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『若い藝術家の肖像』を読む(63)それで指に、さあいそげといいつけた

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この連載についての説明と更新履歴

「「去年と(ボールの)質が違う。別世界にいる感じ」と目を丸くするほど進化した姿」。これはその投球を受けた相川捕手の言葉を通して描写された今キャンプ初めてブルペン入りをした巨人軍の投手・菅野智之のことだが、落として割れて本体を交換したiPhoneはバックアップから復元されると、目を丸くするほど同じ姿となった。が、それは中身の話だ。昨日と(外見の)質が違う。画面を割るという同じあやまちを二度と犯さぬよう、強化ガラスみたいなやつをディスプレイに貼り、革もどきのケースで包まれた。仮に今はなきスティーヴに「ミスター、御社の、御社の」とお見せしたところで、即座には目の前の東洋人の身振りの意味を理解できないだろう。そのくらいに、カバーのついたiPhoneはものが違う。別世界にいる感じ。
さて、スティーヴは「?」という顔を見せた。では、スティーヴンだったら、我らがスティーヴン・ディーダラスだったら、いったいなんと言うだろうか。その疑問を解消したくなった僕は、矢も盾もたまらずたいへん久しぶりに本を開いた。すると

「<おお、主よ、願わくば、この住家をおとずれ、仇の罠をことごとくのぞきたまえ。聖なる御使いのここに宿りて、われらを安らけくたもち、おんみの祝福の常にわれらの上に、主イエス・キリストによりてあらんことを。アーメン>」(P34)

とある。なんとまあ、ドンピシャの箇所から続きが始まったことだろうか。ここに書かれているのはまさしくカバーを掛けられたiPhoneへの祈りそのものじゃないか。時代を予見したかのようなジョイスの書きように私は震えた。次の行に目が移る。すると

「寝室で服をぬいでいると指がふるえた。それで指に、さあいそげといいつけた。」(P35)

なんてこった。指がかじかんでiPhoneの操作がうまくできない、と書いてある。まったくなんてこった。これではスティーヴンはほとんど

まいいや。まいい。もういい。どうでもいい。最後にこの「『若い藝術家の肖像』を読む」が更新されたのが昨年12月の頭とのことで、それ以来いっさい開かれなかった『若い藝術家の肖像』。なんでだろうか、と考えたときに、このコーナーって僕にとってなんというか箍を外して書いていいよ、というものだった、つまり自由の領野だったのだけど、昨今は別にこのカテゴリーを外れても箍が外れているというか、なんか箍あるなーみたいな意識がない、書きたいことをどこでも好きな場所で書いたらいいよ、という感じになっているので、ここで展開される必要がない。いやしかしそうか。本当にそうか、まだ検討の余地はある。日記的な、今日のできごと的なことはたしかにここが一番やりやすいように思われるそれは今も本当だだからやっぱりこの場所は必要かもしれないそれでは日記を始めようか。

1月30だか29日の金曜日、iPhoneを割った。またかよと思ったが、嘆いていてもしかたがないので調べたところ新宿西口のビックカメラの7階がiPhoneの修理を受けてくれるアップルストアではないけど正規な感じの場所としてあることが判明、おもむく。iTunesにバックアップを取ったのちおもむく。本体ごと交換となる。夕方、a$ap rockyがそれで注目されることになったと見た2011年とかのミックステープをダウンロードする。それをiPhoneで聞きたいのでiTunesでつなげてiPhoneにゴーをしようとするも「iCloudミュージックライブラリがオンなのでどうこう」でできない。これまではできていた。Bandcampで買ったLil Ugly Maneのやつとか、ratkingのwikiのやつとか、わりと最近もダウンロードしたのをiPhoneに持っていっていた。なんで今日はできない。もしかしたらバックアップする前に最新のやつにiPhoneをアップデートしたのだけどその最新のやつの仕様なのかもしれない。いずれにせよイラつく。ただ憤っていても仕方がないのでiTunesの方のそのiCloudミュージックライブラリとやらをオンにしてみる。すると、iPhoneを見ると、iTunesに入れている2万曲近くの音源が全部リストアップされている。は?となる。iPhoneで私、そんなに聞けるようになる必要いっさいない、というか気持ち悪いから嫌だ、と強い拒否反応。これは嫌だぞ、と思って調べてみても、iTunesの方のiCloudミュージックライブラリをオフにした状態で音源をiPhoneに持っていくことがなんだかできそうになく、頭を抱える。おれはエイサップ・ロッキーをiPhoneで聞きたかっただけなのに…なんでこんな目に遭わなければいけないんだ… しぶしぶiCloudミュージックライブラリへのアップロードを全部する決断をくだす。パソコンが眠らないように設定を変え、ずっとアップロードを続けてくれるように祈る。主よ。

土曜日、昼の時点で残り8712曲とあった。ただこのアップロード、数字がすぐに止まったりして、働いているふりしてその実なにもやっていない、みたいな、「これは俺か?」みたいな怠惰なことを頻繁におこなうので、くるくる回っている「アップロードしてますよ」サインをあまり信用しないで、ときおりいったん中止にして、iTunes終了させて、終了させようとすると反応しなくなったりして、強制終了して、再度開いて、iCloudへののやつをオフにして、オンにしようとしたら反映しなくて、終了して、強制終了して、再度開いて、オンにして、くるくるの残り曲数見て、ということをわりと何度も何度もやった。
土曜日、日曜日とかけて、8712、7759、7642、7529 、7492、7402、6272、5526、4949、4921、4557、4465、3092、2922、2812、2698、2494、2392、1283と、数字は減っていった。日曜日の夜中、ついにアップロードが完了した。なんとなくそれまではiPhoneの方はいじらないことにしたので、アップロード終了後、iPhoneのiCloudミュージックライブラリのなんちゃらをオンにしたところ、いくらかの時を経て、iPhoneに反映された!ほぼ完璧なリストができあがった。
ほぼ、と書いたのは、iCloudへのアップロードはなんかAppleが持ってる曲情報とかとのマッチングとともにおこなわれるらしいのだけど、そのマッチング精度が100点ではないからであり、たとえば柴田聡子はアーティスト写真みたいなところが柴田淳になっているし、中村一義ってこんな顔だったっけ、と見たらそれは中村雅俊であり、かつ、一曲、なぜか早期にアップロードされていた「虹の戦士」という曲を再生してみたところ、どう聞いても中村一義の声ではないし、聞こえてきた歌詞で検索してみたら中村雅俊の「虹の少女」という曲だった、ということがあったりした。Appleがぜいぜい言いながらも得意げな顔で「マッチング、できました!中村雅俊の虹の少女ですね!」と言っていると思うと「わかったわかった、もうそれでいいよ」と呆れ顔のあきらめの言葉を吐くしかない。というか、島田雅彦と大友良英の『ミイラになるまで』のどれかも同じようになっていて、島田奈美子というアイドルの曲が流れるのだけど、これなんかはiTunesストアとかにきっとない音源だろうしなんというか理解できないこともないのだけど、中村一義のあのアルバムってだいぶ有名というか金字塔な感じのアルバムなんじゃないのか、俺もこれしか聞いたことないし、なんかすごいスヌーザーとかロッキンオンとかなアルバムなんじゃないのか、Appleミュージックで検索したら置いてなかったけど、でもリッピングしてiTunes入れてアルバム情報入れたりしてる人とかたくさんいるようなアルバムなんじゃないのか、いいのかなこんなんで。
ともあれ、こういうことがたぶん何箇所でも起こっているのだろう。こんなんでいいのか。これマッチング間違ってるよ機能とか手動で編集機能とかあってもよさそうなものだと思った。あと優先してアップロードしたい曲選べる機能とか。上げたかったエイサップ・ロッキーのミックステープは結局最後の1000曲くらいまで未アップロードだった。俺それ聞きたかっただけなのに。

月曜日、休みだったのであれこれしたのちテアトル新宿に行った。横浜聡子の『俳優亀岡託児あ誤変換『俳優亀岡拓次』を見に行った。とくだん見たかったわけではないけれど、なんだかよさそうな予感がしたような気がしたので行ってみたところ、映画館はたいへん賑わっていた。始まったのがつい先日だったことと、あとはサービスデーだったためだろうか。僕が知らないだけで意外にすごい話題になっていたりするのだろうか。映画はとてもよかった。予告編で見ていたものよりずっと変な映画で、いろいろの境界があいまいになったような、不思議な感触の映画だった。いくつかしか見たことないからイメージでしかないけどフェリーニの映画みたいだと思ったりしていた。あと何かがダニエル・シュミット。どこだっけな。踊るところか。おかしな背景で踊ったりぴゅーって飛んでいたりしたらだいたいダニエル・シュミットというか『ラ・パロマ』を思い出すことになっている。あとエンドクレジットのところまで気づかないでいたけれどスペインの映画監督の通訳役の工藤夕貴がすごくよかった。というかあの場面がすごくよかった。どうかしてた。いや全体的にすごくよかった気がどんどんしてきた。横浜聡子。聡子という名を持つ人はなにかいいものを作るように定められているのだろうか。これはあさはかな考えだろうか。

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