『若い藝術家の肖像』を読む(20) 『変身物語』を読む(2)

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前回、『若い藝術家の肖像』のエピグラフ「こうして彼はいまだ知られぬ技に心を打込む」が書かれているオウィディウス『変身物語』第8巻の概要というか流れを書いてみて、とんでもないなーこれ、という話だった。
で、肝心のエピグラフ「こうして彼はいまだ知られぬ技に心を打込む」、ラテン語の原文だとこれっぽい。
dixit et ignotas animum dimittit in artes
単語一つずつ英訳に掛けると(英語の文章としてきっとあれだと思うんですけど)こうなった。
Speak and allow the rational soul to send different ways into practical skill
プラクティカルスキルとかディファレントウェイズとかがいまだ知られぬ技に打ち込んでいる感があるのかな、わかりませんが。
いずれにせよ、この一文は工匠ダイダロスが亡命先の島から出て行きたい、飛び立ちたいっていうので一枚一枚羽を並べて飛べるようなものを作っているという場面から、ということらしかった。
このエピグラフが本文に先んじて読者に伝えようとしていることは何か。
なんかそういうの嫌な読み方だなーと思うのだけど、こんなところか。
アイルランドの青年であるところの若い藝術家が、「なんか飛び立ちたいなー」っていう若者らしい欲求であるとか息苦しさに苛まれているんです、日々。
それで、彼の場合は藝術家なので、何を作ってらっしゃる方なのかはまだ存じませんが、物理的に移民っていう選択肢も視野に入っているのか、いないのか、わからないけどとりあえず内面(しかし内面って何!)的に飛び立つぞ、みたいなところで文章を書くなり絵を描くなり、その「いまだ知られぬ技に心を打込」み、なんか羽ばたくぞ、ってストラグルしている、っていう話がこれから書かれますよー、ということでしょうか。
ダイダロスはそのあと一緒に飛び立った息子イカロスを亡くし、悲嘆に暮れ疲れ果てるっていう流れを踏むわけだけど、若い藝術家はどうなるのか。
そういう感じで読み始めたらいいのだろうか。というか今、エピグラフの文章これで合ってたかなと改めて開いたらエピグラフのところに注のマークがついてたんですよ。え、変身物語もしかして読まなくてよかった感じ?というか、でも読んで楽しかったのでよかったのだけど、その注を見に行くべきか、否か。まずもって不用意に開きたくないし、不用意に解釈的なものを教わりたくもないし、でも何かすごい有用なことが書かれていたらどうしようという気にもなるし、悩ましいところです。
(画像はダイダロスとイカロス)