fuzkue(フヅクエ) - 一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店

読書日記(55)

Entry diary55

10月14日

ぼんやりと体調が悪いような気がしているし、そうでもないような気もしている。昨日からぐっと寒くなり、ついていけていないのか。昨日までは半袖を着ていたが、今日はセーターを着て出た。セーターを着るなんて、夏の自分を裏切ることになる、そんなことを思っていたが、道行く人を見るともっと厚着をしている人たちばかりに思えた。だから裏切りではなくなったかといえばそういう問題でもなかったが、慰められるような気になったこともまた確かだった。変化が怖いのかもしれないし、変化を希求しているのかもしれなかった。また、モラトリアムが始まった、そんな気になったのもまた確かだった。
午後、煙草を吸いに外に出ると、ポストに荷物が入っていた、開けるまでもなく柴崎友香の『千の扉』だった、それを夕方、読み始めようか、どうしようか、悩んだ。土曜日だった。なぜそんな悩みをできるのか、皆目見当もつかなかった。いやついた。つまり暇だった。しかし踏ん切りはつかなかった。読み始めて、いいイメージがひとつも湧かない。というか、どのシナリオも悲しいシナリオだった。読み始め、そのまますいすい読めたとする。それは激烈に暇な土曜日であり続けるということだった。読み始め、すぐに閉じることになるとする。それはせっかく楽しみにしていた小説と半端に接するということだった。つまり、『Number』を読めばいいのかもわからなかった、広島カープ特集だ、まだ読んでいないページがいくらでもあった、それを読めばいいのかもわからなかった、体調が悪いような気がしているし、そうでもないような気もしている。胸や肩のあたりが薄ら寒い。

壊滅的に暇な日になった。もう何時間もひとりきりでいる。だから柴崎友香を読み始めた。

急に日が落ちるのが早くなり、思いのほか暗くなった道を、彼女は急ぎ足で歩いていた。曲がる角を間違えて、遠回りになった。通ったことのある道だが、下り坂は人も見当たらず、うら寂しかった。 柴崎友香『千の扉』(p.3)

静かで熱い書き出しだった。静けさが耳や頭のなかでどんどん過激に増幅していくような、読点が打たれるたびに静寂が静寂のままハーシュノイズになって轟いていくような、そんな気配があった、言い過ぎかもしれなかった、しかし静かで熱いとたしかに思った、鳴り響いた。
今日から暖房をつけた。そのなかに一日いたら顔が乾いた。これは困った。困って、泣きそうになった、押し殺したように泣くか、わんわんと声をあげて泣くか、選択を迫られた、どちらもしなかった。困った。ちょっと、これは、困った。

10月15日

寝る前、『千の扉』を読んでいた。団地の話だった。30棟以上が連なる大きな団地ということだった。それを読んでいたら『密告者』と地続きになった。『密告者』にも団地が登場した。『千の扉』の団地からは新宿のビル群がすぐのところに見えたが、視線を下に向ければ歩いているのはどれもコロンビア人だった。ベンチに座った二人の老人が話をしている。そんな気になった。
それから頭のなかで、千の扉ということで、「ようやく一枚目の扉が開いた」というようなリリックが、流れた、あれはなんだったか、どれだったか、と思ったが、思い出せなかった。ブルーハーブだったろうか、と思ったが違った。なんだったろうか。

朝遅い時間に起きた。友人の結婚披露宴に出席するために夜まではひきちゃんに任せた日曜日だった。起きてスーツをまとい、家を出た。すぐに日比谷に着いたが、何も食べていなかったし、それよりもコーヒーを飲んでいない、ということが気がかりだった。コーヒーをどこかで飲めたらと思っていたが、時間が微妙なところで叶わなかった。それでそのままで出席した。高校も大学も一緒だった友人だった、僕は高校時代の友人という枠の席だった、久しぶりの人たちに会った、懐かしく、うれしかった。もう一人いてほしかった人はいなかった、何をやっているんだろうか、と名前を検索したら弁護士事務所が出てきた、学部を卒業後ロースクールに入ったようなことはぼんやりと知っていたから、ちゃんと弁護士になって働いていたらしく、よかったと思ったし立派だと思った、彼を交えて今度飲みたいねという話をした、もしそれが実現したら僕はうれしかった。
披露宴はやはりいいもので、うれしくなって少し泣いた。これまで見たことのないようなリラックスした顔をした友人がいて、いい人と出会えたのだな、としみじみ喜びをもって思った。シャンパン、ビール、ワイン、ビール、少し酔っ払って、それから少し眠くなった。会場は日比谷公園の松本楼というところで、日比谷公園に行ったのは友人の結婚パーティーに行ったとき以来だった、そのときは松本楼ではないところが会場だった。野音でなにかライブをやっているらしかった、その音が、霞が関まで向かって歩いていると聞こえて、その横を通りながら、日比谷公園だと思った。緑と音楽があって、気持ちのいいところだった。雨は降っていた。雨降りの日らしい明るさがあった。

帰宅して、交代の約束の時間までまだあったので昼寝をすることにした、眠れはしなかった、夜明けの反対側の時間の薄暗い部屋で、日曜日が無音になっていく、と思った。音のずっと鳴っていた昼の日比谷から、たぶん松本楼を出たところから、音が消えて、電車に乗っても消えて、家でも消えて、そのまま無音の日曜日が作られていくように感じた。そのままの耳で店に行ってひきちゃんと交代して、フヅクエの途中から働くということは初めてすることだった、新鮮で、この店の美しさをより感じられた、いい緊張感があった、強度の高い静けさがあった。交代するまではいい調子だったようだが、夜は一気に暇になった。だんだん頭が痛くなってきた、ワインの残りだろうかと思っていたが、そうじゃないような気がしてきた、風邪ではないことを祈るばかりだった、帰ったら熱を計ろうと思った。

一枚目の扉、が開いた、思い出した、Vanadian Effectだった。ようやく一枚目の扉が開いた。ilo、だったか。聞けば確認できるはずだった。

10月16日

雨がやまない。ずっと降っている。寒い。暖房の温度を上げた。まだ寒い。足の先が冷たい。どんどん寒くなっていくことを実感する。体調は不良ではなかった気がした。昨夜は帰って二度熱を計り、今朝も二度計った。どちらも平熱と大差ない数字だった。昨日は平熱より2分から6分高い数字が出て、今朝は3分から4分低い数字が出た。ちゃんと計れているのか。頭痛等はもうない。そのかわりに暗くなってから左の頬のあたりが痛い。頬というか目の下鼻の横くらいのところで、静かに痛い。病気になったら怖い。

今日も壊滅的な状況。壊滅的な状況が続いている。10月が一番ひどいことになりそうな気配がある。ジタバタしてもしかたがないというかジタバタする方法を持たない。一喜一憂する方法は持っている。一喜して一憂すればいいだけだった。しかしそれも疲れた。
どうせ暇だ、『千の扉』をひたすら読もう、と思っていたが、仕込みをして、仕込みをして、それからブログを書いた、読書日記でも振り返りでもないブログっぽいブログは久しぶりに書いた。昨日の夜が新鮮だったから書かれた。それからイラレをいじっていた。10時近くになってからやっと本を読み始めた。頭が少し痛い気がする。

戸山ハイツ。閉店後、西武と楽天のクライマックスシリーズ3戦目のハイライト動画を拝見した。両方とも赤いユニフォームでわかりづらかったが、すぐにわかったのは盛り上がっているということだった。ウィーラーが大活躍だった。ウィーラーが盛り上がっている姿を見ると本当に元気が出る。『千の扉』を読んでいたら主人公がバイトをする飲み屋で客が瓶ビールを飲む様子が何度か書かれたためか、というかそのため、いつもならば瓶のまま飲むビールをグラスに注いで飲むことをした、そうしながら、ハイライト動画を見ていた。

小雨のなかを歩いて帰りながらビールを飲もうと、それから煙草も買おうと、コンビニに寄ると、「愛せよ、愛せよ〜」と連呼する歌が放送されていた。なんなんだこれはと思った。誰も幸せにならないと思った。夕飯を食べすぎたらしく買ったビールはいっぱいのお腹に追い打ちを掛けるだけだった。
「愛せよ 愛せよ」で検索したところ阿久悠が作詞した曲を48の人が歌っているとのことだった。寝る前、昨夜からなんとなく読み始めた『チャヴ 弱者を敵視する社会』を読んでいた。

10月17日

起きたら喉が痛い。これは病院に行かないとと思い歯医者に行った。予約していた。歯医者なんて何年ぶりだろうか。あとで医師は出てきたから医師ではないはずで、だからあれは歯科衛生士という人なのだろうか、歯科助手という人なのだろうか、若い女性が口の中をくまなく見てくれて、いろいろと診察をしてくれた、見た感じ虫歯はないのですが隠れていることもあるので撮りたいんですけどいいですかということでレントゲン写真を撮る部屋に行った、ちゃんちゃんこみたいな服を羽織らせられてそれは防護服だった、小さいものを噛みながら機器に囲まれているとチープなSFのような音が鳴って、おかしくて小刻みに笑ったがレントゲン写真に影響はなかったか。しかしなんであんな音が鳴るのだろうか、わざとだろうか、というほどにチープなSFのそれだった。『アルファヴィル』のような。
それから説明をしてもらったり、歯をきれいにしてもらったり、カメラで撮ってもらったり、そういうことをしてもらったりして2週間後にまた来ることになった。楽しみだった。もっときれいになるとよかった。それにしても歯科衛生士というのだろうか、の人があそこまでの権限というか、見、診断し、以降の予定を決め、ということまでするのか、と思って驚いた。最後に歯科医を名乗る人が来て口を見てくれたが、それはそれまで言われていたことを追認するものでしかなかったし、情報としても薄かった。歯科衛生士、というのか歯科助手というのか、すごい、すごい存在だ、と思った。

それから渋谷にバスで出て、なにか一冊買おうと丸善ジュンク堂に行った、校正というものにここのところ興味があるらしく『校閲記者の目 あらゆるミスを見逃さないプロの技術』を取って、しかしあとで戻した、それはなんか違うだろ俺、と思って戻した。それからなにかノンフィクションを読みたかったらしかった、『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ! 』にしようか、それとも『動物になって生きてみた』にしようか、迷った挙句、『悪魔の日記を追え FBI捜査官とローゼンベルク日記』を買った。日記。『富士日記』以来日記を読んでいないし、『富士日記』以上の日記はありえるのだろうかという気もしていて、でも日記に触れたいような気もし、そういうなかではちょうどいいチョイスのような気がしたらしかった。『密告者』の戦時のコロンビアのドイツ人が密告され収容され資産を接収され、みたいなこととも通じるし、いいことだった。第2次大戦、ナチス、そういったものにしかし通じない歴史なんてあるのだろうか。『千の扉』でも戦争の時間が浮き上がって混ざり合ってくる。
アップルストアに行ってiPad miniを購入して、その前に今晩の予定がなくなった、どうしようか、どうしようか、と考えていた、購入して、それからどこかで本を夜まで飽きるほど読む、読み飽きて飲みに出る、そういうつもりでいたが、後ろがぽっかりとなくなり、それで新大久保に行くことにした、昨日、スパイスがいろいろ微妙な残量で、近々行かないといけない、しかしいつ行けるだろうか、と思っていたところだった、それで行くことにして、渋谷から、どうするか、山手線で新大久保、電車を乗り継いで店、という説と、いったん帰宅して自転車を取って新大久保、それで店、という説があった、どちらでもよかった、自転車のほうが楽そうな気はした、でもどちらでもよかった、バスに、乗れなかったら電車に乗ろうと思ったが、バスのりばに向かったらバスがあった、それで帰った、自転車を取って新大久保に行った。スパイスをいつも買うハラルフード屋さんに行ってスパイスを買った、店の人は親切だった、「(こんなに小袋で買うんだったら)おっきいやつの方が安いよ」と教えてくれ、高いところから取ってくれ、それを買った。
新大久保に行く、ということを決めたとき、それが電車と徒歩であれ、自転車であれ、近くにあるらしい戸山ハイツに行って散歩をしようかという気が起きていた。戸山ハイツは『千の扉』の舞台になっている超巨大な団地ということで、戸山公園の近くにあった、そこを歩いたら、『千の扉』の世界がより楽しめるのではないかと思ったらしかった、しかしスパイスを買ったら暗くなりつつあったこともあって、それにiPad遊びもしたかったし、というかそんなことは忘れていた、とんぼ返りした。

初台に向かう途中、西新宿の高層のビルがたくさん林立するエリア、ビルに沿って緑を植えてみましたという緑が自然の気持ちよさらしきものをちゃんと演出しているように思うそのエリアのあたりで、ホームレスと思しきいろいろな荷物を引いた老女が「xxxさん、待ってよ〜」と言う、明るく通ったどこかはしゃいだような、あるいはすがるような、そういう声を聞いた。聞こえなければよかったのに、と僕は思った。一方が死ぬなり消えたときに残された一方が悲しみ、傷つき、悲嘆に暮れる、そういう人間関係を予期しないところで見てしまって動揺したということだったか。ホームレスと思しき人にも当然いろいろあるだろうけれど、社会であるとかに虐げられた人々が、まださらに傷つけられなければならない、と思うと胸が痛かった。多くのものを捨てたであろう人々がまだ大切なものを保持している、そしてそれはいつか失われる、というそのことが辛かった。本当にそうか。ただ単に、僕自身のことであれ、友人とかのことであれ、あるいはまるで知らない人のことであれ、一方が死ぬなり消えたときに残された一方が悲しみ、傷つき、悲嘆に暮れる、そういう状況を考えると僕は苦しくなる、誰かが大切なものを手放すというかもぎ取られる、そのことを想像すると辛くなる、というそれが発動されただけではなかったか。そもそもホームレスという存在を虐げられた人々と決めつけること自体がどうなのか。いやだから、特に虐げれたわけではないけれど手放した人、であったときにも、まだ手放していないものがある、と思うと辛いということだろうか。いやどうか。彼らのことなんてこれっぽっちでも考えてみたことが果たしてあるのか。そもそも本当にホームレスなのか。空がどんどん薄暗くなっていった。空気はどんどん冷たくなっていった。

フヅクエに行き、スパイスを置き、iPad三昧をした。iPadでしたいことは次の通りだった。予約管理、ToDoおよび連絡事項の共有、レジ、マニュアルの閲覧、電話、それらにすぐにアクセスできる状況を作ること。最初は僕個人のアップルIDに紐付けてというのかiCloudと紐付けてやっていて、しかしこれだと個人情報がスタッフにもだだ漏れすぎるのではないか、となって、Dropboxでフヅクエアカウントを作ったりということを曖昧にしていたら解決してつつがなく快適な状況ができた。つまりエアリザーブへのショートカット、スプレッドシート、Square、Dropbox、050plus、それら5つのアイコンがホーム画面の下のところに並べられた。
それから画面を見ながら、「壁紙をメニュー一覧にしたら、メニューの値段がパッとわかっていいのでは」と思いたち、イラレを立ち上げ、iPadの画面の大きさのメニュー一覧表を作成することにした、タイピングが一定量以上に必要だったためフヅクエではできないので店を出て、カフェらしき店に行ってすることにした、夕飯を食べ、なんでか白ワインを飲み、イラレをいじって、Dropboxで共有して反映させて見え方を確認して、調整して、ということを繰り返したところきれいなものができて大満足だった。それにしても悲しい気持ちになる店だった。おしゃれで見目の麗しい感じの男や女のスタッフがどうでもいい働き方をしていて、これから先ぼくは何度も何度も滝口悠生の書いた一節を思い出すだろう。「ならばこの店のどこかに誰かが何かを本気で考えたことによってつくられたものがあるかと考えたら、それはたぶんない。」

スーパーに寄って500円もしない白ワインを買って帰った、外気は冷たく体は温まりたがった、風呂を汲んでゆっくり湯に浸かり、それから作り上げたiPadを何度も惚れ惚れと見ながら酒を飲んだ、気が済んだので『千の扉』を読むことに移行した、やっと本を開いた、11時近かった、ワインはすいすい飲まれて気がついたらボトルが空けられ、酔っ払った、速い鼓動を感じながら眠った。フヅクエを始めて3年が経った日だった。

10月18日

昨日は結局ぼくはつまり歯医者、本屋、アップルストア、スパイス屋、フヅクエでiPadいじり、カフェでイラレ、酒飲んで寝る、ということで過ごしたらしかった。休日。何かもう少し他にあるのではないか、と思うが仕方がなかった。
昨夜のカフェで好きな曲が流れていてなんだっけとシャザムに聴取させたところFleetwood Macの「Albatross」だった、好きだった、それを朝聞いていた、なにで知った曲だったか、映画、映画、ファスビンダーのSFのやつだったろうか、長いやつ。映画を本当に見なくなった。そうすると映画の情報がまったく入ってこなくなった。つまりそう、動くな、死ね。

やることもなく昼から『千の扉』を読んでいる。時間が溶けていく感じが心地いい。現在と、戸山ハイツの住人のというか戸山ハイツのというかそのあたりの全体のというか、過去というかが描かれるわけだけど、現在と過去が交互に配置されるわけではないから、一行空きで場面が変わったとき、それが過去のことなのか、現在のことなのか、とっさにはわからないその宙ぶらりんにされる感覚がとてもいい。読み終えた。蘇って、混ざり合っていた。
それから『悪魔の日記を追え FBI捜査官とローゼンベルク日記』を読み始めた。ナチスの理論的支柱みたいな存在であるらしいアルフレート・ローゼンベルクの10年間に渡る日記が残されているらしく、ニュルンベルク裁判とかでがんばった検察官のケンプナーさんが一時期所有というか返さずに勝手に持っていたとかで、そのあと行方知れずになって、どこいったどこいった、となって、2013年とかにようやく見つかった、ということが第一部の73ページまでで描かれた。ここからはどうやらその手紙とかの資料をもとに、ローゼンベルクがどんな感じだったか、が描かれるのだろうか、とりあえず今のところそんな気配がある、第一次大戦直後の1918年とかから第二部は話が始まった。ということは、というか、であるならば、おそらくなのだが、このタイトルは非常にその、釣りタイトル感があるのではないか。原題は『The Devil's Diary』で、追え感もFBI感もない。実際第一部で追い終えたし、元FBI捜査官も活躍し終えたし、タイトルの大部分がすでにお役御免なのではないか。なんというか、構わないのだが、そんなのって、どうなのか。

壊滅的に暇。10月が一番ひどい月になりそうだ。数字を見ることはすっかり放棄しているが、きっとそうだろう。しょうがない。なんてこった! と思いながらイラレ遊びをしたりしていた。今日はお酒はたまには控えようかな昨日酔っ払ったし、と思っていたが閉店したら悄然だったのでやはり飲んでいた。しょうがない。

10月19日

雨。歩き。寒い。10度。
今日から新しいスタッフが入った。スタッフさんが入ってくだすった。
初日だったのでキックオフミーティングの日と称して4時までのあいだはスタッフ同士がしゃべっていますが構わない方はいらしてくださいな日にした。それであれこれを教えることをした。ずっと作ろう作ろうと思って、ほんのすこしずつしか作っていなかったマニュアルを、新しい方が入るということでいくらか進めていて、作ってみるメニューのページを印刷し、それを見ながら伝え、書き足すことがあったら書き足してもらって、あとで送ってもらい、それをマニュアルに反映させる、ということにしてやったところ、マニュアルというものは便利だなと思った。
そのため4時で上がっていただき、あとで画像を送ってもらい(パシャリで送ってもらったらいいと思っていたらスキャンしたものが送られてきて、すごい! スキャンされている! と思った)、それをもとにマニュアルを修正し、それからもこれから教える項目のマニュアル作成に勤しんだ。今日も今日とてアホほど暇だったが、やることがあったからか気分は晴れやかだった。
やることがあったからというよりは、それもあるが、それよりも、新しいことが始まる、という感じ、ここから立て直していこう、という感じ、今年はもう立て直しに当てよう、来年がんばろう、という感じ、そういう前向きな気分になれたので晴れやかだったらしかった。昨日まではこんなに暇で新しい人が入る、人件費が増える、やばいんじゃないか、大丈夫かしら、と暗かったが、このタイミングできっとよかった、慣れて、任せられるようになって、そこからまた盛り返す時期がやってくる、というのがきっと一番いいシナリオだ、だからこの状態でよかった、と思うことにしたというか思った。いい日だった。いい店にしたい。

それにしても厚ぼったいようなじんわりとした疲れと眠気が夜からあって、長いあいだ外にいたあとのようだった。室温が低いのだろうか。いい店にしたい。

10月20日

メジャーリーグもプロ野球もポストシーズンで出場している選手、監督やコーチ、スタッフ、ファンのみなさん、関係者一同がみな一生懸命がんばっている、その姿を動画であるとかで拝見するたびにこみ上げるものがある。昨日は田中将大がたいへん立派な仕事をやり遂げた。咆哮していた、すごい一球だったということだった、すごいことだった。そういう投げる、打つ、守る、走る、の一挙一動が全力でおこなわれており、見れば簡単に感動した。寝る前は『悪魔の日記』を読んでいた、それが唯一の読書の時間だった、本はリュックに入れて店に運ばれ、帰宅するまでずっとリュックの中にあった、そういうことだった。だから寝る前だけ読んでいた。ヒトラーが政権を奪取して、ゲーリングが無茶な演説をおこなっていた。「司法なんて気にしない。我々がすることはただぶち壊すこと、それだけ!」そんな内容で、「えええ〜〜……」と思った。のちにローゼンベルクの日記を借りパクする検事、ケンプナーさんも登場した。ユダヤ人だしナチスを起訴したりとかもしたけれど、私はげんきです。世渡り上手でわりとうまいことやっていた、今のところ、ということらしかった。印象的だったのはナチスによっていろいろな締めつけが進んでいく中でのユダヤ人たちの当時の感覚だった。

ドイツのユダヤ人は、出ていくべき理由よりも、とどまるべき理由のほうが多かった、と歴史家のジョン・ディッペルは書いている。「最初に克服しなければならないものが多すぎた —— 土地への執着、現状への満足、懐疑心、独善、無知、希望的観測、そして日和見主義」。驚いたことに、ナチス支配下の最初の数年間、一部のユダヤ系企業は繁栄していた。 ロバート・K・ウィットマン、デイヴィッド キニー『悪魔の日記を追え―FBI捜査官とローゼンベルク日記』(p.138)

そりゃそうだよなというか、そうだよなあ……と思いました。よく眠った。

雨がやんだ。束の間だがやんだ。やんだといえるのか、小雨なのか。昼からそれでだから変わらず暇だった。今日は何をしようか、昨日本を読まなかったから、今日は本を読んで過ごそうかと、そういうことを思っているのが午後2時現在の話だった。午後7時だった。雨は再び降り始めた。暇でドキドキする。午後11時だった。

この店はいったいどうなってしまったのだろう。この先どうなってしまうのだろう。

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