フヅクエ、値段決めるってよ

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掲題の通りなんですが、長いので、目次。
(追記:ここからまた変わったりしています。現在の店のあれこれはaboutページで。)
●変更内容
●これまでの料金システム
●その背景
●その結果
●その中で感じていた細かな課題
●ではなぜ変えるか
●これまで来てくださった方へ
●ブルータス
●変更内容
3月2日の月曜日から、各メニューに値段を設定し、その上で、「もっと多く払ってくれても超うれしいです」と言うことにした。
●これまでの料金システム
昨年10月のオープンからこれまでは、メニューに値段はつけず、「お好きな金額をお支払いください」というものだった。
フヅクエは、一人の静かな時間をこころゆくまでゆっくりお過ごしください、本を読むなり、何かを書いたりするなり。何にも邪魔されない贅沢な時間をお過ごしください、という店なわけで、ある意味、飲食物以上に、この空間であり、過ごす時間でありが一番の提供物だと僕は思っている。そういう性質の空間と、「お好きな金額を」は親和性が高いようにも思われた。
どういうことか。
●その背景
かつて静かな小さな店で、素晴らしく充足した時間を過ごした僕がコーヒー1杯の値段しか払えないことに対して覚えた違和感が、このシステムの元になった。そのとき僕はお腹のニーズの関係でもう1杯飲みたくはなかった。だけどそこに書かれている金額よりも多くの金額を払いたいと思った。
僕がその場所その時間に価値を感じ、その場所を作っている人に共感や様々な感情を覚え、ずっと続いてほしいという応援および支持の気持ちを金に乗せること。そこで僕は何一つ損をしない。そこで店は何一つ損をしない。どちらもが損をしないはずなのに、どちらもが気分いいはずなのに、なかなかできない。それをやるためには仕組みが用意される必要があった。
先日読んだ糸井重里の『インターネット的』にもあって僕は膝を打ったのだけど、「クリエイティブな消費」というものがもっと実現されたらいいと僕は思った。自分にとって価値があるものに対して、意味と意思を込めたお金を払うこと、そんな、心を持ったお金が回ること、そんなふうになったらいい、それもまたヒップな生活革命ってやつじゃないの?みたいな、それわりと革命じゃない?と、そう思った。今も思っている。だからそれを促す仕組みを僕は取ってみたいと思った。それで今のシステムになった。
それだけならば基準価格があって、or moreでもよいとも思うのだけど、そうするとアンカリング効果が働いてその数値に収斂されるだけになりそうで、つまらないなと思って何も決めないことにした。(だから今回の変更で僕の中での面白さは半減する。下振れというのがない以上、もし収斂しないということになったらそれは楽しいどころか大喜びな事態ではありますが)
●その結果
「やっぱりダメだったのね」と思った方もおられるんじゃないかと思うが、これが基本的には全然ダメじゃなかった。
当然だけど僕自身は各メニューに大まかな基準価格(以下「希望小売価格」にする、なんとなく)を定めていて、それと実際のお支払いの額を、個々の会計というよりは月とかの単位で見るようにして、四半期まとめてマイナスになったら諦めて値段を設定しよう、ということを始める前に決めた。
10月半ばのオープンから2月末まで、4ヶ月ちょっと経ったけれど、キレイなくらいに希望小売価格に寄り添った数字になっている(平均単価で見ると97円プラス)。これはすごいことだなと。
今回の変更で設定された価格は希望小売価格とだいたい同じ設定にしたのだけど(変えたところもある)、僕はその価格自体を安いとはまるで思わないから、それを上回っている金額が支払われていることに、これはすごいことだと何度でも思った。
この場所、ここで過ごす時間に対して、多くの方がそういうお支払いをしてくださっているということに、僕は何度でも勇気づけられた。
(そして希望小売価格の設定の精度の高さに我ながら「お前もすごいな」と思った。)
●その中で感じていた細かな課題
とは言え完全にオッケーですというものだったわけではなく、細かい課題はいくつかあった。
例えばお酒。コーヒーとかだったら多くの人にとってイメージしやすいとは思うのだけど、ビールやウイスキーの値段、よその店でいくらくらいなんだろうとか、知らないよね、難しいよね、というところとか。
あとはオーダーの複雑さが増せばお客さんの考えるコストが跳ね上がるため、オーダー自体が抑制されているところはないだろうかとか。オーダーの抑制という点ではビールやウイスキーの特に見慣れない銘柄とかも「わからないから頼まない」とかが生まれているんじゃないかとか。
他にも細かくはあるけれど、でもそれらは別の方法で解決しようと思っていた。なぜなら総じて見ればうまくいっていたから。
●ではなぜ変えるか
支持や応援やご自身の満足を金額に乗せて表明してくださった方々、それからこのわけのわからない仕組みに戸惑いながらも色々と考えてくださった方々に対して、報いを与えられていない、ということにあるときはたと気がついたからだ。気持ちよさを返せていない、と。
例えば希望小売価格1500円とかのオーダーがあったとして、これが「3000円とか5000円とかを払ってくださる方」だったら、「支持表明が店主にも伝わっていること」を確信できる、そのためいい気分で帰ることができるので双方にとって明確にハッピーなのだけど、そうじゃないところ、希望小売価格近辺の場合が問題で。
「より多く払った」「気持ちを乗せて支払った」「妥当だと思う額を払った」「いっしょけんめい考えた」というそれぞれのお支払いに対して、店というか僕は「それまさに希望小売価格です!ありがとうございます!」とか「うわ、上回っちゃってるじゃないですか!サンキュー!」とか、そういうことは言えないし表現しちゃいけないわけで。なぜならそれをやり始めるとただのクイズになってしまうから。
そうなると、せっかく双方にとって気持ちいい支払いが発生しているはずなのに、「あの額で店のやつは喜んでくれただろうか。実は少ないとか思われていたりして…」とか、持って帰る必要のまったくない、不要で不毛なモヤモヤを持って帰らせてしまう、ということが発生してしまう。
そういう、支払う側の感情というのを全然想像できていなかった。
これまでにそういうご指摘はあった気がするのだけど、「でも今のところ総じていい金額をいただいているし、そのあいだは問題ないっすわ」みたいな、まったく見当違いの場所で聞き流していた。
それがあるとき、2月の頭、本当にふいに、そのことがリアリティを持って僕の腹の中に落ちて、「うわ…!うわっ…!これ…マジで…全然違うわ…!」と思ってびっくりした。違うということへのびっくりと、4ヶ月たって初めてそれがわかったという自分の遅さへのびっくり。
僕がやりたかったのは、気持ちのいい行為としての金銭の授受であって、正解を知らせられないクイズをしたかったわけではない。
もう最悪だ、このブラックボックス最悪だ、と思ったら、本当に嫌になった。そうなったらこの仕組みに対してほとんど嫌悪感しか抱かなくなった。そういうわけで変えた。
定価はこれです、この金額で繰り返し来てくださる時点で、あるいはオーダーを重ねてくださる時点で、それは完全なる支持表明になっています、気持ちよくなってください。その上で、「もっと払っちゃうよ!」という方がおられたら、ぜひぜひというか、最高です、ください、いっそ財布の中身全部ください、クレジット持ってるんでしょ?使えるよ?限度額までください、という形になった。
この価格設定では成り立たなさそうだったり、なんか俺が気持ちよくなくなっちゃったわみたいなところが出てきたりしたら、また変える。
●これまで来てくださった方へ
ひとまず、これまでこの仕組みにお付き合いくださり、考えてくださった方々、ありがとうございました。もっと悪意が跋扈したらどうしようと思っていたのですが、そんなことはなく、驚くような善意がそこかしこにありました。なんか、これはすごいことだと思います。そしてそういったお気持ちに確かな報いを与えられていなくて申し訳ありませんでした。気づくまでに長い時間が掛かってしまいました。
中にはそれは善意ではなく、気苦労の末の判断でしかなかった方もおられると思います。負担を掛けてしまって申し訳なかったです。お客さんが感じる気苦労よりも、よりもというか、そういったものをほとんど切り捨てて、「疲れるかもしれないけど、なんか楽しくてよくない?これ、世界、なんかちょっとよりよくなりそうじゃない?」みたいな、自分の楽しみを優先させていました。いや違うな。違う。
疲れるかもしれないけど、お金を払うっていうことに対して色々と考えることは大事だと思うよ、疲れるかもしれないけど、その疲れは感じてみてもいい疲れかもしれないよ、という、そういう主張を通したかったのかもしれない。だから「負担を掛けてしまって」という謝り方は間違いだな。
なんか、どうだろう、矛盾とかしてきてないかな?ちょっと書き続けてよくわからなくなったのだけど、どうなんだろう。まあ矛盾していてもいいのだけど、だから、思考をお客さんに強いるのは構わないと今も思っているのだけど、「その結果は気持ちが良いものでないといけない、疲れは報われなければいけない、今までのやり方はほんとダメだったわ」と、そう強く思ったので、形を変える、ということだ。
●ブルータス
それから最後にブルータス。
今のところ「ブルータス見て来ました!」と明言される方には出くわしていないから、どういう感じなのかわからないけれども、少なくともフヅクエの名前が今までで一番たくさんの人の目に留まる機会になっていることは間違いないだろう。だからこれは一つの確かな売名の機会であって。
内沼晋太郎さんによるご紹介の中で「ユニークなシステム」というふうに、この支払い方法のことが触れられている。今回のご推薦がもし、この「ユニークなシステム」という要素があったからこそのものであったとするならば、僕はその「ユニークなシステム」を利用して売名するだけ売名して変更する、という完全なる不義理を内沼さん及びブルータスの方っていうのか、ブルータス編集部?まあいいや、ブルータスに働くことになる。グルーポンのおせちのような感じというか。それとは違うか。
いずれにせよ、これは媚を売るとかおもねるとかそういうことではなくて、なんか社会的な何かってやっぱり多少あるよなーそういうのって、責任とは言わないけれど、なんか何かそういう何かって、と思ったため(それ自体が媚だったりして)、仮に「ユニークなシステム」が肝なのだとしたらもうしばらく、4月とかまでは変更を控えようかなと思って(この考え方とかだいぶおもねりな気がする)、ご相談というかお伺いというかお聞きしたところ、「推薦したのは、採用しているシステムという表面ではなく」と言ってくださった。
発売中の記事の内容と異なるのもさすがにどうかというところで、新しいブルータス発売の今日のタイミングで変えた。
とは言えこれから雑誌に目を通して知ってっていう方も来られるかもしれないし、店内のメニューのところでもわかるように、相変わらずダラダラと上記のようなこと等を書いている。
と、まあ、うだうだと書いたわけなんだけど、そういうわけで、変更。(追記:繰り返しですがここからまた変わっています。現在の店のあれこれはaboutページで。)
photo by 斉藤幸子