一喜一憂はしない

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激烈に暇なのでTwitterを眺めていたら猫がキュウリにびっくりする動画や菩薩がどうで弥勒がどうみたいなレストランがどうこうという面白ツイートを拝見して笑いをこらえるのに必死になってしまったため、気をまぎらわせるためにブログを書くことにした。
最近は「いったいなにをかこうかね」という感じなので特に書かないのだけど、だから今もとりたてて書きたいことが思い浮かばないのだけど、さっきクッキー焼いた、今は小雨が降っている、異常な早起きをしたため眠い、異常な早起きに乗じて免許センターに免許の更新にいった、場所は江東区だった、降りた駅は東陽町駅だった、あたたかかったので歩いているとあつくなったのでジャケットを脱いだので半袖で道を歩いた、11月17日のことだった、
先日「一喜一憂をしない」という仮タイトルで書き始めたつもりがよそにずれました、ということがあったように記憶しているのだけど、今日はそれが書かれればいいかといま思い立ったらしかった。
ツイート等でも書いたのですが昨日行った神社で賽銭箱に小銭を投じて二礼してなんかパンパンとやるときに商売繁盛を祈願することを忘れたため今日は凄惨なまでに暇で、開店から3時間近くひとっこひとりが来やがらなかった。さっきお一人来られたので「サンキュー!」と思った。「しかしこれ、一人で終わるとか…?」と思うとびっくりする。
そういう日、ちょっと今日はそれにしても過剰というか過激な閑散なのであれなんですけど、「こいつはひでえや」という日、僕は落ち込むということがない。一喜一憂ということはしない。あ嘘だ。一喜はあるんです。
とてもいいぞという日の終わった頃合いとかに「ほ〜〜〜」みたいな、そういう喜びはあるんですよね。売上ももちろんそうだけど労働の充足感みたいなところもこれはきっとあって、とてもいいぞという日は僕はわりとずっと動いているぞという日になるので単純に疲労感があるので、そういうあれに対するお疲れちゃんみたいなのもひっくるめて「ほ〜〜〜」と思って喜ぶ、というのはある。
一方で壊滅的に暇な日に、「おしまいだ…」とか「切ない…」とか「xxx…」とか果ては「xxx!!!!」とか、そういうことは思わない。ただあっけにとられるというか、驚くというか、なんじゃこりゃ!みたいな感じにはなるのだけど、忘れただけかもしれないけど、暇で鬱みたいなことはこれまでまずなかったように思う。
いいようにできているというかいいぐあいにのんきにできているというか。
ただ、一喜一憂はそうないんですけど、如実にあるのがこれなんて言うあれなんだろうな、四字熟語でいいのないかな、なんか短期記憶しかないというか、あ別に「短期記憶」って四字熟語のつもりで言ったわけじゃないですよ、あの、なんていうんですかね、「昨日」と「先週の同じ曜日(これは週末限定)」の二つくらいしか記憶を保持できないというか構えを作る根拠にできないというか、昨日が忙しかったとするじゃないですか、そしたら「きっと今日も忙しくなるぞ…!」という感じで「開店までには絶対に…!」みたいに焦りながら仕込みしたり、逆も然りで前日があれだと「まあ店開けてからでもいろいろ間に合うっしょ、どうせ暇なんだし」とダラダラしたり、というふうにはすごく簡単になって。
これ気分だけで済むのであればいいのだけどわりと行動にしっかり反映されるところがあるので、特に後者のときは危うくて、粗すぎる予想が狂って思いのほか忙しかったりするといろいろバタバタすることになって「後悔ってほんと先には立たないっすね〜」と思うはめになる。
明日の仕込み行動を注視する必要がある。
(追記:「一喜一憂しかしない」という記事がのちに書かれた)