『Toss! Vol.4 私にぴったりのサードプレイスを探しに。』

blog_fuzkue409.png
掲題の、LINEが11月に創刊した「「可愛いより、キレイより、遊び心のある子が最強!」をコンセプトにした、20〜30代女性向けのライフスタイル誌」であるところの『Toss!』にてご紹介いただいた。アクセス方法は以下な感じだそうです。
LINEアプリを起動して、以下ページのQRコードをClickしてください。 https://lin.ee/4PXLX01
あるいは
LINEアプリを起動して、[その他]タブの[公式アカウント]をタップし、「toss」で検索してください。
今LINE以上にユーザーを持っている何かって国内にあるのかなっていうようななんか超巨大なプラットフォームが雑誌始めるとかなんかすごいインパクトを与えそうどこかに、とか思ってそのリリースを楽しみにしていて、モバイルの縦スクロールに特化した雑誌ってなんかちょっとワクワクするよねと思って楽しみにしていて、こんな誌面になる予定なんですみたいなやつを事前に見せていただいたりしてなんか得した気分とか思っていたんですけど、それで11月から始まって、毎週届くので毎週見ていて、なんかこれはたしかにウェブメディアではなくて雑誌だよねという感じで、僕は愉快に見ているんですけど、というところで28日に出たvol.4にてご紹介いただいて、特集は掲題の通り「私にぴったりのサードプレイスを探しに。」とのことで夜分遅くにすみません、サードプレイス警察の者ですが、今通報がありまして。
こちらの記事で書いた通り、その言葉の提唱者である社会学者のレイ・オルデンバーグによれば、サードプレイスとは家でも職場でもない第三の場所というだけでなく、既知や未知の人たちと相まみえ和気あいあいとしたコミュニケーションをおこなう場所という性格を強く備えたものだ。(「談話がないところに生命はないのだ」!) たぶん彼の定義に従うならば今の日本でサードプレイスと呼んでよさそうなのは小さい酒場くらいしかないんじゃないかと思う。カウンターだけの、だいたい常連の、超しゃべる場所。
サードプレイスはほっこり一人になれる「私に還れる」みたいな安全な場所なんかじゃまったくない、己の社会性みたいなものがド直球に試される、たいがいの職場なんかよりもよほど過酷な場所なんだ、というのが、僕がオルデンバーグの『サードプレイス コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』を読んで学んだことだった。そのためご存知のように私は「FUCK THIRD PLACE」というTシャツを毎日着用している次第で。
と、サードプレイスという言葉を見るたびに私は、「いやいやいやサードプレイスってね、元々はね、オルデン爺ちゃんはね、」と思っていたんだけど、もうそろそろこういう幼い振る舞いもやめようと思う。サードプレイスは家でも職場でもない、もう一つの場所、なんか回復とかできるような、そんな場所、その感じで通っているんだから、それで納めようと思う。それがいちばんいい。それがいちばんいい。そういうわけで本日をもってサードプレイス警察の職を辞します。
で、聞いて聞いて、僕のサードプレイスはね、というので、なんか問答のページがありましたけど、僕すごい間抜けな答え方しちゃっていて、まさかこういうコーナーに載せるための質問事項だとは思わないで普通の会話かと思って「今は特にこれってないっすかねー」という感じで「あーでも前はすごい行ってたところありましたねー」とか答えていたら「通っていたコーヒースタンドがありました。かつては…」という、サードプレイスレスな感じを露呈しちゃう形になったのだけど、たぶんここ半年くらいの感じだと銭湯ですね、今だったら「銭湯です」って答えますね。銭湯いいですね。せっかく行っても5分くらいで出るんですけど、体洗うの含めたら10分くらいですね、15分くらいかな、すぐ出るんですけど、生き返るっていうあれでいうと銭湯最高最高に生き返るっすね。
でもなんていうかほんとサードプレイスって大事大事って超絶思うっすね。豊かな心地を取り戻せるそれがあるかないかで暮らしの質ってなんかほんとに変わってくるように思うというか、家で「これ完璧」と思える人はそれはそれで「うらやましいな」というところだけど、僕なんかはやっぱり別の場所でなんかこう「あ、今俺、世界に存在すること許されてる感ある」っていうのちょいちょい感じておかないとやっていけないというか、どん詰まるというか、だからなんていうんだろうか、腐すような始め方しちゃいましたけど、あれで、このようにサードプレイス特集で紹介していただけるというのは栄えあることというか栄えしかないことであり、この場所が誰かにとってのサードプレイスになっているのなら/これからなるのならそれ以上に最高最高なことってないというか完全にほまれでありこの場所ここでの時間があなたたちの希望の根拠になるのならば私の希望の根拠はまさにあなたたちそのものだ、ということになる。