本の読める店

読書日記(76)

Entry diary76

3月10日

忙しい日だった。11時くらいまではほとんど止まらずにずっと働いていた。そうなるとヘトヘトに疲れたし、お腹も減った。やることが落ち着いたのでコーヒーを淹れ、日記の推敲をした。ジエン社の演劇を思い出していたら泣きそうになった。わかりあうこと。わからないことをちゃんとわかりあうこと。

帰宅後、『北壁の死闘』読み終わり。まさかのハッピーハッピーエンド。よかった、と思った。

3月11日

夜、暇、『マイタの物語』を再始動。クワッ、ときた。

今後も、疲れていようがいまいが、足がぼろぼろになっていようがいまいが、数分でいいからとにかく顔だけは出して、叔母に親愛の情を伝えるぐらいのことはしなければならない。家は大音響に包まれていた。ドアはすぐに開き、あら、よく来てくれたわね。
「こんにちは、叔母さん」マイタは言った。「お誕生日おめでとう」
「ホセファ・アリスエニョさんですか?」
「ええ、そうです、どうぞ中へ」
すでに七十を越えているはずだが、まだ若々しく、とてもそうは見えない。 マリオ・バルガス=ジョサ『マイタの物語』(p.18)

クワッ、ときた。「お誕生日おめでとう」までが過去の、語り手の古い友人マイタの物語で、「ホセファ・アリスエニョさんですか?」から、マイタの物語について語ろうとしている語り手の現在となる。こういう過去と現在の往来はたぶんここで初めてで、それで「おお〜!」となって、そこからは絶えず行き来するような感じになっている。そういえばバルガス=リョサってどれ読んでも面白かったよな、ということを思い出した。
やはり、リョサ、と言いたい。LLO。いちいち「ばるがすりょさ」変換「バルガス=リョサ」で「リョ」をデリートして「ジョ」に書き換えるようなことをしたくない、「ばるがすじょさ」で一気に出るならかまわないけれど、今のところは「バルガス所さ」だった。
と思っていたら表記は「マリオ・バルガス・ジョサ」となっていた。全角どりダブルハイフン。ではなかった。
書き換えといえば森友学園の文書の書き換えの問題がヒートアップしていて、なんだかやたら気になって、見かける記事見かける記事片っ端から開いているのだけど、改竄前の文書に「複数の政治家の名前」があったとのことで、たいへん楽しみな気になっている。明日、どうなるのだろうか。

で、『マイタの物語』、面白く読んでいたら深刻に眠くなり、仕事をしたい、仕事を、仕事をしたい! と思ったところトントンとお客さんが来てくださり、1時間半ほど眠気を遠ざけることができた。今は10時だ。あと2時間だ。止まっているとやたらに眠い。

3月12日

「すごい」「すごく」のことを考えていたら「すごくコップだ」というような言い方はわりと全然ありうるということに思い至って、最初は「すごい」「すごく」の問題だと思っていたらそうではなくて、この場合「コップだ」が形容動詞化している、ということだった。あれはとってもコップだねえ。very cuppyみたいな、pを重ねるべきなのかわからないが、そういうことらしく、らしくというか、そういうことで、すべての名詞は形容動詞化できるというか、状態を指すものに使えるみたいな、ことだった。「コップコップしている」がたぶんほとんど同じ意味で、名詞を繰り返すとこういう、状態を指す言い方になる、というのはどういうことなのだろうか。青々。丸々。
ともあれなにかこれは面白い発見のような気がした。
見立てと遊び。
すごくコップだねえ。
違うよ、コップだよ!
というような。

働いて、時間がない時間がないと思いながら働いて、仕込みをして、夜、バトンタッチした、皮膚科に行って薬をもらった、腹が減ったのでスーパーに寄って家に帰った、それでキーマカレーをこしらえた。スパイスを温め、玉ねぎにんにく生姜を塩を振ってゆっくり蒸し炒めて、ビールが飲みたくなったので火を止めてコンビニに行ってビールを2本買って1本は戻りながら飲みきって、カレーを再開することにして、ひき肉を加え、焼いて、火が通ったらざく切りにしたトマトと椎茸と、パウダーのスパイスを入れ、蒸したり水分を飛ばしたり調味したりして、そうしたらカレーになった。同時にパプリカを焼いてバルサミコ酢等で作ったマリネ液に浸して冷やしてマリネをこしらえ、それで夕飯とした。びっくりするほどおいしかった。1本目、よなよなエール、2本目、金麦。
それから、本を持って外に出て、志賀高原ビールのIPAとポテトフライを頼んで、『マイタの物語』を読んだ、メニューを見ていたらウェールズのウィスキーというものがあったのでそれをロックでいただいて、『マイタの物語』を読んだ、眠くなって、帰った、そのままソファに横になったら寝ていて、2時近くだった、起きてシャワーを浴びて布団に入っていくらか本を読んで、寝た。

3月13日

起きたら13時だった。コーヒーを淹れ、飲み、うどんを茹で、冷たくして食べ、それで家を出る、というのがなんとなく理想だったが、時間がそうないことがわかり、すぐに家を出た。自転車で、新宿に着く頃には汗ばんでいた、もう真冬の恰好から少しずつ変わっていかないといけないのかもしれなかった。
TOHOシネマズ新宿に行き、登録していたシネマイレージカードを受け取った、先日、今までどうして作る気にならなかったのかわからなかったが、作る気がやっと起き、登録した。これで火曜日は1400円で見られ、6回見れば1本無料で見られるようになるらしかった。安く済ませたいのか。なんとなく、抵抗があったが、安く済ませられるのならばそうしたいらしかった。
受け取るとさっそくスマホからチケットを取った。
家で果たせなかったコーヒーを飲もうと4/4 SEASONS COFFEEに向かったところあったと思っていた場所に見当たらず、もう一度歩きながら見るとシャッターが閉まっていた。火曜が休みということだった。それで丸亀製麺に行って冷たいうどんを食べたので満足してTOHOシネマズに戻った。待ち合いのロビーのソファでパソコンを出して昨日の日記を書いた。

クリント・イーストウッドの『15時17分、パリ行き』を見た。90分間、列車内でのテロ行為のなりゆきとそれを防ぐための男たちの戦いが、途切れない緊張感のなかで続くような、そういう映画かと勝手に思っていたら、防いだ男たちのそれまでの物語が90分のうち70分くらいを掛けて描かれる映画だった。ミリタリーマニアな少年たちが、大人になって、軍隊に入って、というような。さらにパリ行きの列車に乗ることになったヨーロッパでのバカンスが仔細に描かれて、セルフィーしまくって、きれいな女をナンパしてヴェネチアを楽しんで、アムステルダムではクラブで大騒ぎして、という調子で、なんなんだよこれはw と思いながら見ていたところ列車に乗った、そしてがんばった。レジオンドヌール勲章を授かっていて、母親たちの喜ぶ顔を見ていたら感動した。
隣に座っていたリクルートスーツの女の子も泣いているらしく何度か目を拭っていた。予告編の終盤に席に着いたときはすぐ隣にソロの人がいて、え〜、と思った、映画が始まっても僕の右3つは空いていて、つまり彼女はわざわざ黒く潰されている席の間の席を取ったということらしくて、その選定は不可解というか勇敢だったが、目を拭っている様子が視界の端で見えたことにより、報われた気がした。なにが報われたのか。
帰国後、地元サクラメントで凱旋のパレードに駆り出されて車上でニコニコと笑って手を振ったりしているところで映画は終わった。なんというかこう、アメリカ、というか、愛国・アメリカ、という感じがして、ふーむ、いいのか、これで、と煮え切らない思いを感じながら見終えた。面白かったが。と、エンドロールを見ていたら役名の横の役者名が、当人たちの名前になっている。そこでなんというかなにもかもが崩れるというか、崩れて反転するようなところがあった。主役の3人の青年はみな、本人が演じているということだった。なんということだろうというか、映画を見ているあいだずっと、その顔つきに、こんな俳優がいるものなんだなあ、なんともいえない、微妙というか、あまりにもまさにアメリカ人という感じの、アメリカの青年という感じの顔に不思議な感覚を覚えていたのだけど、それが当人たちとなると、なんだかすごい見世物を見た気になった。そうなると途端に、あのバカバカしい間延びしたバカンスが、なにかみずみずしい、よいものに思えてきた。しかしどういった経緯でこういったことになったのだろうか。そして列車内での決死の戦いをもう一度生き直す経験というのはどういうものなのだろうか。

変な手触りにそわそわしながら自転車に乗って、店に向かった、夜は「会話のない読書会」で通常営業は6時くらいまでということにしていて、読書会の参加者は3人だけだったから、今日は僕は休みみたいなものだった、と、店に着くと7割方埋まっている感じで、どうやら忙しい日中だったようだった、溜まっている洗い物をやり、煮物の仕込みや仕込み中のカレーやスープの終わりの工程をやり、バトンタッチのひきちゃんと外でいくらか歓談し、仕事に戻り、帰っていく方の洗いものであるとか、等々をやり、店をいったん閉めたのが7時ごろで、7時半にまた開けて、3人の方はちゃんと来てくだすった。それで読書会を始めた。
ジョン・ウィリアムズの『ブッチャーズ・クロッシング』だった、オーダーされたものをときどき作ってお出ししながら、ソファに座って僕もがっつりと読んでいた。『ストーナー』以来のジョン・ウィリアムズは、舞台は19世紀のアメリカ西部で、主人公の青年の様子を見ていると『ストーナー』を思い出した、素朴でかたくなな青年で、ジョン・ウィリアムズの描く青年はいいな、と思った。静かな文章で描かれる砂埃の舞う町をふらふらとさまようのは心地のいい時間だったし、今同じ場所で、4人の人間が同時に19世紀の同じ町のなかにいる、と思うと、やはりこの読書会はとてもいいものだった。じっくり読んだ。

左右に揺れる広大な平原を下に見ながら、男たちは西へ西へと順調に旅を続けた。豊かに繁るバッファローグラスが、過酷な旅のあいだも、牛と馬を太らせてくれた。この草は一日のあいだに色をさまざまに変える。早朝には、薄紅色の朝陽を浴びて灰色に見えるが、同じ午前中でも少し時間が経てば、黄色い陽光に包まれ、鮮やかな緑に輝きだす。そして昼ごろには青みを帯びてくる。午後には強烈な陽射しに打たれ、遠くの葉の一枚一枚が個性を失って緑一色となり、ところどころに、黄みがかった色がはっきり見分けられる。軽い風が吹き渡ると、その鮮やかな色が見え隠れしながら緑の中を駆け抜ける。太陽が沈んだあとの夕刻には、草が空のあらゆる光を吸い込んだように、あたり一帯がほんのりと紫に染まっていく。 ジョン・ウィリアムズ『ブッチャーズ・クロッシング』(p.90)

3月14日

起床、買い物をして店、コーヒー淹れる。開店前、取材。終え、帰宅。うどんを2玉茹でて冷やしてざるうどんにして食べる。この食べ方をしたかった、これから定番になりそうなのでめんつゆを買ったのを使った。おいしかった。

もっぱら読書。『ブッチャーズ・クロッシング』。ものすごく面白い。ずっと読んでいた。暗くなる前に少し昼寝。しっかり寝た。起床後、店。やたら忙しい日だったらしかった。バトンタッチし、働く。持ち時間は少ない、やるべきことがたくさんあった、仕込み、仕込み、仕込み、と猛烈にこなしていった。
今週の僕は一日も「休みの日」がないが、平日は今週はすべて半分シフトで、なんというか、一日休みはないながらも全然働いていないような感じになる、サボっている感じすらする、不当に楽な思いをしている感じすらする、こんなに休んでいていいのかな、みたいな気になるが、忙しい週末二日間は僕がフルで入るのでそこでの猛烈な働き方を少し思い出せば、というかそもそも毎日入っているわけだし、全然そんなことはないということはわかる。のだけどすぐ忘れてそういうことを思ってしまう。僕はちゃんと働いている。ちゃんと働いている。

ノンストップで働き、しっかり疲労し、ビールを飲んだ。帰って、また続きを読んだ、眠くならなくて、ずっと読んでいた、すると、読み終わってしまった。まさか二日間で読むとは思わなかった。ものすごく骨太の小説を読んだ。行為と情景の積み重ねがこんなに豊かな世界を立ち上げる。男たちの顔つきが変貌していく、自然の姿が変貌していく、それだけがこんなに豊かな世界を立ち上げる。すごかった。
僕はしかそれにしても商人なんだなと思った、というか安定志向というか、あるいはハッピーエンド志向というのか。なにはともあれバッファローの皮をブッチャーズ・クロッシングまで無事に持ち帰ってほしい、そして金銭という有形の対価を彼らが無事得てほしい、と強く、ほとんど祈りのように思っていた。
いやしかしすごい小説だった。
やかんに鉛の棒を入れて熱して溶かして鋳型に注いで冷やして外してあれこれして銃弾をひとつひとつ作っていくであるとか、何種類ものナイフを使って手際よく皮を剥いでいくとか、いやその前にそのナイフを研ぐ場面も、それからキャンプ地の設営や、小屋の設営、防寒の上着やブーツを皮から作るところ、ひとつひとつの場面が「見ながら書いてるの?」というような丁寧で精緻な描写によって成り立っていて、想像力を働かせ続けながら読む、ただただ頭のなかで場面を立ち上げ続ける、そういう読書だった、それは、疲れた、ものすごくよかった。男たちのそれぞれに不安定なキャラクターもすばらしかった。サンチョ・パンサみたいなチャーリー・ホージの甲斐甲斐しさ、聖書の耽読っぷり、ミラーの狂気的な殺戮とうつろな顔、シュナイダーの見せる意外な優しさ、見る/身につけていく人であるアンドリューズの変化。男たちのつかの間の結託、長い無関心。全部よかった。全員よかった。いやこれはしかしすごい小説だったな。

3月15日

起床後、Twitterを開くといくつかの通知がついていて、見るとバールボッサの方がフヅクエのことを書いてくださったらしかった。
先週だったか、僕はバールボッサの林さんのnoteをわりと読むというか店のことをあれこれ考える林さんの文章を好んで読んでいてというか、本も2冊持っている、つまり好んでいるのだけど、先週だったか、谷川俊太郎展に行った、という日曜報告記事のなかで、初台を通った、そこでフヅクエという店を妻が見つけた、Webを見てみたら面白そうだった、今度チェックしてみる、みたいなことが書かれていて、おー、林さんいらっしゃるのかな、フヅクエをどう感じるのかな、面白がってくださるような気がするけどどうかな、とちょっと思っていたのだが、わりと本当にすぐにいらしたようだった、多分僕のいないときだったのだろう、面白がってくださったみたいでよかったというか、やっぱりね!というか、うれしかった。
その記事が、Twitterを検索しているとどんどんシェアされていくというか、途切れることなく新たにシェアされていく感じがあって、ちょっとしたバズという感じだった。同じ記事についてのツイートがたくさん並んでいる様子を見ると、バズとはよく言ったものだというか、蜂の羽音という感じがなんだかする。ブンブン聞こえる。

パドラーズコーヒーに行ってカフェラテを飲んだ。冬のあいだほとんど座る人のいなかった外のベンチは、にぎやかだった、その感じに慣れなくて、アジャストするまでに時間が掛かった、見上げると桜の木の枝の先にピンク色のつぼみがあった、春にどんどんなっていく。
帰宅しうどん2玉を茹でて冷やしてざるうどんにして食べた。

昨日、本のことについて文章を書く仕事の依頼をいただき、受けた、それは僕はたぶんとても不得手なもので、なので僕にとってあたらしいチャレンジになりそうなもので、春だし、そういうことはやっていったほうがいいと思った、読書の時間のなにかを損ねるだろうか、と不安も感じるが、経験していったほうがいい、と思った。やれることを増やしていかないと、引き出しを増やしていかないと、という危機感は常にあるのだろう。危機感だけ持って、こうやって外から何かがやってこない限りは自分から特に何かやるということはしないが。
で、日中はその仕事のことをわりと考えて、試しに書いてみようとパソコンの前で固まって、そうしているうちに緊張していることに気がついた。たぶんこれは過度だ、という程度の緊張を覚えて笑った。なにも書けなかった。

夜、店、猛烈な勢いで仕込み等をしながら働いた。あっという間というか、閉店までには終わらず、のんびりやった。2時過ぎに店を出た。働くこと。暮らすこと。運動がしたい。

珍しいことに一日、本を開かないで過ごした。布団に入って、中断していた『マイタの物語』を再開させた。
『マイタの物語』も面白く読んでいたので、読書会の日に『ブッチャーズ・クロッシング』を読み始めたそのあと、どちらを進めようか、と迷った。『ブッチャーズ・クロッシング』のほうがその世界にへばりついていないと剥がされそうな気がしたのか、こちらにした、それで、大満足し、『マイタ』に戻ってきた。少し読み、なんとなく様子を思い出し、寝た。

3月16日

今日はうどんではなく焼きそばを食べることにして、冷凍していた肉を外に出した、家には電子レンジがないから自然解凍を待つ。焼きそばを食べるためにはご飯がないといけない、それで米を炊いた。
米が炊けるまでは焼きそばに着手するなどもちろんできないのでコーヒーを飲むことにしてコーヒーを淹れた、それでぼんやりして、それからベランダに出て煙草を吸いながら、昨日届いた平出隆編集の『日本の名随筆 野球』を読むことにした。一服のあいだに読むのにちょうどいいのではないか、という判断だった。まずは草野進の「プロ野球好きはほんの一瞬のために球場へ出かけて行き全身的な体験に身をまかす」を開いた。

しかし球場で演じられるゲームは、そんな錯覚をさわやかに正当化してくれる。そこではひたすらボールが飛び、人が走るだけである。あるいは飛ばすまい、走らせまいとする意志が球場にみなぎる。走ろうとする意志と走らせまいとする意志とがしばらく拮抗しあう。何ともこたえられないのは、その均衡が不意に破られる瞬間だ。そしてそれが新たな均衡に達するまでのほんの一瞬の無秩序のために、われわれは球場に出かけてゆくのだ。
勝ち負けならテレビを見ていてもいいし、翌朝のスポーツ紙を読んでもよい。だが、一つの均衡から次の均衡への唐突な移行の予期しえぬエロチシズムは球場の雰囲気に全身をさらさないと絶対に体験できない。(...)
球場では、あらゆる感覚が総動員される。みんなして首をすくめてファウルボールをよけるのは、あれがあたるとほんとうに痛いからだ。
球場には、こうした潜在的な痛さが充満しているのである。秋の初めのナイターのはだ寒さ。それさえが、ゲームの本質的な要素となる。バットがボールをはじき返すときの音だって、季節によって微妙に変化する。
昨シーズンも終り近く、中日大島は、ウェイティング・サークルで打順を待ちながら、やおらバットをさかさに持って銃さながらに身がまえ、何ものかにねらいを定めて引金を引く動作を演じたものだ。薄い雲がかかった空には十五夜に近い満月が鈍く輝いている。あの一瞬にはなぜかひどく感激して、涙をこらえるのが困難だったほどだ。 平出隆編『日本の名随筆 (別巻73) 野球』(p.169~171)

もう全身が喜ぶ。次のページを開くと赤瀬川原平の「ジャイアンツVS.シュウマイ」で、打って変わってのんきな調子がとてもいい。
と、すごい文章に出くわした。「阪神に藤村サード土井垣キャッチャー若林ピッチャーらのいるころである」とある。さらに!「南海には山本サード(鶴岡)一人かずんどがいた」!!!! 大喜びして、室外機に腰掛けている姿勢から立ち上がっていた。なんというルビの振り方だろう。
これは「ひとの読書」で武田さんから教わって、先日ふと「そうだ、読みたい」と思ってポチったものだった。買ってよかった。

焼きそばとご飯を食べて満足し、練習がてら文章を書いてみることにした。文字数は500字前後ということで、とりあえず文字数を気にせずに書いてみたところ1000字ほどになった。それを削りながら構成していったら何かになるだろうかと思い、800字、650字、580字、520字、と削っていった。何かになっただろうか。とりあえず昨日感じた緊張みたいなものはほぐれたというか、消えた。よかった。
それからしばらく『マイタの物語』。そうこうしていると外が暗くなってきたので出ることにして、かすかに雨が降っていたが天気予報を見たら大丈夫そうな気がしたので構わず自転車で出た、買い物をして、それから店に行った、途中で雨はしっかり強くなっていった。今日は暇だったらしかった、誰もいなかった、トンプソンさんとひとしきりおしゃべりし、バトンタッチし、働いた、夜はそこそこだったのでいい調子で働いた。

寝る前、『マイタ』。

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