本の読める店

読書日記(59)

Entry diary59

11月11日

少し早めに店に着いて玉ねぎとセロリと人参とにんにくを蒸し炒めし始めた、昨日スープが終わったので作ろうということだった、他の材料を準備して、ゆっくりとスープ作成を進めながら掃除をしたり朝ごはんを食べたりしていると開店時間を迎え、そこから本当に久しぶりの感じの忙しい休日を過ごした、後手、後手、全部後手です、という状態に陥りながら長い時間を過ごした。慌てた気分を味わいながら、同時に、とても喜んでいたというか安心していた、まだこういう日が生まれうる、ということは救いだった。

スープは今日は初めてトマト系にすることにして鶏肉とごぼうと舞茸と椎茸とオリーブを入れた、ストウブを初めて使った、黒い重厚な鍋と赤いスープはきれいだった、赤くなる前の炒めている段階でもすでにきれいだった。小鍋で温め直すときにショートパスタも入れて、ミネストローネな感じにした、おいしかったのでうれしかった。鼻と口のまわりがやけに乾く。赤くなっているのではないか、と思いながら夜になっていった、いつもは店に着いたらまずコーヒーを淹れるというところを、野菜を切ることから初めてしまったことで何かが狂ったらしく、夜8時を過ぎてその日最初のコーヒーを飲むということになった、それまでの時間はずっとコーヒーを飲みたいと渇望する時間だった、それからいつもは昼ごろおこなう読書日記の更新作業に今日は取り掛かる余裕がどこにもなく、日付けをまたぐことはしたくなかった、夜になって更新した、珍しいことだった。バタバタと忙しい休日というものが久しぶりすぎてなんだか慣れない一日を過ごしたような気分で、体感で、夜は過ぎたらすっからかんだったが、それからも仕込みをおこなったり、最近進められている厨房内の整理整頓をいくらかやろうとしたり、そういうことをしていた、勤勉だった。できるかぎり善良だったか? 気遣いはあったか? もしそうであれば踊ったらよかった。

なんとなく本を開くタイミングを逸して、いくらか頭痛がした、12時に店を閉めて、ビールを飲んだ、30分くらい放心していた。テキーラを飲んだ。キャンペオン。アネホ。木っぽい味やなんか覚えのある思い出せない風味が混ざり合う複雑な味で、とてもおいしかった。『波止場日記』をいくらか読んで帰った。

二年前くらいまでは延々とダラダラとLINEをするような間柄だった友だちが、互いの誕生日におめでとうと言い合うだけになってしまってさみしさを感じた。今年はスタンプに対してスタンプだけというものだった。そのスタンプは、前回のやり取りのときと同じ種類のもので、つまり、大きな空白期間を置きながらも何か地続きに流れているようなタイムラインになったのでいくらかだけ愉快になった。

11月12日

白菜と玉ねぎと長ネギとセロリを粗塩とオリーブオイルをまぶしてじっくり蒸し炒めにして、途中で椎茸を加えて、水を入れ、ひよこ豆を入れ、最後に塩漬けにしておいた鶏肉を入れてすぐに火を消してそのまま冷ます、そうしたらどうだろうか、鶏ハムみたいな要領で肉に火を通したスープは、どんな感じだろうかと、そう思った、夜やってみようか、朝そう思った。鶏ハムみたいにしっとりとするだろうか、温め直すときにがっつり火が入るから関係ないだろうか。

夕方、Webの手入れをほんの少しだけおこないたく、それで久しぶりにDockerを立ち上げてというのかitermを立ち上げてというのかよくわからないが立ち上げて何かしようとしたところ「xcrun: error: invalid active developer path」というエラーでgitが動かなかった。調べてみると「xcode-select --install」というコマンドを入れたらいいということで、それをおこなった。すると動き出した。まるで自分でなにかトラブルを解決したような気になり、誇らしい気持ちでいっぱいになった。セルフマージして、デプロイはWebをお願いしている友だちにお願いした。と書くと、立派なことをしたような気になり、誇らしい気持ちでいっぱいになった。夜、大掃除みたいなことを始めた。本でも読むかと思ったら、大掃除みたいなことを始めていた。なにかしていないと落ち着かないようなところがここのところあるのかもしれなかった。感心なことだったが、しかし、なにもやらないでも気にならないような気分を、余裕を、持ちたいような気もした。

大忙しだった昨日の分を補って余りあるほどの暇な日曜日になったので笑った。
8時には誰もいなくなってしまった、ガスコンロの周囲というか壁というか、のあたりをきれいにし始めたら換気扇もそろそろ掃除する頃合いだということがわかり、それで薬局でハウスマジックリンを買ってきて、洗うことにした。シンクのなかで換気扇を入れたビニール袋にお湯を張ってマジックリンをたくさんいれて、閉店して、なんというかいろいろとやる気がなくなったため夕飯はラーメンにすることにしてラーメン屋さんに行ってラーメンを食べて、戻ってから遅くまで一所懸命掃除をした。浸け置きの効果はよくわからなかった。けっきょく大変だった。2時近くまでやっていた。S.L.A.C.Kをシャッフルで流しながらやっていた。心地よかった。ビールを飲んだ。なまらにがいビールを飲んだ。今日ビール屋さんにいただいた。それを飲んだ。むなしさがあふれてきた。それを振り払った。笑顔だった。

11月13日

しかし、司令官、この最初の出会いについて話すためには、その前のことをお話しせねばなりません。発言が許されると、彼は次のように話し始める。
朝、『ただ影だけ』を1ページだけ読んで、新スタッフのトンプソンさん指導のもと、パンを作る。
キタノカオリとテリア特号の2つのバージョンを作ることにする。ボウルに強力粉、薄力粉、塩、砂糖を入れ軽く混ぜ、イーストを入れてさらに混ぜ、水を入れてよく混ぜる、全体になじんだら軽くこね、手に生地がつくようになったらまとめて濡れた布巾を掛けて10分休ませる。ペストリーボードに打ち粉をして、そこでこねる。押し、引きながらつまみあげ、90度向きを変え、押し、引きながらつまみあげ、90度向きを変え、を3分ほど続ける。つるつるまるまるになる。それを油を塗ったボウルに移し、布巾を掛け、3時間発酵させる。そのあいだに店を離れて自転車に乗って新宿のほうに出た。まだ早かったが前に作ったときに合うものがないから取り寄せだからというので時間が掛かった記憶があったので早めにと思い、鍵屋さんで鍵を作ることにして、パークタワーの地下にあるミスターミニットに向かった、するともぬけの殻だった。隣のクリーニング屋さんのおばちゃんに聞いたところ先月閉店したとのことだった、仕方がないのでエレベーターでコンランショップに上がってスープ用のスプーンをもうひとつ買うことにして買った。柳宗理のやつにした。
それから、調べると野村證券のビルの地下にミスターミニットがあることがわかったので向かった、鍵を渡すと、しばらくして、これはないですね、と言われた、おじちゃんは「さっきの人にも教えたんですけどね」と、愉快そうな口調で机にチョークかなにかで直接描いた模様を見せた、それは地図らしかった、青梅街道に出て、マクドナルド、東京医科歯科大、それから少し行ったところ、ここから6,7分歩いたところに鍵の専門店があるから、そこだったらなんでもあるはずだ、ここはどちらかというと靴修理だ、靴が8割だ、だから鍵は少ない、そこは専門店だからあるはずだ、そう親切に教えてくださり、僕はなんだかすごい軽快な心地になったので笑顔でお礼を言うと、再び自転車に乗って今度は成子坂の方向に走った。鍵屋さんはあった。ものもあった。この形は初めて作ると言われた。それでその場で作ってもらえた。そこにそれがありさえすれば、鍵はものの10分で作られるのか、ということが知れた。据え付けられたテレビで鍵屋さんを扱った特集かなにかが流されていて、いろいろな緊急を要する場面で鍵屋さんが出動して、いかんなく専門性を発揮する、そういう様子が映されていた。面白かったのは家に入れなくなった、鍵が合わなくなったそんな予兆はあった、そういう家主の女性に対して、1分も掛からずに解錠した鍵屋さんが「もしかしてずっと換気扇つけてます?」と尋ねた場面だった。
曰く、大通りに近い部屋は防音のために部屋の密閉度が高く、そこで換気扇がずっと回されていると、部屋の空気が内に内に引き寄せられていって、鍵穴も例外ではない、それでズレが生じる、そういうことだった。言われてみたら朝出るときもすごい押し開ける感じだったんです、そういうことだったんですね、と合点がいった様子だった。開ける時のコツは少し引きながら鍵を回すことだった。
鍵屋さんの思わぬハシゴで時間を食ったが用事も済んだし発酵も進んでいることだろうからと、店に戻ることにして、店に戻る前に一服しようとコンビニに寄った、駐車場がしっかりあって、ベンチが置かれいて、灰皿が立っている、そういうコンビニがあった、そこで自転車をつけて、じゃあコーヒーでも、と思って100円コーヒーを買った、コンビニのコーヒーは久しぶりだった、それを飲みながら、煙草を吸い、そういえば近くに行ってみたかったコーヒー屋さんがあったはずだ、と調べたら本当に近くで、そちらに行けばよかったかもしれなかった、しかしそこでは煙草はまず吸えなかろうから、これでよかった、晴れていて、寒くもなく、太陽の光は黄ばんでいて、いい秋の午後だった。店に戻るとお客さんが何人かあって、僕がいない時間に営業が回るこの感じ、それがとてもいい、と思っていくらか新鮮な喜びを感じた、オーダーがひと段落して、3時間も経過した、パンを再開する頃合いだった。それはたしかに大きく膨らんでいた。
ペストリーボードに打ち粉をして、生地をのせる。スケッパーで2/3を切り、広げて棒状にする。それを40gずつ切る、軽く丸くする。濡れ布巾をかぶせて20分休ませる。天板にオーブンシートを敷き、そこにちゃんと丸くしたものを置いていく、絞るようにして張らせて、つまんでしっかり閉じる。濡れ布巾をかぶせ、50分ほどかけて2倍ほどの大きさになるまでさらに発酵させる。210度でオーブンに火をつけて、刷毛で、今回は3パターンでやった、なにも塗らない、牛乳を塗る、卵液を塗る、それで全体に霧吹きで水を掛け、オーブンに入れる。13分から14分。10分ほどするとオーブンの熱を逃がすところからパンの匂いがしてきた。13分。タイマーが鳴って、オーブンを開ける。そこにあったのはパンだった!

夜、雨が降っている時間があった。ふいに「看板を作り変えようかな」と思い、イラレで新しい看板の案を作っていた。するとなんだかすごく看板が上手にできて、「これは誰が見ても看板だ」というものだった、そのことに満足した。

日中二つのことを思いつき、気にいっている。一つは、遊び半分のものと実用的なものとの関係に関するものである。遊び半分のものの先行性 ——実用的な道具のほとんどは半ば遊びの行為をその祖先としたこと、粘土の像が粘土のつぼに先行したこと、初め楽器であったものが後に武器となったのが弓であること—— を私はくり返して語ってきた。実は、この関係は循環的 ——実用的なものが遊び半分のものを生みだすこともありうる—— である。遊び半分の絵が実用的な絵文字に先行したが、象形文字はしばしば装飾に使われた。装飾品と衣服との関係についても同じことが言える。装飾品が実用的な衣服に先行したが、衣服はしばしば装飾となった。 エリック・ホッファー『波止場日記 —— 労働と思索』(p.115)

寝る前に『波止場日記』を読んでいたらふいに『ピダハン』を読みたくなった。この箇所が何かを思わせたのか、先週ラテンアメリカ文学のことを考えたりしていたことでフアン・ホセ・サエールの『孤児』のことを思い出した影響もありそうだった。あるいはパンの本をペラペラしているときに出くわしたピタパンだろうか。

11月14日

丸善ジュンク堂に入って大きくぐるっと歩いていると、どの棚の前にもというほどではないがいくつもの通り過ぎていく、目の端に入るいくつもの棚の前に人が立ったり座りこんだりしておのおののいいように、本を取って視線をページに落としている人、並んだ本の背を真剣そうな態度で眼差している人たちがいて、本屋に行くよさというのはこういうところにもあると思った。なにか、味方のような、仲間のような、そういう存在を確認できるというか、そういう安心感、親近感があった。いい本を、手に、取りたいよね、見つけたいよね、という。仲間以外に回す愛は持ち合わせない、と僕は何度でも思うが、フヅクエで僕が思う仲間とは、友だちでもなんでもなくて、本を読む、一人の静かな時間をゆっくり過ごす、そういう欲求を持った人たちのことを指している。仲間以外に回す愛は、この店は持ち合わせない。

店に行って仕込みをして、それからひきちゃんと歓談をして、歯医者に行った。最初から同じ歯科衛生士の方が見てくれるというか歯石を取ってくれ、担当という形でつくのだなということが知れた。知りたいわけでもないけれども、ずっと同じ人がやるのならば名乗るくらいしてもよさそうなものだなと思った。と、思って、知りたいとかそういうわけではもちろんなくてですね、そういうことではなくてですね、ただ単に、となにか、勝手に慌てて打ち消すようなそういう態度が自分のなかにあった。人間と人間が関わるうえで、名前くらいあってもいいのではないか、ということを言いたいだけなのに、なんなのか。
歯医者を出ると雨が降ったらしく自転車が濡れていた、店に戻った、すぐに出た、カレーを食べたくてキッチン富ヶ谷に行ってカツカレーを食べた、若い人ばかりだったが、どのお客さんも出るときにハキハキとごちそうさまでした等言っていて、そういうことはいいことだと素朴に思った、カレーはおいしかった。思ったよりも辛かったので汗が額から湧いた。雨はまだパラパラと降っていて、税務署に行って知りたかったことをどうにか知れた。歯医者でも感じたし税務署でも感じたことだけれども専門知識を有する人は聞く能力が本当に重要だということで、知識を持たないしかし何かを知りたいと思っている人間に満足な答えを与えるためには、その問いがなにを本当に問うているのかをしっかり見定めなければならない、それができないで答えを急ぐと、不毛なことになるし、お互いに疲れるだけになる。聞かないといけない。すべきことは答えることではなくて聞くことだ。聞けさえすれば、彼らは答えを持っているのだからすっと出せるのだから、答えることに力点を置いてはいけない。

『ピダハン』がほしくて、なんとなくありそうだし見たことがあったような気がしたし、近かったし、時間もなかったし、SPBSに行った、見当たらなかった、代わりにオオヤミノルの『珈琲の建設』を買った。いいタイトルだった。ルビッチ。僕は「珈琲」は使えない。オオヤミノル。なんでだか、歯医者を出た直後だった気がするのだが、煙草を吸っているときにオオヤミノルのことをなにかで考えていたから、その本を見たのはいい偶然、とっておきの偶然だった。あれはなにを考えていたのだったか、「オオヤさんは誰の前であっても日和って煙草を吸うのを控えたりみたいなことはしなそうだな」みたいなことだった気がする。『ピダハン』はなかったが、買うときにお店の方に『ピダハン』って本はないですかね、とお尋ねしたところ、即座に今はないという答えが帰ってきて、いろいろな本が並んでいるなかで一つのタイトルを言ってそれに反応がすぐあるというその事態が心地よかった。アマゾンとかのやつですよね、と会計をしながら言われ、そうそうそうそうなんです言語がどうこうのそうそうそうそうなんです、と言ったか言わなかったかをした。
それでアップリンクに向かった。雨はまだ降っていた。こんなことなら歩いてくればよかった。こんなに雨が持続的に降る日だとは知らなかった。アップリンクは本当に久しぶりだった。いつ以来かもまったくわからない程度に久しぶりだった。事前に予約していた席は最前列で、最前列はキャンプの椅子のしっかりバージョンみたいなやつで、布を、張った、という感じのチェアー、チェアー、という椅子で、こんな席を予約できるなんて! といくらか面白い気分になった。黒沢清の『散歩する侵略者』を見た。見逃していて、もう見る機会もないかな、と思っていたところ、『パターソン』をもう一度見ようかなと見に行ったアップリンクのサイトで上映していることを知り、時間もちょうどよかったし、ということで見ることにした。

『散歩する侵略者』はちょっとこれは黒沢清の最高傑作なんじゃないかといくらか放言したくなるような、すばらしい映画だった。ずっとすばらしかった。冒頭の制服姿の女の血まみれで道路を歩くその歩行の様子からして美しくて、美しい、この人はダンサーとかなのかなと思いながら見始めた、そのあとに出てきた松田龍平のヘナヘナとした動きもまたすばらしくて、抜け殻になった人間のぎこちのない馴染みのない動きもまたすばらしくて、そういうなにかすばらしい身体、すばらしい運動みたいなものに触れることは目にとってひたすら喜ばしいことだった。それから地球人のというか日本人の迂遠な話し方に対して意味がわからない、説明になっていない、と言う宇宙人のその、言語や思考体系を学ぶ学びが面白かったし、だから見ながら「ここはやはりピダハンか」と思った、それは正しい結びつきだった。それにしてもぜんぶすばらしかった、バカみたいだからこそ感動的な大声や演説や、車の窓の外の合成されたうさんくさい景色や、切れのある格闘アクションや、爆発や疾走や、そしてすごい風や、ぜんぶがすばらしかった。やりたいことがぜんぶ詰め込まれているような、そしてぜんぶきっちり機能しているような、そういう清々しさがあった。とても気分がよくなって映画館を出たらまだ雨が降っていた、丸善ジュンク堂に行って『ピダハン』と『Number』の日本シリーズ特集を買った。本を読むためにフグレンに行った。つまり、この日は行動範囲が極めてせまかったということだった、代々木八幡から東急百貨店までだから、ずっと奥渋谷的なエリアにいたわけで、だからこそ歩いていけばよかったという思いも強まった、自転車を雨にさらしたくない気持ちもあったし、歩きで十分だったというそういうことでもあった。自転車はいちいち停めなければならないが、歩行を止めることは誰にもできない。

フグレンで『ピダハン』を読み始めた、リュックには『波止場日記』も『ただ影だけ』もあったが気分は完全に『ピダハン』だった、それで読んだ、最初はソファの横の席でコーヒーのことを話している男女というかコーヒーのことをレクチャーし続ける大学生の男の子の話に耳が行ってしまって、それはなるほどそうなのかコーヒーとはと勉強になる話で興味深かったから聞いてしまって、一向に文字が頭に入ってこなかった、これはまずいと思ってイヤホンをして音楽を聞くことにした、それで読めるようになった、これはどう考えても面白いだろうという本らしかった。ピダハンは交感的言語使用を一切しない、つまり「ありがとう」とか「ごめんなさい」みたいなことを言わない、彼らの言語には質問と宣言と命令しかない、そんなことが書かれていて、それだけで興奮するようなところがあった、わりと夢中気味で読んでいた。

9時くらいに出て僕は唐揚げを食べたい。餃子を食べたい。でもどこか外でというよりは家に帰ってつまんで飲みたい、揚げ物屋さんとかでテイクアウトとかそういうものはないだろうか、とうろうろしていた、唐揚げと餃子を食べたい。めぼしいものは見つけられなかった、結果、『オリジン弁当』を見かけて、なるほどここならば、と思って入った、初めて入ったかもしれない。僕は買った弁当みたいなものを食べる習慣が一切なくて、容器がゴミになるということに多分とても強い抵抗があるらしかった。容器がゴミになるということは、ということはではないはずだが、僕は「ゴミを器として使う」みたいに感じてしまうのかもしれなかった、しかし入って、唐揚げと餃子と、それからポテトサラダを買って家に帰った、温め直そうと思って、しかしレンジがないので、フライパンで温めて、そうやっていったん出したから、そこに何も戻すこともない、ということで器を棚から出してそこに入れた、ポテトサラダもそうすることにした、それでビールを飲みながらつまんだ。つまみ終え、ビールを飲み終えるとさらに、という気になりコンビニに行ってポテトチップスを買った、買って帰って、ビールを飲んだらもう食べたい気は失せたので開けなかった。
寝る前、読まれたのは『波止場日記』ではなくやはり『ピダハン』だった、それはしょうがないことだった。

11月15日

昨日今日とショップカード、看板、のデザインの案をスタッフ二人に見せたところ二人ともからたいへん肯定的な反応をいただいた、これのここのところはどうかねちょっとあれかな、と不安を持った箇所について聞いたところ二人ともがかっこうつけるところはかっこうつけたほうがいい、という意見だったので愉快だった、この感じで出すことにした、いくらかの微調整した、原寸大で印刷して見た感じを確認し、オッケーオッケーと思い、それで看板をポチっとし、カッティングシートとショップカードの発注をした、少ししたらカッティングシートのほうで不備がある旨の連絡を受け、見るとシールになる部分というかつまり文字の線が直径0.5mm以内になっていない箇所がある、それだと切れない、太くするか大きくするかして再度出すように、とのことだった、なのでそれを直すことにした、僕はイラレはまったく独学ですらなく勉強などしたことがないのでパスとかアンカーとかをどうこうするみたいなことがわからない、わからないから細い箇所、漢字の横棒であるとか先端の払いのところとか、そういうところも必要以上の大きさになるようにフォントサイズを大きくしてしまおうかと思って30ptだった文字を40ptにしてまた印刷して見てみたところ、大きすぎるような気がして、視認性はいいが、視認性がよすぎるというか、よければよいというものでもない、そう思って、30ptのまま、わからないなりにパスとかアンカーとかをどうこうして細いところを太くする作業を一所懸命していた、夕飯なんてそっちのけだった、そうすると肩がずっしりと重くなった、満足いくものができた、再度アップロードした。
なんとなくここのところの自分の動きはリコンストラクションという感じがする、リスタート、リセット、そういう言葉で思っていたが、リコンストラクションという感じがする。きれいな、満足いくものを、再度構築したい。より強く、美しい店にしたい。そう思っているらしい。

パソコンを持ち帰って日記を書いていた。それから布団に入ってやっと本を開いた、『波止場日記』ではなく、やはり『ピダハン』だった、それはしょうがないことだった。

11月16日

朝、『Number』を少しだけ。
MacのOSかなにかのアップデートだかなにかをやったところ、wordを開いたら縦書きのレイアウトが完全に壊れていた、ゲラができたあとのこのタイミングでよかったと思った、入っているのは2011のやつで、2016のを買えば直るようだったのだけど、買おうとしたら2万5千円とかもすることを知り、当座は不要だしやめておいた、それにしてももはや購入することなど起こるのだろうか、サブスクリプションのやつは月1200円だった、必要になったらこれに登録することになるのだろうと思った、それからなんでだかDropboxの整理をしたくなって整理をした、するとすっきりした、夕方になって腫れぼったい眠気のようなものがやってきた、仕込み等はいい加減におしまいにして『ピダハン』を読もうと思った。ピダハンを統べるというか彼らが持っている規範のようなものが面白いというかよかった、もう助からない人は助けない、出産しながら死にかけている叫び続ける女に手を差し伸べるものは誰もいなかった、母親が死んで弱りきった赤ん坊にカシャーサを飲ませて息絶えさせた、愛犬を殺した酔っぱらいを責めたり報復したりはしなかった、彼は悪いことをした、そう言った。少し読むと、そうだブログを書こう、と思ってブログを書きだした。僕は落ち着きがない。

面白いだけではどこかで満足しきらないところがある。スカスカした心地がどこかにある。美しさが必要だ。それは僕にとっては小説で得られるものなのだろう、と『ピダハン』ですごく面白くなりながら思った。美しい小説を読みたい。

11月17日

パン焼き2回目。楽しい。前回よりスムースにできたというか、これならできるような気がした。
途中抜けて笹塚のダイソーに行ってカゴ的なものをいくつも買ってきた、帰る前にコーヒー屋さんに寄ってカフェラテを飲んだ、メニューがかっこよかった。戻って、棚の整理整頓をおこなった。たいへんさまざまなものが適切にカテゴライズされ、収納された。立派なことだった。

夜、なにをやっていたのだったか、仕込みをした、それから昼間に給料の支払いのことを話していたことも手伝って、なんでだか、イラレで給与明細書のテンプレートを作っていた。なんだか、こういうことをやっているとお店屋さんごっこをしているみたいな気にいささかなった、その感覚はずっとある、が、きれいかつ機能的なものができたので満足した。
帰宅後、Webの働いている人ページ用のトンプソンさんの自己紹介の文章をもらったのでそれを反映させる作業しようとして、途中で自分の自己紹介文章も手入れしようとカタカタしていたら3時を過ぎたのでおしまいにした。本は開かずに寝床に入った。店のことを考え続け動き続けていたら一週間が終わった。本を読みたい。

「読書日記」の他の記事