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フヅクエブックスをリスタートした

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リブートといったほうがいいのかな。リブートのほうがかっこいいかな。
ともあれ、2015年12月3日が最後の更新となっている、のがこの記事カテゴリーの「fuzkue books」で、なんともお寒い限り。
fuzkue booksはフヅクエで本売ってる部門のあれで、呼称で、「好きな本が一冊でも多く売れるなんか一助というか手伝いというか勝手に手伝いをしたい」みたいなところで2015年の8月に始めて月1冊ずつ、とか思ってやり始めたのだけど、見事に2015年12月、vol.6で終わっていた。間違えた、vol.006だった。「余裕で3桁行く予定なんで」とか言って始めてみたら2桁もいかなかったwwwというのが非常に愉快。

それでだから、これは何をやっていたかといえば、好きな本を売ります、その本には僕が書いた読書感想文なのかたいして関係ない文章なのかなんなのかの文章を添付します、ほら、ここでしか買えない本のいっちょできあがり!みたいなそういうことで、本は出版社に電話をして5冊ずつとか、出版社によっては1冊からでも大丈夫とかで、でもまあなんとなく5冊だなとか思って、そういうので買わせていただいていた、すべて8掛け買い切りという形だった。
で、vol.006、で止まったんですけど、要因が二つあって、一つは5冊が売り切れない!というところで。売り切れて追加で発注して、という本もあったのだけど、一方で5冊がさばけない、どれだけ時間が経ってもなくならない、みたいな本もあって、売り場も4,5冊横並びさせたら目一杯みたいなところなので新しいのを入れるに入れられない、顔ぶれを変えるに変えられないみたいな状況になっていった、というところ。
もう一つがその文章というものを、何を書いたらいいのか次第にわからなくなっていったというところで。最初のうちは真面目に感想文であったり本に絡んだ話を書いていたつもりなのだけど、でもそれは僕の能力ではやり続けられることではどうやらなかったみたいで、能力という言葉で片付けて努力も特にしないものだからだんだん本当に関係ないただダラダラ続くだけのテキストになって、それが面白ければそれもいいのだけどなんだか面白くもないぞ、みたいになってしまった。
そのなかなか減らないというのと文章書けないがちょうど最後の一冊となった『巣窟の祭典』で極まった感があって、そこでぴったりと止まってしまっていた。

で、だから、顔ぶれがずーーーっと変わらないまま来ちゃったんですよねここ1年ちょっととか。『断片的なものの社会学』だけはコンスタントに売れて、追加でお願いして、という感じで本当に孤軍奮闘という感じでいるのだけど(100冊まで売りたい)、それ以外は本当に見事に動かない、という感じで、よく来てくださる方であるとかがそのコーナーを眺めているのを見かけたりすると「すいませんーーーそこ、相変わらず何も変わってないです!不動です!」と思ったりしていたのだけど、特にどうするとかは考えていなかったのだけど、何日か前に風呂入っていたらふと「これはマジで変えたほうがいいのでは」と思って、「景色変わらないのはマジでまずいのでは」と思って、それで変えることにした。

どう変えようか、というところで考えた。
ここで本を売る目的は「フヅクエが「おーこれは面白かったぞ」となった本を一冊でも誰かに届ける」ということであって、そこだけブレなければどうやってもいい。
あるべき様子としては、「売り場を眠らせない」というかずーっと同じという今のような状態にならず、来るたび、までは厳しいとしてもそこそこ「売ってる本が前と違うね」となるくらいには新陳代謝を作る。
そのための障壁は「5冊が厳しい」「書き続けるのが厳しい」
なので、「1冊ずつ仕入れる」「読書感想文はやめる」

で、オーケーオーケーそうしようと。しかしそのなんでもない本をフヅクエでお客さんが買う理由ってあるの?という疑問が出てくるんですけど、まあ「この本は知らなかった、だから買おう」「ほうほうこれは面白いのね、じゃあ買おう」というのはどの書店でもそうであるようにあるだろうけれど、もう少し付加価値を作りたい、というところでブックカバーかなとまず考え、それからあれこれ考えをこねくり回すというか手を動かしてあれこれ検討していたところ、ポップとして本の横に置くやつを栞としてそのままお渡しする、その栞の裏面というか内面というかには僕が「ここが好き!」となった箇所の引用文がびっしり印刷されている、というふうにしたらなんか僕にとっては継続させやすいかつ受け取るお客さんにとっても少しは楽しいのではないか、というところで、なので、その本をよそではなくフヅクエで買う動機づけのひとつとしては「オリジナルなブックカバーとオリジナルな栞がつく」というあれで。

で、一冊ずつ仕入れる、というので、そんな都合よく仕入れることもできないんだよなおそらく、というところで考えていたところ、去年の秋に朝日出版社から出た『まだまだ知らない夢の本屋ガイド』(僕も原稿を書かせていただいた)で紹介されていた、大塚にある小林書店の取り組みを思い出した。
こちらの本屋さんでは売られている本ひとつずつにやたら充実した書評がつけられている。本ではなく書評で利益を作るみたいなことをされていて、本自体は普通の書店で普通に定価で買ってきて、売価は書評代込みということで定価+300円。さらに書評だけでも売っていてそちらも300円。なんかすごい売り方だなと思ったのだけど、その調達方法と値付けの仕方を真似ることにして本は本屋さんで買ってくることにした。で「売価は定価+100円」、ということにした。
ブックカバーとしおりがつくので後生だから〜、というか、ま、いいでしょ、というのが素直なところというか、100円高いですがそれで買ってくださる方だけ買ってくださればいいし、というところでそうすることにした。これで1冊ずつめっちゃ小刻みに仕入れられる。(その1冊が売れさえすればだが)

+100円というのもなんというかしょっぱい話なんだけど、さすがに一銭にもならない売買というのは、というか紙代が20円くらいはあるのでマイナスにしかならない売買というのは、それはさすがに不健全なんじゃないかというところで+100円という感じなのだけど。
「でもそんな80円とかの利益のためになんでそんなことやるの?」みたいなのついてはそもそも利益のためではないからできるので、というところで、前述のように「ここで本売る目的は「フヅクエが「おーこれは面白かったぞ」となった本を一冊でも誰かに届ける」ということ」、それだけできればじゅうぶん楽しい、ということで。(ところで「フヅクエが」と書いたのは最初は「僕が」だったのを書き換えたのだけど、主語をフヅクエにしたらこれスタッフのひきちゃんにも参加してもらえるかもな、それも楽しいかもな、みたいに、まだ言ってないけど、思ったところで。)

あ、そうだ、そうだそうだ。ブックカバー単品100円で売ろうかな。「ブックカバーください」って言われておもむろに紙を取り出してそこにスタンプをぺたーんとやって「はい、100円」みたいな、なんかこう錬金という感じがしていい。価値とは、みたいな、考えざるを得ない、というような。

まあなんかそういうわけでフヅクエブックスがリな感じのスタートを切ったつもりなので、なんかこうちょこまか売れてくれると動いて楽しいのでそうなるといいですね。

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