本の読める店

今日の一冊 夏目漱石『それから』『門』

Entry blog fuzkue378

あ、二冊になっちゃった!というわけで恒例の「今日の一冊」コーナー始めます。
いくらか前に買ったブルータスの『合本・読書入門。』に「「読了」しない夏目漱石。」というタイトルで柴崎友香と奥泉光が対談していてそれを読んで読みたくなったのでどれにしようかというところで『それから』を読んだ、ということは前回のブログで書いたような書かなかったようなだけれど、それがすっかり面白かったため今度は『門』を取った。
『三四郎』『それから』『門』で三部作ということらしくて、特に登場人物が一緒というわけではないのだけど「・・・あー・・・やっべー・・・なんかやべーなー・・・前途みたいなやつ・・・前途みたいなやつ!!やべー!やべやべやべべべべーーー!!なんかいろいろやっべーーーー!!!!」三部作だったかな、定かじゃないのだけど、たしか日本の近現代文学史においてはそんなふうな通称があったはずだけれどもとにかくそういう三部作で、後ろ2つを読む格好になったのだけどここのところまあほんとうに面白い。すこぶる面白くて面白くて、「面白いよ!」というのをこのように吹聴したくなる程度に面白い心地になっちゃったのでこうやって今、筆を執った次第なんですが…

と、ここまで打って、「なんと書いたらこの面白さが伝えられるだろうかな」と思いながらしばし天井を見つめてそのあと「そういえば」と思って日ハム対ロッテと楽天対ソフトバンクの試合経過を見て、それぞれ吉川と塩見の成功を応援する気持ちを持って、それぞれ二木と中田の失敗をこいねがう気持ちを持って、そうやってじっと座っていたところ、
「あなた、そんなふうにヂスプレイをお見つめになって、また神経をやられるわ」という御米の声が隣の室から飛んできた。
宗助はただうんとだけ応じて、一球速報の画面に眼差しを注いだままにした。少ししてナバーロが逆転の二塁打を吉川から放つのを確認すると、不図思い出したらしく
「御米、吉川がMVPを取ったのは何年のことだったかな」と突然言い出した。
御米は手と足を炬燵に差し入れた格好のまま「そんなこと、わたしがどうして知っていると思って」と答えた。
このとき宗助は初めて御米のほうを返り見、「それもそうだ」と答えた。
それからしばらくたって「ダルビッシュの有さんがあちらに行った翌年よね」と御米がつぶやいた。
「そうなんだ。だが彼の人が向こうに渡ったのが今度はいつだったか、お前は確かかい?」「いいえ、ちっとも」「なんだ、そんなことか」と宗助は微笑んだ。
二人はそうやってたあいもないやりとりを交換しながら、日と夜を一歩一歩暮らしていた。

というのが『門』の冒頭部の引用なんですが、なんというかこう僕がひとまずうっとりするのは日本語が本当に新鮮でうつくしいというところで、『門』も100年くらいは前だと思うのだけど、今読むとほんとうにみずみずしいというか、多和田葉子が「文法に思考を譲り渡してたまるものか」みたいなことを書いていたのだけどそれを思い出すというか、今の僕にとって新奇な文法や言葉遣いが目の前に飛び込んできて埃をかぶっていた言葉や思考がショックを与えられてふるふると震えて息吹を与えられる感じが、ひたすら気持ちいい。

というとなんというか小説好きのたわごとみたいな感じがするのでそんなところには限定したくはなくて、なんかこう生きとし生きている身としてというか30歳を生きる身としてなんかこうすごくビビッド〜〜〜〜というのが、これがまあほんとうにそうでした、特に『それから』、というか『門』は途中なんでまだあれなんですが、それから半端なくビビッドだった〜〜〜〜、というのを言いたい。ビビッドすぎてめっぽう苦しくなった。めっぽう悲しくなった。ので大変だった。
30歳、わたし、日々あれこれと思い迷いながら、先々はどうなるだろうかとか悩みながら暮らしているわけなんですが、そういうような30歳前後の人が読んだらなにかとビビビとビビッドな感じを受けるんじゃないかなーという気がするのだが、一般の30歳の方々はそういう思い迷いみたいなものはもうきっぱり捨てて前を見据えて日々お働きでいらっしゃるものだったりするのかな、わからないけど。
『それから』は明治42年で1909年らしいので107年前に書かれた小説で、小説なんてどれもそういう体験ではあるけれども、小説にかぎらずだけれども、だからこれが漱石を読む体験の特質ではいささかもないけれども、それにしても100年前か〜〜〜しかもかつてお札の人だった人だよな〜〜〜めっちゃ偉人やん〜〜〜みたいな、すごい遠いというか隔世〜〜〜という感じと、この読んでいて近い〜〜〜密接〜〜〜同じ〜〜〜という感じのギャップに萌えたい。いやそんなことばかりでは全然ないのだけど。
で漱石も自分の書いたものがずっと先まで読み継がれることに自覚的だったのか、「孤憤」という短いエッセイの中でこう書いている。「今、今、スピーカーの前にあるお前の2枚が今、西暦何年なのか、どこの国か街かは想像もつかない。皿は旅をする。時を軽く超える」
(注だけど漱石は往々にして読み書きをする机(文机ですね)のことを「スピーカー」と言ったり書物を「皿」と言ったりすることがあって、だから「2枚」というのはこのエッセイで触れている『それから』と『門』の2冊のこと)

まあなんかそういうわけでなんか面白すぎて吹聴したくなったので吹聴しようと試みた、という話でした。

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