『若い藝術家の肖像』を読む(45) どこ行きはるんえ? ― 未来へ!

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コクピットのやつ書いて、それでやっぱり書くのは楽しいぞ、俺が積み重ねるってやっぱり書くことってことなのかな、調子乗ってもう一本書いちゃうぞ、と思っていた矢先、あ、そうだまずはちょっと溜まっちゃってる経理やろう、月末だし、月末とか関係ないけど、と思って売上伝票をどうこうしたりレシートをどうこうしたりしていたらすっかり夜も更けてしまって、書く気みたいなものもすっかり失せてしまったかに見えた。
それでもこうやって書き始めるあたり、僕にとってそれがたとえどんなろくでもない形になろうとも書くという行為に対する信頼というか、依存というか、というものが表れているように思えるわけなんですが、今日は日曜日で天気がよかったのでいっしょけんめい早起きをおこなってお洗濯をしてお食事をして、それからお掃除とかもして、『お引越し』とかを見にシネマヴェーラに向かった。
上映5分前くらいに着くと11時の回からずいぶんたくさん埋まっていてびっくりして、まだ時間がいくらかあったので開くことにした。今日はちゃんと開いた。
「鐘が鳴り、どのクラスの者も教室から出て、廊下をぞろぞろ通って食堂へゆく。彼は席について皿の上の二つのバターの球を見たが、しめっぽいパンは食べる気がしない。テーブルクロースも、しめってぐにゃぐにゃしている。でも、白いエプロンをした気のきかない給仕がついでくれた、あつくてうすい紅茶を飲みほした。給仕のエプロンもしめっているだろうか、白いものはなんでも、つめたくてしめっぽいかしら?いじわるローチとソーリンは、うちの人がかんに入れて送ってよこしたココアを飲んでいる。彼らは、紅茶はとても飲めない、あれは豚の飲むものだというのだ。この二人は治安判事の子供なんだって」(P24)
なんでいろいろ湿っているのだろう、梅雨かな、アイルランドって湿度高いのかな、と思ったので今「アイルランド 湿度」でぐぐってみたところ、「お弁当に持っていくサンドイッチも、気を配らないと、朝全く平気だったのに、お昼にカビていることがあり、全くクレイジーな湿度です」というのと、「でも、不思議とじめじめ湿度があがったり、過ごしにくい雨ではないのです。(…)アイルランドの雨は妙にさらっとしています」という二つの正反対の書かれ方の記事に出くわした、どっちなんだろう、というのはウィキペディアとかで見ればわかりそうだけど、面倒になったので見ない。今回は前者を採択したい。
それから紅茶ってなんか上品な飲み物扱いなのかと思っていたら豚の飲み物だったとは、知らなかった、と思いました。まあいいや。アイルランド文化研究をしているわけじゃないし、まあいいや。
「どの生徒もみなよそよそしいような気がした。彼らにもみな、おとうさんおかあさんがあり、ひとりひとりべつの服を着ていて、べつの声をだす。うちに帰っておかあさんのひざに頭をのせたいな、としきりに思った。しかしそんなことはできない。それで、遊びも勉強もお祈りも終って、寝床にはいりたいな、と思った。」(P24-25)
相米慎二『お引越し』を見た。離婚する両親と小学生の娘の話で、中井貴一と桜田淳子が両親を、田畑智子が娘を演じていて、教師役の笑福亭鶴瓶とか名前わからないけど同級生のボーイフレンドとか、どの人たちも素晴らしかったのだけど、田畑智子の生き生きとした魅力が、強い目つきが、表情が、ちょっとびっくりするくらいに凄まじくて。
そして結構にしんどい話で、「こんな思いをさせてはいけない…!」みたいな感じでグズグズと泣きながら見ていた。そして後半の沈鬱で壮大な展開に度肝を抜かれ、長回しがどうとかという話ではなくてアンゲロプロスの『シテール島への船出』とか『霧の中の風景』とかみたいで、なんせ子供があって水があって炎があってという感じで、なんかとんでもなかった。とてもこんな展開になるとは思わなかったのでびっくりしたというか、相米やっぱりおかしいわというか。しかしまあ、素晴らしかったです。最後は喜びの涙でした。「どこ行きはるんえ?」「未来へ!」これ俺も言いたい。
「もう一ぱいあついお茶を飲むと、フレミングがたずねた。
−−どうしたの?どこか、いたいんじゃないかい?
−−わからない。
−−おなかがいたいんだな。顔色がまっさおだもの。でも、じきによくなるさ。
−−うん、とスティーヴンはいった。
でもおなかじゃない。心臓がいたいような気がするけれど、そんなことあるかしらと彼は思った。フレミングはとてもやさしい、心配してくれるなんて。泣きだしたいような気持」(P25)
二本目、『夏の庭 The Friends』を見た。全体に穏やかな、緑豊かで心温まるような感じだったのだけど、冒頭のところで小学生のメガネの男の子にコンクリートの欄干みたいなところを歩かせるシーンがあって、けっこう高いところで下を道路が走っていて、落下したら完全に死ぬよねというシチュエーションで、なんというか、なんだろうな、相米が映画を撮っていたのがこの時代でよかった、と思った。今だったらさせられないんじゃないかというか。その頃だったらさせていいのかと言われるとけっこうよくないんじゃないかと思うような危険度だと思うのだけど。
ともあれこちらもとてもよかったです。