読書日記(40)

2017.07.08
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#7月1日 巨人軍のキャンプの初日、阿部は再起を目指す杉内をキャッチボールをした(杉内は白いゆるっとしたものを上に着ていた)し坂本が若きチームリーダーとしてなんか振る舞った。という夢が最後に見たものだった。それ以外にも天気予報が何かと関係する人物を巡る夢を見たり、他にもなにかあった。ほのぐらい部屋にいた。隅っこに人間がいた。
たぶん巨人のキャンプの夢を見たのは昨夜『Number 930号 清原和博「告白」』を読んでいたからで、逮捕されたのがキャンプイン前日だった、という話が話されていた、キャンプイン前日というのは野球選手にとって大晦日みたいな日で、ということが話されていた、それを読んだからだった、巨人に移籍してから「A級戦犯」であるとかと言われ、戦争犯罪者か、と思った、というようなことが話されていた、それを読んだからだった、のだろう。
ところで目が覚めて考えていたのは巨人は読売ジャイアンツの愛称なんだよな、どこにも巨人という文字は正式にはないんだよな、それでも「わが巨人軍は永久に不滅です」というように大切なスピーチでも使われるのだからすごいよなというか、ものすごい定着の仕方の愛称だよな、ということだった。日本ハムファイターズだったら「闘士」とかかな、闘士はさ、とか誰も言わないしな、ホークスは応援歌に「若鷹」とかついた気がするけれど「若」が邪魔だしな、鷹じゃさすがにだしな、と思ったのち、巨人のイントネーションに興味は移った。ふつう「巨人」という単語はのっぺらぼうというかまっすぐに「きょじん」なわけだけど、巨人軍を指すときの巨人は「きょ」にアクセントがついていて、ということに気がついて「ほう」と思った。
土曜日、少し雨、暇。
暇だったので『異邦人』を読み終えた。訳者の窪田啓作を検索したところ「日本のフランス文学者、詩人、銀行員。」とあり、「大学卒業後、東京銀行に入行。パリ、新橋各支店次長、国際投資部副参事役を経て、1948年欧州東京銀行頭取となる。」とあった。
土曜日、曇、完全に暇。
昨日も久しぶりの水準で暇な金曜日だったし、今日はちょっとありえないレベルで暇な土曜日になっており、二日続くと途端に「終わったのか?」と思う。少し息苦しささえ覚える。6月は堅調だった。だから、6月の末日と7月の初日にガクッと落ち込んだだけで「終わったのか?」と考えるのは短絡にもほどがある。が、おそらく店をやるということはこういうことだというか、日々やきもきするかバタバタすることだ。なので『Number』を熟読した。伊達公子のインタビューがなんだかすごい次元だったのでかっこうがよいというか、すごかった。
土曜日、曇、完膚なきまでに暇。
ドキドキするフェーズは終わり、退屈するフェーズに入った、ブログを書いたりしていた、そのあと坂口恭平の『しみ』を読み始めることにした。帯には「誰もが通り過ぎてきた人生の断片を、鮮やかに、ときに痛切に、詩的文体で描き出す。オルタナティヴ文学の旗手・坂口恭平が放つ、傑作青春小説。」とあって、本当にバカみたいだなと思ったし、しょうがないのかなとも思ったし、何がどうバカみたいなんだろうなとも思った。読みかけで置かれ続けているブコウスキーの『パルプ』と『しみ』を並べて表紙を見ると少し愉快な心地になれた。
土曜日、強い雨、目の高さにある猛々しい植物を見ながら煙草を吸っていた。
シャンパーニュ麦芽使用のプレミアムモルツというのがコンビニにあったので月初で始まりの日なので奮発をして購入をしたところ財布が「痛い!」と声を出したような気がしたがもしかしたら気のせいかもしれなかった。坂口恭平をいくらか読んで、それから眠りに入った。
「踊りがすべて。歌もいいが、何といっても踊りだ。歌や音楽がなくなっても、おれたちは踊ることができる。踊りってのは、おれたちが生きているこの地面との連絡だ。地面はいつだって違うことを考えていて、人間ってのはいつも誤解して、へらへらしていやがる。踊り手ってのはその裂け目を汗かきながら渡ってるんだ。そうじゃなきゃ踊りじゃない。ここの踊りは、あっちの言葉だ。あっちからいろんな声が聞こえてくる。おれたちにゃ聞こえない。だから、踊る人間ってのは半分人間じゃない。草だって踊ってる、石ころだって踊ってる。鳥だって踊ってる。雲だって踊ってる。人間が踊るのは、自然に学べってことじゃない。おれたちが感じてる、鳥やシマウマやこの茎って区別がいかにどうでもよくて、そういうことじゃないんだってことを知る作業で、そんなの哲学者だってできないだろう。だから、うちらは踊るやつを最も尊敬する。あいつを見ろ。七人の嫁がいるあいつを。あいつは金なんか一円も持ってない。ここではそんなのいらない。あいつは踊る。踊るところには何でも集まってくる。躍動するからだは湧き水みたいなもんだ。いまから出てくるあいつの踊りを見ろ。それが次の言葉だ。」
坂口恭平『しみ』(p.35,36)
##7月2日 二日続けて完膚なきまでに暇だったのを味わって迎える日曜日は普通に不安を覚えていて、フツーに不安を覚えていて、笑った、今日お客さん来なかったらほんとどうしよう…とわかりやすく怯えていた。そうしたらちゃんと来てくだすって大安心した。忙しい日曜日になった。本当によかった。でも体感はなんだかそうでもなくて、途中でブログを書いたり『しみ』を読んだりして過ごしていた。それにしてもタイピングは、営業中と営業時間外で僕のタイピング音もだいぶ変わるなと思う。かちゃかちゃかちゃかちゃ。今は鳴っている。営業中は鳴っていない。これが営業中のタイピングで、これが営業外のタイピング。全然違うでしょう。力の入り方もさっぱり違う。面白いくらいに変わるものだなと思った。いろいろ思うところはあった。暑かったのでハイボールにして飲んだら『しみ』をいくらか読んだら寝た。うまく踊れない。
##7月3日 11時くらいまでほとんど席に着くことなくなんだか一日じゅう立ち働いていたために体が疲れたが気持ちは疲れていなかったのでどこまでもいける気がしたのでどこまでもいった。腹だけがただただ減った。『しみ』を読んでハイボールを飲んで寝た。『しみ』を読みながらも、なにを読んだらいいのかわからない迷宮的なモードになんでだか入っていて、たまにお話するお客さんに帰りがけに「最近のなにか一冊」とお聞きしたところ今村夏子という作家を教えてもらった。その名前を聞いたらたしかにあひるの絵の表紙をぼんやり思い出したから何かでぼんやり認識したことはあったのだろう、それは『あひる』という小説だ。その最新作が芥川賞にノミネートされているとのことだった、その作品はなんともいえないなんともいえなさがあると、もっと別の言葉で言っていて、日本の作家というのは何か教わったりでもしないと新しい人になかなか手を出せないところがあるからじゃあ読んでみようという気になった。他には村上柴田翻訳堂シリーズの『卵を産めない郭公』が50年代アメリカの『エブリバディ・ウォンツ・サム!!』的な、アメリカの大学生の暮らしが描かれたものでとてもよかったということと、それからポール・オースターの自伝の最初のやつがいろいろよかった、と別の言葉で言っていた。その方は今年の前半はなんせマリオ・レブレーロの『場所』だった。どれも読みたくなった。
##7月4日 11時前に店に行きスタッフのひきちゃんに訓示を垂れて店を出た。
雨が降るというから自転車は置いて、歩いた、昼飯を食べ、歩いたら人に出くわしたのでまぬけなあいさつをおこなった、歩いたら東急ハンズに着いたのでいくらか必要なものを買った、雨が降らないので傘が邪魔だった、ちょうど買ったものが長細かったため長細いビニール袋に入れているところで「これも入れてもらっていいですか」と言って傘も入れてもらった、「いいんですか」と言われたから「降ると思って持ってきたら降らないんで」と言ったら「夜はすごい降るみたいですね、台風で」となって、「そうなんですか」となった。だからその足で丸善ジュンク堂に入ったら昨日教わった今村夏子の『星の子』と、それからアレホ・カルペンティエール『バロック協奏曲』を取って、両方とも薄そうだった、なんとなく『バロック協奏曲』は長大なのかなと勝手に思っていたので取ったら薄くて驚いた、『バロック協奏曲』はたぶん長いあいだすごい待望されていた作品だった、それがひと月前くらいに出ていた、出たことは柳原孝敦のツイートで知ってゴールデン街の某所に行ったらこの本が手に入ったみたいなことが書かれていて、それを見たらこれはそろそろ出るやつでそれをその某所とやらで関係者めいた人たちは先行販売的に買っているということかな、と思っていたのだけど、あとで見たらもうとうに発売されていた日だったから、あれがなんのツイートだったのかは今もわからないでいた。
それで二冊は両方とも短くて、やはり日記のようなものを、読みたいような気が、ずっとあった、『カミュの手帖』を読んでやはり日付けというのはとてもいいと思って、なお僕のパソコンでは「ひづけ」と打つと最初は「##」と出るようになっていてこれはいつもシャープを二つつけて今日であれば「7月4日」であるとかを、打つからで、それで日記日記と思ってソンタグ、ホッファー、富士日記、どうしようか、と思っていたところ前に何かで見かけて記憶に留まっていたのかウルフなんじゃないかという気になって、イギリス文学のコーナーを探したところあったのがみすずから「ヴァージニア・ウルフコレクション」というコレクションで出ているらしい『ある作家の日記』というもので、目次を見たら「1918年36歳」「1919年37歳」というのがきれいに一年ごとに刻まれていて、1941年59歳で自殺をするということらしかった、それで開いてみると8月5日(月)とあって、ペラペラとすると二日後の8月7日(水)とあって、これだと思って、それで購入することにした。文章は一つも読んでいない。
東急ハンズの荷物と丸善ジュンク堂の荷物でいくらか重くなって雨が降り出したら歩くのは大儀だろうなと思ってカフェに入って仕事をしようとしたが頭がぼんやりしてまるで考えがはかどらなかった、いやはかどらなかったことはないのかもしれない、何かは進んだのかもしれない、ぐにぐにと思考の領域に留まる時間の積み重ねがとにかく必要なのかもしれない、これは一歩ずつ前に進んではいるのかもしれない、そうは思いながらも目に見えては何も進んでいなくて90分ほどで諦めて今これを打っているしもう90分いるつもりだったが歩いてこのまま帰ろうという気になっている。本当は駅まで歩いてそこからバスの予定だったが、雨がまだ降らないから歩こうかなという気になっている。今日は休日だ。
##7月5日 うつわ屋さんに行ってハイボールを飲む用のグラスを買ったところそのあと松濤の住宅街を徒歩で練り歩くということをしてそれは初めてのことだった。今までは自転車だった。それが徒歩だった。すると松濤の住宅街がいつも思い出させるのは『接吻』における豊川悦司の徘徊と侵入と殺戮で、それをより同じ目線で感じることができた、そのためどこに歩けばいいのかわからなくなるような歩き方で暑い夕方の時間を、汗をかきながら歩いたので愉快だった。驚いた場所に出た。それが昨日で休日だった。雨はそのあとに降り出した。
今日は休日ではなかった。店に着くと昨日が惨憺たる暇な日だったことが知れていろいろと掃除をしてくれていてありがたかったのできれいだった。仕込みも特にはなさそうでウルフの日記を開くことにした。水出しのコーヒーを飲みながら昨夜数行で寝落ちした編纂者の序文を読んでみると、どうも、少し懸念を覚えた。曰く、ウルフが日記の中で自作について考えを練っている箇所や、人の作品を読んでどうこう思っている箇所を中心に編纂したということだった。
私は二六冊の日記を注意ぶかく読みとおし、その中から彼女自身の文筆活動に関連している箇所のほとんどすべてを取り出し、本書に公表する。またそのほかに三種類のぬきがきをした。第一は明らかに作文の練習をする方法として日記を用いていると思われるいくつかの部分。第二は作品と直接間接に関係がなくても、いろいろな情景や人びとが彼女の心にじかにどのような印象を与えたか、について読者に参考になるような個所を意図的にえらんだ。というのは、これらが彼女の芸術の素材だからである。第三に、彼女が読んでいたいろいろな本について論評している箇所をいくつかおさめた。(...)
つまり、この本に印刷されていることは日記全体のごく小さな部分にすぎないということ、またここにぬきがきされているものはヴァージニア・ウルフの書きものとは関係のないたくさんの事柄の中に埋没されているものであることを読者は忘れないで欲しい。
ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』(p.ⅶ,ⅷ)
僕は当然、「ヴァージアウルフの書きものとは関係のないたくさんの事柄」を読みたかったが、それはかなわないのだろうか。前に何かでこの本が紹介されているのを見かけたとき、日記の最後の最後、自殺する日だかその直前だかの記述で朝食のことが書かれている、ということが言われていて、それは僕はとても書きものとは関係のないたくさんの事柄に思えて、それは僕はとてもそういうものが読みたいと思った。いや、そもそも、作家の生活にあって書きものとは関係のない事柄なんてひとつでもありうるのだろうか。すべては否が応でも書きものと関係してくるのではないか。そののちに作品に直接描かれたものも、捨てられたものも、忘れ去られたものも、すべてが作品と関係しているのではないか。全部が響き合ったものが作品として結実するのではないか。いやそれは結実ですらなく、それは間違いなく作品のなかに流れこみ漂うのではないか。だから僕はこの23年間の朝食の話をひたすら読みたいようなそんな感覚でいたのだが、どうなるのだろうかと懸念を覚えた。それで二日分を読んだ。読んだ本の感想が書かれていた。
昼から店が開いていつになく静かな時間が流れているように感じる。それは暇であり店の状態として静かということではなくて(暇は暇なのだけど)、音量として静かということで、いつも以上にすごく静かに感じる。これはなんでだろうか。もしかしたら今日はこれまで毎日やっていた近くの工事の音が聞こえてこないからだろうか、それから週末までは毎日あった候補者の演説であるとかが聞こえてこないからだろうか。月曜がどうだったかは、もう忘れてしまった。とにかくすごく静かな時間が流れていてやることも特になく、あとであんずを氷砂糖で漬けてシロップにすること、それだけできれば一日が満足のいくものになるような気配がある。そんなことはまったく嘘だが。長野県産減農薬ハーコット。それが「御請求書」に記載されている商品名だ。とにかくやるべきことは全部後回しにして、この耳を聾するほどに静かな状態のなかでぼんやりと座り続けている。
休みの次の日は体がいつも動かないような感覚になるそういう感覚でぼんやりと座り続けている。これは疲労が残っているというよりは体が労働のチューニングを探っている状態というほうが近いような気がするそういう状態でぼんやりと座り続けている。両腕がしびれたような、ぼんやりとしびれたような気持ちの悪い感覚があってそういう感覚でぼんやりと座り続けていて『しみ』の一章を読んだ。なにかが溶けている。
手が気持ち悪いのでぶらんぶらんと強く振る運動を十秒ほどした。取れはしない。ストレッチをした。取れはしない。こういう気持ちの悪さは腕や足にときに起こるもので、むずむず脚症候群的な気持ちの悪さはこういうものだろうと勝手に思っているが、この気持の悪さというのはとても説明しづらい気持ちの悪さで、「なんか違うんです」というくらいだった。あるいは「腕の肘から先の部分が自分のものではないものが間違ってつなぎ合わせられていてそれが間違った重さを感じさせて居心地が悪いようなそういう感じなんです」と病室で言った。すると向かいに座った先生の視線は僕を通り越して窓の外を見ていて、そこから街全体が見下ろせた。夕方だった。子どもの乗っていない電動のママチャリが行き交い、車も自転車や路上駐車の車、渡る歩行者に注意しながらそろそろと進んでいた。道路は低いところとその上にもう一本交差するように通り、そちらは片側に車線でビュンビュンと走っていた。その向こうは山ではなくマンションやビルで埋まっていた。空がだんだんと色をなくしていった。それを見ていた。
からだがとってもきもちわるい
とんとんとんとお客さんが来られ、つまり3人、来られ、労働をしていたら「ありがたい」と思った。この体のモヤモヤは動いていた方が楽でいられるたぐいのものである気がする。
このモヤモヤは突き抜けられなさみたいなものとも関係していそうな気がしていて一つやらないといけないことというか考えを進めないといけないことがあってそれがここのところずっと停滞している、どこに向かったらいいのかわからない、それによって起きていると考えるのはだけど都合がよすぎる。そんなに因果がしっかりしていたらそんなに楽しいことでもないだろう暮らしは。
朝、柴崎友香の『寝ても覚めても』が濱口竜介の監督で映画化される、ということを友だちがLINEで教えてきてくれた、そのあとにFacebookやツイッターを開いたらそういった知らせがいくつか目に入った、これはなんというかとても楽しみなやつだった。そのあと柴崎友香のツイートが目に入り『『地獄の黙示録』撮影全記録』という本がすごい面白かった旨が書かれていてそれを読んだら読みたくなって体が気持ち悪いので夜にやろうと思っていたあんずを氷砂糖で漬ける作業を夕方になる前にやることにして、割るか、そのままか、いくらか悩んだ。フォークで何箇所も刺した。あんずを漬け、きゅうりを漬け、さらに生姜のシロップにも取り掛かった。非常にこれは、偉人の行動そのものだった。
だんだん呼吸するのが少し苦しくなっていった。鼻が詰まっていく感じがあり、また、喉元あたりの気管支あたりというのか、呼吸するときに必要そうな箇所が狭くなっていくような感じがあり、なにか、こういう感覚が進めばパニックに陥りそうな気になった。これは、腕や足がモヤモヤムズムズしたときにそういえば伴いがちな症状のような気がそういえばした。いったい今日はなんのつもりなんだろうか。それでこれはもしかしたら空腹のせいなのではないかと思ってバナナを一本食べた。今日はバナナをすでに一本食べていたから二本目のバナナということだった。それを食べたらどうなったか。特に変化はないということだった。
ポルトガル、ヨルダン、中国、トルコ、階下で煙草を吸いながら肩をぐりぐり押していたら床屋のおばちゃんが「肩こり?」と聞いてきて今日はなんだか重くてということを言ったらラジオ体操をするようになってから肩こりがなくなったと言った。それから肩・首の運動を教えてもらい、そのあとアキレス腱を伸ばすような動きを教えてもらった、10秒ずつ10回やるんだと言っていて、僕は床屋のおばちゃんと話しているときいつも楽しい。80歳を過ぎて現役で髪を切り続けているというのはしかし途方もないことに思えるので最敬礼で、いくらか呼吸の困難を伴いながらも体操の成果か少し楽になって夜を迎えた。
それにしてもなんで「編纂」という言葉を日中の僕は使ったのだろうか。編纂、であっているのだろうか。よくわからないが、それはレナード・ウルフの手によるもので、夫とのことだった。
編纂、ではない。なにかの単語。僕は今日なにかの単語を思い出していた、それを僕は最近使った、その使用はなにかの影響を受けてのものだったと自覚した、それを思い出していたのだが、それがなんの単語でどこで使ったのか思い出せないでいる。編纂、ではない。なんだったか、簡単に影響を受ける、と思って笑ったというか微笑ましかったその単語は、なんだったか。なんだったか思い出したいし夜になれば今日も雨が少し降っているらしい。道路が濡れていた。なにもかもがさらさらと目の前を流れていってなにも実を結ばない。
##7月6日 ウルフの日記を読んでいると心地がよいというかなんとなく何かを埋めるように読んでしまうところがあるが朝から悲しかったのは夜にウルフの日記を読んでいたからだろうか、そう思って今日は朝は最初ははてブの記事を読んでいたが気がどんどん塞ぎそうだったから「Number Web」の記事を読んでいた、川崎宗則に関する記事だった。それがことさらに明るい記事だったのは川崎が主題となれば避けようがないことだけれども、その明るさとは関係なく野球に関する言葉を読んでいればいつだって気持ちが明るく軽くなる。だから夕飯のときも朝食のときも僕は野球の記事を読んでいて、『Number』の清原のインタビューは、こんなに沈痛なものをこの媒体で読むことになるとは思わなかった、という、凄みすら感じる沈痛さに満ちたものだった。明るいものになる期待なんてもともともちろん持ってはいなかったけれども、だからびっくりというのとは違うのだが、それでもびっくりした。
全速力で駆け抜けるような調子で仕込みをおこなって3時前くらいに今日やることはだいたい終わった、みたいな状況になってから5時間ほどが経ったがそのあいだ何をやっていたのだろう、という気になっている。そのあいだ、このあいだ受けた取材の原稿の確認みたいなことをやっていて、Wordファイルに赤字でたくさんのことを書いていていつも思うことを思った。誤解を招きかねない書かれ方であった場合でもカギカッコのついていないものについては、どうでもよければどうでもいいほどまあいいやと流すのだけど、僕の発言として書かれているものについてはすごくちゃんとしたくなるので、今回はそういう形だったためすごくちゃんとしようとしたらすごい書き入れることになって、ライターの方に申し訳ないようなそういう気分にこれまで何度もそうなったようになった。申し訳なさを感じるが、しかし最終的に僕の発言として残る以上は正したいというか、真意により近い形になっていてほしい。しばしば使う単語でもこの文脈では使っていないとか、そういうところも直したくなる。それで大量に書き入れていた。
少し前に読んだ木村俊介の『インタビュー』では取材対象者の修正申し出を取材者は簡単に受け過ぎではないか、それでは提灯記事にしかならない、みたいなことが、そういう言い方ではないけれども書かれていたと僕は認識していて(間違っているかもしれない)、僕は読みながら「そうはおっしゃるが」と思っていた、のを思い出した。
これがあくまでも書き手の主観を通した取材対象者の肖像であり、主観の浸透は地の文だけでなく発言内容まで含めて全部そうだ、だからこのような発言が書かれているがそれは本当にそう発言されたかどうかを約束するものではいささかもない、ということが誰にとっても自明のことであればそれでいいかもしれないが、ほとんどの場合はそうではなくて、カギカッコがあれば読む人はこの人はこういうことを言うのか、と受け取るように思う。書き手の書きっぷりを評価するような思考は、少なくとも僕は持たなくて、同じ著者の『善き書店員』を読んでいるときも「なるほど木村俊介はこの人をこういう切り口で切り取って描いてみせたんだな」というような感覚にはまったくならなかった。「この取材対象者はこういうふうに考えるんだな」となった。インタビューであるとかはだいたいこういうふうに読まれるのじゃないかと思う。責任の所在というか評価の対象みたいなものが書き手ではなく取材対象者に向かいがちというか、向かいがちどころではなくきれいに書き手をスルーして取材対象者に向かう気がするから、損をするとしたら損をするのはほとんど取材対象者だけというアンバランスな構図がある気がして、だからこのことは書かれたくない、これは真意とは程遠い、ということは逐一言っていく必要があると僕は思っているのでそうしている気がする。こんなことはたまに取材を受けるような身だからすることなのかもしれなくて、頻繁になにかを問われてなにかがその人の発言として書かれるそういう暮らしをしている人はいちいち気にしていたらしかたがないのかもしれない。「木っ端が細かいこと言ってるな」と思われるかもしれないがそれは違う。木っ端だからこそ細かいことまで見たくなる、が正しい。
そんなことを書いていたら夜が少し忙しい感じになって、今週の平日はなんだか調子がよくてうれしい。今日はそれに気分も体調もよかった。12時少し前にお客さんがいなくなり終わりにし、ショートブレッドの生地の成形をHomecomingsの『SALE OF BROKEN DREAMS』というアルバムを聞きながらおこなった。友だちと3人でナイスなミュージックを共有するグループLINEがあり、そこで今朝このバンドのおそらく新譜のEPが流れてきて、流したらとてもよかったので検索してこのアルバムを今度は流した。とてもいい。
今朝、それややはり流れてきたC.O.S.AのやはりEPを聞きながら、最近はノーミュージックノーマターな時期というか、音楽がどんぴしゃに響くようなことになっていないな、と思っていたのだけど、これは結局音楽を聞く時間を持っていない、ということなのかもしれない、と思った。これまでだったら開店前、それから定食屋のあとのフヅクエの始まる時間まで、は好きな音楽を流して聞ける時間だったが、今は開店前の時間しかなくて、それからジムに行って30分走ることも営業時間の拡大にともなってやめてしまった(今は休会状態)から、それもなく、そうすると本当に開店前の1時間くらいに限られて、その聞く時間の限定によるところがなによりも大きいように思う。なにを聞いてもなにも響かない。欲さない。
Homecomingsは京都のバンドとのことだった。とてもいい。
寝る前はウルフ。新しい作品の評価であるとか自分の作家としての立ち位置であるとかについてをすごく気にしている様子が何度も書かれていて、「「私は現存の女流小説家の中で最も才能のある者、と『ブリティッシュ・ウィークリー』が言っているわ」と私は言った」等々、面白いし苦しい。それから日記という形式についての言及、これを読み返す50歳の自分、みたいなこともいろいろと意識している。そういうことが書かれる。面白い。とても面白くてずっとやはり日記はやはり読み続けていられるというか漫然とずっと読んでいたいそういう気分になる。気の抜けた炭酸で作るハイボールはハイボールではなく水割りでそれを飲みながら読んでいた。
十月二五日(月、冬時間の最初の日)
どうして人生はこんなに悲劇的なのだろう。深淵の上にわたされた舗道の一すじのようなものだ。下をのぞくと目がくらくらする。どうやって終りまで歩いて行けるか全くわからない。でもどうしてこういう風に感じるのだろう。こう言ってしまった現在、そう感じなくなった。
ヴァージニア・ウルフ『ある作家の日記』(p.40)
##7月7日 保坂和志の『カンバセイション・ピース』をまた読みたくなったのは夏を感じたからだったか、朝、パドラーズコーヒーにとても久しぶりに行って、朝行くのはほとんど初めてのような気がした。12時開店の暮らしを始める前は午後の、夕方の前の時間にちょこちょこと行ってカフェラテを飲んで、本を読むなり読まないなりをして、とても好きな店だ。だが暮らしのというか労働のリズムというか時間が変わってまったく行く余地がなくなった。今日久しぶりにそれでだから朝に行くという行き方をして店内ではどこかのブランドのカタログ用の写真の撮影がおこなわれているということでなんというかとてもそれらしい人たちがたくさんいた。ずいぶん大所帯の撮影だと思ったが立派なブランドなのでそういうものなのだろうと思った。
それで外の庭というのかテラスというのか外の席でアイスのラテを飲んでいた。周りは緑が生い茂っていてやっぱり気持ちがよくてまたこうやって朝に行くというのは一日の始まりとしてこのうえなくよくてそれが夏だったのか、その緑が夏だったのか、店に着いて準備をしていたら『カンバセイション・ピース』をまた読みたくなった。たしか去年も読んだ。でも本当はそれを読むことよりもそのように暮らすことこそをするべきなのかもしれない。横浜スタジアムに行くであるなり、縁側で扇風機を浴びるであるなり、墓参りに行くであるなり、そういうことをこそするべきなのかもしれない。書いてみると、そんなことがしたいのか全然わからなくなったしそれに、そんなことは『カンバセイション・ピース』とは関係がないような気になった。
朝から穏やかに過ごすことができたためか昼から穏やかな気分で働いていて今は1時半になったところで外は暑そうだった。工事の音がかすかに聞こえてくる。魚の定食を出すお店だったところが居酒屋になるらしかった、今はセブンイレブンの角を曲がったところにあるお店が移転してくるらしかった、100メートル足らずの移転、というのはどういうときに「そうしよう」と思うものなのだろうか。
ものすごい暇な金曜日になった。のに何かずっと仕事をしていたような感じがあり、というかずっと仕事をしていた。煙草を吸いに出る時間以外ゆっくり休憩みたいなことはしていなかった。いったいなんでなのかがわからない。そのためにしっかり疲れた感じがあり、損した気分になった。閉店後ショートブレッドを焼きながらまたHomecomingsを流していたら元気が出て得した気分になった。
そのあとビールを飲みながら一週間分の日記の推敲というか誤字脱字のチェックをしていたところ最初のところで「そういえば」と思い検索したところ「野球協約第38条に書かれている構成球団は「株式会社読売巨人軍」、球団呼称は「読売ジャイアンツ」となっている。」とあった。同じ項目に「(なお本球団を指して「巨人」と言った場合、アクセントは「きょじん」の「きょ」に置かれる)」ともあった。ウィキ・ペディア。