生煮えであること、真面目であること

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日曜、やけに眠く、いかにして、この眠気に、あらがうか、というところであり、たいへんな活況を呈していればこんな眠気は成立しないものだけど、長らく特にやることもなく、眠気は深まり、であるならば、せめて指でも動かすべきではないのか、ブログでも書くべきなのではないか、と思うに至った次第。当人ここに至って「ぷえ〜〜〜〜」といった腑抜けたご様子。
国分拓の『ヤノマミ』を買ったのは、ちょうど先日買って読んだ『TOmagazine』で大宅壮一文庫というものがあることを知った数日後に行った蔦屋書店で「何かノンフィクションを」と思いながら旅行コーナーだかを見ていたところ表紙と何かが目に留まり「面白そう」と思って手に取ると「大宅壮一ノンフィクション賞受賞作」みたいな文言があり「これも何かの縁」と思ったため、だった。
それで読まれたブラジル奥地に暮らすヤノマミ族についてのノンフィクションは度し難く面白く、「こいつは面白いや!」と思って早々と読み終えられてしまったため、本日9日正午過ぎ、私の足は東急百貨店本店7階、MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店に向けられた。明確に欲しいものがあり、そしてアクセスしやすいということはもちろんながら、なんでだか最もなんでもあるような気がしている、というのがその理由だった。
そこで求められたのはクロード・レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』であり、たぶんなんか先住民系の何かで、「いっちょ先住民ディグるぞ〜」みたいなそんなモードゆえのそれだった。が、なかった。
そのため次の選択肢として持っていた今福龍太の『クレオール主義』、これも南米方向だしなんかそういう系だったりするかなというか、つい先日お客さんから「ラテンアメリカ好きだったら読んでます?たいへんいいですよ?」という感じで教えていただいたところだったので、きっとそういう系かな、みたいなところで読みたくて、しかしなかった。
で、『ヤノマミ』が面白かったため「大宅壮一ノンフィクション賞受賞作」を掘っていったら面白いんじゃないかなと思っていたこともありこれも選択肢にしていた佐藤優の『自壊する帝国』。なんか外交官がロシアでどうの、みたいな何かとのことで、ハラハラするらしくてきっと止まらなくなるんだろうなと、そういった予感を持っていたのだがまさかの、これもなかった。
勝手に全幅の信頼を置いていたMARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店に勝手に裏切られた気持ちになった。これが探していたのがすごいなんかあれなやつだったら「まあ」とかも思えたけど、どれも普通にあってよさそうな気がしたので、落胆も動揺もひとしおだった。俺はいったい何を読んだらいいんだよ…と。
で、そんな僕がレジに持って行ったのが藤野英人『投資家が「お金」よりも大切にしていること』である。
目に入って、帯で糸井重里が推薦していて、「糸井重里に響くお金の話」ってちょっと興味あると思ったため買ったわけだった。もともとの気分から一番遠いものを買った感じになった。
なんか長くなったのでもういいや。読んでるんですけど面白いですよ。日本人は不真面目だよね、ということが特に書かれている気がして、なんか武田砂鉄の『紋切型社会』に通底していた貧相さへの苛立ちみたいなものと響き合うような気がする。なんか僕は「いいなあ」と思って読んでますよ。ひふみ投信の口座を開こうかと思っているくらい(影響されやすい&人を信用しやすい)。
いや、なんていうか、なんでこんなこと店のブログを使って書くのかっていうあれだけど、一応ちょっとだけあって、「真面目さなあ」みたいなことをポヤポヤ考えていると「俺はフヅクエを大真面目にやりたいんだろうなあ(多分)」みたいなことを思ったというか、っていうところは一応あって。なんもかんもをさらけ出すことが真面目さだとも思わないのだけど、
まいいや。考えも生煮えだし上手く言葉を継げる気も今しないし。
ん、いや、違うというか、これまで使った経験がほとんどなかったのにふいに口というか指をついて出てきた言葉にリアクションするのもあれですけど「生煮え」は大事というか「生煮えだし」でやめるのは違うなというか、生煮え上等というか、生煮えであることと真面目さがどうつながるのか。その点は各自で考えてみてください。