夕方まではそこそこにお客さんの来られた日だったが、夜、僕が立ってからはまったくの暇だった。いくらか仕込みはあり、それをおこない、あとは昨日今日の日記を書いていた。仕込み以外で僕がおこなったのはジントニックを2杯作ること、鶏ハムを切って盛りつけること、お二人さんが入ってこられたのでしゃべれない店ですがと告げて、笑顔で、またよかったらと言って見送ること、だった。
肩が重い。苦しい。息が苦しい。

誰もいない。ザ・バンドを聞こうかと思ったが、さっき聞いたバージョンで、と思いサントラを探したところサントラはあったが「The Night They Drove Old Dixie Down」は入っていなかった。でも流した。誰もいない。

3月1日

八百屋さんで野菜をあれこれ買いながら話していると大根が今日は一本150円で、一箱12本入っていて仕入れ値は1600円で、だから利益はほぼない、そういう値付けでこの大根は売っている、ということをおっしゃっていて、そういう売り方があるのだなあと思った。釣り餌みたいなものとしての大根、みたいなところなのだろうか。

朝からなんとなく体がもんやりとしていて、これは仕事をしたほうがきっと楽だ、と思った、というかやる必要があったからだが、開店してからは精力的に仕込みをしていた、夜になったら手が空いたら『外の世界』を読もうと思っていたが、次々にやることが出てきたというか、やっちゃえやっちゃえ、というような勢いが出てきて、結局閉店までほとんど休むことなく働き続けていた、そのためしっかりと疲れたし、しっかりと疲れたら肩が重いのなんのということにはならない、ということは本当にあった。よかった。

昨日、『外の世界』を読み始めた旨を各種SNSに投稿したところ、今朝、インスタでホルヘ・フランコさんからいいね!がついている、ということに気がつき、作者当人からいいねがつくこと自体あまり記憶にない上に、そのめったにないいいねがコロンビア人作家によるものであるところに、面白さというか、インスタというかインスタのハッシュタグというのはすごいものだなあ、と感じ入った。インターネット、という感じがあって愉快だった。
昨夜はたぶん、『スリー・ビルボード』と『外の世界』が混ざったような夢を見た。夜寝る前に読んでいたときも、なんというか、展開していく場面場面がちゃんとはっきりと像を結ぶというか、ちゃんとなにが起こっているのかがわかる、というところに変な新鮮さを感じながら読んでいた。ピンチョンの効能みたいなものなのかもしれない。

今日は開店前にThe Bandのベストアルバムを聞いていて、シャッフルで聞いていて、いつまでも掛からないので開店直前に「The Night They Drove Old Dixie Down」を流して、聞いた。それからは上述の通りせっせと働きながら、『スリー・ビルボード』のことを思い出していた。僕はこの映画を道徳であるとかの授業で見せたらいいのに、というように思った、つまり、善人であるとか悪人であるとか、片付けさせてくれない、誰にも肩入れをさせてくれないというか、肩入れしきることができない、そういう点でこの映画は大切なもので、これは多くの人が、見たらいい、と思ったが、それはもしかしたらすごくつまらない見方のようにも思った。

明日ゆっくり寝ていられると思うと、気が大きくなったのか、遅くまで『外の世界』を読んでいた。閉じ込められていると思って外だと思うところに出てみたらそこも内で、それを繰り返してもどこにもいけない、いやそんなことはないか、繰り返しながらどこかに進むのだろうか。

イソルダはもう一度出てくるが、裸足で手には流行のポータブルプレイヤーを持っている。そしてまた、僕らのほうへ歩いてくる。僕らは顔を見合わせて、今度こそ走って逃げるべきだと判断する。
「どうぞご注目ください」と彼女は言う。「ユア・アテンション・プリーズ。ダルフ・イヒ・ウム・イーレ・アウフメルクザームカイト・ビッテン。ヴォトル・アタンシオン・シル・ヴ・プレ」
彼女が地面にプレイヤーを置くと、先ほどと同じ音量で聞いたばかりの歌が響く。庭は激しい音楽に満たされていき、イソルダは目を閉じて動き出す。両手を振りまわし、膝を曲げて頭を揺すっている。おずおずゆっくりと腰を動かしているが、トランペットが鳴り響き出すと、足をあちこちに動かしながら、目をぱっちり開いて両腕を高く上げ、髪を振り乱して激しく腰を振り始める。
仲間の誰かが笑い出すが、彼女には聞こえない、もしかしたら聞こえないふりをしているのかもしれない。僕らはぽかんとしたまま、彼女が体を上下に動かしながら、身をよじったり肩を揺すったりするのを眺めている。彼女は自分の世界に入り込んでしまい、その髪は螺旋を描きながら彼女について回っている。軽快な動きを吹く風に助けられているかのように、くるくると自然に回り、二ステップ横に踏み出し、続く二ステップを反対側に、それから前に後ろに、踊りにすっかり夢中になって、赤いミニスカートを絶え間なく動かしている。 ホルヘ・フランコ『外の世界』(p.233)

映画でも小説でも、踊っている場面はだいたい好きだ、ということを思い出した。

3月2日

昼前まで寝ていた、コーヒーを淹れ、ベランダで煙草を吸う。吸いながら『外の世界』を読む。うどんを作って食べる。食べながら『外の世界』を読む。
確定申告の書類を今年、受け取っていない気がして、税務署に行った、廊下に並んでいる書類を取ってきた、必要なかった気もするし、茶封筒だけは必要だったかもしれないとも思うし、やはり必要なかったかもしれないとも思う。控除証明書等の貼り付ける台紙だけは必要だったかもしれないとも思うし、そんなのは全然必要なかったかもしれないとも思う。その控除証明書が、健康保険のやつだけはあったが、生命保険料のも、年金のも、見当たらなかった、生保はおととい2社に電話した、年金は基礎年金番号がわからないと発行できない、年金事務所に来ればその限りではない、ということだったので年金事務所に行った。感じのいい方が対応してくださり、10分ほど、という再発行を待つ間、『外の世界』を読む。衝立の向こうの隣のブースでは調子のいいしゃべり方をするおじちゃんが、タメ口や大笑いを交えながら係の人と話して、最後は感謝をして、帰っていった。

丸善ジュンク堂。「フィクションのエルドラード」のどちらかを、と思っていたら、なんと、『夜のみだらな鳥』とジョン・ウィリアムズの新しいやつが並んでいるではないか! 後者についてはそんな存在まったく知らなかった! というもので動揺した。久しぶりの読書会をこれでやろう、そのときに僕も読み始めよう、と思い、今日はビルヒリオ・ピニェーラ『圧力とダイヤモンド』を買った、それから『BRUTUS』の「東京らしさ。」と書かれた黄色いやつを買った。
僕は渋谷の丸善ジュンク堂がいちばん好きな本屋だった。
今日のレジの人は愛想が一切ない人で、マスクの下で早口で言うからなにを言っているのか聞き取れなくて聞き返しても早口で、冷たい口調で、最初にカバーをお願いしていたのにカバーをせずに袋に入れようとするから「あ、カバー、お願いします」と言うとこちらを見ることもうんともすんとも言うこともなくわかりやすく不承不承という感じで手荒にカバーをして、渡してきた。なんというか、びっくりした。びっくりしたし悲しかった。この本屋で嫌な思いをしたくなかった。
それにしてもレジ業務なんて好きな人嫌いな人はいるだろうけれど、それにしたって、最終的に本を人に手渡すこと、それで金を得ること、それが仕事というか、この人が受け取る給金の源泉はそれのはずで。そこの部分をこんなに冷たいつまらないものにしてしまっていいのかこの人は。僕にとって本屋で本を買うという行為は楽しい好きな行為で、だから好きな時間で(何を読んだらいいか皆目見当がつかないときは憂鬱だけど)、その好きな時間を蔑ろにされた感覚だった。書店員には、言ってほしいわけではないけれど、言われたら楽しくなるだろうなと思うのは「あ〜〜それ〜〜それ僕も読みたかったんですよね〜〜〜」みたいなもので、そんなやり取りがあっても気持ちいいよなと思っていたけれど、言われなくていいのだけど、少なくとも新しくなにか本を読もうとしているという行為に対して「いいよね」と、僕がフヅクエで本を読んでいる人たちを見て「いいよね」と思うのと同じ方向のそういう感覚を持っていてもらいたかった、そういうのが全部潰された感じがあった。幻想をいだいていたのだろうか。いや、というか、なんだろうな、何がそんなに面白くないの? ということだろうか。いやだからこれが幻想か。労働か。しかしなんというか、こんなふうにしかならないのだったら人間なんて要らないしAmazonでよくなってしまう。いやそれは極端で、人がどうだろうが丸善ジュンク堂を好きな、必要とする気持ちは変わらないけれど、同じことを何度か味わったら本当にダルい。端的にものすごく残念だった。

苦々しい気持ちを味わいながら、1時間くらい時間があったのでフグレンに行って、外の席で『外の世界』を読んでいた。あたたかい日だったからなのか、大学生の春休みとかもあるのか、人はいっぱいだった。縁側の席も同じようで、隣のたぶん韓国語を話している女の子二人はそれぞれずっとスマホを見ていたかと思うと立ち上がって写真を撮ったりしていた、その隣の日本語の女の子二人はずっとインスタの話をしていた、左隣のたぶん韓国語を話している男女は、男が女の写真をスマホで撮っていた。50回はシャッターボタンを押していた。終わらないwww と思って愉快だった。天気がよかった。コーヒーがおいしかった。

代々木八幡のNUMABOOKSの事務所に行き、内沼晋太郎さんと打ち合わせ。写真をレイアウトしたモックバージョンというのか、を見せていただいたり、帯文等々の案を見せていただいたり、で検討したり。いろいろと、形が見えてくるなあ、と思う。心躍る。

帰宅後、『外の世界』。あとすこしで読み終わりそうで、昼寝もせずに読んでいた。店に行き、交代。ある程度パタパタと働きながら、11時にはやることもなくなり、読書。読み終わり。なんだかすごく面白かった。見事な語り、という感じだったというか、すごく面白かった。

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