『歩きながら考える step8』「まだ名前のついていない道を行く」

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散歩の達人はこう言った、歩きながら考えなさいよ、そしてまだ名前のついていない道を行きなさいよ。という感じでというかなんか二日続けて散歩めいてるなみたいなところで、リトルプレス『歩きながら考える』でエッセイ的なものを書かせていただいた。
「歩きながら考える」というのも「まだ名前のついていない道を行く」というのもなんかほんと好き。そして内容もとてもよくて、静かで凛としていて、これはとてもいいものだなあと思いながらちまちま読んでいる(冒頭のおくやまゆかの漫画がびっくりよかったのでググったらでてきた『たましいいっぱい』を思わずポチった。こちらもすごくいい)。Twitterだったかインスタだったかで「リトルプレスの最高峰」と紹介している本屋さんがあって、「すごい褒め言葉だ!」と思った、ので、フヅクエでも昨日から売り始めたのでこぞって買ってください!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
あと依頼されて書く仕事というのたぶん初めてやったのだけど楽しかったので誰か書く仕事ください!!!!!!!!!!!!!!!!!
ところで誰かが歩きながらなにかを考えているという光景を想像するとなんだか素敵で、「その時間、なんだかよさそうですね」と脳内で話しかけたくなるような素敵光景なのだけど、なので素敵になるべく俺も歩きながら考えたいなとか思うのだけど、実際に日々やっていることといえば走りながら喚き散らしそうになるのを必死で抑える、くらいのところで、それはだからジムの、トレッドミルのうえでおこなわれる。
以前、「走る、読む、働く」というこの記事で書かれたのは「走りながら考える」人の姿だった。自分の足元に視線を落とした状態でただただ足を運ぶ、去来する考えに身を委ねる、そんな姿が書かれている。これは楽しい時間だった。では今はどうか。
まず音楽を聞くようになった。その時々の、「今夜はこれを聞いて楽しんじゃうぞ!」みたいなフレッシュなものが求められており、聞きたい曲なりアルバムなりがあるとき、ジムに行く足取りはより愉快なものになる。最近はそういう夜がないのでうれしい限りなのだけど、もうどうしようもないほどに暗い、重い、なにか漠然としたものに対する憤りみたいなものが腹のなかでクソみたいに増幅されたような気分のときはROTH BART BARONの「氷河期#2(Monster)」を聞いてアガるというかアガるというよりは一緒になんか「うおーーーーー」ってなる、というのが流行っていた。
もうこの時点で走りながら考えることはとっくにやめているのだけど、この春くらいからだろうか、さらに、テレビまで見るようになった!
昨日はちょうどスポーツニュースがやっており、女子バレーが五輪出場を決めたとかなんとかで生出演とかなんとかで見ていたら木村沙織がスパイクとか決めてよっしゃーってやってとびきりの笑みで破顔するの、見てるだけでほんと元気になるね、すごい「あー、元気になるー、元気になるー、さおりーん、ありがとうー、さおりーん」と思いながらテレビを見ていた。あとレシーブとかすごいなーとか、うわーいまの止め方すごいなーひっくりかえってるー身を挺してるーとか、わーいまのトスすごいなーこれは敵も困惑するわとか、ブロックかっこいいなーすごいなーうへーとか、全力を尽くしている人間は本当に美しいなと、おめでとう!チャ・チャ!おめでとう!!!!!!と思いながらテレビ見てた。でバレーのやつが終わったあとに野球のやつとかのはずだったのだけど、バレーのやつが終わる前に規定の30分が終わってしまったので、「残念だなー大谷の快投とまでは言えなそうだけれど久しぶりの2勝目を挙げたピッチング姿、見たかったんだけどな、ま、ネットでハイライト動画見れば事足りる話か、だから問題ないね」と思って走るのを終えた。
なんかこう、上記のことがダメだとはまったく思わないのだけど、もうちょっとなんかこう、自分と向き合うとか、そういうのちゃんとした方がいいのでは?とは言いたい。考えることをサボって受信する情報で頭と時間を埋めて、っていうだけではやっぱりまずい。今も指が止まった途端に「プロ野球スポーツナビ」のページ開いてて、「さっきも開いただろ!試合もないし大したニュースもないってわかってるだろ!」と思った。腹減った。ドーナツ食いたい。チョコレートたっぷりのドーナツ食いたい。