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スープとパンとトンプソン

Entry blog508

スープを作り始めた。寒くなって、あたたかいもの食べたい飲みたいという気が起きて、そういうこともあってスープでも作ってみるかな、と思ったのでスープを作り始めた。スープを作ってみると、ゆっくりじっくり野菜を蒸し炒めしている時間はなんだか幸福感のあるもので、そして出来上がるものも滋味的にも深くて、スープとはこれはまたいいものだなと思って、それに腹の減り具合的にスープぐらいがちょうどいいという場面はしばしばあるからスープがあるのはよいという意見を人から聞いたこともあって、後押しになって、スープ、作っていこう、スウプ、みたいな、ことになった、それでスープスプーンを買ったり鍋の運用的に必要ということでストウブを買ったりした。ストウブで作るスウプ。
そのスウプ、スープをお出しするにあたり、スープ単品の他にパンと一緒にみたいな選択肢も用意することにして、パン屋さんで買ってきたバゲットを添えて出すということをしていたところ、いや、バゲットよりも、小さい丸いパンみたいなやつ、的なやつ、そういうもののほうがよい気がする、見た目にも、食べる調子としても、という気が起きた。パン屋さんに次に行ったときにそういうものはありますかと尋ねたところないですということだった。町に放り出された僕は、作れということか、とひとりごちた。見上げた空は真っ青で、とにかく広くて——

で、パンを焼くことにした。それはトンプソンさん主導で、および指導のもとに、実装された。
というところで、10月の後半からフヅクエにご参加くだすっているニューカマーの紹介の記事を書いておこう、お見知りおきをということをしておこう、というので今こうやってカタカタしているわけなんですが、新しいスタッフはトンプソンさんです。自己紹介的なものは「はたらいている人ページ」というか「スタッフページ」というかにあるのでご覧ください。以後お見知りおきをというところです。
続けます。それで丸いパンがいいなという気分がもたげたその日、パンをね、をねと言いますか、もね、作るっていう説を、考えてしまったんですよ、パン、ということをトンプソンさんの帰り際に僕は言った。
すると次に入る日にホーローの平たい密閉容器を持ってきていた、そこにはパンが入っていた、まさに、こういうものがよい、というようなパンがそこに入っていた。パンを焼くことは好きなことの一つであるとのことで、パンを焼いたとのことだった、いただいたところとてもおいしく、これがいい、というふうだった、しかしトンプソンさんはまったく満足していなかった。
その翌日だったか翌々日だったか、次に入った日、もうひとまわり大きいホーローの密閉容器を持ってきていた、そこには前よりもたくさんのパンが入っていた、まさに、こういうものがよい、というようなパンがやはりそこに入っていた、曰く、春よ恋、春よ恋(やわらかくこねた)、スーパーキング、ということで、作り方や強力粉を違うやつにした3つのバージョン違いのパンがそこには入っていた、僕は「どれもおいしい」と思った。
それで、これはもうパン、そしたらパン、ということで、必要なものを教わって、強力粉であるとかドライイーストであるとか作業用のペストリーボードであるとかスケッパーであるとか、揃えて、先週の月曜日、教わりながら焼いた、初めて焼いたパン、2つ準備した強力粉はキタノカオリとテリア特号、僕の推しは断然テリア特号、なんせ名前がよかった、え、船? という感じがいい、なのでできたらテリア特号で行きたい気分、それにしてもパン生地はやさしい、やさしい人間になれそう、それにさっそく完全においしい、俺はもうこれでオーケーだと思います、という次第で、引き続きスープとパンを作ろうと思っている、それどころか、今度看板を作り変えることとショップカードを久しぶりに作るということをするというかすでにどちらもいろいろ注文済みなのだけど、そこにも「スープとパン」という文字が入っているという、その見切り発車具合、というところが我ながらとてもいい、いや見切り発車ではない、続けるぞ、という意思のあらわれというか、書かれた以上は続けるしかない、という縛りみたいなものというか、縛りなんかではない、前向きだ、とにかく続けるらしい、なぜならばスープとパンがあるフヅクエは一等よくなったフヅクエであると思うからだ。

今回トンプソンさんを迎えるにあたって、というか新しい人を迎えるにあたって、人を迎えるとはどういうものなのだろうか、どんな感覚になるものなのだろうか、と思っていた。不安みたいなものとともに。
去年の春から働いてくれているひきちゃんは、付き合いがだいぶ長いこともあったし、僕はひきちゃんのことをその付き合いで知れる範囲においてはどういう人なのかを知っていたし、彼女もまた僕がどういう人なのかを知っていたから、なんかこう、最初から信頼を僕は持っていたし、安心も持っていたし、なんの抵抗もなかったのだけど、今回は、変な言い方だけど第三者、外部の人、が初めてフヅクエで働くみたいな感覚で、働いてくれる人がどういう人になるにせよ、それはどんなものになるのだろう、僕はどう感じるのだろう、と思っていた。
そうしたら、蓋を開けてみたら、これは本当にいいことだった、と日々思うことになっている。なんというか、これまでもある程度以上は自分がやっていることの一つ一つに根拠があるつもりでいたのだけど、馴染みすぎて根拠を疑う気も起きないような事柄がいくつもあったし、不便だったけれど慣れすぎて何がどう不便なのかわからなくなっているような事柄もいくつもあった、それは僕だけでなく、ひきちゃんもそうだ、そういうことがいくつもあって、しかし初めてフヅクエの内部に入る人に対しては一つ一つをなんでこういうことをしているのか、こういうふうにやっているのか、理解してもらって納得してもらわないといけない、そういう場面において、あれ、なんでこれってこうやってたんだっけ、納得を与えられる強い理由が見当たらない、それを俺は持っていない、みたいなことがいくつも出てくるような感じがあった。店にはいくつもの、不合理、不便、改善できることがあった。
それはトンプソンさん自身から指摘や提案をされることもあれば、第三者的な視線で店の中を見る意識が強まったことによって僕が気づくこともあって、そういうわけで今フヅクエは、ここのところ久しくなかったほど変化がいくつも起きている気がして、今のところは内部的なものというか厨房内のことが多いのだけど(例えば今までは台拭きであるとかには漂白したダスター、ピンクとか緑とかのやつ、を作っていたのだけど、それが煮洗いされた布巾になった、であるとか。漂白剤がそんなに忌み嫌われていたなんてまるで知らなかった!)、なんだか総じて店が活性化していて、というか何よりも僕の意識が活性化していて、ああするぞこうするぞ、あれはどうだこれはどうだみたいなモードがここのところは続いていて、それはこれが働きであり暮らしである以上、大変よい状態だなと思っている。(とはいえ僕の場合は、こういう、やるぞーみたいなモードがしばらく続いて、おさまって、ダラダラ無気力モードになって、無気力にも飽きて、またやるぞーモードになって、みたいな波がだいたいあって、今がそういう時期なだけで、この前向きさがずっと続くわけではまったくないだろうけど)
それにしてもここまで、ひと月くらいか、トンプソンさんの働きというかコミットに僕は感動している。想像しうる限り最高レベルに、というかこんなふうに関わってくれる人が現れるなんて想像もできなかったという程度に主体的に関わってくれていて、日々、あれはこうしてみてもよいのでは、これをああしてみるということを考えたのですがどうですか、そんな話をくれる。感動している。募集のところで僕は「フヅクエという場所を使って遊んでみたいみたいな方がいたら僕は楽しいなと思っています」と書いていたのだけど、まさにそういう感じ、すごくフヅクエで遊んでくれている感じがして、感動している。感動しながら、フヅクエというフィールドにおける遊びの可能性は、僕が思っているよりも広いものなのかもしれない、と気付かされてもいる。ちょっと度し難くありがたい。

まあともあれそういうわけなので、スープでした、パンでした、トンプソンさんでした、という話でした。あ、いや、違う、そうか、スープ、スープ作り始めたの僕はてっきり内発的に「スープ作ってみたいかも」と思った気でいたけれど、そういえば多分それは違って、ある日にトンプソンさんが何冊かあれこれのレシピ本を持ってきていて、その一冊が冷水希三子の『スープとパン』で、そのときはほとんど僕は開かなくて、ふーん、スープね、スープはいいよね、と思うくらいだったのだけど、すぐ忘れて、しかしそのときに植えつけられていて、一週間二週間してから「あ、スープ作りたい! 俺はまったく内発的にスープを作りたい気に今なった! 俺のオリジナルのこれ発想! 出どころはもっぱら俺! それがスープという俺こその妙案!」と思ったのだった、それが確か正しい順番だった。僕にはこういう、自分の行動の起点を忘れることがしばしばあって、危ういなと思いました。というわけでスープでした、パンでした、トンプソンさんでした、という話でした。

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