本の読める店

『あしたから出版社』の貴重なみっともなさ、それから光

Entry blog fuzkue26

わりと無根拠に「大丈夫だろう。やっていけるだろう」と思ってはいるのだけど、知らぬ間に不安に侵されていたということなのか、それとは関係なくそういうストーリーに打たれやすいだけなのか。

昨日の夜、下北沢にいた。予定までに時間があったためどこかで本を読みたくて、同時にサンドイッチが食べたかった。だけどどこだったら美味しいサンドイッチが食べられるかもわからないし、現在は非常にQOLが低い暮らしを送っているため半端なものを食べて変なお金を使うのも、みたいな自制もあり、なんでもいいと思うんだったら一番どうでもいいものにしようと思って駅前のマクドナルドに入ってハンバーガーのセットを頼んだ。
350円という安さに改めてびっくりしていると、ただいまセットをご注文の方にはドリンク一杯をお付けできますが、と言われ、ぴんとこなかったのでどういうことですか、と尋ねた。聞くと、ドリンク付きのセットにさらにもう一杯ドリンクがつけられるというのだ。遠慮した。 3階に上がってひっきりなしにポテトを口に運びながら島田潤一郎の『あしたから出版社』を読んだ。近くの席の若い男が女に、「人生そんな甘くないよ」と言っていた。僕は「うるせー」と思ってイヤホンをした。

本書では、これまでまるでうまく立ち回れなかった人間が一つのきっかけから出版社を作ることに決め、どうにかこうにか本を作り、世に出す、という経緯や心情の変遷というか浮沈がとても生々しく描かれていた。
そんな気配を徐々に感じてはいたけれども、しばらくすると僕はメガネを上げて目をごしごしと何度もこすらざるを得ない状況に陥った。
自身の卑小さ、みっともなさのようなものに対する解像度がすごく高い文章で、「あーその感じ俺も多々あります…」という苦々しい共感ポイントがたくさんあって見たくもない鏡(しかもたちの悪いことによく磨かれていてピカピカ)を見ているような気分にもなりながら、それとはまた異なる鏡も用意されていて、それを見たとき、やたらに感極まるものがあったらしかった。

今の僕を支えてくれているのは来てくださったお客さんの肯定の言葉やここを読んでくださった方の応援の言葉だ。それは帰り際に言ってくださるときもあるし、書き置きで伝えられることも、インターネットを通してのこともあるけれど、そういう「お前がやってること、いいよ」という言葉。
僕自身も「これ、いいんじゃない?」と思いながらやっているのだけど、なかなか自分の「いいんじゃない?」だけを根拠にし続けるのも体力が要ることであり、そういうときに外の声が「いいよ」と言ってくれると、「あ、間違ってなかったか。てことはやっぱり大丈夫だこれ」という気になる。救われるっていうのはこういうことなんだっていう感じで愚直なまでに大いに救われる。

そんな日々を送っているので、ここにもいるよ!ここにも同じことで感激している男がいるよ!みたいなところで感動したのか、それとも単純に暗闇の中をもがいている男に一筋の光が射すような、そんなストーリーに打たれやすいから感動したのか、ともかく、「うわー」となったのだった。

これは出版社の人のお話だけど、本好きや本屋さん好きだけが手に取るべき本ともまるで思えない。この本が持っている射程はもっとずっと広いように感じる。
何かを始めた人、始めようとしている人、不安な人、奮い立たせたい人、ストラグルしている人、みんなが読んだらいいなと思いました。

また、夏葉社の本はこれまで買ったことがなかったのだけどこれを読んだら俄然ほしくなった。
これを出したいんだという強い思いがあって、それに見合う丁寧な仕事がされている、ということを知った今となっては、手に取ってみたくならないわけにはいかないのだった。

(前回書いた『朝露通信』は昨日無事買えましたの写真)

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