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『若い藝術家の肖像』を読む(33) P16-18、Don't call me chicken, Stephen.

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この連載についての説明と更新履歴

2週間休んでいなかったし、まあいいよねと思う反面、今週ずっと暇だしちょっとでも開けといた方がいいんじゃないの?という気分も反面あり、でも反面のうちの半面がまあ全休じゃなくて8時半までやるからいいんじゃないの?という許諾のあれで、そうだよね、と頷いて、という複雑な作業を経たのちに昨日は8時半で閉めた。それが選択だ。

選択と結果、選択と結果、その積み重ねとしての今だろう、という言葉が太い声と相まって印象に残りやすいというか、見終えたあとに取り出したくなる言葉として頭に残る感じの映画を見た。初めて見たとき、「なんて不遜なんだ!そしてなんて充実しているんだ!」となり、二度目はいたずらに感動して涙を流し続けて、三度目の昨夜は「一つ一つがただただ面白くてあっけにとられる」と思って見ることになった。それは三宅唱の『Playback』で、ユーロスペースに見に行った。木曜の夜、けっこう埋まっていた。

開場まで時間があったので、ジョイスを読むことにした。

「ロディ・キッカムはいい生徒だがいじわるローチはいやなやつ。ロディ・キッカムはじぶんのロッカーに、すねあてをいれてるし、休けい室にはおやつのかごをおいている。いじわるローチの手は大きい。あいつは金よう日のプディングのことをケットをかぶった犬なんていう。いつか、こうたずねたっけ。
−−きみはなんて名まえ?
スティーヴンは答えた。
−−スティーヴン・ディーダラス。
するといじわるローチはいった。
−−それはどういう名まえなんだい?
スティーヴンが返事ができないでいると、いじわるローチはたずねた。
−−おとうさんはなんなの?
スティーヴンは答えた。
−−ジェントルマンだよ。
するといじわるローチはたずねた。
−−治安判事かい?
ぼくはじぶんの組のはしっこのほうをのろのろと動き、ときどき小走りに走った。さむさのせいで手が青くなっている。ぼくはベルトのついたグレイの服のポケットに両手を入れていた。それはポケットのまわりのベルトだ。でも、人をぶつこともベルトという。いつか、だれかがキャントウェルにいったっけ。
−−やい、ベルトをくれるぞ。
するとキャントウェルは答えた。
−−てごろな相手とやれよ。セシル・サンダーにベルトをくれてやれ。おれは見物だ。おまえのほうが、しりっぺたけとばされるぜ。」(P16−18)

何かと不思議な、とらえどころの見当たらないページで、いじわるケン・ローチの言葉の狙いがどれもよくわからない。
「What kind of a name is that?」「What is your father?」「Is he a magistrate?」
何を聞こうとしているのだろうか。
何がいじわるなのかもわからないし、判事なの?というニヤニヤした感じもまたよくわからない。ローチはBe動詞の男ということなのだろうか。Be動詞の男ってなんなのかいま打っていて自分でもわからないのだけど。
「A gentleman.」
お父さんはなんなのと問われて紳士だよと答えるスティーヴン・ディーダラスの、その答えもよくわからない。
そしててっきり運動着でフットボールしているのかと思ったら、ポケットがあってベルトを巻いてっていう、たぶんそれ学校の格好なんだよねという服で体育の授業を受けていたという驚き。頭の中で描いていた体育の光景を全部書き換えなくてはいけなくなった。彼らはグラウンドには似つかわしくない格好で運動をおこなっている。一気に覇気がなくなる。

ベルトをくれる。直近のベルトの記憶といえば『アメリカン・スナイパー』の、小さいころのエピソードで出てきた。ベルトは威嚇的にテーブルに置かれた。それは全体的に悲しくそしてしんどい映画だった。その再生産の先にはいったいどんな未来が待ち受けているのか。その選択の積み重なった先の未来が明るいものになるとは僕にはとうてい思えない。この感覚はうぶでしかないだろうか。
それでも僕には、すべてを一瞬にして無に帰してしまう拳銃というものに対して肯んずことは最後までまるでできなかった。結末を知らなかった僕は誤射によって妻が死ぬんじゃないかとハラハラした。あるいは子どもが手に取って、やはり何か間違いが起きるのではと。
もちろんそうはならなかったことを今の僕は知っている。でも最後の最後の苦々しさよりも、遊び道具として拳銃を持ってリビングを歩くあの光景の方がよほどグロテスクではないか。巻き戻すことはできない。でも違う選択があるのではないか。そしてそれは確かにあるはずなんだ。

プレイバック。村上淳の顔がやっぱりとにかくいい。
ここのところ女性よりも男性の方が肉体として面白いような気がしていて、男性の、骨ばっていたり筋肉がついていたりする肉体の方が、女性の丸みに収斂される肉体よりもたくさんの要素があるような気がして興味を惹かれる。そういう点で、モノクロームの、否が応でも陰影が目につく映像のなかでの村上淳の顔に落ちるたくさんの影が面白くて仕方がない。いやそんなことではないんだ。そんなことだけではまるでないんだ。

選択と結果の積み重ねとしての今。では、未来だと思っていたらたちまち今になりまたたく間に過去になる今、僕はいったい何を選択しようか。
そんなふうに言ってしまうと安っぽいライフハックみたいなものに簡単に堕してしまうのだけど、そんなことじゃないんだ。でも、ときに紋切型が真実を言い表すことだってあると思うんだ。だから今、何を選択し、どのように振る舞うか。未来に過去を悔いないように現在なにを選ぶか。それにすべてが掛かっているっていうことを、スティーヴン、君はわかっているのか?と、意味や脈絡のない問いを100年以上前の少年に向けて発したくなる、そんな夜だってあるんだ。ビール、ウイスキーウイスキーウイスキービール。酔う。眠い。果たしてこれが俺の選択なのか?

photo by 東間 嶺

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