本の読める店

オープンから4年

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暇なのでなんかブログでも書こうかなというところで書こうかなというところなんですがオープンから4年が経って、5年目になった。
去年は3年が経ったところだったけれど特に何も書かれなくて、鬱屈していた時期だったので、未来なんてまったく見えないしどうしようこれみたいに鬱屈していた時期だったので、3年経ってめでたいですねみたいなこともなかったため特に何も書かれなかった。
今年も、ひと月前くらいはたしかいくらか鬱屈とした気分があって、繰り返すなあと思ったのだけど、それから、特に鬱屈した気分ではなくなったから、暇なのでなんかブログでも書こうかなというところで書こうかなという気になって、オープンから4年が経って、5年目になった。
去年は3年が経ったところだったけれど鬱屈していて特に何も書かれなくて、それが9月とか10月とかで、今年は4年が経って、5年目になった、5年目になったのは10月でそのひと月前の9月はどういう理由でだったか忘れたけれどいくらか鬱屈とした気分があって、未来なんてまったく見えないしどうしようこれみたいに鬱屈していた時期だったが、それからひと月が経って10月で4年が経って、5年目になった、そのあたりで、特に鬱屈した気分ではなくなって、未来なんてまったく見えないのは変わらないけれど、11月からあたらしいスタッフが入ることになった、いくつかやりたいことがでてきたような気がしてきた、そうしたら鬱屈した気分ではなくなって、去年は3年が経ったところだったけれど鬱屈していて特に何も書かれなくてそのあと11月からあたらしいスタッフが入ることになった、いくつかやりたいことがでてきたような気がしてきた、そうしたら鬱屈した気分ではなくなって、11月だったか12月だったか、これまで「一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店」だったショルダーネームというか標榜の仕方を「本の読める店」に改めて、きっかけは看板だったかショップカードだったかを新調しようとしたことで、そのときに長いと収まり悪いから、という理由で、「本の読める店」が降ってきた、それでそれがそれからショルダーネームというか標榜の仕方になった、これは大きな大きな変化だった、店の強度がこの言葉を獲得したことで一段も二段も上がったように思った。強度も、説得力も、理解してもらうまでのスピードも、全部上がった、いいことしかなかった。それがだから4年目になって最初の時期のことで、それから冬を越えて春を迎えてスタッフが辞めて夏は暑くて秋になってスタッフを募り、この10月でオープンから4年が経って5年目になって、11月からあたらしいスタッフが入ることになった。

先日母親から、「fuzkueの誕生日おめでとうございます。

5年目に入ったのですね。

お父さんが気付いて教えてくれました。
何だかすごいなと思います」というLINEが来て、たしかになにか、すごいことのように思うというか、5年目というのは何かしらのものだなと思った。この、極端にターゲットを絞った、おかしな店が、ちゃんと続いているというのはいいことだった。先日受けた、公開された、Squareのインタビューで僕は、店を始められた理由として「世界への信頼みたいなものじゃないですか。

そういう店があったら行きたい僕という人間が、ここにいる。それなら、同じような人間が、小さな商売が成り立つ程度にはいるんじゃないのかな、きっといるでしょ、この世界には、という信頼。」と言っていて、いい言葉だなと思ったし、個人が小さななにかを始めようとするとき、主語が大きかった、僕が小さななにかを始めようとするとき、これ以外に拠り所にできるものはないように思う、自分は特別な存在ではないという認識。自分ごときがこうやってほしいと思っているこの欲望なんて、そんなのは凡庸な、ありふれた、特別変わった欲望ではないはずだ、という認識。じゃ、大丈夫でしょ、どうにかなるでしょ、という期待。やるだけやって、サボったり立ち止まったりしながらもできる範囲で嘘なく、自分の目を騙すことなく、本当に自分だったらほしいものになっているかどうかをちゃんと問いただして、それを具現化できたとしたら、それでそれをできる範囲で外に知らせようと努めて、できたら、できたとしたら、あとはまかせたというか、もしまったくダメだったら、それはもう、世界が悪い、世界に落胆して失望して終わりにすればいい、世界につばを吐いて、ほんとお前らは揃いも揃ってクソ愚かだな、バカなの? と言っておしまいにすればよかった、それで、まだオープンから4年が経って、5年目になったそれだけだけれども、とにかく、4年が経って、5年目にはなった、それだけの時間は続いた、「何だかすごいなと思います」というLINEが来て、たしかになにか、すごいことのように思うというか、5年目というのは何かしらのものだなと思った、つまり僕の目に映る世界は揃いも揃ってクソ愚かなものではなかった、ということだった、まだまだ商売としては、調子がよかったりクソみたいだったりを繰り返す、安定なんてとてもじゃないが感じられない、まだ何も手に入れていない、そんな状態だけれども、オープンから4年が経って、5年目になった今、目にするものは、美しい落ち着いた時間の数々で、その美しさは安定したものになってきているような気がなんとなくする、なんとなく世界が、この場所に慣れてきたような気がする。
最近は映画館との対比で考えてばかりだから、映画館との対比で、対比というのか、考えるのだけど、映画館で映画を見たことのない人は映画館で映画を見る体験がどういうものなのか知らない、その価値を知らない、欲望しようにも漠然としかできない、でも一度行ってしまえば、なるほどね、家で見るのとは全然違うのね、いいものだね、こういう時間を月イチくらいで持ちたいね、と思って、また行くかもしれない、同じことで、本の読める店と言われても、そこで流れる、味わえる時間は、実際に味わってみなければわからない、一度来て、そこでもしいい思いをしたとしたら、また行くかもしれない、というか、そういう選択肢が初めてできるだろう、というか、いい環境で本を読みたいという欲望が初めてちゃんとした輪郭を与えられるだろう、名前を与えられるだろう、それで初めて、これまで漠然と欲望していた欲望を明確に認識できるようになるだろう、なんの話だったっけ、つまり、なんかそんなふうになってきた気がする、という漠然とした話で、つまり、初めての方でも、構えができている人が多くなったというか、読めるって聞いて来たんだけど、読めるんだよね、読むぞ〜、という構えで来てくださっている人が増えた気が、なんとなくする、ということで、映画館のことで考えた、一度行ってしまえば、という話は、どう関係するのだろう、迷子になった、ともあれ今日は土曜日で暇で、どうして暇なんだよと思っている、思っていても暇なことには変わりがないし仕方がないし暇なのでなんかブログでも書こうかなというところで書こうかなというところなんですがオープンから4年が経って、5年目になった。
「何だかすごいなと思います」というLINEが来て、たしかになにか、すごいことのように思うというか、5年目というのは何かしらのものだなと思った、4年のあいだ、僕の世界に対する信頼は増えていく強くなっていくばかりだった、勝手に抱いた信頼に、ここで過ごしてくださった方々一人ひとりが応えてくれた、いいぜと言ってくださる一人ひとりの思いと行動とお金が、フヅクエを、5年目という地点まで運んでいってくれた、世界は捨てたものではなかった、僕は嬉しいしありがたいし書いていたらいくらかの感慨みたいなものすら湧いてきた、でも4年は中途半端だ、5年経ったらもう少し、5年が経った、次の5年に向けて、みたいなことを言いたい、言わないかもしれない、とにかくこの場所が続くことが僕にとって喜びで、同時に、この場所を好きでいてくれる人たちにとっても喜びであり続けられるように、特に気を引き締めることはせず、僕は今日も本を読む人たちがつくりだす美しい光景を見ながら、「いいね、いいね」と思って過ごしたい。

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