本の読める店

読書日記(62)

Entry diary62

12月2日

いつもよりも素早く夕飯を取ると初台坂下、八幡下、代々木八幡駅入口、富ヶ谷、神山まではいかないその経路で自転車を走らせて細い路地を入るとほの明るい建物があってフグレンだった、1時前、人はたくさんいて、ソファに座りたがる僕はしかし窓向きのカウンターの端の席についた、キュロ・ディスティラリーの、ナプエじゃない方、オーク樽で熟成されたコウスケみたいな名前のやつを飲みたかったからそれを飲むことにしていい飲み方をうかがうとアップルジュースとバニラビターズで作る飲み方がおすすめだとされ、それをお願いした、おいしかった、とてもおいしく、あとでキュロ・ディスティラリーのWebを見るとその飲み方が紹介されていた、ナプエのほうはシーバックホーンベリーというサジーというシーベリーというそのベリーとバニラシロップ、レモンジュースでシェイクする飲み方が載っておりそれを作ってみたくなった、そう思いながら寝床についたのはそのあとでフグレンでは『ただ影だけ』の残りをやっつけるべく本を開いた、お手を拝借。

笑いが上がるどころか、人々の顔はいっそう固くなり、まるで石像のようになりました。トーラに汽車なんか通ってねえぞ! 聖母様に失礼だ! そんな声が上がっただけです。すると男は笑い方を変えました。今度ははらわたをよじるように大きな笑い声を上げ、舞台の上を右へ左へと移動しながら、ますますせわしなく手を叩き始めたのです。そうです、私はあのプールに首まで浸かっていました! 今日にいたるまで、何度風呂に入ってもあの臭いは体から消えません! 拍手をお願いします! お手を拝借!いやらしい笑い声をまた上げながら、そうやって何度も拍手を求めましたが、人々は壁のように沈黙し、いらついた蜂の羽音を高めていくだけです。 セルヒオ・ラミレス『ただ影だけ』(p.285)

覚えていた通りというか印象に残っていた通り最後はぐんぐんと突き上がるようなテンションで、わーーーー、と思って読んだ、この場面のいたたまれなさは結構、すごいレベルの、めったに見ないレベルのいたたまれなさだと今回も思った。死に至る哄笑、そして目の前の強烈な沈黙。エピローグの静けさ、乾燥した明るさ、それもまたよかった、神輿に乗る少年。
満ち足りた心地で家に帰ると『波止場日記』をいくらか読んで寝た。それが昨夜だった。さて次はどうしたらいいか、というところが目下の悩みとなる。寝る前は『波止場日記』でよい。では起きているときは?
寝る前・起きているとき、これはつまり臥床の際には『波止場日記』ということだった、臥床の反対は離床だろうか、離床だと床を離れるそのアクションのことだろうか。ともあれ次は何を読んだらいいのだろうか。という悩みがやってきた。それからまた、12月だ、去年もおととしも毎年頭を悩ませた、年末年始に何を読んで過ごそうか、という問題ともそろそろ向き合わなければならない。
去年はデニス・ジョンソンの『煙の樹』の再読で大正解で、おととしは結局どうしたらいいのかわからず、どうしたのだったか、リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』の再読だったろうか、マリオ・バルガス=リョサの『つつましい英雄』とミシェル・ウエルベックの『服従』をほぼ同時期に読んでいたそれがおととしだったろうか、あるいはパワーズなんて最近ではなくてもっと何年も前だったろうか、忘れてしまったが、年末年始読書が決まらないと落ち着かないような心地はこれからつきまとうだろう、書店に行くたびに、頭を抱え、重苦しい心地になるだろう、陰鬱な、憂い顔で棚のあいだをさまようだろう。おおげさな話だが、そうなるのだからしかたがない。ともあれ次は何を読もうか。

夕方まではまあまあで、以降、まったくの完全な暇。おそろしいほどに暇な日にまたなってしまった。この店はどうなるのだろうか。いくらか胸騒ぎを覚えながら『波止場日記』を開いたところ、195ページ、197ページと立て続けに誤植があった。「アレグザンダー、キャンベル」「ブライド」、それは自由と繁栄のためではなくブライドのためであった。
199ページ、「思考には流行といったものがある。ダーウィンやマルクスやその他は、その理論をつくるのに苦心していたときに当時の流行をとり入れた。十九世期の科学者、哲学者、小説家——ロマン主義者、リ」と読んでページをめくる瞬間に、今年の年末年始読書はフローベールの『感情教育』なのではないか、と思い、それはいい思いつきのように思った。あれはとてもとても面白かった。また読みたいと思っていた。たぶん、流行、十九世期の科学者、小説家、それがフローベールに行き着かせた、なんとなく先にあったのは『ブヴァールとペキュシェ』の気がする、覚えていないが彼らは流れ行く科学者みたいなものだったのではないか、とにかく愉快な小説だった、それから、そうか、波止場なのかもしれない、あの小説の最初の場面だったか、船の上だったのではないか、そういうあれやこれやがピッタリと来て『感情教育』を読みたい気になった、むしろ、今読みたい。

きつい仕事だったが、あまり疲れを感じない。意気揚々とまではいかないが、なにか心が軽く、部屋がきちんとしているのがうれしい。パートナーはエミリオだった。彼はすぐれた労働者だが、一日中奇妙なプロパガンダ——自分自身のためのプロパガンダ——をしている。ほらではないのだが、何かよいことが起るとそれはすべて彼が関与したためだと考えてしまう。彼は非常に人がよく、他人を助けるためならでしゃばりもする。彼の英語は奇想天外である。なのに、私が彼を相手にスペイン語を話そうとすると、ほんのわずかの間違いでもからかう。大好きだ。 エリック・ホッファー『波止場日記 —— 労働と思索』(p.180)

労働と、思索。思索がたくさん書かれる、書いている本の構想であるとか、思いついたアイディアであるとか、政治状況であるとかへの意見であるとか。そういうところよりも僕はこういうアクションがともなうところにとにかく反応してしまう。人が何を思ったかよりも、人が何を見、愉快になったか、そちらのほうが知りたいのかもしれない。こういうところとか。

第二十八埠頭のハコネサン丸にて六時間。たいへんらくな一日。パートナーのパーマーという男はふだんは静かなのだが、今日は少し暗示を与えたらすばらしい表現力を発揮した。ベッドを出て、トイレに行き、洗顔をし、衣服を身につけ、朝食のしたくをする作業を、一つも無駄な動きのない一種の流れ作業に組みたてているという話をしてくれた。陽気な話しぶりだった。 エリック・ホッファー『波止場日記 —— 労働と思索』(p.210)

読み終えた。なんでか、これを終える前に、アレハンドロ・サンブラの「盆栽」を読もうかなという気が起きていたが、読み終えた。読み終え、夕飯を食べ、それからダラダラと延々とはてブの記事を読んでいた、それからビールを開け、ふと手が伸びたのはナボコフの『ディフェンス』だった、これは誰かからもらった本だった、大学生の時だった、ずいぶん年上の誰かからもらった本だった、誰だったか、これを僕はだいぶ面白く読んだ、すごく面白かった、次はこれを読もうかという気になり開いたら前書きがあり、飛ばして本編を読み始めたが最初のページで閉じた、違う気がしたのかなんなのか、ナボコフコレクションのページにアクセスすると3冊目で「ルージン・ディフェンス」として出るようだった、ロシア語からの初邦訳とのことだった、僕の持っているのは河出から出ている若島正訳のものだった、とても面白かった記憶があった、すごく面白かった、次はこれを読もうかという気になり開いたら前書きがあり、飛ばして本編を読み始めたが最初のページで閉じた、違う気がしたのかなんなのか、ナボコフコレクションのページにアクセスすスロtんがおあrのばおmらいばマパエア後ンボアオアjがいおエア『ああ青んボアbお会えエア過越くあおもりr買ったM血gはこれにしようかという気になり以来たら和え加害rkがありンボ旅S手歩の円を世にオハイエmたがさいh後のペ0時絵で『閉じた、違う気がしたのかななんtなのか、ナボイおkr婦コレクションの終えおじnあっ癖rjいらうすろtおあんがおマロアおラオお歩いいおエラNOVAオイア若い差型押田やくあのmのたった、とんと絵大盛りお買ったこr区あああった、即おbおもり買った、おr血ウギはこれをお魚雄という気がになり前書きkがありm,ヲタ叔母いて本編よmじゃいじぇたががさいhゴアんおえ^jいあてd目ヲタj,「明日は忙しくなる」と声に出してみた、

12月3日

朝から『ディフェンス』を読んでいる、昨日の夜けっきょく持ち帰ってソファに寝転がり読み始めたそれは、まだこれからだったがずいずいと面白くなる予感があって、少年がとうとうチェスと出会った、そういう場面で眠った。朝から『ディフェンス』を読んでいる、ふだんは野球の記事なりを読みながら食べる朝ごはんのとき、開店前に外で煙草を吸うとき、『ディフェンス』を読んでいる、なんだか前触れなく小説に飲みこまれたようなこの展開に笑う。

ルージンが雑誌に載っている棋譜を並べながら思い出したのは、父親がよく食卓で誰かに語っていたことで、義理の父親がどうしてあんなに何時間も楽譜を読み、音符に目を走らせ、ときには笑みを浮かべ、ときには眉を寄せ、そしてときどき小説の細部(名前とか、一年のうちのいつとか)を確認しようとする読者みたいに後戻りしながら、頭の中でその曲の旋律をすべて聞き取れるのか、自分にはわからないと言っていたものだが、あのとき羨ましく思った才能が自分にもあることをルージンはすぐに知るようになった。 ウラジーミル・ナボコフ『ディフェンス』(p.55,56)

Amazonにあるのは2008年に出た新装版かなにかなのだろう、僕が持っているのは1999年に出たものだ、それにしても誰にもらったのか、『小説の自由』とかをくれた方だったろうか、なんとなく違う人の印象があるが、これだけをくれた方があったような印象があるが、誰だったか、誰か、年長の男性。

アンバランスな日だった、夜、憮然、悄然、ビールを飲み、ウイスキーを飲み、『ディフェンス』を読み、帰り、ビールを飲み、ウイスキーを飲み、『ディフェンス』を読み、ソファでそのまま眠っていた。冷えたのかお腹が痛かった。ナボコフの語りがうっとうしく感じることが多くなってきた。面白いのだが。なにか、得意気な顔で書いている感じがする。陶然とした感じがする。面白いのだが。前書きでも堂々とネタバレをしていてその態度にぎょっとした。面白いのだが。読んでいたら『ボビー・フィッシャーを探して』を次に読みたくなってきた。なんというタイトルだったか思い出せなくて、テレンス・マリックを探してだったか、いや、テレンス・フィッシャーだったろうか、どちらも違った、それで「フィッシャーを探して」でやると出た、テレンス・マリックもテレンス・フィッシャーも映画監督だった。

12月4日

『ディフェンス』は今日中にも読み終えてしまいそうな感じがあった、丸善ジュンク堂に行く必要があった、行った、エレベーターに乗り込むと下卑た笑い声をあげながら高いねえ、高いねえ、と連呼する父親があった、子どもを楽しませようとしてのことだった、やわらかいあたたかい気分になった、寒い日だった、丸善ジュンク堂はやはりよかった、『ボビー・フィッシャーを探して』を探したところ、どちらかといえば野球コーナーであるとかの近くのチェスコーナーにあった、それは実用11だった、取るとこれも若島正訳で、それはいいことだった、それを持ち、他のところ、海外文学であるとかの棚を見ようと思って行こうとするとなんだったかの特集の棚で多和田葉子の『エクソフォニー』があって目に入ってきて、取った、ベルリン、もしかしたら『ディフェンス』の舞台がわりとベルリンだからベルリンに反応しやすくなっていたのかもしれなかった、それから海外文学であるとかの棚を見たところなにかが目に入ってくることは起こらなかった、そんなに何冊も買いたくないから、それでよかった、レジに向かう前に新刊のコーナーに行くと佐々木敦の『新しい小説のために』があり、新しい小説かあ、と思い、また、装丁がかっこうよく、それで興味を持って開いてみるとなんだかやたらに詰まった文字組みで目が苦しくなるようだった、なんでこんなふうに作ったのだろうか、意図は間違いなくあるだろう。僕はそれで戻してしまったが。それでいいということだろう。

文字組みで思い出した、午前中はNumabooksの内沼さんとの打ち合わせというか現況を教えていただく時間だった、印刷費がずいぶんとかさむことが知れた、知っていたが具体的な数字で知れた、1120ページ、厚さ5センチ。店にある本で改めて見てみると、レイモンド・チャンドラーの村上春樹訳の早川書房から出ている700ページ近いのになんと1,400円という驚きの、それと、白水Uブックスのカフカの『失踪者』、それを合わせたものがちょうどその判型ほぼその厚さのものだった、それは見たことはきっとないが、しかし意外にも本だった、もしかしたらハードカバーなのではないか説、というか四六判なのではないか説、出てきた。楽しくあれればわりとなんでもよかった、楽しくというのは納得しながら、欲望しながらなにかをおこなうことだった。

丸善ジュンク堂を出ると少し読書をしようと思ってフグレンに行った、またフグレンだと思って、なんだかバカみたいだなと思ったけれど、それが一番いいアイディアだった、二番はない、だからフグレンに行って、入るとみっしりと人がいて、話し声は日本語ではないものしか聞こえなかったから中にいても気にならずに読めただろうけれど、なんとなく、と思い、コーヒーを受け取ると縁側に出て読むことにした、煙草を吸った、ルージンはちっともチェスを指さない。そろそろなにかそわそわし始めた模様。200ページを過ぎた、いつチェスを再開するのか。飲んだ本日のコーヒーがケニアで、それがなんだか鮮烈においしかった。これめっちゃおいしいと思い、おかわりをしたところ同じ味じゃなかったから多分違う豆だった、もしかしたら同じ豆だった、僕の舌なんてあてにならなかった、いずれにしてもとてもおいしかった。それにしてもケニアはやたらおいしかった。どんどん寒くなって、切りのいいところまで読んだのだったかどうだったか、店に戻った。カレーができていた。スープをつくった。

今日も今日とて、すばらしい、閑散だ。
ぼくは日々エゴサーチをする、ツイッターでもそうだし、Google検索もする、Google検索をするのはGoogleの口コミの件数と食べログの口コミの件数を見て、それで変化があったら見に行く、見たところでどうなるわけでもないが、なにか無理解によるディスというか読んだ人が誤解をしそうなディスがあったら反論を置いておきたいみたいなそういう好戦的な気分があるため、というか正しい情報を置いておきたい、そのため見たい、それで検索をして件数を見て、そのあとに「ツール」から期間指定を一週間でして検索し直す、今日もそれをしていたところ見慣れないものが二つあって、食べログの「初台・幡ヶ谷 カフェランキングTOP57」というものと「京王・小田急沿線 カフェ人気ランキングTOP100(1-20位)」というやつで、最初のやつを見るとフヅクエはけっこうぶっちぎりな感じで1位だった、京王・小田急沿線のほうは551店のなかで16位だった。
今フヅクエは3.51点で、先々月くらいに続けて口コミが増えたことがあり、たぶんそのついている口コミの鮮度みたいな、重み付けかなにかのなにかで今そういう高い点数なんだろう、たぶんあと少ししたら3.2とか3.1とかまで落ちるのではないか、そう思ってはいるのだが、僕はこれを見ると驚きを禁じ得ない。けっきょくフヅクエは多くの場合は「カフェ」として検索されたりする店なんだろうとは思うのだけど、そういうなかで「初台 カフェ」みたいなクエリはたくさんあるだろう、それで出てくるランキングで1位とある、その店がどうしてこんなに暇なんだろうか、というところで大いに驚いた。食べログがどれだけ凋落しようともそれでも表示されているというだけで動きは生みそうなものだし、「初台 カフェ」で検索する少なくない割合の人のニーズにフヅクエが合致しない店であろうとも、であるからこそか、入ってきちゃって、どういう店なのかを知って、出る、そういう人がもっと発生しそうなものなのに、つまり「間違って入っちゃった」という人がもっと発生しそうなものなのに、いや発生しないことは店にとってはいいことなのだけど、いいことといか、少なくとも精神的にはヘルシーなことなのだけど、あるいは間違っちゃったことが可視化されずに受容されていたらそれがいちばんいいことなのだけど、単純に、もっとそういう「あ、ちがいました、やめます」みたいなものが生まれてしまっても不思議でなさそうなものなのに、こんなにも食べログは動きを誘発しないのか、という驚きというか。
とここまで打ったあとに下で煙草を吸いながらなんとなくプライベートモードで検索をして、それで同じランキングページを見に行った、そうしたらだいぶ見え方が違って、広告を買っている店がとにかく出ている感じで、というかランキングではないページが表示されて、それにはフヅクエなんて一向に出てこなかったし、ランキングはどこから見られるのかとわざわざ手繰り寄せて見てみても1位でなくて2位だった、それにその手繰り寄せはけっこうわざわざな動きで、自然な流れではなかった。それなら納得という感じはあった、初台にいる人がスマホで検索して、さくっと出ては、こない、のならば動きは生まないのかもしれないし、それにこの店の性質上それでよかった。わざわざ帰ってもらうために来てもらいたくなんてない。

ブリがついて検索の画面をさらに見ていたら、「初台 カフェに関連する検索キーワード」で10出てくるそのキーワードのいちばん最初は「初台 カフェ フヅクエ」だった。そうすると店のWebが最初に出てくる。みなそこで適切にやめるのだろうか。そんな丁寧な判断を人々はしているのだろうか。いや不幸なミスマッチは双方にとって不幸なだけなのでいいのだけど、人々がそんな丁寧に判断しているということがにわかには信じられない。という話だった。もっぱら。

岩手県産の自然栽培の、という赤長カブとレンコン等のゴロゴロのトマトのスープは、会心の出来だった。当初はトマトスープにするつもりはなかったのだけど、赤いのが変にレンコンとかに移るのは見た目としてよくないのではないかと思い、玉ねぎ等々蒸し炒めにしたあとの段階でトマト缶を投入した、これは正規の手順だった、今、トマトスープというかミネストローネというか、を作ろうとするときはいつも使っているトマト缶をやっぱり使っているのだが、どうなのだろうか、フレッシュなトマトであるとかにしたほうがよい味になったりするのだろうか、一度試してみたい。赤長カブは一本余らせて、それは柚子と甘酢で漬物にした。

それにしてもそういう、というかこういうというか、食べログだ、Googleの口コミだ、と、そういう点数をつけられるもので、僕はどれもがそうだとは思わないというかそうじゃないと思うけれど、まったく無理解のまま無理解なことを理解せずにさも理解したような口ぶりで無理解を露呈するあまりに無意味な口コミはどうしてもあるわけで、少なくなくあるわけで、それに総じて点数をつけることを目的にどこかに赴く人というか、点数をつけることが店であるとかの体験のなかで大きな比重を占める人に対しては、そんなスタンスで本当になにかを楽しむことなんてできるんだろうかと僕は懐疑的に思うし、自分がなにかを数値を用いて評価しうる存在だと思える人はずいぶん自信があるのだなとも思うし、返り討ちにあう覚悟は持っているのだろうか、なんか持っていなそう、安全地帯にいると思っていそう、そういうことを勝手に思っているわけなのだけど、それはそれとして、それはそれとして、それはそれとして、今のフヅクエはわりにそういった高いスコアになっている、そういう様子を見ると、そういう様子を見ながら、店の閑散を見ていると、ウルフを思い出す、どういう場面だったか、今手元にないのがもどかしい、なにか本を出版して、売れ行きであるとか評価であるとかを気に病んで、それから彼女は書く、「私の名声は高まっている!」、それを思い出す。名声なんていうのはもちろんバカみたいに大げさだけれども、名声に類したなにかは高まっているというか、少なくとも強く貶められている現場はほとんど見ない、しかし伴う実体がない、それが、なんというか純然とのつもりだが、不思議だ。

ものすごい、うれしい、ニュースがあった。それはそれとして『ディフェンス』読み終わった。もっとチェスのことが読めるものだと思っていたらチェスに取り憑かれた男のことは書かれていたが、頭のなかで無数の可能性のなかで駒がぐるぐると動き回るようなそういうことはあまり書かれていなくて、僕がいちばん興奮して読んだのはそういうところだったので、もっとそういうものが読みたいと思った、しかし最後はすごい展開というかあれで、ドキドキしながら息を詰めながら読んだ。
『エクソフォニー』をいくらか読んで寝た。

12月5日

映画を見ようかなと思ったところでどうやって映画の情報を取ったらいいのか、映画をコンスタントに見に行かなくなって久しい今、わからない、「渋谷 映画」では粒度が荒すぎる、そうすると映画館名で検索するくらいしかできなく、ユーロスペースやシネマヴェーラやイメージフォーラムで検索して、なにかあるだろうか、ユーロスペースではカウリスマキの『希望のかなた』がやっていた、見に行ったところすごい人がたくさんあふれていて火曜日は安い日のようだった、カウリスマキ。
いつのなに以来なのかまったく覚えていない久しぶりのカウリスマキはとてもよかった、シビアでやさしい映画だった、シリアのアレッポからやってきた山田孝之似の男性が難民申請をするべく駅の係員に「警察の場所は?」と尋ねると「本当にするのか」と心配するその様子からやさしかった、難民申請は却下されてそれはアレッポの状況は保護を必要とすると認められるものではない、という理由だった、とんだ話だった。それにしてもフィンランドの人たちのお金の扱い方の雑さは見ていて愉快だった、大金をポケットにつっこんでいた。そこから払っていた。
スクリーン2のD4の席で映画が始まるまえ多和田葉子の『エクソフォニー』を開いていた、エクソフォニーは母語の外に出た状態とのことだった。

エクソフォニーという言葉は新鮮で、シンフォニーの一種のようにも思えるので気に入った。この世界にはいろいろな音楽が鳴っているが、自分を包んでいる母語の響きから、ちょっと外に出てみると、どんな音楽が聞こえ始めるのか。(...)
「自分を包んでいる(縛っている)母語の外にどうやって出るか? 出たらどうなるか?」という創作の場からの好奇心に溢れた冒険的な発想が「エクソフォン文学」だとわたしは解釈した。 多和田葉子『エクソフォニー ——母語の外へ出る旅』(p.7)

山田孝之似の男性は難民同士ではアラビア語を話し、外に向けるときは英語を使う。長いこと難民施設に滞在しているイラク人の男性はビールの注文のやりとりをフィンランド語でおこなっていた。多和田葉子の本を読んでいてもヨーロッパというのは言語の往来がとても日常的にありそうなのだなあと思うのだけど、難民の人たちなんてまさにエクソフォニーな状態になる人たちだと思いながら見ていた。
それにしてもとてもよかった。

駅に出て、東横線に乗った、『エクソフォニー』を引き続き読んでいた、元町・中華街駅、そうか、中黒点が入るのか、元町と中華街駅という感じがする、そこで降りて、なんとなくなんでだか行ってみたいような気がしたことのあるような記憶がおぼろげにあるカフェ的な店に向かうことにした、川がチラチラと3種類の光を集めていてきれいだった、よくわからない通りを歩いた、どうせつまらない時間を過ごすのだろう、有閑なマダムたちのあいだでふさぎ込んだようにイヤホンをさしてどうにか本を読もうとしてしかし気が散ってしかたがない、子どもの塾の話、ここにはいない共通の友だちの噂話、そういうものを聞かされることになるのだろう、と思っていたら店内は静かで、男性二人がおだやかに静かな調子で話しているその一組以外はおらず、僕は快適だった、アリス・ウォータースの話をしていたかもしれなかった、アリスさんと言っていた、野菜のこと、料理のことを話していた、スープとパンのセットを注文して飲み物と甘いものはあとで考えることにして『ボビー・フィッシャーを探して』を読み始めた、著者の息子がずいぶん腕利きのちびっこ棋士ということだった、それにまつわる話かと思っていたら、プロ棋士たちの食えなさ、社会的な評価の低さ、そういうことがわりと書かれていた、一方のソ連ではトップの人たちは大富豪だしものすごい政治と関わっているし、だいぶいろいろ違う、というようなことがわりと書かれていた、彼らは今、取材旅行でソ連に行った。
コーヒーとケーキを追加で頼み、どれもとてもおいしかった、大満足だった、オーダーを取る、配膳をするその人の歩き方、強い足音、厨房から聞こえてくる冷蔵庫の扉のバタンバタンいう音、洗い物のガチャンガチャンいう音、拭いたカトラリーを戻すときのカチャンカチャンいう音、会計をすると奥にいる人たちがこちらを見ることなく「ありがとうございまーす」という声、総じて、作るものや出すものには気を配ってもそこに今いる人に対しては気を配る気がないのだろうと思った。

中華街を通ってKAATに向かうことにして歩いていると中国語らしい響きがあちらこちらからして、それにしても中華料理屋が途方もない数あった、細い路地に入ってもびっしりとどれも中華料理屋だった、こんなにも中華料理屋だらけだったということを、初めて通るわけでもないけれど初めて思った、もし僕が今、中華街で中華料理を食べるぞと思っていたとしたら、どうやって店を決めたらいいのだろうか、そう考えたら途方もない気持ちになって、うんざりした気持ちにもなった、なにかかっぱ橋の道具街に店に必要なものを買いに行ったオープン前の時期のことを思い出すようだった、そのとき僕は選択肢がありすぎてなにも決められない、うんざりぐったりした気持ちになって、すぐに猛烈に疲弊して、予定よりもずっと少ないものしか買わずに帰った、それと同じことがここでも起こりそうだった、つまり、中華料理を食べないで帰る、あるいは渋谷に戻ってから中華料理屋に入る、そんなことをしそうだった、そう思いながら歩いていると抜けて、横断歩道を渡ればKAATがあった、開場まで1時間あった、椅子に座って『ボビー・フィッシャーを探して』を読んでいた、時間がどうにか過ぎていった。 
KAATに来たのは3年ぶりで、2014年の12月だった、そのときはチェルフィッチュの『スーパープレミアムソフトWバニラリッチ』を見た、友だちと見にいった、フヅクエのオープン直後の時期だった、ひと月以上であるとか休みを取らず、ひと月以上ぶりに作った休店日に行ったのだった、この冬ぼくは半ズボンを履いていて、半ズボンで歩く12月の山下公園は寒かったし、山下公園に入った記憶はなかった、でも海の近くまでは行った気がした。
3年後だった、僕は一人で、長ズボンを履いていた。チェルフィッチュの『三月の5日間』のリクリエーション公演だった。これから会うことはきっとないでしょう、という場面で「年を取ったら顔もわからなくなるだろうし」というようなセリフがあって、これまではそのセリフはなかった気がしたそのセリフにドキッとした。リクリエートされた『三月の5日間』はずっと元気で、ずっと艶めかしいものだった。はっきりしていた、視線の向け方であるとかが。もっと横目で弱い視線を送るような具合だったのが、はっきりと、それにニヤニヤしたりしながら、見ていた。あいかわらず、ミッフィーちゃんが話し出すと僕は涙を流した、それからあれがどれの場面だったのかが思い出せない、背の高い女がぐねぐねと大きく踊りながら話しているその場面でも涙が出た、どの役者もそれぞれによかったけれど男二人の存在感がとてもよかった、4人が絡み合う場面はドキドキしたしかっこうよかった。見ながら、これまでに何度も何度も見たこの舞台やその役者たちのことや、2003年、自分が高校2年生だったときのことや、たしか2008年、初めてこの舞台をスーパーデラックスで見たときのことや、舞台の上の若者たちの14年前のことや、いくつもの時間を重ねながら見ていた。というか、今舞台に上がっている役者を見ながら、別の役者をも重ねて見ていて、それはなにか失礼ではないかと思いながら、どうしてもそうやって見ていた。とにかくどのみち、圧倒的に充実した時間だった。

KAATの建物は何度来てもなんとなくアガるところがあり、気持ちがよかった、ゆっくりとエスカレーターでくだっていきながらもっと下のエスカレーターを眺めたり、ホールを眺めたり、ふきぬけの高いところを見上げたり、しながら下り、劇場を出た。人々はどこに向かうのだろう、僕はこっちだと思うのだけど、みな違う方向に行く、何駅に行くのだろう、と思いながら元町・中華街駅にまた入り、ホームに続くエスカレーターに入る、それは入るという感じのエスカレーターの始まりで、前を歩くスーツ姿の中年男性二人が「スペースマウンテン」という言葉を発しながらその光景を面白がっていたがたしかに見慣れない、黒い、穴のような、入り口だった、そして、下り始め、下を見ると足を踏み外したようなドキッとした感覚になった、なにか予期していたよりもずっと長いエスカレーターだったそのギャップがその感覚をもたらしたらしかった、ずっと低いところにホームがあった、いい人工物だった、新宿三丁目駅行きの通勤特急に乗った、自由が丘で乗り換えると小手指であるとかに行くという、和光市であるとか、副都心線的なこのあたりの感覚はいまだにまったくわからなかった、小手指に…! というふうにぎょっとする。少しずつ車内は混み合い、途中で誰かがピザかなにかの袋か箱の蓋を開けたらしかった、ピザ味のポテトチップスかもしれなかった、チーズの匂いが広がり、こんな混み合った電車でそんなものを食べるかねえ、と思っていた、すると一人、混んでいるにも関わらずぐいぐいと動いて別の車両に移った女性があった、隣の人が窓を開けた、寒いのに、よほどこの香りは嫌なんだろうなと思った、菊名に着くと、人々は一斉に降りて、菊名はこんなに人気駅だったのか、と思った、僕は『ボビー・フィッシャーを探して』を読んでいた、ソ連のアメリカ人向けの高級ホテルのことを読んでいた、人がぽっかりといなくなり、すると赤いものが目に入った、床に赤い、ピンクに近い赤い、吐瀉物が広く広がっており、そうかあ、と思った、これだったか、そう思って、近くもなかったのでそのまま座っていた、鼻に手を当てて呼吸していたら匂いもだいたい防げた、次第になにかつらい心地になっていった、胸が悪くなるようだった、自由が丘で車両を乗り換えた。
渋谷に着き、東横線のホームから外に出ようと迷路を歩きながら、14年前はもちろんこうじゃなかった、開放的などん詰まりみたいな停まり方をした電車が置かれているそういうのが東横線だった、東横線にあの朝、女は乗るということだった、どこに帰るところだったのか、綱島か、今、30代後半くらい、男も女もそのくらいなのだろう、なにをやっているのか、思い出すことはあるだろうか、死ぬとき思い出す確率かなり高い思い出と男は言ったが、たとえば渋谷に行くたびにいくらか思い出したりするのだろうか、それはどういう感情を伴っての思い出しなのだろうか、そういうことを考えながら歩いていた。上演後にトークがある日で、岡田利規と平野啓一郎がしゃべっていた、初めて見た平野啓一郎はガタイがよく、「ガタイのいい平野啓一郎」という感じだった、そしてとてもダンディな声をしていた。10番出口から無事地上に出た。自転車を取って、漕ぎ出して、渋谷を抜けようとした、H&Mの建物を見た瞬間にまたそれはあの渋谷だった、ブックファーストがあって、東急百貨店があって、あの坂をあがって男と女はホテルに帰っていった、「帰る」の感覚がいつもと逆だから旅行感があるのではないか、初めて「渋谷から帰る」が東急百貨店の横を通り、神山町を通り、奥渋谷のエリアを通り、ということになったときの感覚を僕はもう覚えていないが、そう歩きながら『三月の5日間』の話をしたりするということはあったしそのときのことは覚えていた。

餃子を食べて帰りたくなったのは中華街の影響なのか、餃子を食べて帰るべきときだった。餃子とつまみとビールを頼み、それを飲み食いし、それから餃子とつまみとビールを頼んで、それを飲み食いした。『エクソフォニー』を読んでいた。愉快に話している男や女がいくらもいて、それを僕は好ましい気分で聞いていた。そこにはエモさのようなものがあった、意外にエモは、身近にあった。
そろそろ帰ろうかと思っているころに隣の隣あたりに座った男は注文の仕方が粗野だった、なんとなく嫌な感じがして、そう思ったら注文を終えてメニューを置く動きも雑で、投げ出すようだった、それからスマホを机に置くのも投げ出すようで、僕のところまで響いた、頼んだものがやってきても男はスマホの画面を見たままなんの反応も示さなかった、本当に嫌だなと思いながら視界の端で存在を感じていたところ、食べ始めたらクチャクチャ音が鳴る人間だった、なんというかすべてが腑に落ちるというか、辻褄が合うというか、わかりやすくガサツな存在ということだった。ガサツで、それから他者がいない、というふうに僕はいつも思うようにそう思った。

12月6日

家に帰って日記を書こうとしていたところ一日リュックに入っていたパソコンはそれだけで電池を全部使い果たしたらしく、電源に繋いだところ1%となって、消えて、しばらく立ち上がることはなく、そのあと画面がついて0%となっていて、それから一つずつ増えていった、持ち歩くこともそうないしかまわないのだが、それにしてもこれはもう寿命なのかもしれんね、買い替えるときがきたのかもしれんね、煙草を吸いながらベランダでMacBookの情報を見ていたところ、MacBookとMacBook AirとMacBook Proの3つがあるということだけわかって、それぞれがどうなのかはわからないまま煙草を吸い終えて部屋に戻ることになった、ソファに戻った、『エクソフォニー』を読みながら寝た、それが昨夜だった。

12月7日

12月5日分の日記を書いて過ごした、それが12月6日だった、わりに忙しい日で、5日が完膚無きまでの閑散の日だったのでよかった、翌7日午後、厨房の使い勝手をよくするために棚というか台というか収納というかをひとつ作り足すことにした、もともとあった台というか収納というかの上に、もうひとつ台というか収納というかを置こう、ということだった、採寸して、必要な板のサイズを考えてホームセンターに向かったのが14時過ぎだった、方南町のほうにある島忠ホームズに着き、ラワンの12mmの大きな板をかかえて切ってもらう場所に運び、カットの寸法を用紙に記入し、30分待った、15時に受け取った、けっこうな重さの板を片手で抱えたり取っ手を持ったりしながらだましだまし、自転車を漕ぎ、途中コーヒー屋さんに寄った、じっとりと汗をかいていた、アイスコーヒーを飲んだ、15時半に店に戻った、インパクト等々を屋上に持っていった、ボンドを塗るといいとホームセンターの方に言われたのでボンドを塗って板を合わせて穴を開けてビスを打って固定して、ということを繰り返しおこない、サンドペーパーで全体をなめらかにし、よく拭いてきれいにして、できたのが16時半だった、強い満足感があった、1時間屋上にいたらずいぶん寒かった、しかし気持ちはとてもアガっていた。

疲れを感じた、はしゃぎすぎたと思った、夜、やることがいろいろとあることがわかり、スープを作ったりラタトゥイユを作ったり、ほとんど座ることなくずっと働いていた、そうしたら要は一日中あれこれ動き回っているということになり、体が明確に疲れを訴えていた、腰のあたり、あっそう死んどけと僕は思ったか、思わなかった、思い出していたのは『三月の5日間』のデモの場面の2回めの、赤坂のアメリカ大使館に行った、そのすぐのところにあるマンションの住人に石原くんが怒られちゃいました、というあの、怒られちゃいましたという、眼鏡の背の高い猫背なイメージの役者、下西啓正というのか、彼が怒られちゃいましたという、その言い方を僕はたぶんすごく気に入って、それからとてもしっくりくるみたいで、なにか自分のなかに大切なものとしてインストールしたがっている、もうすでにとっくに完了しているかもしれない、そういう言葉だった、それが今回はなかった、僕はだからその場面で、いわば怒られちゃいました待ちをしていたというか、構えてはいた、それが役者が無言でその場面を終えてスタスタと歩いていった、その肩透かし感というか、あ、という置いていかれた感はすごく面白かった、最後まで、今なの? 今なの? と問うて、その可能性は最後まで維持されていって、そして役者が消えた瞬間にゼロになったそれは、奇妙で面白い肩透かしだった。それから下西啓正、あっそう死んどけというあの言葉も、言葉というか話の展開や態度全体として僕はすごく気に入って、それからとてもしっくりくるみたいで、なにか自分のなかに大切なものとしてインストールしたがっている、もうすでにとっくに完了しているかもしれない、そういう言葉だった、その二つの言葉を思い出していた、スープを作りながら、今日はカリフラワーのスープだった、二つのカリフラワーを、とぽん、と鍋に投入した、その間抜けな絵面が気分がよかった、おいしくなったらいい。

味見をし始めたら、少し薄い気がした、塩を足そうかと思った、思いながら足さないまま、もう一口、もう一口、と味見をした、その行動を見て、塩は足さなくてよいということ、おいしくてしかたがないということ、それがわかった。
たまねぎセロリにんにくをあらみじん切りにして鍋に入れオリーブオイルと粗塩を適当な量入れゆすって混ぜて蓋をして火にかけてじっくり蒸し炒めにする、たくさん水分が出てきてもういい気がしたら水を入れたいだけ入れる、ぶつ切りにして一時間くらい塩をまぶして水分が出た鶏肉のその水分を拭き取りフライパンに並べオリーブオイルをやって焼く、焼き色が全体についたら白ワインを入れて煮詰めていく、煮詰まったら鍋に合流させ、そのときにマッシュルームとローリエとカリフラワーは丸のまま2つ、入れる、煮る、カリフラワーがよく煮えて木べらで押したら崩れるくらいになったら全体を崩して、終える。という予定だった。

12月8日

なんとなく朝から慌ただしい気分というか気ぜわしい。ショートブレッドはやはり夜中に焼くものだなと思った、僕にとっては先があるときにやる作業じゃない、全部が終わって、疲れつつ、のんきな気分で、陽気な音楽でも流しながら、終えたら飲むビールと、夕飯のことを考えながらやる作業だった、そう思った。それから、いやそれからでもなんでもないが、読書日記の更新も日曜日におこなうことにしようと思った、来年からそうしようと思った、金曜まで書いた分を土曜に更新しようとするとなにかと余裕がないし誤字も発生しやすくなるだろうし、なんとなくよくないとは感じていたがここのところそれを強く感じた、なにがあったわけでもないが、そう思って、それから店が始まった。

午後、本を読もうと思い外に出て、ドトールに行った、久しぶりのことだった、いつ以来だろうというくらいに久しぶりだった、行ってみるとレイアウトであるとかがいろいろと変わっていた、本は読まずにブログを書いていた、エディタを開いているだけの1時間足らずのうちに電池は50%まで減り、それからMacBookのことを検索してどれにしたらいいものかと見ていた、MacBook Proの16GBというのがいいのだろうか、16はあったほうがいいのか、8でいいのか、と、電池30%、そこで落ちた、1時間20分くらいで事切れた、もう限界だ、次の休みに買おう、雨が降り出し、店に戻り、夜はうれしいことに忙しかった、バタバタと止まることなくあれこれをし続けていたらそのまま閉店時間になった、にんじんしりしりを作って食べた、放心したように椅子に座っていた、妙に体が疲れたらしかった、帰宅後、『エクソフォニー』を開いて少し読んだら寝ていた。

日本の歌や歌舞伎の役者は普通、昔の日本語やそれに類する言葉でしかセリフをしゃべらない、だからドイツ語の劇を彼らと上演する場合、現代のいわゆる標準日本語ではなく、それなりの言語に訳す必要がある、という主旨のことを言う時に、わたしは、nurという言葉を使ってしまった。すると、彼が、nurではなくてausschliesslichだろう、とすぐに言った。その時、初めて、確かにそうだなあ、と思った。 多和田葉子『エクソフォニー ——母語の外へ出る旅』(p.166)

nurではなくausschliesslich。

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