本の読める店

読書日記(39)

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6月24日

ここのところ元気がなかなか出なかったのは起きてMLBのニュースを見に行くと田中将大がいつも打ち込まれていたからなのかもしれなくて今年の田中は今年の有原のようになんだかいろいろがうまくいっていないらしくそれが悲しい。なんでこんなに悲しいのかわからない。そんなに世界で戦う日本人になんというか健闘してもらいたいのだろうか、その姿はなぜ僕を元気づける勇気づけるのか。そのあたりのメカニズムがわからない。そう思っていたところ今日は田中とダルビッシュの投げ合いという日で見てみたら二人ともすごく立派な投球をしていてリロードするごとに0の増えていくスコアを見ているとそれだけで感動するようだった。今日も一日万物に感謝しながら生きようと思ったためそのようにして生きている。
野球を、球場で見ているとスコアもスタッツもなにもなくなるような感覚がある。普段はスコアとスタッツでしか野球を見ていない人間だがそうなる。ファンというものはと保坂和志が『カンバセイション・ピース』で書いていて負けたら圧倒的にずっと悔しがるというそういうようなことを書いていてだから僕は日ハムのファンではないのかもしれないというほど勝敗はどうでもよくて、投げて、打つ、守る、走る。その一挙手一投足だけになる。どちらの選手がどうとか、そういうことですらなくなる。だからいい動きが起きればそれで楽しくなる。緩慢なことが起きればそれで退屈になる。球場で見ていると四球というものがどれだけ試合を停滞させるのかということがよくわかるし、ファウルで粘るのがどれだけ投手を苛むのかということもよくわかる。そんな気が先週だったか先々週だったか行った神宮でしていた。来月も野球に行きたい。

コーヒーをお持ちすると視界の端に「エクス・リブリス以外ではありえない」という装丁が見え、不躾と思いながらも自然な動きを装いながら「いったいなにか」を見るために意を決して視線を向けたところベン・ラーナーの『10:04』だったため僕は歓喜してこういうことはあまりやらない方がいいと思っているためやらないようにしているが「それ読み途中ですか」と指差し尋ね(質問意図不明)、そうしたら買ったあとググったらこの店が出てきて、それで、ということで、「書いてみるもんですね」と僕はなんとなくそう言ったしニコニコしていた。『10:04』はコミュニケーションを誘発しやすい書物なのだろうか。とにかくこういうことは鬱陶しいだろうしあまりよくないと思いながらもなんとなくやってしまうこともありそれもまあしょうがないかなと思って一人勝手にいい土曜日の始まりだった。
そのあとはさっぱりだった。さっぱりなときに読む本として先週の最初は『本の未来を探す旅 ソウル』があってとてもちょうどよかったがそれが終わってからどうしたらいいかわからなかった、それで先日人から「であるならば」というところで教わった、『カミュの手帖』なる本を昨日ポチった。「であるならば」というのは日記とかそういうのが読みたいんですよね、という発言に対するものだった。他にホッファーの『波止場日記』であるとかソンタグの日記であるとか、あとはペソアの『不安の書』であるとかその他その他その他をすすめていただいた、それでカミュのやつをポチったのだが、どうなんだろうか、これはおそらくいろいろあれこれ断章みたいなものなのだと思うけれど、やはり日記が必要だったのではないか。日付けというなんというのだろう楔みたいなものが、僕には必要だったのではないか、届いていないうちにそう思っている。楔という言葉は意味大丈夫だったっけと思い調べると「V字形にとがった木片・鉄片。木石を割り広げたり、重い物を押し上げたり、物のつぎ目に打ってとめたりするのに使う。また、車の心棒(しんぼう)の端に打ち、輪がはずれないようにするもの。」とのことで、だから合っていた、物のつぎ目に打ってとめたりする、輪がはずれないようにする、そういうものが必要で、日付けがなにかを保証してくれる。気がする。なにが書かれていてもよいけれど、その支えみたいなものとしての日付けがほしい、そんな気がする。

ところで「そのあとはさっぱりだった」と書かれたがそれはそのあとにどうなるかわからないうちに書いておいたものなのだけどさっぱりではなく、とても忙しい時間帯があったりした、今は9時前で、もう今日が売上的集客的にはよい日となることは確定された、それはうれしかった。先週の週末がひどかったから少し不安だった、だからよかった。それでもう暇なので、なにかやるべきこととかがあるような気がするが気が塞いでいるのでやるわけもないので『ゲンロン0』を読み終えた。ドストエフスキーを読みたくなった。
『ゲンロン0』には一箇所おかしなところがあって、255ページの下隅が大きく折られていた、それは256ページに向けて大きく折られ、あ、ということは間違えた、256ページの下隅が折られていたということだ。大きく折られ、もう一度その半分より少し大きく、つまり先端が254ページに触れるようにはみ出るような折り方で折られている。この折り方は僕はしない、僕は上を折る、255ページを折って、それで256ページも折りたくなったときは下を折るが255ページは無傷だから僕はしない折り方で、そうやって大きく二度折られていたところがおかしなところだった。買ったのは渋谷の紀伊國屋書店だった、そこで何者かが折った可能性が高い。なぜこのページなのだろうか、「最後にもうひとつ論点を付け加えておこう」と書かれたページで、こう続いた。

ラカン派精神分析は、近代の主体を映画を見る主体として捉えた。ぼくの考えでは、ポストモダンの主体はコンピュータのグラフィカル・ユーザー・インターフェイス(GUI)を見る主体として捉えるべきである。 東浩紀『ゲンロン0 観光客の哲学』(p.256)

次のページには「しかしほんとうは、観光客の視線とは、世界を写真あるいは映画のようにではなく、コンピュータのインターフェイスのように捉える視線なのではないだろうか? そこにはイメージもあればシンボルもあり、そして解読しなければならない暗号もある」とあって、一年半くらいのあいだほとんど毎週来てくださっていたお客さんがいて来月転勤で関西に行かれる。帰りがけにたまに話したりする、そういう方でとてもフヅクエを気に入ってくださっていたというか毎週の大事な時間として過ごされていた。来るときに今日は何を読もうか、いつもしばらくのあいだ本棚の前で悩む、と前におっしゃっていた。転勤が決まってからは「残り何回」みたいなことを惜しそうに話されていて今日昼過ぎに来られて僕は「あ、最後の」と思った。それで分厚い本の頭から読み始めたそれは1時40分だった。それからパタパタとお客さんが来られてだいたい埋まっていった時間を過ごし、パタパタとお客さんが帰られてほとんど空っぽになった時間を過ごし、夜になりポツポツとお客さんが来られて多くも少なくもないそういう時間を過ごし、7時、8時と過ぎていった、僕は、大学時代にやっていたバイトの最終日を思い出していた、終わる、終わる、もう終わる、と思っているとどんどんぐんぐんと何か高まっていくような感じがあり、シフトが終わってバックルームに戻った途端に大泣きをするということが、あって、僕は、そのバイトをとても好きだったのだけどそれでだから泣いて、終わる、終わる、もう終わる、という、だから今日は、彼は何をいま思いながら過ごしているんだろうなとか、思っていたらなんだかとてもじんわりした気分になって、ところでお客さんがほとんどいない時間帯におられた一人の方がその方はだいたいパソコンで何かをされていたのだけど本を開いている時間があってのちにその本が横に置かれてそれが僕は自分の席から何かの折りに目に入って表紙がなんとなく見覚えのあるものであああれはなんだっけな、レフトハンドの時代だっけな、なんだっけな、赤い、赤が、赤が印象的な表紙、というそれはだから『セカンドハンドの時代』で、分厚い、岩波から出ている分厚いそれで、あれ読んでみたい気が起きたことがあったけれどなんらかの理由でスルーされたんだよな、と思い出していた、その方はもう帰られたあと、9時くらいになってラストランの方がオーダーされて定食を持っていったときだと思うのだけど、机に置かれた本をふと見たというか見るつもりもなく目に入ったのが『セカンドハンドの時代』で、なんというか、それにはとてもびっくりしたというかほとんど鳥肌が立ったというかすごいと思って、だからそれで、けっきょく11時前に帰られた、それでだから、見送るというか下におりて僕は煙草に火をつけて、やあなんだかじんわりしてしまいましたよ、というようなことを言ったら次は木曜か金曜に来ます、とのことで、ラストランではないらしかったのでなんだか笑った。読書だけで9時間を過ごした方は新記録だったはずだった、その読まれていた本は、6時間経ったところで半分だった、最後まではいけなかった、とおっしゃっていた。いやそれだけ読み続けられるってすごいですね、僕絶対無理ですね、と言って、じゃあまた木曜か金曜日に、おやすみなさい、と言って、笑った。笑ったが、じんわりしたなにか、なんなのか、じんわりしたなにかは残り続けた。

6月25日

昨日はお客さんのことを二人も書いてしまったがこういうことはあまりしたくないというか人を登場させたくはあまりないというのはこれはどういうことなんだろうなと前に話していたときに書き方を間違えるとアウティングみたいなことになると思っているからかもしれないという話になったね。アウティングはもちろん意味が違うというかウィキペディアによれば「ゲイやレズビアン、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)などに対して、本人の了解を得ずに、公にしていない性的指向や性同一性等の秘密を暴露する行動のこと」ということでそういうことだがそれはわかっているが本人の了解を得ずに公にしていないなにかしらを暴露する行動全般を指して使ってみてもよいのではないでしょうかそんなことはないでしょうかと思ってのアウティングなのだが、SNS上でのタグ付けであるとかもそうだと思っていて、タグ付けされたほうが納得していればもちろんまったく問題ないのだけど、だから僕は人のことは基本的には書かないようになっているような気がするが昨日は二人分も書いた。どういう線引きで書いたのか。先週は一緒に野球に行った元ルームメイト二人のことを書いた。もし彼らがその日誰かに嘘をついていたとしたら、あるいはかつてルームシェアをしていたことを何かの都合で隠していたら、僕が書いたそれらにより何かが露呈する可能性があるそういうことをしたわけだった、この日記から彼らにたどり着く可能性なんてほとんどないしそもそも西山と玉村という名前も出していないからいよいよ元ルームメイトのその二人が誰なのかなんてわからないだろうけれども、でもその二人の人物を登場させなければゼロだった何かの露呈リスクをゼロではなくしたのはたしかだった。

と書いたのが何時だったか、これを書いて以降、おそらく1時以降、だから12時までの11時間、立ち続けて働き続けていた、夜遅くなってからはオーダー自体はもうなくなったのだけどやるべきことみたいなものをどんどん片付けていってさらに別に今日やらなくていいことみたいなものまでやり始めて、結果ずっと働いていることになった、なんというかすごかったので最後の方が帰られて10秒後ぐらいに奇声を出していたしその10秒後ぐらいにビールをあけた。それを今だから飲んだり、している。

『ピンポン』を読み終えた。すごい展開になって笑った。とてもよかった。

そのあったかいものたちを除いては——完璧な無の世界だ。四方の白さがだから僕には恐ろしく、美しかった。セクラテンはどうなったんだろう? それに双子は? ええと、と僕はもう一度あたりを見回した。そばにセクラテンがいてくれたらあったかかっただろうけど、すぐに気持ちが楽になった。眠気が襲ってきた。僕らは異常なほど無為で、異常なほど全身無事だった。爪をかみながら僕は寝入ってしまった。どこも痛くないし、寂しくもない。長い長い真っ白な睡眠を、それで僕らはとることができた。 パク・ミンギュ『ピンポン』(p.195)

6月26日

ご理解いただいております通りご理解いただいております通りご理解いただいております通り。脆弱なメンタルが苛立ちの声を上げ続けていてうるさい。頭の中で声が反響し続けていて増幅していってガンガン轟いてだからうるさい。
それで『カミュの手帖』が届いたので開くと「35年5月」と書き出されていてなんというか感動した。1935年の5月にこれらは書かれた!というのがなんというかそれだけですごいことだと思った。80年前。にカミュは何歳だったのだろう、二十歳くらいだろうか。が書いたカイエ。

長い長い真っ白な睡眠を取りたい。朝から肩が筋肉痛みたいな疲れを持っていて笑ったのだけどやっぱり昨日の働き方は体にとっても大変だったようだった。長い長い真っ白な睡眠を取りたい。疲れをどこかに流したい。

カミュは1913年生まれということだから22歳ということだった。「太陽の讃歌」というだけあってとても太陽を讃えている感じがある。おそろしいほどキラキラとしている。

五月十六日
長い散歩。丘とその向こうに見える海、そして柔らかな太陽。灌木の茂みには白い野バラが咲いている。紫色の花びらをつけたいかにも甘ったるい大輪の花。帰りもまた同じ道だ。女たちのやさしい愛情。若い女たちの厳かな微笑する顔。微笑、冗談、そしてさまざまな計画。ふたたび遊戯の世界に帰ってゆく。そこでは、みんな少しも信じていないのにうわべだけの見せかけに微笑み、それにならっているふりをしている。調子を合わせぬことは許されない。ぼくは、あらゆる仕種で世界に密着し、あらゆる感謝の念で人間たちに密着している。さきほどの雨の名残りで、太陽に照らされ、もやが立ちのぼるのが丘の高みから眺められた。たとえ森をよぎって下ってゆこうと、この綿のようなもやのなかを進んでゆこうと、太陽はいつも頭上にすぐそれとわかり、この奇蹟にみちた日に、樹々はくっきりとその輪郭を描いていた。信頼と友情、太陽と白い家々、ほとんど聞きとりがたい微妙な抑揚。ああ! 完全無欠なぼくの幸福感はすでに流れだし、夕べの憂愁のなかで、ただ乙女の微笑みと、あるいは理解されたことを知る友情の利口そうな眼差しだけをぼくにゆだねてくれるのだ。 アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(p.22,23)

短い時間電車に乗りながら本を開いているそのときが僕は好きだ。夜の電車はいい。酔っ払った人、疲れた人、悲しんでいる人、いいことがあった人、これから恋人の家に向かう人、あるいはどこかに遊びに出ようとしている人、いろいろな人がいるなかで少しのあいだ本を開いている、そういう時間が好きで、カミュを読んでいた。

三七年八月
数年前から、ぼくは、政治家の演説を聞いたりわれわれを指導する彼らの談話を読むたびに、そこに人間的な声がなにも聞かれぬことにおどろかされる。彼らは相も変らぬ言葉でいつも同じ嘘をついている。そして、たとえ人びとがそれに甘んじ、人民の怒りがいまだそうした操り人形を打ち壊さぬにせよ、そこにぼくは、彼らが政治にいかなる重要性も与えていないことの、また彼らが、生活や彼らのいわゆる根本的な利害の一部をもてあそんでいることの——そうだ、たしかにもてあそんでいるのだ——証を見るような気がする。 アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(p.47)

こんな記述があった。80年前の80年後。僕は正義は、打ち間違えた、政治は、右も左もよくわからないし何が大切なのかもわからない、来週いきなり都議選と言われてもどうしたらいいかわからない、たぶんいささかもいきなりではない、三十を過ぎてそんなことを言っているのも情けない話だけど、でも人はいつから、何歳から政治について意見を持てるようになっていくのだろう、僕はそのタイミングを捉え損ね続けているらしい、のだけど、たまに見るニュースやなんらかの記事でしか知らないけれども、あるいは興味を惹かれて見てみる一部の動画とかでしか知らないけれども、昨今の内閣の(内閣の、という言い方で合っているのか。政権与党の、とかが正しい? それすらもわからない)、そこに人間的な声がなにも聞かれぬことにただただおどろかされ続けている。 僕から見たらただただ嘲笑的で冷笑的な態度で答弁をする国を代表し牽引していくあるいは国民のために身を粉にして働くべき偉い人たちを見て、ただただおどろかされる。誠実さのかけらも見えない、ごく一部を切り取って見るからそう見えるんだと言われたら完全に反駁することはできないけれども、いや反駁することができる。誠実で賢い人間はあんな態度を全国民が見うる場で絶対に見せない。そういう態度を取り続けても大丈夫だと思っているその確信にただただおどろかされる。
僕は政治家に誠実であってほしいとは別に思っていない。ただ賢くあってほしいとは思っていて、せめてきれいに僕たちを騙してくれよと思ってしまう。せめてその賢さでもって誠実そうに見えるような態度を偽装してみせてくれよと思ってしまう。僕は今のあの政治家たちの態度を許容できる人たちの感覚がどうしても信じられなくて、経済政策とかがうまくいっているとかそういうことはあるかもしれないのだけれども、他に代わる人たちがいないのかもしれないけれども、それはそんな気はするけれども、知らないが、そういうのがあるのかもしれないけれども、だとして、だとしても、あんな嘲笑的な冷笑的な愚かな態度を見せ続けられる人たちを信じることなんて、どうしてできるんだ? と、そうとしか思えない。政治家に品性は一切必要ないということなのだろうか。次の世代の人たちに一縷の望みというかなんだろうか、政治家っていうのはかっこいいものだなと思わせることの一縷の可能性すら与えない、ああいう品のない態度を許容してしまっていいのだろうか。肯定するべきところは肯定すればいいと思う。それはフェアなことだと思う。嫌悪から理性を捨ててすべてを否定するのもまた愚かだと思う。肯定すべきことは肯定し、改善を要求するべきことは改善を要求することこそがフェアな態度だと思う。もともと嫌悪する人の改善要求の声よりも、支持者たちによる改善要求の声の方が絶対に響くはずで、行動に影響を与えるはずで、だからこそ態度を改めるべき声を、もしあげるべきだと思うならば彼らこそがあげるべきだと思う。実際にあげている人たちはいるのかもしれない。それは知らない。僕が見ているインターネットにおいてはグラデーションが見えない。全体を否定する人たちと全体を肯定する人たちばかりで、微妙な位置を取ろうとする人はほんの、ほんのわずかにしか見えない。なんというかこう、自民党はよくやっている、自民党は最高だ、というそういう人がでもそれについてはまったく間違っている等々の声をあげることなく、あの品のない誠意のない態度を許容するどころか礼賛しているようにすら見えるその状況が気持ち悪くてしかたがないしなんというかその感覚がまったくわからない。まったくわからない。

6月27日

大宮の実家に戻る電車、新宿から乗る電車に、もっともスムースにいくのはだいたいにおいては湘南新宿ラインで、それに乗れば新宿から池袋、赤羽、浦和、さいたま新都心、大宮、だろうか、わずかな駅数で済む。それを埼京線の各駅停車に乗ることを選んで悠々と座れるなかで座ってパソコンを開いて仕事をしていた。それは大宮から池袋に向かう電車でもしていた。往復そうすると80分くらいになるだろうか、仕事をする時間を、どうでもいいカフェであるとかに入るよりもずっと清澄な心地のなかで取ることができて僕は満足だった。
それで大宮に戻った。大宮から私鉄で数駅の実家まではカミュを読んでいた。その町のさびれた、ずっとさびれ続けている、見事なまでに開発の手の伸びないその駅でおりて実家に帰った。
父親が今月末、つまり数日後に退職を迎える。今日は東京本社の最終出社日だったらしくあとで花束をもらった写真が家族のグループLINEで送られてきた。あさって、地方にある本当の本社(?)の株主総会かなにかが最後の最後で、そこに母は母で旅行として行き、友だちと会ったりしてから父と落ち合って二人で旅行をするらしい。母は大学卒業以来会っていない友だちと会うのだという。40年ぶりの再会といっていた。想像を絶する。まったく話が噛み合わなかったりとかの怖さを僕だったら感じて怯んでしまいそうだ。ともあれそれら全体が彼らにとっていい時間であればいい。
だからそれで父が退職し、しばらく大宮のその家に留まったのちに秋に、彼らの生まれ育ちの故郷である栃木の県北に越すというか帰ることになる。父は実家の家を二十年前に建て替えて、その家は十年間ほどは大叔母の一人住まい及び僕らのときおり帰る家となり、大叔母が倒れて施設暮らしになってからの十年間ほどは夫婦のセカンドハウスであり僕ら子どもたちが年末年始に帰る、そういう家になっていた。そこにとうとう、念願の、というところだろう、彼らは帰り着く。それで今大宮の家にある荷物の処分であるとかを進めていて、僕の荷物の要る要らないを判断しに一度いらっしゃい、ということで今日帰った。
三時過ぎで、電気のあまりつけられていない家は薄い光に満たされていて、あるいはほのかな暗がりに満たされていて、そこで僕は「なにか食べるものない? 今日まだ何も食べていなくて」と言って、そうしたら焼きそばをこしらえてくれた。こしらえてくれているあいだに荷物の検分をし、ほんのわずかな荷物を取っておいてもらうよう伝えた。その一つは中学生のときの、ナンバーガールの、『SCHOOL GIRL BYE BYE』のMDだった。三年生の秋の誕生日に友だちからそのMDをもらったのだったか、CDを借りたのだったか、それで僕は僕の人生は始まったような気がしたそういう一枚だった。そういうものを取っておいてもらった。
それから焼きそばを食らい、母と話し、父の最近のスケッチを見て、その中には久我山の神田川を描いたものがあって写真を撮った。父の水彩画は僕はとてもいいと思っていて見るのが好きだった。それから夕方になり、僕はどうにも眠く、かつて暮らした部屋のベッドで昼寝をした。ぼんやりとした音が外から、窓を隔てて聞こえてきた。帰り道の高校生の話し声だとか、バックするトラックの音だとか。その音響に懐かしさのような一抹の切なさのようなものを感じながら、いやそれよりも全体的な心地よさのようなものを感じながら昼寝をした。大宮のこの部屋に来る機会はこれからあるだろうか。これが最後の大宮だったのだろうか。最後の。最後の町、を見た、そういう日だったのかもしれない。大宮だけでなく。それはそして始まりだった、彼らにとっても僕らにとっても。

『SCHOOL GIRL BYE BYE』のMDをくれたのだったかCDを貸してくれたのだったかした友だちは今では一児の親で子どもは言葉を発するようになったし楽しく嬉しく暮らした。彼のそういったことの源であり、だからそれは彼を経由して僕の源にもなった彼の兄は初台のすぐそばに住んでおり閉店時間を狙ってやってきて話すような夜が何度もあったし雨の日に傘を借りに上がって来たこともあったし先月くらいは道端でばったり出くわしたりしたのだったし、酔っ払って頭が少しズキズキとする中でカミュを読み、眠気が忍び寄ってきたので本を閉じて眠りに入っていくと三十分もしないうちに目が覚めた。寝しなに流していた音楽がまだ流れていたことからその時間が察せられた。つまり4時になるかならないかという時間だった。しょうがないのでまたカミュを取り上げて読んでいた。

《私にまだ本を読むことができればね! でも夜になると、燈火では編物だってできないんだよ。だから私は横になって、眠るのを待っているんだ。それはそれは長い時間さ。そうだね、二時間はそんな風にして過すんだよ。もし孫娘でも一緒にいてくれたら、それと話をすることだってできるだろうに。でも私はもう年をとり過ぎているよ。きっといやな臭いがするんだよ。孫娘だって決してきてはくれまいよ。だからこうしているのさ、たったひとりでね》 アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(p.94)

この箇所を読みながら二時間をそんなふうにして過ごすことは大変なことだなと安易に同調していたところ次の断章はこうだった。

2P。
今日ママンが死んだ。あるいは昨日だったのかもしれない。ぼくにはわからぬが。養老院から電報を受けとった。《母上の死を悼む。埋葬は明日。》 アルベール・カミュ『カミュの手帖〈第1〉太陽の讃歌1935-1942』(p.94)

なんというかけっこうな衝撃を食らった。これが書かれたのは1938年で、『異邦人』が完成されたのは1940年、刊行は1942年とのことだった。その数年前に冒頭部がたしかな形で、たぶん最終稿と同じ文章で、手帖に書かれていた、ということに「なんというかすごいことだ」となった。このメモ書きは30行ほど続いていて、どこまでが同じような形になっているか明日確認してみようと思ったし、実際には確認しないんだろうなと思った。とにかく眠りに戻りたいが5時半だ。とにかく長い長い真っ白な睡眠を取りたい。あるいは朝ごはんを食べてしまいたい。代わりにウイスキーを飲んで眠ろうとしている。と打っている。白白とした画面が目の前にあってその向こう側では不気味なものが無表情にこちらを見つめ返している。犬が、野球場を、走り回ったりハビアー・バエズがいっしょうけんめいボールを捕ったりヤシエル・プイグがとても速いボールを投げたりするのをときどき見かけた。

6月28日

そういったもろもろの結果まったく素晴らしく頭の朦朧とし続ける一日を暮らしていてただただ眠くカミュが読み終えられそうで次に何を読むべきかでただいま混乱しているし今は正常な判断をできる気がしないからよくない気がする。腕がしびれている。昨日luteのインタビュー記事を読んだ坂口恭平の『しみ』と『結婚式のメンバー』と『富士日記』のAmazonのページのタブが開かれていた。それで、わからないので、双肩が重く、肘から先がしびれた手はわからないので、わからないから『しみ』をそのままワンクリックさせておいた。なんというか、書店に行く時間を捻出できないというか、休みの日に行けばいいのだけど、休みの日以外には行くことがまずかなわないという、それはやっぱりなんというかいろいろと不健康な気がするなあ、と、書店に行けずに最近わりとAmazonで買う機会が多くなってきてそのたびに思う。読む本は書店で買いたい。

それにしても先々週くらいだったかも、お酒を飲んだ夜にたちまち目が覚めてそのまま冴えて何時間か眠られず睡眠時間が短くなって翌日に支障をきたしたかきたしそうになったことがあったがこれは本当に不便だ。今日の眠さ、全身の疲労感はちょっと極度だ。これが休日の翌日だと思うとバカらしすぎるコンディションの悪さだ。さっき「富士日記」と打とうとしたら「フジ日記」となってそうするとフジロック日記だったし肩がバカみたいに重くてだるくて気持ち悪い。

『カミュの手帖』が終わったので残りの営業中は少し前に人からいただいた雑誌『CREA』の6月号を読んで「東京ひとりガイド」という特集で「ほうほう」と思ったりこの店行ってみたいなと地図で星をつけたりして過ごしたのちにブコウスキーの『パルプ』を開いて閉じて、それからこれも以前に人からいただいた本橋信宏『全裸監督 村西とおる伝』を読んでいた。なんだかのっけからすごい本だった。それで店が終わって本棚から『異邦人』を取って帰ることにして、すぐに寝るとは思いながらもしばらく『異邦人』をとても久しぶりに、いつ以来だろうか、大学生の時以来の気がする、読んだ。大学生のときに僕はなんというかなんだったのだろうか『異邦人』を読んで、なんだかおかしな感動の仕方をしていたというか、初めて小説を読む人間が読むような読み方で感激していたというか、たぶん、保坂和志の『小説の自由』を読んで「小説とは!」とか思ったとかのタイミングで読んで、なんか神経過敏な感激の仕方をしていた記憶がある。案の定すぐに寝た。

6月29日

よく眠れて、そうすると意識がはっきりとしていたのでよかった。やはり睡眠は大切というかちゃんと眠らないと本当に一日を台無しにするようなことになるなと思ったというか昨日と今日の違いにそれをより実感した。世界はこれだけクリアだったか、といった驚き。といっても昨日の悪コンディションも僕が悪いのではなくて眠らせなかった僕の体が悪いのであり、僕は悪くなかったから仕方のないことだった。自分を責めても何も始まらない。田中将大が今日も好投して久しぶりに勝ち星がついたらしく、それを言祝ぎたい。

はてブを見ているといろいろがけんけんでがくがくだなと思った。飛行機の車椅子の搭乗の話題、マイクロレンディングサービスの話題、それから応援演説でやらかした話題、そういった話題に「ああだ」であるとか「こうだ」であるとかがコメントされている。なんというか平和なんて決して訪れないよなと思わせられる溝が、そこここにある。
はてブばかり見ているからいけないのだと思うのだけど、インターネットにははてブ以外に見に行く場所がない。そんなことはない。そんなことはないのだけど指がすぐに伸びるようになっている。ところでここのところのフェイスブックの振る舞いはちょっと病的になってきた。しばらく開いていないと「〜さんが近況を投稿しました」であるとか「〜さんが自分の写真にコメントしました」であるとか、特にフェイスブック上でこれまでコメントやいいねやメッセージやのやりとりをしていたわけでもない人たちの何かを知らせるメールを送りつけてくる。今日というか先ほどは「Aさんの写真へのBさんのコメントはもうチェックしましたか?」という、いずれも「友達」ではあるが片方は面識があるかないかぐらいの人で片方はここ何年もまったく関わりのない人で、「それをチェックする必要がありますか?」とフェイスブックに返信したい。

やることもなくなったので夜は『異邦人』を読んでいた。というのは、『異邦人』を読まないという理由は、別になかったからだ。『異邦人』を読みたいかどうか、それはまるきり意味のないことだが、もし『異邦人』が読まれたいというならば私は読む。その答えはマリイを満足させるものではなかったらしく、彼女はふくれつらを作って、「では読まれたくないと言ったら読まないの?」と聞いてきた。私は「もちろんさ」と答えて、立ち止まった。マリイが突然回り込んで私の目の前に突然立ちはだかったからだ。「では、あなたは何を読みたいの?」彼女は挑むような目つきで私を見た。誰だって読みたいと思う本など決してないし、どんな場合だって、読書というものは似たりよったりだし、『異邦人』を読むことは少しも不愉快なことではない、と私は答えた。

6月30日

午前中に銀行でお金をおろして家賃を払いに行って(3階へ)、通帳の預金残高を見ていたら金のことをまっしぐらに考えた。そうしたらとても暗澹とした気持ちに包まれてしまい、どういうことなのだろうかと頭を抱えた。泡を吹いたあと絶望から咆えたし鞄から鮑を取り出してさっと炮ると砲兵部隊の同胞の疱疹のできた顔に貼りつけてすぐ飽きた。
それでだからずっと金のことを考えていた。どうでもいい皮算用ばかりしていた。皮算用というか、このままだとそうなってしまうわりと明るくはない未来の様子を見ていた。しかし、数字をひとついじれば、この手が数字をひとついじってみさえすれば、一挙に明るい未来が到来するのだった。桁を一つ増やしてみようものならば即座に「#####」になる。多すぎて表示できないよ! である。簡単にたいへん愉快だったしなんの意味もなかった。

「阿久津隆さん ー Facebookご利用への感謝の気持ちを込めた動画をご覧ください!」
今日来たお知らせはこれだった。これは見なくては!wwwと思ったまま忘れていたのであとで見たい。

昨日坂口恭平の『しみ』が届いたし今朝はコンビニで『Number 930号 清原和博「告白」』を買いもしたが、まずは『異邦人』だった。昨夜ムルソーが人を殺して、それで留置所で暮らしだした。

私が弁護士を選んだかときいた。私が選ばなかったことを認め、一人つけることが絶対必要なのかと質問すると、彼は「なぜか」といった。私の事件は大へん簡単だと思うと答えると、彼は笑いながら、「それも一つの考え方だが、しかし、法の定めというものがある。もしあなたが弁護士を選ばなければ、われわれは職権をもってそれを選任しなければならない」といった。私は、裁判上そんな細かい点まで規定のあるのは、まことに便利だと思い、判事にそういうと、彼も私に同意し、法律というのはよくできている、と結論した。 アルベール・カミュ『異邦人』(p.66)

この部分を読む少し前にツイッターを見ていたら痴漢の疑いで任意の事情聴取を受けた男性が任意の事情聴取を受けているはずが相手の警官がでは現行犯逮捕になりますみたいなことを言い出して、つまり電車内の女性によって逮捕されていたということになったみたいな、なんかそんなことを言って、任意の事情聴取だから来たのに話が違ううえに私人による逮捕とか刑事訴訟法的におかしいでしょうみたいなことを言うと関西弁の警官が刑事訴訟法なんてどうでもええ、と繰り返し言う、悪夢みたいな動画を見た。
なんだか、言葉が本当に通じない社会というか何かになってきているのだろうかと思うと結構なところ暗澹とした心地になって、前からずっとそうだったのかもしれないけれど暮らしてきた僕の実感としては今が一番この社会を悪夢みたいに感じている。痴漢に限った話ではなく、なんだか「間違えられてはならない」という心地になって、それからボラーニョが描いたようなピノチェトのときのなんかめっちゃ軍事独裁みたいなほんと話にならない感じの、目をつけられたらもうアウト的な、そんなものはこれまでにたくさん読んできた、そういうちょっとほんと話にならない感じの怖さを感じた。そのいくらかのちにカミュのこのくだりを読んで、なんだか話のわかりそうな判事さんでよかったなあ、と思ったが、そのあと十字架を出して「君はこれを見てもなんとも思わないのか!」と絶叫していた。不気味なものの肌に触れる。

夕方までにいい調子でお客さんが来られたのでこれは余裕でバジェットは超えるな。もしかしたらめっちゃ超えて休日並みの数字になるかも。よい月末最終日だ、と思っていたら夜になったらぱったりと止まって、今9時になろうとしている。バジェットに届かなそうだった。6月が終わろうとしている。いろいろと考えないとなーほんとに、と思いながら生きている。

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