『若い藝術家の肖像』を読む(42) サック。でも、もうちょと大きく。

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ゴールデンウィ~ク。という感じで暮らしている。この一週間は僕にとってはわりとゴールデンウィ~クというか、人々がゴールデンウィ~クだからか、友だちと飲む予定というのが連日あり、営業が終わったあとに毎晩のようにどこかで飲んだり店で飲んだりをした。というところでその予定もすっかり終わり、向こう何ヶ月か予定らしい予定が何もないといったら言い過ぎにせよ特に何もないため粛々と営業をおこなっている。
ゴールデンウィ~ク、フヅクエはどんな感じなんだろうな、と思って全部やっているわけだけど、どうやらフヅクエにゴールデンな風は吹かないらしく、昨日も、今日も、たいへん静かだ。
これはもしかして、東京には人がいないってことなんじゃないか、みんなどっかよそにいっているんじゃないか、そんなふうに思って今日、ファーマーズマーケットに行く際に渋谷を通ることになるわけだけど、そうしたらいた、人が、たくさん、これでもかっていうくらい。そういうわけでフヅクエの静けさはフヅクエ固有の性質というか、あれらしかった。ま、しゃーない、と思ってファーマーズマーケットで買ってきた行者にんにくを湯がいたり、山蕗をきゃらぶきというのか佃煮にしたり、それの葉の部分をやっぱり佃煮っぽい感じというかふりかけっぽい感じというかにしたり、をおこなった。
まだまだ時間があるので、本を開いた。
「サックというのはおかしな言葉だ。あいつがサイモン・ムーナンをそう呼んだのは、先生の背中の、かざりのひもを、サイモン・ムーナンがむすぶと、先生がいつもおこったようなふりをするせいだ。しかしあの音はきたない。いつかウィックロー・ホテルで洗面所に行ったとき、あとでおとうさんがくさりを引っぱり、栓をはずすと、きたない水があなから流れて行った。水がゆっくりみんな流れてしまうと、あなが、ちょうどそっくりの音をたてたっけ。サック。でも、もうちょと大きく。(P22)」
サイモン・ムーナンがサックと呼ばれている件の続きで、問題のsuckは「吸う」とかの他に「おもねる、とりいる」という意味もあるみたいで、サイモン君がおもねり屋さんっていうことなのかな。先生のおこったようなふりっていうのはなんか二人でじゃれあってる感じなのかな。
それで、サックはジュルジュルっていう感じの吸い方なのかなと思うのだけど、一つの単語の別の意味から浮かび上がってきた記憶と戯れている様子が描かれているということなのかな。言葉に拘泥とまではいかないけど引っ掛かって自由な思索の荒野を走るぜ、みたいなスティーヴン君の様子ってことなのかな。ココロコロコロココニアラズな感じの。いいですね。最後の「サック。でも、もうちょっと大きく」というのもとてもいい。「hole in the basin had made a sound like that: suck. Only louder.」らいくざっと、さっく、という感じがなんともいいですね。
それで今日野菜買った帰りにもうとんでもなくものすごい久しぶりにタワレコに行って、なんか最初ジャパニーズポップス/インディーみたいな3階とかなのかなと思って階段上がったらパネルがあって年端のいかない男の子たちによるスペルかけちゃうぴっぴっぴみたいな曲の宣伝がされていて、その横でも同じくらいの年の頃の男子のユニットの何かがあって、ちょっと日本やっぱりなんかやばいんじゃないかとびっくりして、なんていうか大人のための玩具すぎるというか、いい加減やめてやれよというかほんと品性みたいなものって一体どこにいったんだろうとひと通りげんなりして、でもその階にはなくて6階で、それでOMSBの『Think Good』を満を持してというか買ってきたのだけど、先にサウンドクラウドに上がっていた曲「Think Good」に「だいじょうぶだぁ like a 志村けん」というあれがあり、jjjとかもよく「like a 醤油」とか言うイメージがあるのだけどあのライカな響きってすごく好きで、まあともかく、これから聞こうと思っているわけなんですけどなんか過剰なくらいに今とても楽しみで仕方がなくて、という話でした。