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会話のない読書会 ベン・ラーナー『10:04』

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「会話のない読書会」は「同じ本を同じ場所で同じ時間を共有して見知らぬ人たちと一緒に読む」、という読書会です。
読んだあとに参加者同士で話し合ったりもせず、ただ黙々と、好き好きに飲み食いしながら本を読む、ただそれだけが、なんだかすごい濃厚かつグルーヴィーな体験に、なれ、みたいな企てです。
「読もうと思っていたところで」「これを機に読んでみようかな」「全然知らないけど試しに」等々、いろいろなスタンスの方が参加してくださったら楽しいな、と思っています。
(参考:開催後記:参加の方のご感想等

会話のない読書会
日時 4月11日(火) 20:00~22:30
open19:30 / close24:00
場所フヅクエ
読む本 ベン・ラーナー『10:04
(本はご用意ください)
料金 1,500円
「2ドリンク」or「1ドリンク+つまみ/ケーキ」。
(+300円/500円で「1ドリンク+軽食/食事」に変更可。当日のお申し出で大丈夫です。)
定員 10名
予約 メール 、あるいはFacebookTwitterのメッセージから
内容 「読む本」を読みます。
適宜飲食物をオーダーしつつ、飲み食いしつつ、自分のペースで読みます。
この日から読み始めるでもいいし、この時間で読み終わるような箇所まで進めて来るでもいいし、再読するでもいいし、好きなように読みます。
途中で疲れたらしばらく他の本であるとかに退避可。外出しての休憩も可。映画館同様途中で帰るのはできるだけ我慢。
22時半で終了のお知らせ。
閉店時間までは残って読み続けてもいいし人と話してもいいしもちろん帰ってもいい、という感じです。

「会話のない読書会」第10回はベン・ラーナーの『10:04』を読みます。
なんというか、これ僕の2017年第1四半期ベスト小説だったなーと思って、なので今回はこれにしよう、という次第です。
内容紹介によると「オースター、フランゼンが絶賛する期待の若手。小説の執筆に挑む詩人の、美しく愉快な語り」とのことで、

ハリケーンの上陸が迫るニューヨーク、ブルックリン。詩人である語り手の〝僕〟は前年に発表した処女小説で思いもよらぬ評価を受けていた。新たに『ニューヨーカー』誌に掲載された短編を組み込んで長編を書くと約束すれば、6桁強の原稿料が前払いでもらえるという。その一方で、〝解離〟の可能性があると診断された〝僕〟の大動脈。人工授精のために〝僕〟の精子を提供してほしいと言い出した親友の女性、アレックス。ニューヨークの街を歩き回ったり、テキサス州マーファで芸術家としてレジデンス生活を送ったりしながら、〝僕〟は長編の構想を練る。そして、自分がかつて雑誌を編集していたときに著名な詩人たちとの間で交わしたやり取りを偽造し、小説に取り込むことを思い付く……。
作者はオースターやフランゼンが絶賛する1979年生まれの若手。詩人としての評価も高く、本作の自意識的な主人公の語りでも、その独特のリズムを存分に味わえる。「同時に複数の未来に自分を投影してみようと思う」と冒頭で宣言するこの語り手を通じて、私たちはいくつもの、現実とは「ほんの少し違う」世界を目撃する。図版多数収録。

とのことで、なんだろう、たしかにこんな感じだったなと思いながら、なんかこれが僕に思わせるのより15倍くらい面白かったというか、読んでいてとにかく心地がよかったんですよね、親密さというか、「あはい、そのままずっと一緒に歩いてたいです、横並びで」という感じというか、僕はウディ・アレン好きなんでなんでもウディ・アレン出しておけばいいみたいに思っているふしがあるので自戒自戒と思いつつ出すんですがウディ・アレンmeetsゼーバルトな感じで、なんか最高最高でした。 なもんで一節を引用しますと

彼女がその話を切り出したのはメトロポリタン美術館でだった。アレックスは失業中、僕は作家なので、二人はよく平日の午後にそこに出掛けていた。
僕たちが出会ったのは僕が大学一年生、彼女が四年生のときだ。偉大な小説を扱う退屈な授業を聴きながら、僕らはたちまち互いに共感を抱いた。でも、本格的に親しくなったのは、僕が大学を卒業して数年が経ち、ブルックリンに引っ越して、彼女がすぐそばに暮らしているのを知ってからだった。僕たちは二人で散歩するようになった。シナノキに日が沈むのを見ながらプロスペクトパークを歩いたり、ボアラムヒルの辺りからサンセットパークまで歩いて、夕暮れ時マジック・アワーに凧揚げしている人を眺めたり。日が落ちてから、黒い流れに映るマンハッタンのまばゆい明かりを見ながら遊歩道を歩いたり。温暖化する惑星で六年間、そんな散歩をするうちに——散歩しかしなかったわけではないが——街を移動する感覚とアレックスとが切り離せなくなって、彼女がいないときも隣りに存在しているみたいに感じた——たとえ実際の彼女がそのとき、州北部にある実家に帰っていようと、あるいは恋人(間違いなく僕の嫌いなタイプの男だ)と時間を過ごしていようと。
彼女がコーヒーを飲んでいるときとかではなく、美術館でその話題を切り出したのは、ひょっとするとそういう場所だと、互いに向き合うのではなく、目の前のキャンバスを一緒に見るせいで散歩のときみたいに視線が平行になる——それは最も親密なやりとりをするときの必要条件だ——からかもしれない。目の前にある文字通りの風景ビューを共同構築しながら、二人で見方ビューを話し合うのだ。 ベン・ラーナー『10:04』(p.11-12)

あとこことか

僕がディスクをセットする間にアレックスはパジャマに着替え、僕たちは二人でベッドに入った。とはいえ、僕は昼間と同じ服のままで、停電に備えて非常用ラジオと懐中電灯はサイドテーブルの上に用意していた。
窓の外で風は徐々に強くなり、まるでシタールが奏でる映画音楽に合わせたみたいに大きくしなる木の影が白い壁に投影された映像と重なり、映画の一部となった。2つの世界を横断するのは何て簡単なんだろうと僕は思い、アレックスにそう言うと、彼女は僕にシーッと言った。僕には、映画やテレビを観ている最中に口を挟む悪い癖がある。そうやって二人で映画を観ているうちに、アレックスは眠り、オーソン・ウェルズはウィーンで友人の手にかかって死んだ。小さな天窓に当たる雨音が強くなるのが聞こえ、どこかからゴミが飛んできてそのガラスが割れるのではないかと心配になった。映画が終わると、僕は別のディスクを探し、いつだったか4番通りで箱いっぱいに捨てられていたDVDの中で見つけた『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を再生したが、彼女を起こさないよう、音は消した。 同上(p.28)

なんかこうすっごい好きなんですよねーなんだろうなーこれほんといい小説だったなーーーマジラブだなーーー
というわけでご参加あれ〜〜〜

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