おびえながら働いている

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2月、メニューの最初の店の説明書きというのか、案内書きというのか、を新しくした。 1枚目は目次だけにして、それから全体的に文字のサイズや時間を大きくして、読みやすいようにした。
というところに加え、今までにも増して「本の読める店」を求めて来てくださった方に向けた言葉で構成していった。
つまり、「本の読める店? 本読みたい、めっちゃ本読みたい」と思って入ってきてくださった方に向けて、両手を広げて、「ウェルカムウェルカム。ここはそんなあなたのための場所なんですよ」ということを笑顔で伝えるような、そういう言葉。を並べていったつもりだ。
フヅクエはルールがいろいろあるみたいな、うるさい店みたいな言われ方は、それはディスにかぎらず褒め言葉のなかにも、そういう言われ方はあるし、僕もまあ、そうだよねw というところもあるのだけど、果たして本当にそうか、というところもあって。
二人で来た方であるとか、パソコンを開こうと思って来た方であるとか、仕事や勉強をしようと思って来た方であるとか、そういう方々にとってはできること/できないことを感じる場所かもしれないというか感じる場所だろうが、本をがっつり読もうという方にとっては、なにかが制限されるような感じはないのではないか、そうだといいな、というか、本を読みに来た方が他のどの場所にいるときよりものびのびと自由で快適にいられることがこの場所の目指すところなので、そうだといいなととても思っていて。それだけを思っていて。
そういうわけで、そういうわけでなのかはわからないが、新しい案内書きは、ここは「本の読める店」ですとまず宣言して、「本の読める店」とはなんなのか、フヅクエとしての定義を提示して、そこで示された2つの要素である「静けさが約束されている」と「ゆっくり過ごせる」が具体的に何によって実現されているのか、順繰りに説明していく、という構成になっている(最後はおまけというかtipsというか、過ごしている中で出てきうる「こういうことはしていいのかな…?」みたいなものを、「いいのかな…?」を消していくことでより自由にのびのびしてもらえるような、そういうことを書いている)
読む人のなかで、「なるほど本の読める店っていうのはそういうことなのね、なるほど静かでゆっくりできたらたしかに本読めるよね、なるほど静けさはこういうことによって守られているのね、なるほどゆっくりはこういうことによって担保されているのね、ガッテン! 本! 読めます!」という順番に理解が進んでいくというか、フヅクエという場所をインストールしていってくれたら、みたいな狙いでやっている。
これまではもう少し、警戒が先に出ていた。フヅクエという場所の根幹の説明もほどほどに、しゃべるのは、できないですよ。パソコンは、かなり制限されていますよ。みたいな感じで、わりとまずWARNINGみたいな、使用上のご注意みたいな、牽制する言葉が最初のほうにあった。
でも昨秋に「本の読める店」というこれ以上ない拡張子を手に入れて 「本の読める店」になった | fuzkue 、それでやっていくなかで、禁止や警告の言葉を前に出すよりも、「そうなんです! ここは本の読める店なんです! だからこういうことになっているんです! どうでしょうか! めっちゃ快適に本読めそうじゃないですか! そうでしょう! なので、めっちゃいい時間過ごしていってください!」と、前向きというか、本来のターゲットの人に向けた言葉をとにかく開いていくほうが、明るいしヘルシーなんじゃないか、と思って、それはずっと思っていたし、毎回そういう方向に変更しているつもりではあるのだけど、今回の変更もそれを推し進める形でおこなわれた。
僕はこの変更をとてもよいものとして思っていて、またひとつ本の読める店として筋が通っちゃったな、芯が強くなっちゃったな、どんどんいい場所になっていっちゃうな、とうれしく思っていて、うれしい。
あれ、掲題、なんだっけな、なににおびえながら働いているって話を書こうとしたんだっけな。
まあなんだ、おびえながら働いているんですけど、誰しもが気持ちよく過ごせる店ではないというのもあるし、誰しもに向けてやっているわけでもないし、だからどうやったってミスマッチは起きるし、おびえながら働いているんですけど、この、今ある、めっちゃいい時間、壊しちゃいけないぞと、守らなければいけないぞと、おびえながら働いていて、おびえながらというか、おそれながらというか、ドキドキしながらというか、働いている分、いいぞいいぞこれめっちゃいいぞみたいな、感動も強く得られるんですよね〜、僕大好きなんですよね〜フヅクエに流れている時間、という話はまたいつか書くか書かないかのどちらかをしようと思う。