『若い藝術家の肖像』を読む(65)それにこのふるえはじきにやむさ

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野球の起源は古代エジプトの神話にある、という説を平出隆の『ベースボールの詩学』が教えてくれた。ただ、ボールの起源についてはわりと明かされていないらしく、ひとつの説としては「オシリス神の頭」がそれなのではないか、と。
そんな夜、崇拝のあ間違えた数杯のハイボールでハイになった頭部を横たえると本が開かれた。
「《神様、おとうさんとおかあさんにお恵みをたれ、お守りください!
神様、弟たちと妹たちにお恵みをたれ、お守りください!
神様、ダンテとチャールズおじさんにお恵みをたれ、お守りください!》
十字をきって大急ぎでベッドにあがり、ねまきのすそで足をくるむようにすると、つめたい白いシーツのあいだで体をまげ、ぶるぶるふるえていた。でも、とにかく死んでも地獄へゆかなくてすむし、それにこのふるえはじきにやむさ。」(P35)
それにこのふるえはじきにやむさ……なんかこの小説ほんとパンチラインだらけだな……どこ読んでもすごい「いいぞいいぞー」という感じになるな……と思いました……
ところで、自分の常識に照らしてみると僕は決して非常識な人間ではないと思うのだけど、というこのフレーズを思いついた際に私は「あっはっは」と笑った、同じように諸君も笑っていることであろう、真夜中の訪問者に彼女は言った、こんな時間に、非常識だよ、訪問者は言った、非常識だなんて、そんなのわかっているよ、私はそのセリフが好きだった、非常識だなんて、そんなのわかっているよ、だけど、とそのあとにどんな言葉が続いたのか忘れたが、続いたそのセリフも私は好きだった、私たちはなんだかすべて忘れてしまうね。
というそんな夜をいくども通り越してやってきた昨日は休みだったがためにいつものように暮らしていたところ、渋谷に行って私は映画をご覧になることにした。サミュエル・フラーの特集上映ということで『チャイナ・ゲイト』と『裸のキッス』を見た。『裸のキッス』は何年も前に見たが、すっかり忘れていたので私たちはなんでも忘れてしまう。思い出させてくれるのはエバーノートにつけている映画を見た記録の一覧に「裸のキッス」の文字があるからで、それ以外で見た記憶を持っていないから見たとはもはやほとんど言えないくらいに、いやそんなことはないのだが、とにかくなんでもかんでもわすれてしまった。
どちらの映画も面白かったというかフェアネスなーほんとなーと思ったのだけれども、どちらの映画も男が本当にろくでもなくてクソ笑った。なおこの場合の「クソ笑った」は「クソみたいだなーと思って笑った」という意味で、「あっはっは・あっはっは」と笑ったという意味ではなかった、決して。
僕は、これはヒッチコックの映画を見るときにわりと顕著にというか毎回くらいで思うのだけど、女の口を塞ぐ男の様子を見るのがけっこう極度に嫌いというか苛立つのだけど、性別関係ないかもな、性別関係ないけどそういう場面は少なくともヒッチコックの映画にはすごいあるように思うのだけど、「あーちゃんと喋らせたら事件こんなこじらせなくて済んだのになーバカだなー」みたいな、口塞ぐことで駆動させちゃったよサスペンスみたいなものがたくさん見られるはずですが、『裸のキッス』の男もまあほんとうにクソろくでもない。よくここまでクソみたいな役を作るなっていうくらいクソみたいで、ウォール・オブ・サウンドというかウォール・オブ・わめきちらしという感じで、喚き散らしって英語でなんて言うんだろうな、英語でいう必要ないけど、howlですって。ハウリングはわめきんぐってことだったのか。ウォール・オブ・ハウリングという感じで、ほんとお前の存在が暴力だわ不条理な暴力、という様子でした男。しかしひどい、すばらしい映画だったな。フェアネスか。フェアでありたいと、常に思っている。
映画が終わり、僕は横に座っていた老齢の男性に話しかけた。「そのメモする音けっこううるさいですよ、すぐ横だと」と言った。お連れの、向こうの女性がびっくりした顔をしたのが目に入った。
映画のあいだ、ずっとなにか「かく」音がしていて、僕は最初「痒いのかな?」と思っていた。「掻いてんのかな?」と。僕もアトピーで痒みのあれはわかっているので、痒いのってつらいっすよねー、痒いのってほんとつらいですよね、痒いのって本当に本当に嫌ですよね、と思っていたのだけど、途中でページがめくられるような音がして、それが何度かあったので、「あ、掻いてんじゃなくて書いてんのな」とわかった。「うるさかったですか?ごめんなさいね。映画見るときはいつもやっていて」「いや、完全に気になったら途中でお伝えしようと思ったんですけど、そこまでではなかったのであれなんですけど。でも気になりはして。ところでなに書いてるんですか?セリフとかですか?」「気になったところがあるといろいろとね。この映画なんて、また見られる機会なんてそうそうないでしょう」「あ、でもこれは僕むかしDVDで見たのでたぶん見られますよ」「あそうなんだね」「いやしかしよかったですね」
最後の、「いやしかしよかったですね」、ここまで言いたかった。あの会話をこれで終わらせたかった。
ところで『裸のキッス』の最中、二つの場所で怒りの発生を見た。一つは真ん中のブロックの左側の席からで、ちょうど静かな場面で「うっさいんだよ」という押し殺しつつそれなりに大きい声、もう一つは左のブロックの前方から憤ったような足取りと態度で席を立って出て行った男性。人が集まればいろいろある。僕は、怒りによってではなく、言葉で伝えたかった。
そのあとに友人というか知人というかの人間の方とおこなった飲酒行為の場面で主にハイボールを飲んだので僕はたぶんずっと「それにこのふるえはじきにやむさ」と言っていた。