本の読める店

勇気をもらう

Entry blog fuzkue97

もちろん自分の考えを常に更新しながら、様々に気づきながら、それに基づいて改善しながら、店を運営していくということは大切なことではあるのだけど、一人の考えでは抜け落ちるものや、目に止まらないもの、考えが及ばないもの、全部同じことの言い換えだろうけれどそういうことはたくさんあって、それは健全なことではないということもあってアンケート的なものを置いている。

ご感想や「こうしたら?」みたいなものを書いていただくようになっていて、だんだんけっこうな量になってきた。
ご要望などについて「それいいですね」とか「それはやりたくないんです」とか「いずれそれもありかもしれませんね」とか返答すべく、そういうアンサー的なことを書いてもいるのだけど、今日の日中にそれを更新しようと思って最近の分をまた見返していて、「あ、そうだな、そうした方がいいな」とか、まるで気づかなかったことを教えていただくという目論見通りの機能を果たしつつ、それにも増して何よりもなんというか、これ本当に勇気づけられるよねと思った。

アンケートにわざわざ答えるというコストを払ってくださる方っていうのはそもそもこの店を気に入るなり支持するなりの気分を持ってくださった方だろうから、そればっかりじゃないというのは十分にわきまえるというか、差し引かないといけないと思わないでもないのだけれども、ともあれ、そこに並ぶ言葉を見ていると、がんばれる気がしてきましたという気になる。アンケート置いててよかったわほんとという気になる。
個人が店を続けていくっていうのは、持続するに足る収益は大前提だけど、少なくとも僕のようなメンタリティの人間にとってはそれだけでは絶対にできないだろうなと思っていて、そこに「いいぞ」とか「ワクワクするぞ」とか「ほとんど救われたぞ」とか、生身の人間による肯定の声というか文字というか、「あ、この場所での時間、誰かにとってよいこととして価値を持った」と思える手応えがないことにはとうてい無理だと思う。

じゃんじゃん金が湧いてくる、そこにどんどんやって来る人たちはちゃらちゃらと金を落としていく、でもその人たちの中にはその場所やそこでの時間やその場所を作る人間に対するなんの興味もない、ただ消費される、ただ使われる、インスタグラムにアップされることが主な機能の飲食物や内装があり、それを運んでくるのっぺらぼうの人間があり、記号化した金がなんの感情も理由もなく払われ、それだけ、という場所に僕は立ち続けることはたぶんできない。

だから、この店に向けてくださる「いいぞ」とか「ワクワクするぞ」とか「ほとんど救われたぞ」は即座に打ち返されて、「いやいや貴様がそう言ってくれたがゆえに俺こそいいぞでありワクワクするぞでありほとんど救われました本当に勇気をもらっていますありがとうという感じだぞたいへん愚直なことを言うようで恥ずかしいですが」という感じだ。

数日前に行った店がすごくよくて、小さなお店で、僕は「ああこれすごくいいな」とじわじわと染み入ってくる喜びを覚えて、でもそれを帰り際に伝えることはできなかった。自分が向けられる肯定の言葉に「!」となっているんだから、やっぱりこういう思いというか言葉というのは僕もその当人に伝えていきたいよな、ちょっと言うのも勇気いるというか気恥ずかしいけど、だから無理してまでは言うつもりないけど、というか、なんというか、世界によい感情を連鎖させたい。(世界に!)

photo by Fieldrecording.tokyo | Ambient makes you relax

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