本の読める店

読書日記(64)

Entry diary64

12月16日

夕方まで忙しく、そのため忙しく立ち回っていた、もしかしてこの店は復活したのではないか、そんな思いがもたげた、夜、まったくの暇だった、それでも僕は健気にも仕込みであるとかをわりとおこなっていた、そのためあまり休まる時間もなかった、仕事中なので休まる必要などどこにもなかった!

閉店後、次のジンであるオランチアというジンを飲んでみた。ラテン語で柑橘を意味するAurantiumから取られた名前ということだったが飲んでみると驚くほど柑橘柑橘していたため笑った。それはとてもおいしかった。今日までは和美人という日本のジンだったが、最近はちょこちょこと日本のジンが発売されているみたいで、それはそれで面白いのだけど、これまで飲んだ日本発のジンというのはどうも和のボタニカル、みたいな感じで、ベースのスピリッツも麹、みたいな感じで、僕はそれはジンという飲み物で飲みたい風味ではないのかもしれない、それは別のおいしい飲み物なのかもしれない、そんな気がした、こういうジンのほうが好みだとオランチアを飲んで思ったが、しかしもしかしたら、オランダの人が飲んだら「オランダオランダさせすぎ」であるとか、思ったりもするなにかがあったりという可能性もある。「ちょっとこれはイギリス感出しすぎ」、のような、そういう風味が地域ごとにきっとありそうで、それがどういうものなのか知ってみたいような気も、した。

帰りに煙草を買うコンビニの店員がいつもあまりに仏頂面なので前々回から僕も仏頂面をして礼も言わないということをするようになったところ、行きにくくなった。暗い冷たい顔をする機会を自分で作ってしまったことを後悔した。
寝る前、『狂うひと』。眠りなど邪魔だった、ずっと読んでいたい。ずいぶんなハマりかたをしている。眠くなって寝た。

12月17日

日曜日、暇だった。昼、校正の方に引用箇所の引き合わせのためにお送りしていた本が返ってきた、それを本棚に並べた、すると大きな安堵感というか、よかった。
新しいパソコンが着くのは明日との由。今日だったらよかった。今日だったらむしゃむしゃと移行作業ができたのに、と思うが、来ないものはしかたがなかった。
『狂うひと』をむしゃむしゃと読んで暮らした。奄美に引っ越して、島尾敏雄は鬱に悩まされて書けなくなっていった時期、今度はミホが書く人になった。ということが書かれていた。彼女が書く小説では夫婦の辿る不幸が頻繁に描かれている。が、一方、ミホは後年、そうではないストーリーを作りあげ語りだしたという。

島尾が没してから特に、ミホは自分たちが至上の愛で結ばれた理想的な夫婦であったことを強調するようになっていく。『死の棘』に書かれた内容についても、実際の島尾はあれほどひどいことはしておらず、誠実な夫であったと、何度も語っている。(...)
石牟礼道子との退団では「『死の棘』も含めて、小説作品はすべて、作家としての島尾の思考に基づいて作り出された物語の世界でございます」「「創作」という不思議な世界に感じ入ることが、しばしばございました。『死の棘』でも創作の妙を十分に堪能させてもらいました」(『ヤポネシアの海辺から』)と言っている。 梯久美子『狂うひと ──「死の棘」の妻・島尾ミホ』(p.537,538)

という、このミホの発言は真っ赤な嘘だった、日記や各種資料からほとんどのことが実際に起きた出来事だったことをここまでで嫌というほど知らされてきたあとでこの発言を読むとすごくゾクゾクした。さらに敏雄の死後に刊行された『「死の棘」日記』では「ぼくはミホを自分の体の一部のように思い込み、自分の事ばかり考えてミホの犠牲の上で自我を押し広げ、ミホはひたすら従順に身を捨ててぼくに尽くした」云々という記述があるがこれは日記原本を調べると見当たらないという、つまりミホ自身が書いて挿入したという! 晩年のミホの、夫婦の物語を書き換える努力というか、新しい狂気のようなもの、それがすごいし、その努力が一枚一枚剥がされていくそのことがまたすごい。
ところでiPhoneのカメラロールの写真を削除することは困難で、これをMacからできないものか、と思って調べたら、つなげて「イメージキャプチャ」というアプリを使えば簡単にできるという、だから今からそれを僕はやろうと思う。早い時間から誰もいなかったので、『狂うひと』を読みながら沖縄の音楽を流していた、しかし今、iPhoneをMacにつなぐ今、音楽を止め、ケーブルを抜こう。

それにしても、クラウド上に置いてあるにもかかわらず、iPhoneから写真を削除する作業はなにか痛みみたいなもの、躊躇みたいなものをもたらした。あったって見返すこともないのに、消してしまっていいのか、と思いながら、いくらか消した。チャーハンを食べようと思う。

12月18日

生まれ変わった。

そろそろ店を出ようかとしていたところ配達のおにいさんが来られその手にあるのはどう見てもそれだったがしかし、行くのをやめようかという強い誘惑に駆られたがしかし、店を出て、下北沢に向かった。先日からトンプソンさんの独り立ちというか任せてももう大丈夫というところで独り立ちというか、した感じで、そうなったら僕は邪魔者でしかない、それで先日はそそくさと店を出、行くところがなかった、家に帰った。
今日は下北沢に行った、今週Numabooksの内沼さんと打ち合わせがあって、その日にちを決めているときに、そうだ、月曜日はB&Bの引っ越しの手伝いにでも行ったらいいのではないか、体を動かすことにもなるだろうし、社会と接することにもなるだろうし、これからあたらしく店となる場所に立ち入るというのはなんせきっと楽しいことだし、そこには未来しかない、その場を見ること、それはよいこと、それがいいのではないか、それは妙案として僕にやってきた、そのためお邪魔するかもしれないですとお伝えしたところ、月曜、お邪魔していた。
一階はウェンディーズで二階がカラオケ館だったか、地下二階はライブハウスでたぶん昔一回行ったことがある、あると聞いていた地下一階はサイゼリヤとあり、サイゼリヤ跡地なのかな、と思って下りてみるとサイゼリヤは営業していて、サイゼリヤの横がB&Bだった。サイゼリヤの横がB&B! というのでその組み合わせになにか驚きと喜びのようなものを覚えた、階段で高校生とすれ違った、そういったサイゼリヤな高校生もふらっと入ったりしそうで、そういうことはよいことのように思えた、僕は高校生ではなかったがふらっと入ってみたところ、部屋は縦長で、これまでよりもずいぶん広くなったように思えた、それはまだ書棚が入りきっていないからかもしれなかった、見通しがよければ広く見えるのかもしれなかった、ただ実際にも2割か3割広くなるとのことだった。壁は塗装されていたりそのままの状態だったりして、そのままの状態の壁というものはかっこうがよかった、塗装されているところもパテの跡であるとかが見えたりビスの頭がうっすら見えるところがあったり、そういう様子を見ているとフヅクエを工事していたときのことを思い出して、なんというか愉快ななつかしい気持ちになった。まだ本の入っていない書棚と、本の入ったたくさんの箱があった、工事も続いているみたいで大工さん的な人たちもいた、インパクトの音が小気味よく鳴っていた。
午前中で本の搬出搬入は済んだとのことで、午後は大まかにジャンルを割り振られた棚にジャンルを振り分けられて箱に収められた本を入れていくという感じで、おこなった。入って指示が与えられるまでの時間ふらふらとあちこちを見ていると、その場で棚の割り振りを相談して決めていて、そうか、このタイミングで考えるのだな、と、なにかライブ感のある感じがして面白かった。指示が出たのでそれをおこなった、ふだん触ることのないジャンルの本を、かなり物理的に触る、持って、棚に、入れる、そういうことをやっていると、こういう本があるのか、面白そうだ、ふむふむ、と、それは面白い感覚のおこないだった。休憩で旧B&Bというか現B&Bに行くと、だいたい空っぽの部屋になっていて、棚のないその場所は当然だろうけれども今までよりもずっと広く見えた。今晩もここでイベントがあるという。本のない本屋。貴重なものを見た気がした。
そのあとまた地下のところに移動して、今度は先ほど粗く収めた本を、思うようになんだかいいようにしてみてください、ということだったので、僕は「言葉」の棚の前にいた、そこをいじることになった、しかし本棚を作るという作業はまったくもって僕の手に負えないものだと思った、なにをどこに動かしたらいいかまるでわからない、「言葉」の棚は英語のことが書かれた本であるとか辞典であるとか、ことわざの本であるとか『ピダハン』であるとか少数言語の本であるとか、あれこれとあった、しかし僕が本を動かしても凡庸なことにしかならないと思った、凡庸な状態を写真に撮っておいた、今度来た時に、それがどうセクシーな棚になっているのか見比べてみようという算段だった、夕方になったので辞した。
店に戻る前にコーヒーを飲もうと思いベアポンドエスプレッソに行って、久しぶりに行きたいと思っていた、行って、カフェラテを外のベンチで飲んで、おいしくて、それから戻った、今日も悪くなくとんとことお客さんが来られたみたいで、12月は平日の日中が、前月や前々月と比べるとヘルシーな感じになっているようだった、それはいいことだった、届いたパソコンを取り出して、移行作業を始めた、それから働いた、しかし夜は暇だった、データの移行は1時間くらいだろうか、済んで、だいたい同じように使えるようになった、トランスファーできなかったものとしていくつか表示されてだいたいがDocker関連だった。夜、さわっていると、PDFファイルを開けないということが発覚した、開こうとすると「"xxx.pdf"は壊れているため開けません。 ゴミ箱に入れる必要があります。」というエラーが出る、どうにもならない、どうしたらいいのかわからない、同じように.dmgファイルも開けなかった、なおPDFはプレビューを基点にして、つまりプレビューを立ち上げてファイルを選んで開くと開けた、finderから直接プレビューを開くことができないということだった、また、chromeでPDFファイルをダウンロードすることもできない、ダウンロードする段階で同じエラーが出る、なにかひどく暗澹とした気分になった、いくらか『狂うひと』を読んで、それからご飯を食べて帰ることにした、酒は飲まなかった、家に帰ってから飲もうと思った、それで新しいMacをリュックに入れて、しかし充電器は入れない、なぜならば十分にもつであろうからだ、揚々とした心地で家路についた。
それにしても16GBにしてよかった、アクティビティモニタを見てみたところ「使用済みメモリ:8.42GB」と出たからだった、だいたい8〜9GB使っているらしかった、気持ちがいいのは「メモリ圧縮」のところが0であることで、だからこれまでは、これまではメモリ4GBだったので、それをギュウギュウに圧縮して4GB以内に収めていたのだろうということがわかった、本当の姿の半分くらいまで縮こまった状態で暮らしていたのだろう、ずいぶん我慢させていたことがわかった、これからはゆっくり手足を伸ばして、眠っていいよ。

12月19日

『狂うひと』は読み終えられた、最後はいつもどおり雑な読み方になったが最後まで面白かった。『「死の棘」日記』を読み始めて、すぐに眠った、それが昨夜だった。
店に行って、Appleのサポートから電話を受けて、現在

現在、旧MacというかMacBook Air、つまりMacBook Airでこれは打っている、先ほどのパラグラフまでは新MacというかMacBook Pro、つまりMacBook Proでそれは打っていたが今、MacBook Pro、つまり新Macはなにかをおこなっている、Appleのサポートからの電話を受けて、OSの再インストールをおこなった、しかし直らなかった、直らなかったと電話をすると今度はスペシャリストという方が出てきて、それで今はいったん新Macの中身をたぶん消去した、そのあとコマンドオプションRを押しながら起動して今は地球がぐるぐる回っている、今、それがなにかになるのを待っている、しばらく掛かるが、電話口にいます、とスペシャリストはおっしゃい、だから今、スペシャリストに聞かれないために声が出せない状況だ、笑いを我慢したりした、それから、我慢のフェーズは過ぎた、今はスペシャリストとともに生活があるような気すらしてきた、軽い同居のような感覚だ、寝起きしてもかまわない、寝起きを一緒にした気にも、このままつながっていたらなれる気がした。私が対応する以上はもう大丈夫ですからね、最後まで責任をもってやりますので、ご安心くださいね。スペシャリストはたしかに「ご安心くださいね」と言った。それは感動的な言葉だった、普段、めったに聞くことのない言葉だ、それはヒーローの言葉だった。僕は今だから、僕を守ってくれる、救ってくれる、そんなスペシャリストと生活をともにしている。なぜか、ブルータスの編集長の西田さんといったか、西田善太さん、西田善太さんの顔でスペシャリストは想像されている。どんな方なのだろうか。そのお顔を拝見したい。ご尊顔。そんなギラついた欲望が湧きあがりあふれることをいつまで抑えることができるだろうか。無事解決したら、一度お食事でもご一緒に、いかがでしょうか、そう自分が口走らないか不安だ。直していただけた感謝を直接伝えたくて、ご挨拶だけでもしたくて。それにしても地球はぐるぐる回り続けている。ネットワークを選択…… これはいつ次の行程に進むのか。

先日思い出してブログに書いた、人の読書の話を聞こうというブログの企画を、ブログに書いたところ途端にやろうやろうという気になったので聞いてみたかった人に連絡を取り、お時間をいただけたらとお願いしたところ翌日である今日大丈夫だということだったのでさっそくインタビューをすることにした(スペシャリストにお尻の時間を伝えると、「ご予定を何よりも優先してくださいね。時間は大切なものですから」と言った。それから「少し時間が掛かります、私は電話口にいますので、このあいだにお手洗いに行くなり口をうるおすなりして過ごしてくださいね」とも言った)、カメラを携えて行った、パシャリ、パシャリとした、人にカメラを向けることはとても変なことだった、うまく撮れた気はまったくしなかった、夕方だった、コーヒー屋さんに入ってコーヒーを飲み、そこで話をうかがった、けっきょく2時間半くらいお話をしたことになった、それは楽しい時間だった、インタビューというものはいいものかもしれない、と思った。夜に飲みに行く予定があったが、今日はしゃべってばかりだった、スペシャリスト、それからインタビュー、これでもう一日分の会話はとっくに済んだので飲みの場ではしゃべらない人間になってもいいかもしれない、そう思った、それで夜になるころにインタビューを終了して、早く文字起こしをしてみたかった、それが面白いものになるのかどうかは文字にならないと僕にはわからないと思った。

夜、飲みに出た、寒くて手が冷たかった、テキーラを飲んだ、4種類のテキーラを飲んだ、どれもアネホだった、おいしかった、よっぱらった、富士そばでうどんを食べながら『「死の棘」日記』を読み、帰宅後もいくらか読んで、寝た。

12月20日

昨日、再度データ移行の必要性があるかもしれないと思い持ち帰ったため家に2台、Macがあった。1台、リュックに入れて店に持っていった、店に置いた、昼は歯医者に行った、店に戻りいくらか仕込みをおこなった、それからNumabooksの事務所に行って赤字の入ったゲラと初めて対面した、赤字は明確な誤字であるとか引用間違いであるとかで、他の提案や疑問は鉛筆だった、そちらが圧倒的に多かった、だからそれは「赤字が入った」という言い方は正確ではなかった、それは見れば見るほど面白そうだった、テンションが上がった、今後の作業について話し合った、僕がまず赤字の疑問や提案に対して判断していったほうがスムースそうだった、もっともスムースなのは僕がインデザインのデータを直接書き換えていくことだった、そういうわけで前半の500枚ほどのA4用紙をもらった、家に帰った、お茶を飲んで、昨日の録音データの文字起こしをしようとし始めたが、聞きながら読み上げて音声入力をやるのがやりよいという記事を読んでそうかと思ったため、今度そうすることにした、なんとなく、文字起こしは1時間もあればできるかなと思っていたのだが、考えてみたら録音時間が2時間以上あるわけで、2時間で済むわけがないということがわかって、そりゃそうだと思うと愉快だった。『「死の棘」日記』をいくらか読んだ。劇薬。たまに劇薬と思うものを摂取したくなるときがあって、『狂うひと』を読みながら「もっともっと」と思ったため日記も読むことにしたらしかった。責め立てられて島尾敏雄は頭を壁に何度もぶつけて、子どもたちはそれをカテイノジジョウと呼んだ。
なんとなく頭が痛いような気がしていた、毛布をかぶって昼寝をした。
起きて店に行った、もうひとつのMacをリュックに入れて行った、すると店に2台のMacということになった、パソコンを2台並べてデータ移行を再度おこなった、すると、直った、無事PDFも開けるし、.dmgファイルも開けた、良かった、スペシャリストに感謝だった。

夜、早い時間に誰もいなくなった、暇だった、いくらか本を読んだ、そのあとに音声入力というものをやってみようと思い、Macに向かって話しかけた、思ったよりも精度が低く、そして時間も掛かる気がし、これだったらやはり手打ちの方がいいような気がしてきた。なんだか気持ちが疲れてきた。

12月21日

晴れ。先日の予定通りスペシャリストからの電話。直った旨と謝意を伝えた。スペシャリストは自宅でスマホゲームをするときはwifi接続ではなくモバイルデータ通信の状態でおこなうとの由。昼時いくらか慌ただし。その後特にやることなし。『「死の棘」日記』読む。鬱屈が徐々にボルテージを高めていって、12月24日、昭和29年、63年前の12月24日の記述でなんだか堰が切れたように読んでいる感情がたかぶって涙がこぼれた。

食後横臥し、暗澹タル気持の中でうつらうつらしていると、突然ミホに起こされ、殺しに来た追っ払ってくれ、あなたに殺された方がいい、摑まえてくれ摑まえてくれ抱いているとしばらく泣きやがてぼくをつき放す、気がふれたような様子、ついに、たまらなくなり、原稿19枚破りこまごまにする、河出の月報用の原稿も破ろうとする、ミホとめる、手首をにぎる、テジョウヲシナイデクレ、テジョウヲシナイデクレとぼくは繰り返し叫ぶ、ミホに押えつけられると、猫の玉が体の上にのぼってくる、やがておさまり原稿を破棄してしまった事を思い返す。既に先の見当(生活費)つかぬ、ミホ、どうしたらいい、どうしたらいい、頭を縛ってくれ、電ゲキ療法をしましょうか、頭に灸をすえましょうか、遊んできましょうか、映画を見ましょうか、色々なことをミホ言う。 島尾敏雄『「死の棘」日記』(p.109,110)

見覚えのある地獄。あたたかいものしきりに食べたがる。ミホ、うどんをこしらえましょうかというがぼく断る、発作おこしかける、フレムンもうしない、モウケッシテシナイ、そう言うそばからミホの顔色曇っていく、伸三オトウサンオカアサン、オヨシナサイ。解け、とにかく夕方家族四人で外に出る、市場で肉、ネギ、スキムミルク買う。夕食、二畳の部屋ですき焼き。ミホの顔明るく、伸三、マヤ、はしゃぐ。
それにしてもこの家族はすき焼きをものすごい頻度で食べている。10月1日に始まって3ヶ月ほどが経つがすでに20回くらいは食べているのではないか。

なんとなく物悲しい気持ちになり、パウンドケーキでも久しぶりに焼こうかなと思いついて、それが僕を救うような気になり、レシピなんてとうの昔の忘れたので本を見たりネットを見たりして調べているとベーキングパウダーが必要なことがわかった、ベーキングパウダーなんてとうの昔に使わなくなったので捨てていたのでなかった、そのためあきらめた、少し早いがスープを作ろうか、そう思っているところでお客さんが来られ、なにか、とても救われたような気になった。

と思ったらすぐ帰られた。スープを作っている。早く原稿いじりをやりたい。インデザインのデータの到着が待たれる。その前にインデザインをインストールせねばならぬ。こういう短期間だけ使いたいというとき、サブスクリプションはありがたいというか、勝手がいい。ひと月で解約するような格好だろう。インデザインは何年も前、DELLを使っていたときに入れていた、数万円掛けて買って、いったいどれだけ使っただろうか、久しぶりで、なんとなく久しぶりのインデザインというのは楽しみだった。おなかへった。あたたかいものを食べたい。

夜、チーズケーキ焼く。夜、酒飲みながらポテチ食いながら本を読むというそういう夜を過ごしたくなる。そうする場合、夕飯はなにをどれだけ食べようか等、そういうことを考えながら過ごしていた。『「死の棘」日記』を引き続き読む。夜、野球のニュースを読む、ヤクルトの山田の契約更改があったらしくその一問一答があってそこに今年はやりがいもなかったしモチベーションもなかった、開幕からそうだった、そういう感じの発言があって、なんというかすごい発言を読んだような気がした。すごい率直さだと思った。開幕からやりがいを感じない状態を想像して、なにか戦慄のようなものを覚えた。

12月22日

たしかに昨夜はそのとおりにした、家に帰ってシャワーを浴びるとビールを開けて、ポテチをむさぼり、それからミックスナッツを食べてウイスキーを飲んで、『「死の棘」日記』を読んでいた。暗澹とした気分で寝たような気がした。行き止まり。それにしても戦後の作家たち、第三の新人だったか、小島信夫であるとか庄野潤三であるとか、出てくるのだが、みんな仲がいいというか、協力しあっている、島尾の企画を先に通せ、というような姿勢がある、それが面白い。編集者に口利きする、金を集めて島尾敏雄を援助する。それにしても行き止まり。夫婦のいさかいを見させられる子どもたちの姿がしんどい、端々に発する言葉が凄い。

昼、仕込みが済んだので按田餃子に行って餃子の定食を食べた、ずっと行きたかった店だった、それで行った、食べた、とてもおいしかったし4種類も餃子を食べられて得した気分だった、はと麦の入っているご飯もおいしかった、スープもおいしかった、海藻湯、それからいくつか店のことのヒントみたいなものを得たというか、学び・気づきがあった。
食べ終えて出、晴れた日で寒くもなくうろうろと坂の多い町を歩いていると見慣れた道に出たためそのままパドラーズコーヒーに行って珍しく、というか初めて、テイクアウトにしてカフェラテをもらってそのまま散歩を続けた、知らない道を歩いた、知った道に続いた。いい散歩だった、家に帰った、なんとなく気が重いような気がしていた文字起こしの作業を始めることにして始めたところ、自分の間抜けな発言にゲラゲラと笑た、止まらなくなった、とても愉快だった、文字起こし自体わりと面白いというか、人の発話を文字にすることは面白いことだった、チェルフィッチュの岡田利規もかつて文字起こしのバイトかなにかをして、そういう経験があの日本語につながったというようなことを、何かで書いていたか、もしかしたら大学の授業のときにゲストスピーカーで来たときに話していたかした、佐々木敦の授業だった、『ポップメディア史』という授業だった。
文字起こしはたぶん30分ぐらいやっていたところ5分だけ進んだ。そうか、文字起こしは時間がとても掛かる、ということが知れた。でも愉快な作業だと知れば悪くないことだった。眠くなった気がした、夕方に入ろうという時間だった、30分だけ昼寝をした、頭まで毛布をかぶって眠ったらとてもあたたかだった、やさしいあたたかみがあった、腫れぼったい眠気があった、しかし起きたら晴れた、店に行った。

暇だった、先週は一週間なんとなくよい感じの日が続いて、復調かと思ったが、今週は一週間なんとなく暇な感じの日が続いて、結局これかと思った、嘆いても仕方がなかった、なるようになるしなるようにしかならない、「なるようにしかならない」、それは僕は好きな現状認識のありかただった。暇だった、だから仕事をしていた、途中で年末年始の営業の案内のための画像を作っていたら、すごく時間が掛かって、何度も何度も書きだしたファイルの数は30にも及んだ、バカみたいだったしいくらか酔った、パソコンで作って書き出してDropboxに置いてスマホで見て、ということを繰り返していたら酔ったらしかった。文字をアウトライン化してずらして調整したりなどしていた、そこまでやる必要はたぶんどこにもなかった、しかし必要とはいったいなんだろうか。それが夜。
先週からトンプソンさんの独り立ちというかむしろ僕の独り立ちというべきなのか、トンプソンさんがいる時間は僕はだいたい外に出るようにして、それで今週は引っ越しを手伝いにいったり歯医者にいったり打ち合わせにいったり餃子を食べにいったり家で昼寝をしたりしていたわけだけど、そういう日、店に立っている時間がとても短く感じるというか、実際短いわけだが、半分ほどになるわけだが、そうすると足りなく感じるというか、店に立っている時間、手持ちが少ない、というような感覚がある、今日に関してはイラレで無駄なというか些事に対して過剰な時間を使ったというか、いや些事ではきっとない、こういうなにか小さなことにこだわるというかそういうことはたぶん大切というかあっていいことだ、だから無駄ではない、無駄ではないが、とても細かいことにこだわっていたら時間があっという間に終わりに近づいた、これは一日店にいるときだったら感じないことのはずだった、つまりともあれ手持ちが少ない感じがある、感じがあるというか実際に少ない、スマートに一日を組み立てないといけないような気がする、その時間のなかでどうするのか、その外の時間でなにをするのか、組み立てないと、ただただ時間が少ないという感覚になる気がする、と、今日思った。今日思ったということはやはりイラレが悪かった。いや、イラレは悪くない。悪いのは俺だ。いや俺も悪くない。だから、それはそれでやればいい、しかし優先順位みたいなことはちゃんとつけないといけないというか、いや、なんだ、とにかく、時間が少ない、日記も書けなかった、だからパソコンを家に持ち帰って書いている。いやだからなんだっていうんだ。なんだっていいんだ。とにかく、この労働のスタイルというか、労働に当てる時間に関してはきっと適切な方向だと思う、なんとなく働かなすぎでは? みたいな、サボっているんじゃないかみたいな変に後ろめたい感覚が今は少しあるが、そんなことはまったくない、これまでとのギャップで体感がそうなっているだけで、少し考えればまったく適切な方向性だということは理解できる、慣れたら慣れる、適切、だから、時間の使い方をちゃんと考えないといけないというか考えたい。せっかく時間を作れるようにどうやらなったのだから、うまく使わないといけない。今日、本は読んでいない。

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