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『若い藝術家の肖像』を読む(32) P16、ロディ・キッカムはこんなじゃない

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2日続けて無駄かつ意図しない早起きがされたため前売り券を買っていたイーストウッドの『アメリカン・スナイパー』を見に行った。前売り券を買うなんてこれまでしたことがなかったが、前売りって安くなるんじゃん!とある日とつじょ気付いたために『はじまりのうた』を見に行った際に買ったのだった。
映画の前売り券というとチェルフィッチュの『三月の5日間』が思い出されて、ミッフィーとアズマが映画館で交わす会話の中でミッフィーが前売り買わなかった自分ドジみたいな言い方をしていて、ずっと僕は「でも前売りなんて買わないよなー」と思っていた。それが僕の前売り券に関する記憶のほとんどすべてと言ってよかったかもしれない。それを今日、刷新した、そういうわけだった。

それで前売り券を持って受付カウンターのようなところに並び、席を指定し、時間がまだあったのでロビーの椅子に座って本を開いた。
横におばちゃんが座っていて、トイレから戻ってきたおばちゃんの友だちに「そこに座ったらおせんべいが割れちゃうじゃない」と注意していた。どうやら『アメリカン・スナイパー』を見るようだった。それから「そうそう」と言って、「この本がおもしろくってね」と、いま読んでいる本のことを教えていた。不幸な人が不幸を乗り越えてどうこうする話だそうで、教えられているおばちゃんは適切なリアクションを返していた。しばらくすると3人目のおばちゃんがやってきて、3人で入場ゲート的なところに向かっていった。

「ひろいグラウンドに生徒がおおぜいいて、みんな大声でさけんでた。先生たちが生徒たちに声をかける。夕方の空気は青じろくてつめたい。フットボールをしているのだ。体あたりして、ドシンという音がするたびに、あぶらぎった革の球は、灰いろの光のなかを重い鳥のようにとんだ。先生の目もとどかず、らんぼうな足にけられもしない、じぶんの組のはしっこにいて、ときどき走るふりをしていた。フットボールしてるみんなのなかでは、じぶんは体が小さくてよわよわしい気がするし、目はかすんで、なみだがでる。ロディ・キッカムはこんなじゃない。きっとサード・ラインのキャプテンになるとみんながいってる。」(P16)

どういう年齢の人たちなのかわからないし、丸谷才一の翻訳はそれを漢字の使い方や「い」抜きの文章で表そうとしているのかもしれないけれども、いずれにせよ学校の生徒たちがグラウンドでなんやかんやしている。その光景を一読して思い出したのはバルガス=リョサの『都会と犬ども』で、リョサは僕はジョサと言う気にはなかなかなれないし、好きだったり、どこか好きと言い切りたくなかったりする作家なのだけど、この長編デビュー作(たしか)はすごく面白く読んだ記憶がある。士官学校の生徒たちが色々と苛酷っすなーという日々を暮らす話だった。それを思い出した。

それから、気になったのはフットボール。サッカーなのか、ラグビーなのか。この「フットボール」のところには*が付いているからどこかまで行けば註釈が読めるのだろうけれど、なぜか僕は頑なにそれを拒んでいるためどっちなのかわからない。あるいは、というので思い出したが林景一の『アイルランドを知れば日本がわかる』で、アイルランド特有のスポーツが触れられていなかったか。

そういうわけで再度『アイルランドを知れば〜』を開いてみると、たしかにあった。ゲーリック・フットボールと呼ばれるスポーツで「バスケット・ボールとサッカーとラグビーを組み合わせたような競技」とある。また同じ箇所で、ダブリン北部にあるクローク・パーク・スタジアムでは長らく「イギリス発祥のスポーツであるラグビーやサッカーは禁止されていた」と書かれている。
1900年代初頭とか1800年代後半であろう小説の中の現在で、どうなんだろうか。学校の授業としてラグビーやサッカーがおこなわれることはあったのだろうか。それこそ燃え盛る反英感情みたいな時期なんだろうから、やはりこれはイギリス発祥のスポーツではなく、アイルランドの伝統的競技であるところのゲーリック・フットボールだろうか。註釈を見れば一瞬なのかな。なんで飛びたくないんだろうな。余計なことを知らされそうだからなんだけど。
余計なことというのは例えば「ここで言われるフットボールはアイルランド発祥の伝統的競技であるところのゲーリック・フットボールを指す。ただしこの後段で主人公が〜」みたいな、そういう先回り的情報とか、そういうやつ。

ところでゲーリックとあるけれど、ゲーリック・コーヒーというとスコッチを入れたコーヒーという認識だったのだけど、
と打って初めて気がついたけど、ゲーリックってアイルランドとかの昔の言葉のゲール語のゲーリックか。
そんでゲール語っていうのはWikipedia読むとアイルランドでもスコットランドでもあるいはマン島でも話されていたらしく、さらに「英語の Gaelic はとくにスコットランド・ゲール語を指す」だそうで、なるほどというか。

思い出す。思い出す。思い出す。この小説の僕の読みはひたすら何かを思い出していく作業になるのか。
学校の体育とかの授業のフットボールの、「体が小さくてよわよわしい」少年が「ときどき走るふりをしていた」という様子が思い出させるのは吉田大八の『桐島、部活やめるってよ』のサッカーの授業のときの前田の姿だ。最初間違えて「よしだだいきち」と打って「ヨシダダイキチ」とちゃんと変換されたけど、それは映画監督じゃなくてシタール奏者だった。サイコババのライブを下北沢かどこかに見に行ったことがあった気がする。大学時代。でもそれは記憶の改竄で見に行ったことはなかったのかもしれない。思い出す。あるいは思い出さない。

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