本の読める店

読書日記(66)

Entry diary66

12月30日

流れていく車窓の景色というか車窓の景色が流れていく流れを見ていたら三宅唱の『無言日記』を思い出した、『無言日記』を見たいがためにboidマガジンを購読していたが毎週配信される他のものをあまりに読まないことでなにか当該マガジンに対して不適当な振る舞いをしているような気がしたのかいつだったかやめた、やめてからずいぶん経った。それを思い出して、来年の抱負、読書に関する抱負を思いついた、読了ということにこだわらない読書をするというか、読了ではないところに報酬を感じるように自分を訓練するというか、馴致するというか、していきたい、と思った。ふと思った。
僕は読み切るということに重きを置きすぎていてそれは読書の体験を貧しくさせている、ということはずっと思っていた、つまらなくなっても読み通そうとはするし、また、はなから読みきるという行為が望めないもの、雑誌であるとか、にとても手が伸びにくい、なにかで聞いてそれは読んでみたいなと思ったなにかしら所収の短編であったり対談であったり随筆であったり、どういうものがあるかわからないけど、そういう本来であれば読みたいはずのものであっても雑誌かあというので読むことが抑制される、そのくだらない枷を外したい、読みたいものを読んだことがそのまま報酬となるようなそういう気分を身につけたい。ということを思った。

電車に乗っていた、昨日が寝たのが4時半だった、経理は済まさなかった、諦めて寝た、11時頃起きて家を出て、リュックに入れたのは下着と靴下だけだった、あとTシャツか、昼ごはんは大野屋に行って鍋焼きうどんを食べて歩いてそのまま店に行った、元栓を閉めたりいくらか片付けというか数日空けるための用意というかをして、コーヒーを淹れて余っていたチーズケーキを食べた、リュックにパソコン等々を入れて新宿に出た、電車の中でコーヒーを飲もうと思っていたら京王新線からJRの乗り換えの途中で猿田彦珈琲ができていたのでコーヒーを買った、湘南新宿ラインでグリーン車に乗りたかった、時間にまだ余裕があったから渋谷まで山手線で戻った、初台からバスで渋谷に出ればよかった! ともあれ新宿からひと駅後ろに動いたその選択は正解だった、渋谷から乗ったところどうにか座れて、新宿から乗った人たちは座れていなかった、大宮でガサッとすくのかなと思っていたらそうでもなかった、快適に移動した、それで『無言日記』のことを考え、それから『「死の棘」日記』を読んだ、年内は、これまでそうだったように貧しい読書であっても、読み切る、だから『「死の棘」日記』も、読み切る、と思って貧しい読書を再開させたところぐんぐんと面白い箇所にいくつかぶつかって、辛抱して読んでいくことのよさというものもやっぱりこういうふうにあるのだよなと思った、ある、それはある。
夫妻は病院を離れ奄美大島に引っ越した。今家族を支えるのはアミサマという人だった、この家族はその土地土地で支えてくれる人を見つけていて、その存在がなかったらどうなっていたのだろうと思わないではいられない。波々壁さん、和くん、アミサマ。 何度見ても「アミサマ」という名前は頭のなかでスッと流れなかった。

宇都宮で乗り換え、東北線だかなにかに乗った、宇都宮線が五分ほど遅れての到着だった、すでに17時33分だった、アナウンスが告げてくるのは17時32分出発の黒磯行きの電車がホームで待っているので急げということだった、みな急いでいた、大きなキャリバーッグをガタンガタンと引きずりながらエスカレーターをおりていく人もあった、総じて危なさのある光景だった、アナウンスのしかたが本当によくないと思った、憤った、『「死の棘」日記』は終わらない。

家に着いた、夕飯の準備がされていてすぐに夕飯だった、にぎやかな愉快な食卓だった、食後、15分ほど歩いて温泉に行った、気持ちのいい散歩だった、温泉も気持ちがよかった、帰路もまた気持ちのいい散歩だった、戻り、経理を終わらせた、『「死の棘」日記』をとうとう終わらせるぞと読んだが、気がつくとこたつの中で寝ていて、起きたら3時だった、寝室に移った。

12月31日

起きたら9時で目がぱっちり覚めたと思ったら次に目を開けたら11時になっていた、『「死の棘」日記』を終わらせたらショーゾーに行こうと、大急ぎで読んだ、ほんとうにバカバカしい読書だと思いながら読んだ、島尾敏雄は仕事の心配をしていた、収入は途絶え、貯金もなくなった、東京の文壇から離れてしまったことに対するやるせなさも捨てられなかった、すると終わったらしかった、車を借りて黒磯の1988 cafe shozoに行った、いくらか待って入った、照明が矩形の光を机に投げかけていた、「珈琲」と書かれているのを見てから「みる」「きく」「まち」「つくる」、そういう単語というか表記のこと。僕は見るで聞くで町で作るだった、とてもいい時間だった。帰ろうとしたところ、フヅクエによく来てくださる方がいて目が合って、あいさつをした、なにか開放的な気分だったのか「おっす!」みたいなあかるい軽やかな手の上げ方をした。
雪が降っていた、水っ気のある雪だった、やがてやんだ。夕方になり、那須塩原駅に寄り、道を間違えていくらか迷い、空はどんどん暗くなっていった。

いつ、『重力の虹』を読み始めよう、夜だろうか。なにか、夕飯前の今ではない気がする、それで原稿直しをすることにした。いくらか進めた。37ページ目から始まって、なんだかとんとんと進んだ。ご飯を食べ始めるころには100ページになっていた。
Eテレの画面がついていた、いつからNHK教育テレビといわなくなったのか知らないうちにEテレだった、クラシック音楽の番組だった、それを背中で聞きながら夕飯を食べていた、鍋であるとか、細々としたつまむものであるとか、それから年越しのそばを食べた、すると食べ終わったところで急激に猛烈に腹が痛くなり、トイレに入った、こもった、気持ちが悪くなるたぐいの腹の痛さだった、たいへんだった、都合1時間以上はトイレにいた、リフォームして初めて来た実家の一番の変化はトイレだった、ひたすら快適な場所になった、やたら広くなった、部屋みたいだった、布団を敷けそうだった、どれだけでもいられそうな気がした。
部屋に戻り、しかしなにもする気が起きないし怯えがあった、それでこたつにもぐって唸っていたらまた痛くなり、トイレにこもり、それから戻り、うなっているとうとうとしてきた、『「死の棘」日記』の解説を読んでいた、それにしてもあの暮らしのなかで島尾敏雄はよく小説を書いたりできたと思う、そうとうできなかったのだろうけれど、隙間を縫いながら、よくやれると思った、うとうとしてきた、風呂に入った、風呂もきれいになっていた、いたずらに高かった天井が低くなり(風呂というのは浴室全体がユニットになっていて納入されるとの由)、寒い場所でなくなった、いくらか風呂に浸かり、それで部屋に戻り、1時間と決めて原稿直しをした、すると113ページから179ページまで進んだ、つまり、67ページ。60分で67ページ。1分1ページペース! ということは残りが1020ページほどなのであと1020分で終えられる。3060分と1020分ではだいぶ違う、いいことだった、一年前の日記を見ていると面白かった。『ペドロ・パラモ』を面白く読んでいた。今は12月16日だ。1時間が経ってのんきなアラームの音楽が流れた、見ると0時9分ということだった。けっきょく、年内にピンチョンは始まらなかった。読む気はあるのだろうか。

1月1日

0時半ごろ布団に入り『重力の虹』を読み始めた。かっこいい。1944年のイギリスが舞台。バナナの話が延々繰り出されていた。かっこいい。

9時に目覚めコーヒーを淹れ、1時間のアラームをセットして原稿直し。60分で60枚。12月30日まで。「〜では?」という校正の鉛筆書きを見て、たしかに、そうでした、と直したりしているわけだけど、たしかに、となるところよりも、いや、そうではない、このままだ、と思うときに自分の日本語の使い方の癖のようなものが見えて面白い。問いかけられることで、自分の日本語が相対化されるというか客観化されて、微細な違いをしかし大きな違いとして感じるにつけ、なるほど、と思う。助詞の使い方であるとかにあらわれる。僕はわりとオブジェクトとして言葉を運用したがることが多いような気がした、つかむもの。つかんで投げたり置いたり引っ張ったり壊したりするもの。
これで240ページまで済んだ。手元にあるのは460ページほどで。今日あと1時間やって300まで。明日1時間×2セットで420まで。正月中に持っている分は終えられそうだ。真面目な正月を過ごす。しかしこれは本当に真面目さだろうか。正月に本当に真面目であるとはなにも考えずだらだらと際限なく本を読み続けることではないだろうか。去年はそうだった、『煙の樹』を読む以外にいかなるタスクもなかった、それをただダラダラ、ゆかいに、おこない続けた。それが真面目さではなかった。今年は不真面目な年明けだ。

新年だった、おせち料理を食べて雑煮を食べて、昼過ぎに姉家族が来るらしかった、母が駅まで迎えに行った、父と叔父は「もう車乗ったかな」と言い、「そろそろかな」と立ち上がって窓から外を覗き、外に出た父が窓をノックした、何かと思ったら到着ということだった、叔父はそそくさと外に出た。つまり1歳になった姪っ子がやってくるのが楽しみでならない様子だった。姪っ子は今日もかわいかった。みな夢中になっていた。僕はブログを書いたりしながら姪っ子を見ていた。
しばらして車を借りてショーゾーに行った、おととい間違えて持って帰ってきてしまった脱衣所のロッカーの鍵を返しに温泉に寄った、カラオケの声音が聞こえた、鍵を返し、いつもとは違う道で黒磯に向かったところ途中で不安になった、しかし無事着いた。ショーゾーは昨日よりも混んでいた、しばらく待った、元旦から、と思ったが人のことを言えた身ではなかった、好きな席に通された、ブログのことをいくらかやり、それから『重力の虹』を読んでいた。

だがあれは何の〈光〉だったのか。いかなる霊の仕業だったのか。次の瞬間に、そのすべてが、夜全体が、制御を失い、カーテンが一瞬にして開いたとしたら、どんな展開になるのだろう。そこには想像を超えた、どんな冬が、姿を現すのだろう?
英国ダブル・サマータイム六時四十三分十六秒。いま空に、同じ展開が出現しようとしている。彼の顔が光に染まって深みを増す。周囲のみんなが走り去ろうとしている。彼の心も動転しそうだ。むかし故郷の光景から現れ出ようとしたのと同じ・・・秋の山腹のあちこちに見える教会の尖塔とおぼしきものは打ち上げ台の白いロケットだったのか。発射まであと数秒。教会の円花窓から朝の光、それを浴びた、説教壇上の顔は上気して、神の恩寵の真実のすがたを説いている・・・まさに、このようにして顕現されるのだ、そう、巨大な光り輝く手が雲間から伸びて・・・ トマス・ピンチョン『重力の虹(上)』(p.61)

帰り、パンツがなくなったのでユニクロに行った、ユニクロのあるあたりはただしくロードサイドだった、すがすがしいほどにそうだった。セールをやっているらしく大勢の人がいた。来る人はいいが、元旦から働く人のことを考えたらなにか、と思ったが、僕は先ほどから元旦を特別視しすぎているのかもしれなかった、パンツと、せっかくなのでヒートテックの半袖シャツを買った、もしかしたらあたたかく過ごせるのではないかというふうに思ったためだった。初めてのヒートテック。

Twitterを開いたら保坂和志botのツイートが流れていて読了しないと気が済まないというのは本に対する甘やかしだ、というようなことが書かれていた。まさに、今年の、僕の、と思った。できるだろうか。豊かに本を読みたい。
家族が寝静まってからピンチョンを開き、いくらか読み、寝床に移り、また読んで、気づいたら寝ていた。

1月2日

1セット1時間として原稿直しを進めることにして、朝起きてコーヒーを淹れると取り組んだ。やっていて、蛍光マーカーとボールペンを用いているのだけど、ペンを切り替えるときに机の上にコロコロと転がしてしまうようになって、それは集中していればいるほどそうなる。フヅクエでもなにかそういう複数ペン使いの方に「すいません置くときちょっとだけ意識してください」と伝える機会がしばしばあるけれど、これは起こることだなと実感した。もちろんこの店においてはそれを起こることだからと許容するわけにはいかないから伝えるものは伝えるのだけど、こちらの気の持ちようとして。
この朝、ベン・ラーナー『10:04』や「三月の5日間」など、大好きな作品の引用が出てくる箇所を通った、するとそれだけで気分がよかったし、引用の織物というか、すばらしいテキストが織り込まれた総体が日記で、すばらしいテキストを書きこむというか刻印することができてよかったというか、それらとともにあるのは頼もしい、心地いい、というかなにか感動的なことだった。開いたら僕が感動したテキストがそこにはある。僕は誰よりもまず僕にとって幸福な本をつくろうとしている。すごいことだった。作業はずいぶん進んだ。

雑煮を食ってショーゾーに行った、今日は車の関係で父に送ってもらった、ホンダのビートという小さいマニュアル車で、ギアであるとかクラッチであるとかが器用に操作されるところを見ながら運ばれていった。迎えに来てもらう時間まで2時間とちょっとだった、今日は昨日よりも混んでいた、ブログを更新してシェアして、それからスタッフの方に明日の営業に必要なことをメールしたりして、それから『重力の虹』をとっぷりと読んだ。音楽を聞くような調子で読んでいた、すごい翻訳だと感嘆しながら読んだ、どこまでもかっこいい。
帰り、今日もまた、フヅクエによく来てくださる方と鉢合わせた。おとといとは別の方だった。なんというかこんな遠くで予期せずこんにちはという感じがうれしくて僕は満面の笑みだった。
父が迎えに来た、それに乗って母方の家に行った、新年会だった、母は4姉妹の末っ子で、4姉妹とその母や夫や子たちがいた、にぎやかだった、日本酒とビールとウイスキーを飲んだ、いとこがマッカランの18年を年末に買ったといってそれを飲ませてもらった、Amazonで調べたら29000円だった、フヅクエで出そうとしたら一杯2100円といったところだろうか、怖くて仕入れられない酒だった、ともあれ、それはとてもおいしかった、酔っ払った。

酔っ払って煙草を吸いに外に出たときに時間を見たら18時半とあって驚いた。17時に始まって19時くらいでお開きだった。帰って、姪っ子の遊びにしばらく付き合わせてもらった、iPhoneをパカパカと開いたり閉じたりする動きを楽しんでいた、見ていると、開く動きと画面が光ることとが紐付いたものとして認識されているように思えた、マグネットから解き放つことと光りが、彼女に喜びを与えた、そのために閉じて開くことを何度もおこなった、僕はボタンを押して光らせた、ボタンを自分で押させられないか、押下と発光を紐付けさせられないかと見せ方を工夫してみたが、たぶん認識を組み替えさせることには成功しなかった。見飽きない存在だった。全方位への好奇心があった、やけに持続する好奇心もあればすぐに失せる好奇心もあり、予想は不可能だった。ただただ現在を生きるという苛烈な生を生きていた。
コーヒーを淹れてまた原稿直しをおこなった。すると持ってきた460枚は終わった。立派だった。全員が寝静まった。本を読もうと思った。

1月3日

姪っ子に遊んでもらったり箱根駅伝を拝見したりコーヒーを飲んだりピンチョンを読んだり雑煮を食べたり豆餅を食べたりして実家を辞し、電車に乗った、宇都宮までの東北本線は混んでいた、立って、ピンチョンを読んでいた、その時間がこの年末年始においてもっとも読書に没頭できた時間だった。
宇都宮での湘南新宿ラインへの乗り換えは30分あって、グリーン車の前で待っていた、だんだん列が伸びていった、電車が着く頃にはある程度長蛇と言って差し支えのないまでの長さになっていた、30分の待ちは正解だった、すんなり座れた、電車の2時間ほどのあいだは夜に飲む友人とどこで飲むかの算段をするので連絡を取り合ったり(けっきょく何も決まらなかった)していたところ読書は細切れになった。この年末年始は読んだのはけっきょくピンチョン200ページほどで、全然しっかり読書の時間にならなかった、いくらか心もとないスタートとなったというか、いいのだろうかというスタートとなった感は否めなかった、大宮を通過したそのときにここにはもう僕の帰る家はないのだと思ってそれは梯子を外されたような感じがあった、両親は昨秋とうとう大宮を離れ、栃木の家に辿り着いたのだった、大宮は僕は高校を卒業するまでの20年近くを暮らした、その場所はなくなった。それから新宿に着き、渋谷に行くまでのところ、そこで僕は「帰ってきた」という感覚になった、ホームの感覚は変わっていく。

渋谷、友人と合流した、友人は手に植本一子の『かなわない』を持っていて開口一番「いやあ……」という声を出した、新年早々いったいなんでまたw なんでまた劇薬のような本をw、と僕は笑った。
マークシティ側の飲み屋のエリアを歩いてけっきょく前に一度行ったことのあった居酒屋とりしょうに入った、6時前で、まだお客さんは一人もなかった、ビールを飲みおでんを食いあれこれを食い日本酒を飲んだ、なんだか最初から日本酒が飲みたい、熱燗が飲みたいみたいなところがあり、寒かったからだった、寒かったからだし、それから多分、店でお冷のかわりに白湯を出すようになり、白湯とはいいものだ、あたたかい液体とはいいものだ、と思ったからだった。ホームの話をした。適切に怖がることの話をした。気づいたらガヤガヤと店内は楽しい様子になっていた、人がたくさんあった。
道路を渡って繁華で淫靡な通りを歩き、ミッケラーに行った、ビールを飲んだ、いい時間だった、歩いて帰った。

1月4日

店に寄り、大宮に向かった、ピンチョンを読みながら電車に乗った、盛り上がった。大宮は毎年やっている友人宅での新年会だった、かっこいいビールを持参した、今年もたくさんの料理が待っていた、どれもおいしかった、ロールキャベツのグラタンはキラーメニューだった、芋茎ずいきの白和えもおいしかったし赤かぶの漬物も長ネギの焼きびたしも浸し豆もカリフラワーのポテサラも鱈とハムの春巻きも最後のスパゲティもどれもおいしかった、すぐに酔っ払って午後いくらか昼寝をした、起きてまた飲んだり、ちびっこと遊んだりした、もう3歳になるということだった、この年末年始はちびっこと戯れてばかりだった、どんどんそうなっていくのかもしれない。

10時頃に辞し、帰った。

1月5日

思い返せば昼寝から起きたあたりからかもしれない、腹か胃のあたりになにかを感じ、それは飲み過ぎ? 空腹? あるいは満腹? という、要はなにかは得体のわからないものだった、ただ、そこに「なにか」があるようだった。明け方、「あ、これは」というものを感知して起きた、熱を測ると7度5分ほどだった、もう少し経って測ると7度9分まで上がっていた、体は熱く、寒かった。どう考えても風邪だった。
どうにか起きて厳重なマスクをして家を出て買い出しをして店に行き、慣れないマスクで眼鏡が曇った、病院に行った、発熱から間がないからインフルエンザの検査をしても正確な結果が出ないかもしれない、ということだったので夕方にまた行くことにして辞した。トンプソンさんを待ち、できるだけ遠くに立ちながら話し、今日は一日お願いすることにした。
話している途中で緊急地震速報が鳴り、ビルの下に出た。床屋のおばちゃんや3階の大家さんの会社の方や4階の税理士さんが出てきた。一同集合。珍しく愉快な場面ではあった。町のスピーカーからもワンワンと音が流れた。怖かった。怖かったと同時にUQ Moblieでもこういうものがちゃんと鳴ることが確認できたことに意外さと安心みたいなものを感じた。なんとなく勝手に大手キャリア以外は鳴らないのではないかと思っていた。
帰った、なんとなく気分が高揚していた、寝るべきだろうか。

何度も寝た。全部の夢が三枚あるうちの一枚、「全快した」というカードというかパネルをめくるものだった、「もう元気!」と何度も思ってそのつどうれしかった。その夢をひたすら繰り返して見ていた気がする。途中で熱を測るとしかしまた8度になったりしていた、暗くなってから病院に行った、待合室でピンチョンを読んでいた、やっと読めた、寝転がった状態よりも座っている状態のほうがピンチョンは開きやすいかもしれない。病院はなんとなくみんな元気という感じで気持ちのいいところだった。熱は8度6分。
なんとなく、病院を出て薬をもらったら帰りにコーヒー屋さんに寄ってカフェラテでも買って飲み飲み歩いて帰ろうと思ったら、ふいに、大人になるみたいなことが楽しいことのように思えた、大人になることはより自由を得ていくことであればいいなと思った、そのやってきた「ふいに」はなんとなくなにか感動というか、悪くない気分を僕にもたらすものだった。
インフルエンザ検査の結果は陰性だった。発熱から時間が短いため確実ではないということだった。症状からしてインフルエンザとして診断も出せる感じですがと言われたが断った。俺はインフルエンザではない。葛根湯だけ処方された。翌日ほかの病院に行ってまた検査を受けることにした。俺はインフルエンザではない。

夜、7度3分まで下がった。一日食欲は湧かず、バナナ・ヨーグルト・りんごのすりおろし・ポカリスエット、が食べたもののすべてだった。夜に初めて歯を磨いた。寝るとたくさん汗をかいた。

2017年の読書の記録。

0103 デニス・ジョンソン『煙の樹』(藤井光訳、白水社)
0113 モリー・グプティル・マニング『戦地の図書館 —— 海を越えた一億四千万冊』(松尾恭子訳、東京創元社)
0118 角田光代『坂の途中の家』(朝日新聞出版)
0119 高野文子『るきさん』(筑摩書房)
0124 ロベルト・ボラーニョ『ムッシュー・パン』(松本健二訳、白水社)
0131 保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)
0203 ロジェ・グルニエ『パリはわが町』(宮下志朗訳、みすず書房)
0206 植本一子『家族最後の日』(太田出版)
0207 小林せかい『ただめしを食べさせる食堂が今日も黒字の理由』(太田出版)
0210 春日武彦『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)
0210 川崎昌平『重版未定』(河出書房新社)
0216 ベン・ファウンテン『ビリー・リンの永遠の一日』(上岡伸雄訳、新潮社)
0221 上間陽子『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)
0222 飯間浩明『三省堂国語辞典のひみつ: 辞書を編む現場から』(新潮社)
0227 坂口恭平『けものになること』(河出書房新社)
0301 デイヴィッド・J・リンデン『触れることの科学』(岩坂彰訳、河出書房新社)
0305 ベン・ラーナー『10:04』(木原善彦訳、白水社)
0318 『パリ・レヴュー・インタヴューⅠ 作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみよう!』(青山南訳、岩波書店)
0320 フアン・ホセ・サエール『傷痕』(大西亮訳、水声社)
0321 栗原康『はたらかないで、たらふく食べたい』(タバブックス)
0323 岡田利規『三月の5日間』(白水社)
0404 ジャック・ケルアック『スクロール版 オン・ザ・ロード』(青山南訳、河出書房新社)
0406 柴崎友香『かわうそ堀怪談見習い』(角川書店)
0407 山下澄人『しんせかい』(新潮社)
0411 多和田葉子『百年の散歩』(新潮社)
0413 桐野夏生『夜の谷を行く』(文藝春秋)
0418 江國香織『なかなか暮れない夏の夕暮れ』(角川春樹事務所)
0419 デヴィッド・L・ユーリン『 それでも、読書をやめない理由』(井上里訳、柏書房)
0421 末井昭『自殺』(朝日出版社)
0424 滝口悠生『ジミ・ヘンドリクス・エクスペリエンス』(新潮社)
0506 ハリ・クンズル『民のいない神』(木原善彦訳、白水社)
0514 歴史的記憶の回復プロジェクト編『グアテマラ 虐殺の記憶―真実と和解を求めて』(岩波書店)
0516 オラシオ・カステジャーノス・モヤ『無分別』(細野豊訳、白水社)
0516 安宅和人『イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」』(英知出版)
0520 ジュリアン・バーンズ『人生の段階』(土屋政雄訳、新潮社)
0522 マリオ・レブレーロ『場所』(寺尾隆吉訳、水声社)
0531 木村俊介『インタビュー』(ミシマ社)
0603 木村俊介『善き書店員』(ミシマ社)
0604 川崎昌平『重版未定2』(河出書房新社)
0613 ジョン・マグレガー『奇跡も語る者がいなければ』(真野泰訳、新潮社)
0619 内沼晋太郎、綾女欣伸『本の未来を探す旅 ソウル』(朝日出版社)
0624 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(株式会社ゲンロン)
0626 パク・ミンギュ『ピンポン』(斎藤真理子訳、白水社)
0630 アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(高畠正明訳、新潮社)
0701 アルベール・カミュ『異邦人』(窪田啓作訳、新潮社)
0705 坂口恭平『しみ』(毎日新聞出版)
0718 今村夏子『星の子』(朝日新聞出版)
0723 ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』(神谷美恵子訳、みすず書房)
0727 アレホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』(鼓直訳、水声社)
0730 滝口悠生『茄子の輝き』(新潮社)
0731 ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争 —— ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)
0807 今村夏子『こちらあみ子』(筑摩書房)
0808 テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮社)
0814 テジュ・コール『オープン・シティ』(小磯洋光訳、新潮社)
0816 武田百合子『富士日記(上)』(中央公論新社)
0817 今村夏子『あひる』(書肆侃侃房)
0821 ベン・ラーナー『10:04』(木原善彦訳、白水社)
0829 ミランダ・ジュライ『いちばんここに似合う人』(岸本佐知子訳、新潮社)
0831 武田百合子『富士日記(中)』(中央公論新社)
0901 ジェームズ・ワット『ビジネス・フォー・パンクス』(高取芳彦訳、日経BP社)
0905 滝口悠生『寝相』(新潮社)
0918 バートン・マルキール『ウォール街のランダム・ウォーカー〈原著第11版〉 —— 株式投資の不滅の真理』(井出正介訳、日本経済新聞出版社)
0920 レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社)
0923 武田百合子『富士日記(下)』(中央公論新社)
0923 エンリーケ・ビラ=マタス『パリに終わりはこない』(木村榮一訳、河出書房新社)
0924 ロベルト・ボラーニョ『チリ夜想曲』(野谷文昭訳、白水社)
0930 白井一幸『北海道日本ハムファイターズ流 一流の組織であり続ける3つの原則』(アチーブメント出版)
1005 滝口悠生『高架線』(講談社)
1008 橘玲『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 知的人生設計のすすめ』(幻冬舎)
1011 橘玲『貧乏はお金持ち ──「雇われない生き方」で格差社会を逆転する』(講談社)
1014 フアン・ガブリエル・バスケス『密告者』(服部綾乃、石川隆介訳、作品社)
1018 柴崎友香『千の扉』(中央公論新社)
1022 ロバート・K. ウィットマン、デイヴィッド キニー『悪魔の日記を追え ——FBI捜査官とローゼンベルク日記』(河野純治訳、柏書房)
1031 ニール・バスコム『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ! ―― “冬の要塞"ヴェモルク重水工場破壊工作』(西川美樹訳、亜紀書房)
1106 植本一子『降伏の記録』(河出書房新社)
1129 ダニエル・L・エヴェレット『ピダハン ——「言語本能」を超える文化と世界観』(屋代通子訳、みすず書房)
1129 オオヤミノル『珈琲の建設』(誠光社)
1202 セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』(寺尾隆吉訳、水声社)
1202 エリック・ホッファー『波止場日記 —— 労働と思索』(田中淳訳、みすず書房)
1207 ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』(若島正訳、河出書房新社)
1210 多和田葉子『エクソフォニー —— 母語の外へ出る旅』(岩波書店)
1211 フレッド・ウェイツキン『ボビー・フィッシャーを探して』(若島正訳、みすず書房)
1220 梯久美子『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』(新潮社)
1231 島尾敏雄『「死の棘」日記』(新潮社)

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