fuzkue(フヅクエ) - 一人の時間をゆっくり過ごしていただくための静かな店

読書日記(57)

Entry diary57

10月28日

雨。

夜、散歩。
空き地がいつもより広大に見えた。かつてマンションだった。ごっそり削られた裸の土。歩いている坂道沿いは地階で、たしか車が停められていた。いま崖みたいになっている土の壁を上がったところが一階だったしエントランスだったのだろう、側面に取り残されたように郵便ポストがずっと頭上にあって浮いているように見える。

10月29日

大きなふすまが開かれていた、靴を脱いで一段あがって向こうが和室というそういうことになっていて、とても広々としていた、それは箱根で泊まった旅館の3階にあった大広間のイメージだろうか、中からは人々のにぎわいが聞こえた、真っ白い照明が明るかった、近づいていくとふすまの陰から大きなマスクをつけたキャット・パワーが出てきて、僕らを出迎えてくれた、僕は彼女と面識があったらしかった、実際はもちろんなかった、高校生の時に見に行った下北沢のラ・カーニャでのライブのときに、ライブの前の時間に下北沢の町を恋人らしき男性と二人で腕を組んで歩いているのを見たことがあった、それからライブでも何度か見た、ただこのときは面識があったということになっていた、一緒にいた友だちにそう言った、一定の親しみを込めてあいさつを交わした、友だちは友だちで事前にコンタクトを取っていたようで、キャット・パワーはというかショーン・マーシャルは、ああ、メールをくれたあなただね、というにこやかな応答をした、キャット・パワーが出てきたのは昨夜、iPhoneのストレージの空き容量がなくなっていますと出たため、音楽のライブラリーを整理するというかダウンロードしていたものを、外で音楽を聞くことも滅多にないし、WiFi環境下で聞ければそれでいい、と思ってどんどん削除というかダウンロードから削除をしていたときにキャット・パワーのカバーアルバムが出てきて、うまく消せなくて、それで意識に根付いたのかもしれなかった、広間に上がるとたくさんテーブルが出ていてそれを囲むように人々が座っていてそのなかに見知った人がいて、彼はパソコンを広げて落ち着きなくトントントントン、タイピングではなかった、机を叩くような感じで叩いて横にいる人に何かを熱心に説明しているらしかった、ベンチャーな会社を経営している友人で、「こんなところでもあいつらしいなw」と思った。

予定どおり雨はしっかりと降っていたからリュックにサンダルと靴下を入れ、靴を履いて出た、すぐに濡れて染み込んできた、驚くほどすぐだった。人は、ジグザグに歩いていた、水たまりというか水が厚みをもっている箇所をできるだけ回避しながら歩くからそうなった、ジグザグに歩くから対向者がどう動くのか予想がつきにくく、ジグザグの結果すれ違うときにぶつかったらそれはそれで愉快だった、今日もまた、傘という道具の素晴らしさに感心していた、これがあれば、その下は濡れない、足元は別だが、という話だった。向こうに、見たことのない歩道橋があった、人が歩いていた、何度も通っている道だったが、あんなところに歩道橋があったなんて、僕はまったく認識していなかった、そういうことに気がつけるのは歩くスピードの遅さがもたらすよさだった。

夜、ざあざあ降り、読書日記で引用した本を引き合わせるため校正の方にお送りするその前作業として引用本のリストを作るというか、原稿を書誌情報だけに削っていくことをしていた、するとそれだけでワードで26枚分になった。これを見ながらダンボールに詰めていくということだった。 閉店まで時間がまだあった、やることはなかった、『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ!』を読むということだった。どんどんどんどん面白かった。ノルウェーの山の中で、先発隊の四人は二ヶ月ほどのあいだ完全に雪だけの土地でどうにか生き延びていた、鹿を狩猟し、ほとんどの部分を食べたが特にその胃袋が栄養源だった、雪は降り続けた、雪は僕の見たことのない体感したことのない降り方をしていた、降る、なんていう動詞ではとても追いつかないようなものらしかった。マイケル・マンによって映画化されると帯にあったが、これは映画になったら本当に面白いだろうと情景を想像しながら何度も思った、真っ白な、真っ白な映画になるはずだった。
それにしても、やきもきしながら読んでいて、成功するのは今描かれようとしているこの作戦なのか? そう思っていた。一度、描かれ始めた作戦は大失敗に終わって、工作員の大半は死に、何人かはドイツ軍に捕まり拷問を受けたあと処刑された。しかしどうやら、プロローグで描かれた場面は、今読んでいる場面からつながるもののようだった、つまり、この作戦は成功する。それにしても、紙幅がまだまだある。クライマックスではないということか?

10月30日

晴れた。風が強い。風が冬のそれだった。季節のギアが一段変わった。

開店前に野球の記事を読んでいたら画面下にあった広告に目が吸い寄せられてそれは使っている決済サービスのSquareの広告だった、そこにレジ画面の写真があって、見ると商品ごとの写真がつけられたボタンみたいなものになっていてきれいだった、それを見たら今はただ「700」とか「800」とか値段が、気の利いていないデフォルトの野暮ったいフォントで表示されているだけの画面をもっときれいにしたいと思った、つまり、そこにきれいなフォントで作った値段が書かれた画像を当てこめばいいということだった、それをイラレで作る、やってみると「1000」の「000」であるとか「0」の大きさは少し小さい方が視認性も上がるしなによりきれいな気がして、それで「0」のフォントを小さくしてみたが、そうすると「1」と「0」の線の太さの違いが気持ち悪く、「0」の垂直比率を下げるということをしたらそれが収まりがよさそうだったためにそうした、それをオーダーをこなしたりする合間合間にやっていて、頭の片隅には常に「やるべき仕込みであるとかが本当はあったのではなかったか?」ということがあったが、とりあえずそれをやらないと気が済まないらしかった、それでやっていた、そうするととてもきれいなものができたし、これまでただ値段を羅列したものだったところを、カテゴリー別にしたため、データとしてもより有意なものを取れるようになった、これを突き進めたらすべての伝票をひとつひとつExcelに手打ちするという今のやり方から脱せられるかもしれない、満足なデータをそれによって取れるならば、ではあるが。たぶん取れない。

夕方、そのあと仕込みもせっせとこなしたところ一段落したので『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ!』を読んでいた、昨夜、重水設備を破壊するために工作員たちがさて、今から侵入するぞ、というところで終わって、今日は破壊工作というかなりハイライトな場面が展開される予定だった、手に汗を握るような場面だった、面白い、面白い、と思いながら読んでいて早くもっと全部読みたい! となった。しかし夜が来た。
夜は会話のない読書会だった。キャンセルがお二人あって、とくに音沙汰もなく来なかった方もあったため少ない人数でのものになったが、途中から僕はソファに座って読んでいて、植本一子の『降伏の記録』、それは日記だった。のっけから面白かった。

11月18日(金) 晴れ
今日から日記を書き始める。久々に河出の岩本さんと打ち合わせ。自分からやりたいと思わないと進まない文章の仕事というのはタイミングがあるものだけど、今日やっと岩本さんの提案とわたしの出来ることとやりたいことが合致した気がする。機は熟した。メモ的で粗くてもいいと言われたので、本当にざっくりと書いていみようと思う。そのうち新しいスタイルが作れたら良い。
打ち合わせ中、やはり雨宮まみさんの話題に。昨日の訃報から雨宮さんの連載なんかをいくつか読んだけど「心を削って書いている」というようなことがあって、本当に人ごとではないなと思ったのを思い出した。いつかどこかで会えるかもしれなかったから、というのもあるけれど、やっぱり近いものがあったから訃報にはかなりショックだったし、恐ろしかった。雨宮さんには『かなわない』が何故受け入れられなかったのだろう、とふと考える。今となっては本人に聞けないから真相はわからない。 植本一子『降伏の記録』(p.9)

それで面白い、面白い、と読んでいるとフヅクエの名前が出てきた。フヅクエで植本さんが原稿を書いている、そういうことが書かれている場面を読んでいるあいだ、なんだかドキドキした。
この本で言及されるということは知っていた、ときおり来られて原稿を書かれていた、パソコン使用のルールを変更したときに「すいませんタイピング活動をほぼ不可に変えたためフヅクエでこれまでのようなパソコン使用はできなくなります」と連絡をした一人が植本さんだった、それに対して植本さんは「これからは読書の聖地となりますね!」とあたたかく、なんというか受け入れてくださったというかあたたかい言葉を掛けてくださった、そのしばらくあとに今度出る本にフヅクエの名前が何箇所か出てくるのだが読んだ人が今もパソコンを使えると思って行ってしまうんじゃないかというおそれもあるがどうしましょうか、という連絡をいただき、僕はそのままでいいと思います、行こうとして検索してWebを見たらわかる話だし、そんな理由で文章が書き換えられるのは申し訳ないし望むところではないし、ということを返したが、「植本一子の日記にフヅクエが出てくるとかとてもほまれ。俺がそれを見たい」というのが正直なところだった。
だからほまれと思いながらもなにかドキドキしながら読んでいたのだが、それにしてもフヅクエで書いていると書かれた文章をフヅクエで読む、この感じはなんというか、すごい入れ子というか、おかしな事態だった。今晩読書会で読んでいた方々にも変なグルーヴがそこで生じていたら僕としては面白かった。
それにしてもやはり日記という形式なのか、本当に面白い、明るい話ばかりではまったくないはずなのに、なんでだろうか、突き抜けて面白い、と思いながら読んでいて、気分がどんどん高揚していった、それで読書会が終わり、閉店後、いくらか明日の朝の仕込みの下ごしらえをしながら、日記を書きたい、早く全部やっつけて日記を書きたい、と思っていた。なんでだかERAを久しぶりに聞きながら下ごしらえをしていた、ここのところまた聞きたいと思っていて、やっと聞いた、やはり好きだった、ライフをうまく積み上げられない、と歌われていた。ご飯を食べて家に帰ってシャワーを浴びるとパソコンを開いて日記を打ち始めた。僕にとって面白い本というか僕が本を面白く読んでいるバロメーターは、日記を書きたい、読んでいた気分を打ち込んでおきたい、と思わせられるかどうか、なのかもしれない、と思った。
シャワーを浴びながら、日記はやはりいい、と思いながら、僕の日記本はどう読まれるのだろうか、ということを思った、特に日々に何があるわけでもないし、鋭かったり面白かったりする考えが開陳されるわけでもない、ただひたすら日々が続くだけだ、それは植本一子の日記のような魅力や強さは持ち得ないだろう、しかしそれではないなにか他の魅力が、強さが、あればいいが、どうだろうか、圧倒的なボリュームこそがそれだろうか、積み重ねられた1000ページほどになるだろうその長さこそが、つまりうまく積み上げられないライフを積み上げた分厚さが、と思うが、どうだろうか、と考えていた。

ベランダで煙草を吸いながら『降伏の記録』のなにかがずっと反響していた。他者からぶつけられる呪いの言葉のことを思い出していた。『家族最後の日』が出たときにインスタかなにかのコメントで寄せられた言葉が、「なんでそれを当人に言わないと気がすまないわけ? バカなの?」というもので、読んでいるだけでうんざりした、それ意外にもいくつもの呪いの言葉があった。人々は本当にとても気軽に呪いの言葉を吐くよなあ、本当に、と思いながら読んでいたのだったか。なんの悪気もなく、人は呪いの言葉を吐く。僕も同じことをしているだろう。最近も吐いた気がする。
眠るまで、開店前に久しぶりに聞いていたKOHHのどの曲だったかが頭の中でずっと流れていた。

10月31日

まったく眠っていて振動音で目を覚ますとひきちゃんからで煮物をひっくり返してしまったと。11時半だった。本当は10時には店に行って仕込みをして、いくらか朝から本でも読んで、という予定だったから、完全に寝過ごしたことに落胆して、ひきちゃんのちょんぼに対しては「ドンマイドンマイ! 引きずらないで楽しく過ごして」以外に思うこともなかった、以外、というのは嘘で、「起こしてくれてありがとう、おかげで歯医者にも行ける」ということも思った。自分がやったら落胆と自分への怒りで大変な気分になりそうなものだったが、人がやる分にはそういうものなのかもしれなかった。店に着いて昨日下ごしらえをしていたあれこれで煮物を火にかけ、ひきちゃんにいくらか指示をバタバタとすると俺は大急ぎで歯医者に向かった!
今日は歯の左上のブロックをなにかしてもらった、たくさんの血が出て、血が出ますね、と思った、大した痛みはなかった! それで店に戻ると煮物を完成させ、大家さんのところに家賃の支払いにいったり、何か他のことをした、「おそらくもう一度俺は現れるだろう」そう予言すると、いったん家に帰って先日の結婚式のスーツ等をクリーニングに出し、神南のほうにあった労働基準監督署に俺は向かった! それで労災保険の手続き(これまではなんと加入をしていなかった!)をして、印鑑と営業証明の書類みたいなものは持っていなかったので後日郵送ということにして、それで労災保険および雇用保険について気になったことを署の方に聞くと、受け付けてくだすった方もわからないことが出てきて、他の人が出てきて、丁寧に説明してくださった!
自分で個人事業主としてやっていてそれで生計を立てている人をアルバイトでお願いしたときに、仮に週20時間を越える働き方をした時、雇用保険に加入する必要はあるのか、というのが質問だった。意外にわからないもので、ハローワークに行けば答えが出てくるのではないか、というのがその場の結論だった。しかしそもそも、と彼らはおっしゃった、それは雇用とあなたは呼びたいものですか? 業務委託、という体裁であれば、それはそもそも労災保険に入る必要もない、必要もないというよりは、加入資格を満たさない、そういうことを彼らはおっしゃった。まさかこの場所で労災保険への非加入の可能性を検討されるとは思いませんでしたよ! 僕はそう言うと、三人でゲラゲラと笑った。あのときの俺たちは真剣そのものだったんだ。
それにしても、情けない話なんだろうが、人をアルバイトでもなんでも雇ったときに労災保険というものに加入しなければならない、週20時間以上の雇用が発生するなら雇用保険にも加入しなければならない、それら全体を労働保険という、というそのことを僕はこれまでまったく知らずに何年も個人事業主として生きてきた。みな、いつどうやって、そういうことを知って生きていくのだろうか。労災保険は今年の4月から遡って支払うことになった。もっと遡られるのではないかと思っていたから、今年の4月からというので御の字という感じもあった。
そばを食べていたら9人の解体した死体を遺棄した疑いで逮捕されただったか逮捕されそうな男がどうこうというニュースを見かけて、世の中には本当にいろいろな人がいるものだと思っていたところ後ろからふいにそば屋のおばちゃんの「あッ!」という声が聞こえたと思うと、「いいメイクだねえ! かっこいいねえ!」と言った。その前に俺はダイソーにいて、渋谷のセンター街のダイソーに10月末日に行くことは悪手だった、ハロウィングッズを求める人々がバカのような行列をレジ前に作っていたからだ! 行列の始まりから最後尾に行くまでに三度曲がることになった。渋谷は今日も炎上していた!
またフヅクエに戻った。ダイソーでカゴを買ってきた、「これで整理整頓だ!」と俺は言った、好きなようにやってみろ! そういう明確で具体的な指示を出した。明日が楽しみだった。新宿に向かった。TOHOシネマズに向かった、『ゲット・アウト』だった、昨日お客さんに教わった。チケットを取るときにジャンルに「ホラー」と書いてあり、これは、見るべきではないのではないか? 夜の風呂場であるとかが、恐ろしいものになってしまうのではないか? そう懸念したがもう遅かった、融通は利かないため、予定は変えられなかった、それで恐る恐る見に行った、せめて早い時間に行こうと4時台の回で取った、新宿に向かいながら、日が傾き始めた、日差しがソリッドになってきた、やっと、休日が始まった、そう思った。しばらくしたら、こういう、夜か夕方まではフリーに動ける、みたいな日が今よりも増えるはずで、それは想像してもよくわからない不思議なものだと思った、とりあえず今日これまでにこなしてきたようなことは全部休日ではない日に片付けられるようになるのだろう、という、それだけでとても大きい気もするし、休みを持て余しそうな気もした。映画館が暗くなるまで『ヒトラーの原爆開発を阻止せよ!』を読み、すぐ暗くなった、真っ暗になると、それだけで感動した、なにせ、映画が始まろうとしていた。そして映画が始まった。
たいへんおもしろかった。
それにしても帰りにポスターを見て思った、ポスターもなにも見ていない状態で見に行ってよかった、知っているのと知っていないのでは、見る態度が変わってくる、映画でも小説でもなんでもそうだけれども、なんにも知らないままそれを体験することが絶対に一番いい、必要なのは「見たい」でも「読みたい」でもいいけれど、その欲望が喚起されるボタンがあることだけで、僕の場合は昨日お客さんに教わったというそれだけだったしそれだけで完璧に十分だった。
18時50分、映画が終わって席を立って映画館を出ようと、長いエスカレーターに乗っていると一人で映画に向かう男や女、仕事帰りと思しき者たちといくつもすれ違って、この人たちは一日、一所懸命働いてきた、仕事帰りに映画に行こう、そう思って生きてきた、そう考えると壮大な物語がひとつひとつのすれ違いのなかにあって、僕はよかった。新宿はもう夜だった、歌舞伎町はギラギラしていた、自転車のある場所までとぼとぼと歩いていると狭い十字路のところに人々が溜まっている、みな一様にスマホを出している、WiFiでも飛んでいるのだろうか、みな、一様に、不気味なほど一様に、こうべを垂れ、画面に視線を落とし、指で撫でたり叩いたりしている、さっきまで見ていた映画を思い出した、不気味なもの。

新宿はもう夜だった、本を読みに行こう、都庁であるとかのほうを自転車で通った、西新宿の超高層のビルのあいだを抜けながら、秋、夜、この空気、前にも映画を見て、そのあとなにをしていいのかわからなくなって途方に暮れたことがあった、それを思い出した、なんとなく北参道のところの道に入って、通り慣れない道を走ることにした、どんつきが明治神宮でY字に別れて右に折れようとしたとき、とても冷たい空気が体を撫でてきた。前も代々木公園のあいだの道を通るときにやたらに冷たい空気を浴びたことがあったが、大きな公園であるとかには冷たい空気が大量にあるのだろうか。気持ちのいい冷たさだった。茂る木々を左手に感じながら慣れない道をいい勢いで下っていくと気持ちが晴れた、特別曇っていたわけではなかったが、晴れた、晴れ晴れとした心地でフグレンに到着し、K&Tというカクテルを頼んでソファに座って、これを打っている。本を読めよ。

11月1日

フグレンのソファ席は不思議なくらい静かなことが多くて、全部で5人くらい座れるソファのエリアは一人の人が二人とか三人、みたいなことが多くて、店内の音楽とちょうどいいざわつきを感じながら読書に勤しむにはけっこうなところとてもよい環境だった。偶然だろうが。偶然だろうか。
途中、中年の夫婦かなにかの男女がソファにやってきた、コーヒーが入ったカップが二つテーブルに置かれた、すると女性が男性に「ケーキセットは? ねえケーキセットは?」と張りのある声で言った、男性はそれを制するようなほとんどコソコソ声の不機嫌で静かな声でなにかを返したが、女性は構わずレジに向かって、なにか甘いものを買ってきた、男性がなにか言った、女性は「なんで、なんでよ、だってコーヒー飲むのに甘いものなきゃ」と歌うように話した、男性の言葉で聞こえたものは「雰囲気を考えなよ」だった、それに対する女性の応答は「なんでよ」だった。しばらくすると「コーヒー薄いよ」と言った、二度言った、男性は「北欧のコーヒーだから」と言った、それから清澄白河がどうこう、ブルーボトルがどうこう、なんばの駅前にもどうこう、とコーヒー屋さんの話を男性はしていて、女性は興味なさそうに「ふーん」を繰り返していた、暗い、静かな、不機嫌そうな声は、天真爛漫の明るい声に全部かき消された。女性の圧勝だった。
その二人が立つと、しばらくして今度は女性二人組がソファにやってきた、韓国語で楽しそうに話したり、写真を撮ったりしていた。考えてみたら一人率が高いことも多分たしかにあるが、会話があるとしても日本語でない、意味を解せない、音楽にしかならない言語であることが多い、それは読書にとって心地よいノイズ、ということかもしれなかった。

ノルウェー。そうだノルウェーだった。オスロとかもたまに出てきていた。ノルウェーの物語をオスロ発のコーヒー屋さんであるところのフグレンで読むというのは、とてもちょうどよかったことだった、とあとで気がついた。気がついたのは家に帰ってからだった、カクテルを飲んで、コーヒーを2杯飲んで、あとすこしで終わる、たぶんあと30分くらい、というところで閉店時間になったために出て、どうしようか、と思った、通りかかった居酒屋に入ろうかと思ったが素通りして、しかし、家に帰るのだろうか、もう少しのあいだ、人がいる空間にいたいような気がした、そう思っていったん越した踏切をもう一度、上がるまでいくらか待ってまで渡って、先ほどの居酒屋に引き返すと「準備中」と出ていた、ずいぶん閉店時間の早い店らしかった、しょうがないから家に帰ることにしてコンビニでビールを買って、つまみもなにか買おうと思ったがビールだけ買って、帰り、ビールを飲み、それからウイスキーを飲み、読んだ、ドイツに輸送されようとしている重水を破壊するのだ、ということで破壊した、作戦はつつがなく、想定されていた通りノルウェーの民間人の死者を出しながらも、遂行された。僕はたぶん戦争みたいなものを考えるときに人がまだ憐れみのようなものをちゃんと持っている場面に当たると驚くというか意表を突かれるらしく、そうか、まだ人命は尊重されているのか、その感覚は消え失せてはいないのか、痛みはまだあるのか、と思うらしかった、今回も思った、『ダンケルク』を見たとき思ったものと一緒だった。
無事、ドイツの原爆開発に大きな遅れをもたらすことができた、アメリカは開発を進めた、そして長崎に落とし、広島に落とした。なぜノルウェーの山奥ヴェモルクの工場を連合国軍はこんなに執拗に攻撃したがるのか、なぜ、ドイツ軍もその工場の防衛にこだわるのか、イギリスで訓練を積んでパラシュートで雪原に降り立った、そして作戦を遂行したノルウェー人の男たちは、知らなかった、ロンドン一つがまるまる焼け野原になる爆弾をドイツが開発しようとしている、と聞いても誇張だと思った、彼らは作戦を成功させたあと、ドイツ軍がノルウェーから撤退して平和が戻ったあと、ああ、あれがそれだったのか、と思ったのだろうか。連合国とドイツがともにしのぎを削りながら開発したその原爆がそのどちらかではなく日本に落とされたこと、に、なにかもんやりした心地を最後覚えた。
それにしてもローゼンベルク日記と重水工場破壊工作を立て続けに読んだわけだけど、第二次世界大戦が終わって70年が経った今でもこうやって新しいノンフィクションが書かれる、まだまだ掘り尽くされていないネタがある、というのはなんだかすごいことだな、と思った。

本を読み終えるとご飯を食べに外に出て、手ぶらで歩いている状態は珍しかった、ラーメンを食べた、白丸、ライス、替え玉。なつかしい、それら。を食べた。
戻ると今度は植本一子を読み始めた。ページを折りすぎて収拾がつかないようなことになっている。刺さって響いて面白くてしかたがないらしい。

わたし自身は、柴山さんが担当で本を作るのはいいが、出版社はどんどん替えていきたいと思っている、と正直に話した。柴山さんはその流れで、会社を辞めようか迷っていて、自分で出版社を立ち上げることも視野に入れているという話をしていた。そして、植本さんの原稿を次にもらうとしたら、お母さんが亡くなった時の話が欲しいと思っています、というニュアンスのことを言った。一字一句までは覚えていないが、そういうことを言ったのは間違いない。というのも、その時の違和感を忘れようとしていたのを、なぜか本を読むことによって思い起こさせられたからだ。
その後どんな風に自分が返したかは覚えていないが、違和感の中で会話を続けていたことだけは覚えている。言っている意味はわかる。編集者としてそれは欲しいだろう。わたしも母が死んだ時、なんらかの形で文章を書くかもしれないし書かないかもしれない。でも、それを先に言われてしまうと、そんなことを言う人には絶対にその原稿は渡さない、とも思ったのだ。
帰りのタクシーで一人になった時、仲良くなりすぎたのかもしれないな、と思った。その時の違和感をうまく言葉にできないから、言われたことは忘れようと思っていた。
それが今、失礼なことを言われたんだ、ということをやっと自覚したような気がした。 植本一子『降伏の記録』(p.95)

ここを読んでいるとき、肌がゾクゾクと粟立つ感覚があった。ウイスキーを煽った。
眠ると途中で起きて、珍しくはっきりと起きた、しばらく寝つけなかった、それも珍しいことだった、植本一子のこと、ノルウェーのゲリラ作戦のことが頭のなかでぐるぐると模様を描いていた。

夕方、10月が終わったので売上の集計をExcelでおこなったところ、どこまで10月は下がるだろうかと思っていたら、想像以上に下がったので笑った。この数字は完全にまずい数字で、続けば成り立たなくなる数字だった。グラフにしたらとてもわかりいいだろう落下ぐあいだった。ここまで下がるんだな、と思った。どうにかしないといけないというか、どうにかなってほしい。
夜、なんとなく気が急いているのを感じた、ここのところずっと感じているものだった、売上がひどいということもあるだろうけれども、新しい方が入ったということでペースがよくわからなくなっているようなところが多分ある、これはただ変化ということだった、教えていく時間、見守る時間、半端に突っ立っている時間。でもそれよりも多分、今月中には一人で立てるようにきっとなるはずなのだけど、そのあとの僕の時間、それがどういうものになるのか、ということなのかもしれなかった、変化はいつだっておそろしいというか、わからなかった、なぜならそれはまだ目の前にはないからだった、変化を前にすると僕はいつだって早くその状態になりたい、と思ってしまう、すっ飛ばしてその時間に降り立ちたい。それにしてもどうやって生きていこうか。とにかく生きていかないといけない。それもできるかぎり愉快に。
植本一子の文章を読んでいると自分の暮らしみたいなことを考えるらしく、それは娘さんの名前のためというわけではなかった。くらしちゃん。暮らし。僕には守りたい、手放したくないものがあって、あるらしくて、それはどうすれば守れるだろうか、どの程度で守れるだろうか、そういうことをちらちら考えながら読んでいるらしい。どうやって生きていこうか。それもできるかぎり愉快な暮らしを。

閉店後、校正の方に送るべく本をダンボールに詰めていき、10月1日から2月18日分までで一箱が埋まったのでコンビニで出した。明日以降残り7ヶ月分を詰めて送る。昨日、装丁の緒方さんが作ってくださったゲラをデータでいただいた、ページ数は1100ページだった、「すごいwww」と思った。ゲラができ、校正が始まり、何か、始まりつつあるような感覚があって楽しい。僕はしばらくはただ楽しみにしているだけだが。

11月2日

ダルビッシュがノックアウトされてワールドシリーズは終わったらしかった。日本シリーズは昨日横浜が濱口の好投等で一矢報いたらしかった。これで1勝3敗らしかった。横浜。保坂和志はここ何年間かの横浜をどう見ているのだろうか。筒香、今永、ラミレスの発する言葉をどう聞いているのだろうか。横浜について書かれた文章を読みたい。筒香と対談もしてほしい。

誰も、いなく、なったから、残りの本をダンボールに詰めていた。すると詰め終わった。本棚ががらんどうになった感じがあり、ここ一年で読んできた本がきれいに本棚からなくなるとなんだか自分の体の一部が失われたような気になって、胸が苦しくなったというか胸騒ぎがした。しかし胸騒ぎは単純に暇だったからなのかもしれない。昨日、先月の数字がわかり、このままでは本当にまずいということがわかり、しかしどうまずいのだろうか、貯金が減っていくような売上だったとして、しかしすべての貯金を食い潰すまでには長い時間が必要なわけで、であるならば、なにがまずいのだろうか。もちろん売上が作れず貯金がすり減っていくということは全然いいことではない、まっとうではない、商売として成り立っていない、ということはそれはそうなのだけど、でもだからといって、それですぐに店を畳まなければいけなくなるわけではなく、それならば、いったいなにがまずいのだろうか。

11月も変わらないのだろうか。
閉店し、コンビニに荷物を出しに行くとずいぶんな列ができていてこの時間はコンビニが混むらしかった。途中でダンボール二つを押しながら進み、金麦をピックアップし、荷物を出した。二つで3000円くらいで、するとくじ引きを3枚引かされた。1枚があたりでプレミアムモルツのスパークリングゴールドというやつがもらえるということで、じゃあ金麦はなしでこれいただきます、ということにしてそれをもらって、外に出ると雨がわりに強く降っていた、飲みながら店に戻った。数日分、『降伏の記録』を読んだ。

砂鉄さんが隣に立ったので「書くことで戦ってるって思う?」と尋ねる。
「思うよ。よく、内面は書いてないって言われるけど、やっぱり自分の内側から出てくるもので書いてるから、そうは思わないし。いまだに書くことで何言われるか怖いしね」
砂鉄さんが内面で書いているというのは最近わかるようになった。砂鉄さんも、わたしも、東京で戦っている。だからこの人のことが、好きなのだ。
「なんかもう戦えないって思っちゃった」
本心だった。もう書ける気がしない。石田さんのことを書くことが怖い。死んでいくだろう石田さんを見つめるのが怖い、出来ない。こんなふうに思ったことは今まで一度もなかった。何を書いても平気だし、それは書けることだけ書いているから、いくら赤裸々と言われても、自分ではそうは思わなかった。ただ淡々と、自分が感じたことを、自分が傷つかないで済む範囲のことを書いただけだ。
でも、もう何を書いても自分が傷つくような気がしてしまう。書くことが怖い。もうわたしは、書けないかもしれない。 植本一子『降伏の記録』(p.188)

11月3日

朝、タバコを吸っているとおいしかった。
売上に左右されない気分の作り方を見つけたいと昨夜思った。何人来られた、いくら売り上げた、だから満足、ではなく、なにをやった、だから満足、というマインドをどうにか作れないか。現時点で、たちまちの時点で、売上が上がらないとどうしようもなくなる、というわけではない以上、一喜一憂は現在の数字ではなく未来に向けた行動によってもたらされたい、そういう姿勢をどうにか作れないか。

昨日の夜にふと「スープを作りたい」と思って、それから一日中スープを作りたくなっている。

朝ごはんを食べ損ねたため閉店まで一日なにも食べないで生きるということをしてしまった。夕方に指先がしびれるような感じになり、夜には平気になった。『降伏の記録』を読んでいると眠くなれない。

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