本の読める店

「投げ銭ボタン」を設置した

Entry blog fuzkue407

「どこに?」という向きもあろうかと思いますのであれしますね。

1. 上方向にちょろっとスクロールするか、記事が終わる位置まで下にスクロールしてください。
2. 画面下部に表示された帯の一番右の「投げ銭する」をクリックしてください。
3. 遷移した画面の下部に「サポート」というエメラルドグリーンのボタンがあるのでクリックしてください。
4. ポップアップされた画面の、100円や500円をクリックするか空白に数字を入力し、あとは指示に従って進んでいってください。

これ、設置した眼目は2つあって、1つ目は読んだ記事であるとかに「いいね!」となったときに取りうる行動として、そっと心にしまうであるとか誰かに話すであるとかSNSでシェアするであるとか、ありますけど、同じようにお金をチャリンと落とす、というのもあっていいはずで、そういう行動を取りたくなった人がそういう行動を取れるように用意した、というところ。

で2つ目は区切りの設定されないある種のクラウドファンディングみたいなものというか、フヅクエという店に対する金銭を介しての投票行動を店以外の場でもできるようにしたくなった、というところで。と言いますのは。

先日、一時期とても頻繁に来られていた方が久しぶりに来てくださって、最後のお客さんだったこともあり帰り際にあれこれ話していたところ、引っ越してから足が遠のいちゃって、本当はもっと来たいんですけどね、と申し訳なさそうにおっしゃっていて、それから地元の同級生でも店をしている人がいるんだけれども、とのことで、里帰りしたときに年一で行ってお金落とすくらいしかできないんですけどね、とやはり残念そうにおっしゃっていて、いずれに対しても僕はいやーまあそういうもんでしょう、僕もぱったり行かなくなったお店とかいくらでもありますし、と思ったしそう言ったのだけど、そう言ったところ「だけど応援したいなって思う僕にできるのって行ってお金落とすことくらいなわけで」というようなことをおっしゃっていて、僕の中でその発言が引っ掛かって、頭に残ったらしかった。これはきっと何かが間違っているということだよな、と感じたというか。

もちろん、店とかに対する投票行動はお金を払うこと以外にもあるわけで、さっきのとかぶるけれど誰かに話すのだってSNSでシェアをするのだってそうで、というか十分過ぎるほどにそうで、なぜって少なくとも僕は行った店の話を人にすることってめったにないし、SNSで書くことなんてほぼないし。だから「お、なんか言及してくだすっている!」みたいなのはサンキューサンキュー以外なにものでもなくて、ありがたく。

(ところでさっきから「投票」と書いているが、なんとなく「支援」とかnoteがそう表示しているように「サポート」とかよりも僕は「投票」と言いたい。投票は手持ちの票を未来への意志や希望を乗せて投じる行為だと思うのだけど、支援とかサポートよりも投票の方が自身の欲望にもとづいている感じがして、明るくて前向きな祈りのようなものがある気がするのでいい言葉だと思っている。ここでいう「自身の欲望」というのは、「xxxが存在する世界の方が自分にとって豊かで嬉しい世界だから存在し続けてくれたらそれ誰得って俺得」みたいなそういうやつ)

で、投票行動の形態の一つがはっきりとお金で意思表示するということだと思うのだけど、その機会を奪われているあるいは制限されている人がいる、というのがさっきの方の状態だと解釈してみるならば、その機会を奪い制限しているのは店自身に他ならないんだよな、店の振る舞いが間違っているんだよな、というのが覚えた引っ掛かりから出てきた考えだった。店には足を運べない/運ばないけれど支持しているんだよな、票は入れたいんだよな、という人に対しての選択肢を用意していない店が悪いんじゃないの、店の責任なんじゃないの、という。

いろいろと、お客さんのせいにするのは簡単で。

例えばフヅクエは「ゆっくり本を読みたい人のための店」である以上長居大歓迎というか長居当然みたいな店なわけだけど、カフェとかにおける長居問題ってネット上でときどき湧き上がりますけど、「お客さん個々が配慮するべきだ」みたいなのってどうなのというところがあって、店がするべきなのは「長居できない/したくない環境を作る」か「長居されても大丈夫な環境を作る」かであって、お客さんを無理解な存在に仕立てて嘆いたり非難したりしてもなんの生産性もなくて。
で僕は「長居されてもいいようにすればいいだけじゃない?」というところで試行や錯誤をしつつ今の形に変えていったわけで。

あるいは例えば居酒屋でドリンクを頼まない人がいる問題とか、これもやはりときどき湧き上がりますけど、「居酒屋である以上は飲むべきだ」とか「こちらは飲み物で利益を作っているのに」みたいなのってどうなのというところがあって、というか「知らないよwww」という話でもあって、店がするべきなのは「飲まない人は断る」か「頼まれなくても大丈夫な環境を作る」か「どうしても飲みたい気持ちにさせる」とかであって。で僕は「頼まない人がいても問題ないようにすればいいだけじゃない?」というところで、なんでも仕組みにしちゃいたい人らしく、飲み物が頼まれなくても問題ないようにしたわけで。

同じように、どれだけいい店だと言ってもらったところで店に足を運んでくれなかったらけっきょく店は続けていけないんですよね、というのも、そうで。「すごい運んでもらえるように仕向ける」とか「誰も来なくても続けられるようにすごい富豪とねんごろな関係になって遺産全部相続させてもらえるようにがんばる」とか、あるわけですけど、だから、僕はここで、「足を運んでもらう以外の方法を考えてみるのもまた一興では?」と思うわけで、もちろん十分な数の人に行きたいぞと思ってもらえて実際に来てもらえるような努力か工夫かそれに似た何かを続けることは大前提だけど、それと同時に、「店に足を運ぶ以外の投票行動の選択肢を一つ用意しておきます」ということにした、という話です。

なんか、なんですかね、もちろんこれ置きましたとかいってそれで簡単に投げ銭していただけるとは思っていないんですけど(誰かぽーんと1,000万くらい投げてくれないかな)、なんか明るい投票行動への欲望に応えるための選択肢を用意しておくってなにかといいことな気がしていて。用意すること自体が明るい行為だし。
音楽でもみんなYouTubeかストリーミングだよね、それじゃあなかなか食えないよね、っていうところでじゃあCDのブックレットとかを豪華にしようとか飾っても楽しいアナログ盤をリリースしようとかとにかくライブに来てもらおうとかTシャツとかのグッズ出そうとか、それぞれの欲望を抱えたお客さんを想定してどれかの段階で楽しい消費として投票できるように仕向けるのはとてもいいことだよねと思うというか、違う話かな、まいいや、で、選択肢用意っていいことな気がしていて、というのも、一つの経験というか実績として、という話で。

選択肢を用意している一つの経験として、なんですが、フヅクエでは「なんかすごいよかったぞとかでもっと払いたいぞ!となったらもっと払ってくださるの超歓迎していますよ」ということを明示してやっているわけですが、だから2,000円とかの会計額に対して3,000円とかを置いていってくださるとかが発生するわけですが、それで今年ここまでにどれだけ上乗せされているんだろうなと今日計算してみたらこれがまったく馬鹿にできない金額をいただいていて、とかそういうのがあるわけで、こんなのって、フヅクエという場所を「全然これは俺は好きではない」な人から見たら「多く払うとかまったく意味がわからないwww」なことだと思うのだけど、でも払ってくださる方は実際にいるわけで、そしてそこで生じているお金っていわば「払う人も受け取る人も喜んでいる誰も損をしていないお金」なんですよね。明確にすごく明るいお金で、こういうのってわりととてもいいぞ、と思っていて。(もちろん上乗せに関係なくすべてのお金が明るいものだと言い切れたら最高なんだけど、中には「思っていたのと全然違ったわ…」みたいな方もおられるだろうから、その場合は明るいお金とは言えないよな、というところで)
なんというかお金って、「落とさないとな…」と思わせるのは本当に不健康でよくないし何よりそんなモードじゃ続くものも続かなくなると思うのだけど、「落としたいぞ!」となったときの出口を用意しておくことは大事というか、超ありというか。だからこれもその一環であり手始めみたいなところで。

そういうわけで長くなったので要点を整理しますと、今回設置してみた投げ銭ボタンは、1つ目は書かれた記事というかコンテンツというかいわば過去に対しての「いいね!」の表現手段の一つとして、2つ目はフヅクエの未来に対しての「いいぞ!」の表現手段の一つとして、みたいな感じです。もちろんこの過去と未来は分かちがたく結びつくよねと思うのだけど、今僕が考えている態度としてはそんな感じです、というところで。

という、これ、お客さんとお話したのが土曜の夜で、日曜の昨日、ずっとwebのことというかSNSのシェアボタンのデザインとか配置とか動きとかをアホみたいにずーーーっと考えていて、性懲りもなくhtmlいじったりしていたんですけど、そうしたら昨日は幸い忙しい日になって一心不乱に働いていたのだけど、洗い物かサンドイッチ作るかなにかをしているときにふいに「あ!投げ銭ボタンだ!」とか思う、っていうなんかほんとバカみたいな思いつきがやってきて、で、それからの時間は「どういう形式がいいのかなー」とか考え続けて、閉店後も「どのサービス使うのがいいのかなー」とか調べたりして、spikeとかstripeとか、paypalは僕もアカウント持っているのだけど、とかいろいろあるのだけど、どれも僕の用途とは合わないのかなってなって、それでnoteだったらできそう、というのでnoteのフヅクエアカウント作って、試しに記事書いて個人アカウントから100円やってみたりして、どういうふうにお知らせされるのかなとか見たり、とか、朝4時とかまでやって、という愚かなことになって、今は月曜の夜で、店開けてから「フヅクエに行った」という記事を30分とかでぴゃーっと書いて更新して、それからこれ書き始めて、という感じなんですけど、でシェアボタンのやつ実装し次第この記事アップしようみたいなところなんですけど、なんかほんと思いつきだけで生きているなーというのをアホほど強く実感します、という話でした。

ところで冒頭の「眼目」って初めて使った気がするんだけど使い方合ってるのかなこれ。主要な目的って出てきたからいいのかな。言葉、学ぶ。

photo : sachiko saito

「フヅクエの日々」の他の記事