本の読める店

読書日記(16)

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1月14日

書くことにおいてカフカがどういう人間だったかということは、フェリーツェに書いた手紙とミレナに書いた手紙を見るとわかる。朝までかかって書いた、というよりも「書いているうちに朝になった」あるいはもっと簡単に「朝まで書いた」手紙を投函し、それが相手に届く前に、というより次の朝までに次の手紙を書く。電話をしていて朝になってしまったとしたら「朝までかかって電話した」とは言わずに、「朝まで電話した」と言うように、カフカは朝まで手紙を書き、その手紙は投函される 保坂和志 『 試行錯誤に漂う 』(p.25)

愛すること、誰かを好きになることは、その人のことが一日中頭から離れないことで、私は一日中その人といる。見るもの聞くものすべてが愛するその人と共有する出来事、というほど大げさでなく幸福な事象だから、私はすべてをその人に語りかける。ということは、語りかけるならばその人は私と一緒にいないということだが、愛する人と一緒なら二人で同じものを見ていても私はいま隣りにいるその人に語りかける。語りかけることによって私の心はある満足は得るが、私は同時にその人がいま私のすぐそばにいないことを確認してもいる。だから愛する人がいる状態というのはその人がそばにいないことを片時も忘れることができない辛い状態だが、つねに私はその人に語りかける、私の中から果てもなくその人に語りかける言葉が生まれてくる、そのきっかけである見るもの聞くものがすべてその人と語りたいほど生き生きしているのだからそれはやはり幸福な状態だ。(…)
私もまた愛する人がいるときの充満して不在する状態を知っている者として考えると、書くことはまさにこの状態によって起こることなのではないか。果てもなくつづく流れがあって、それが一時的に紙に書かれて、小説になったり手紙になったりする。
枠組みや形が先にあるのではない。それらを目指して作られたり成ったりするのではない。「水は方円の器にしたがう」という言葉をここに持ってくるのは安易だが、考えの通過点としてまったく無意味でもない。ある時代を境に、小説を書く者にとっても読む者にとっても不幸は、小説という形があまりにありすぎることではないか。書く者たちは、ただ書きたいのではなく、「小説を書きたい」と思ってしまう。読む者たちは小説としての構成を考えたり意味を考えたりすることが小説を読むことであって、書かれつつある時間の中に身を任せることなど想像もつかない。小説が運動を欠いた固定したものとなる。 同上(p.26-28)

小説とか、作品とか、形ある何かに囚われるべきではない。私は雑に "衝動" と言った。それは "力の流れ" であり、 "思考の搏動" か "生の搏動" であり、 "光" であり、 "植物" であるかもしれない。カフカの文章にふれることによって、人はそれまでと違った回路を開くようになって、言葉や文章との関係がまったく違ったものになる。人は自分の中に果てもない言葉の流れや搏動があることを知る。
だからみんながいっせいに踊り出す。語り出すとは歌い出すことでもあり、演奏をはじめることでもあり、踊り出すことでもあり、絵を描き出すことでもあり、粘土をこね出すことでもある。 同上(p.32)

2つ目のやつは『小説の自由』でも似たようなことを書いている覚えがあって、覚えがあるということは僕は10年前にそのページを折って、10年後に同じような言葉に反応してまたページを折ったということだった。

ここに書かれている「神」「あなた」とは、精神の働きとも言えるようだし、世界がこうある秩序とも言えるようだし、世界と私とのインターフェイスとも言えるようだ。
もっとラクな言い方をしてしまうと、恋愛状態にあるときの恋い焦がれている「あの人」にちかいとも言えなくない。恋をしている「私」にとって世界はすべて恋人に向かって語りかけるものとなっている。道端で花を見たときにも、秋の陽射しに光り輝く空を見たときにも、「私」はその美しさを恋人に語りかけ、恋人と共有している。旅行に出たときなどは見るもの聞くものすべてを恋人に報告していて、つまり「が見ることがそのまま「あの人が見ることになっている。
しかし「あの人」はただ「私」からの報告を受け取ったり、「私」と一緒に見たりしているだけの受動的な存在ではない。「私」がこれほどすべてを美しいとか面白いとか感じることができる理由は「あの人」が「私」とともにいてくれるからで、「私」の "見る" も "聞く" も「あの人」によってもたされている。「あの人」は「私」が世界を感受する根拠となっている。 保坂和志 『 小説の自由 』(p.285)

「あの人」は「私」が世界を感受する根拠となっている、そこに緑色のボールペンでグイグイと二重か三重の線が引かれていた。あの人は、私が世界を感受する根拠となっている。やっぱりこういう物言いは今もとても好きだと思った。
夜は角田光代の『坂の途中の家』。背中の張りで登録抹消。

1月15日

今日もあさほさか。保坂和志を読んでいるとこれだけ言及され続けたら誰だってそうなるだろうけれどカフカと小島信夫を読みたくなる。久しぶりに、小島信夫を、読もうか。
平日も昼から営業するということを考えるとき、おかしな話だけど僕は正月の状態をまた生きたいのだと思っているのかもしれない。だらだらと、間欠的に、本を読み続ける状態。だらだらと、たまにオーダーをこなしたりしながら、小島信夫を読み続ける、そんな暮らしをしたいのかもしれない。それは保坂和志のタイトルど忘れした芥川賞受賞作だったはずの短編の「この人の閾」か「この人の閾」で小田原だったかに住んでいる主婦が延々と長い長い小説を読む、読み終わらないのが長い小説のよさである、そういう小説を生活する、その光景の延長であるのかもしれない。背中の張りが消えないか強まっている。寝違いの痛みで、この痛みはそう不便ではない。コーヒー。新しい豆のいただいたサンプルを飲んでいるが、はっとするほどおいしい。というか飲んでいて途中でおいしい すごいおいしいとつぶやいておいしさにはっとしたことを自覚した。すごいおいしい。

局所的に忙しい時間はありながら総じては「とてもゆっくりな」という日を過ごしたが、売上は悪くない。というかいい。12時開店は誰にとっても正義なのかもしれない。途中からブログを書き始めて、OZマガジンで紹介いただいた記事を書いた。最後の段落のブラッシュアップに忙しかった。更新したあとにまた囲碁のくだりを足し、また彼女のくだりを足し、ということをした。すると満足のいく出来になった。
とてもゆっくりな気分ではいたが、それでもそれなりでは結局あったのか、営業中に本を開くということはなく、本を開いてもよさそうな時間に使ったのはブログを書くことと定食屋のときにどこかに置いておく「営業形態変更のお知らせ」をイラレで作ることだった。思いつきは書かれることで促され作られることで決定になる。本当は、思いつかれた瞬間にはすでに決定されていることは誰よりも自分がわかっている。

角田光代を読んでいた。ディスコミュニケーションな感じにぞっとする。道端で言うことを聞かないでぐずる娘を置いて曲がり角まで歩いて見えなくなったら不安になって追いかけてくるだろうということをやっていたら曲がり角から覗いたら、それが描かれるにふさわしい一番おそろしいこととして選択されていることそれ自体がおそろしいことだけれど、意想外に早い帰宅の夫が娘に近づいていく姿が目に入った、それで、夫が気がつくより前に、娘のところまで戻ろうと駆け出す、しかし間に合わなかった、そのときの、違う、違うよ、虐待じゃなくてね、これはね、こういう方法でね、普通によくお母さんたちがやることでね、という焦りが痛いほどにわかる気がする。違うんだけど、違うことを証明する手立てなどない、そのときの焦りと先回りの疑念からの言い訳の全部先回りの悪循環とが、本当にどうしたらいいかわからないと苦しくなりながら読んだ。ディスコミュニケーション。ヒッチコックの映画を見るときにいつも思っていたのはそれはだいたいヒロインの女性にあてがわれる役割だった気がするけれど彼女は言葉を発することを許されない、言葉を圧する愚か者のせいでサスペンスがどんどん高まっていく、というか、サスペンスの高まりのために言葉が圧せられる状況が使われる、ということがあって、僕はイライラしながら、ちゃんと話を聞きさえすれば、こんなことにはなっていないのにと思っていたのだけど、この小説を読んでいるとヒッチコックを見ているときのことを何度か思い出した。

1月16日

休日だから途中で眠くならないようにありたいのだが無駄に早起きをしてそれが

と書いてそのままになっていた。だからみんながいっせいに踊り出す。語り出すとは歌い出すことでもあり、演奏をはじめることでもあり、踊り出すことでもあり、絵を描き出すことでもあり、粘土をこね出すことでもある。早起きをしてそれがやけにはっきりとした目覚めだったのでそのまま起きることにした、それであさほさかをしたのか、しなかったのか、昼の労働の際に定食屋がおしまいになる旨を掲示した。そうするととても好きな女性のグループの方が来られて僕は彼女に話した、今回の定食屋の廃止を考えたときにいちばん残念だったのはあなたたち一味を迎えることができなくなることだった、あなたたち一味のことが僕はものすごい好きだった、気持ちのいい集団で、ぺちゃくちゃしゃべっているのを見ている聞いているだけで僕は気持ちがワクワクと楽しかった、それぞれができるかぎりの善良さで暮らしているように見えるその見え方が、できるかぎりの機嫌のよさで暮らしているように見えるその見え方が、とても好きだった。その言葉の意味するところは彼女にすべて通じ、だから彼女を通じて彼女たち全員にすべて通じた、その一連のやり取りを僕はプレシャスなものとしてよろこばしいものとして感じた。満足したため店じまいをした。

ボラーニョを買って、それからせっかくなのでお店の方の本も買って、あとは、なんだろうな、などと見当をつけて向かっている時点で、つまらない向かい方だと思いながら、荻窪で降りて大通り沿いを歩いていった。電車のなかで開いていた角田光代のおそろしさの余韻は少し続き、たぶんどこかで雲散した。晴れた日で、寒い日で、その明るさ、冷たさが、全身に完全に気持ちよかった。完全にこの状態が気持ちいいと思いながら10分か15分か歩くと本屋titleはあったのでそこに入った。それでボーラニョを取って、それからせっかくなのでお店の方の本も取って、として、結局はボラーニョの『ムッシュー・パン』と川崎昌平『重版未定』、それからロジェ・グルニエの『パリはわが町』を買った。けっきょくそういうことだった、『パリはわが町』に出会わされる、それがたぶん、こういう書店に行って起こる素晴らしい出来事だった。
僕はロジェ・グルニエという人を読んだことがないし、名前もなんとなく聞いたことがあるくらいしか知らない。たぶん、誰だったか、全然思い出さないで止まってしまって不愉快だ、ノーベル文学賞受賞者を探して見当たらなくて今度は「フランス文学」でWikipediaに掛けるという雑な探し方をしたら見つかった、ル・クレジオだ、ル・クレジオとロジェ・グルニエは同一人物くらいの感覚でどちらのことも知らない、そのロジェ・グルニエという人の『パリはわが町』という本を買うことになった。「パリはわが町」というタイトルが見えた、それで手に取った、表紙の写真、雪の降り積もる広場めいたところで向こうに橋とその先に何かきっと歴史的な建造物があって手前の広場のところで黒い服の女たちが雪合戦をして躍動している、黒い服がめくりあがりコートの下の素足が見える、素足は雪に埋もれているように見える、この楽しく美しい写真に魅せられ、そして開くとパリの番地ごとの断章みたいな形式で何かが書かれているらしいと知る、それを、これは恋のような感情だと思いながら、買わないでどうするんだと思ったため買った。楽しく読み続けられるものなのかどうかは全然わからないが、これは買わないと済まないと思ったため買った、買って、奥のカフェでコーヒーとなんというのだったかパイ生地のおいしい軽食を食べて角田光代を読んで、それから吉祥寺に行って喫茶店に入って角田光代を読んだ、向かいのテーブルにデンマーク人の女性と日本人なのだろうか男性がいて日本語で話していた。キルケゴール。教会。農家の家。キアケゴー。彼女は「でしょ」と「ですよ」の違いが難しいと言った、「すわる」と「さわる」も難しい。
角田光代を読んでいたら出てきたのは二度目だった、「違和感を感じる」という書かれ方がされていて、僕は「違和感を感じる」人たちに違和感を覚え続けながら生きているのだが、角田光代が書き、そしてそれが通り出版されている事実を突きつけられると、もしかしたら違和感は感じてもいいものなのかもしれない、僕の認識が間違っているのかもしれない、と思った。保坂和志も違和感を感じるとどこかで書いているが、それを見かけたときはショックだったが、でも保坂和志の場合は何かを差し引いて考えたほうがいいような気がするというか、自分のリズムで言葉を踊る人の踊り方なのだからそこに正しいかどうかを挟んで考える必要はないと思ったため気にしないようにしていたが、角田光代の場合はそうは言っていられないというか、校正(校閲?)の人も赤を入れないということは問題のない言い回しということなのかとなって、ということは僕のこだわりがただの無用のこだわりだったということだろうかと思うと、そうか、と思った。正しさ、と思っているわけではないつもりだけど、単純に違和感を感じるのは気持ち悪くないだろうか、というのが強い。違和を感じるか違和感を覚えるじゃないとすっきりしなくはないのだろうか、というのが強い。頭を悩ました、いや悩まなかった。 頭を悩ましたのは「ユニクロがある」と思って入ったユニクロで下着と靴下を買おうと思ったら下着がほしい形態のものが見当たらなかったときでだから別のユニクロに行った。そうしたら買い物が完了して、歩いていると向こうに続く暗い道がありその道の傾斜を街灯がかたどっていた。まっすぐ、ひらたく続いたあとに、その街灯は狭い感覚でくだっていった、その先に何があるのかわからなかったそこへ向かって歩くと黒い影になっている木々のあいだにチラチラと光る水面が見当たり、それは公園だった。青木淳悟の小説でなにか井の頭公園のことが書かれていたことがあったような気がしたがそれが本当だったかは思い出せないで歩いているとその公園は広いことが知れ、歩いていくと右手に池をまたぐ光る橋があり光る建物があり、左手に光る階段があり向こうが温泉街のようだった、温泉街のようだ、と思ったときに僕が覚えた開放感は極めて強く、知らない場所に来ていた。
また公園を歩いていると春になると水中で花を芽吹かせて一面を桃色に彩るたわんだ木々の枝が池に浸かる近くで何かが狭い感覚で浮かんでおりその一つに足を置くと立つことができた、それで一歩二歩と進み、池の中を歩いていくといくつめかのところで足の裏に発生すべき感触が走らずに予期と大きな異なるとにかく「間違った状態」とでも呼ぶほかない状態の到来に全身がハッとかたまり立て直す余地などなく崩れながら落ちていった。つむった目を明けてみると暗がりのなかに薄い緑色が発光しているように思えた、なんとなくいろいろが見通せた、その見通せたなかにたしかに公園に入ったときに考えていたバラバラにされた人体の断片がいくつも漂っていて、人の肉は沈みきりも浮かび上がりもせずに水のなかをふらふらと漂うものであることが知れた。その一つを乞うような気持ちでつかむと木綿豆腐くらいの柔らかさで嘘みたいな話だが本当の話なので驚くほかないのだがほのかに温かさがあった。その不意の温かさと耳元で唐突に聞こえだしたアコースティックギターの音色とそれに伴う熱唱とに僕はゲラゲラと涙を流すほどに大笑いして、するとまどろむような心地いい気分になってしばらくそうしていたあと家に帰ると角田光代の続きを読んで、それからまた池の中に戻っていった。

1月17日

その中にいれば安心だと思った。だけど生活があった、暮らさなければならない営みがあった、のそのそとというよりはふわふわと水面に顔を出して近くにあった枝に手を伸ばした。触れた瞬間に凍っているのかと思ったが凍っているわけではなかったそれをつかみ、体を引きあげた。腹の下にある枝を感じながら池のふちまでたどり着くと足をあげて公園の歩道にあがった。水が全身からしたたり、乾いた地面は黒ずんだ。寒気が走ったため少し走ろうと、駆け出した、公園なので、走るのに適していた。一歩走るたびに体からぐちゅぐちゅいう音が発せられ、僕はぐちゅっ、ぐちゅっ、と言いながら走った。元の位置まで戻ると全部が乾いていた、また水のなかに戻りたいという欲求が驚くほど強く湧いたが、せっかくなのでそうしないことにして公園の外にある朝からやっている喫茶店に入ってスポーツ新聞を読みながら朝食をとった。トーストとたまごと、サラダと呼ぶよりは生野菜と呼ぶほうが適切だと思えるものを口に運び、それが済むとコーヒーを飲んで煙草を吸った。窓の外に目をやると通勤の人たちが早い歩調で何人も過ぎていった、彼らのうちの一人に見覚えがあったため急いで会計をするとその背中を追った。濃いグレーのスーツはパリッとしていた。なけなしの金で買ったのであろうリングがはめられ重そうな腕時計を巻いた左手がカバンを握っていて前後に揺れていて、前後に、前後に、と思っていると左右にも揺れ始めた。歪んだ円を描き始めた。ふと目を上げるとどの人も、カバンで円を描きながら歩いていた、歩いている、という言い方は適切ではないかも知れなかった、複雑だけどジャストなステップを踏みながら、ラージな態度で、少しずつ前進している、というふうだった。前後、左右、左右、斜め、足は、小刻みに動く。右、左、左、右、前、うしろ、走って、走って、前後、左右、前へ!走って!走って!そのまま、走って!逃げて!

と、いわき総合高校の生徒が言った。感情が高ぶっていたからなのか読んでいたら感情が高ぶったからなのか、角田光代を読んでいたら涙が出てきた。すれ違い、などという言葉ではまったく足りない、夫から妻への精神的な暴力。証拠の残らない、それでいて深い傷跡を残す、激しい暴力。すべての言葉が伝えるところはきみは人なみ以下だという、暴力。ベトナムでアメリカ人兵士がベトナム人を木からぶら下げ生きたままナイフで眼球をくり抜いて視神経だけでつながった状態でくるりと目をくりぬかれた自分の顔に向けて見せる、その横で別のアメリカ人はもっとやれと言う、その横で別のアメリカ人は腹をよじって大笑いする、それを見ていても僕はどうとも思わないで、小説の運動を、踊りを、楽しむ。角田光代を読んでいるとそういうどころではなくなる。この人物の振る舞いが許しがたい、あるいは僕はこんなふうには絶対になりたくない、しかしこんなふうになってしまったら、どうしよう、そんなことを思っている。

残り数ページだった角田光代を夜に読み終えた、迫力というか、最後まで凄みがあり続けた。やばい本を読んだと思ったそのためロジェ・グルニエの『パリはわが町』を読み始めた、最初の章「マザリーヌ通り21番地」は5行ほどの長さでこんな調子だ。

父親のアンドレ・グルニエは、1886年6月29日、マザリーヌ通りで生まれた。その建物には数年前まで、界隈の知識人たちがよく出入りしてたレストランの〈ラ・カフティエール〉があった。アンドレの父のジョゼフ・グルニエは、クロワ=デ=プティ=シャン通りにあった《レ・プティット・ザフィッシュ》という求人・求職紙で、印刷部門の職工長をしていた。職場に行くには、橋を渡ればすぐだったが、橋の欄干は、もちろんまだ恋人たちがとりつけた南京錠でおおわれてはいなかった。 ロジェ・グルニエ 『 パリはわが町 』(p.13)

1月18日

来月の読書会は植本一子の『家族最後の日』でそろそろ告知をしないといけないと思っている、会話のない読書会は誰もそんな感想を寄せたわけではないから僕が勝手に思っているだけだけど短編集であるとかよりも中編であれ長編であれ1つの小説を読むほうがいいように思えていて、読むものはエッセイであるとかよりも小説のほうがいいように思えていて、だから植本一子の日記は、『家族最後の日』が日記形式なのかどうかは知らないけれど、とても適切なものだと思う、というようなことを思っていた。そう思っていたら朝に開いた保坂和志に

私にとって小説は文学ではない。一番大ざっぱな言い方をするとそういうことだ。文学というのが、総体として意味を語る(創る)ものだとしたら、私が小説というときの小説は、行為とか手の動きとかにちかい。そのつど何かを考える。当然「そのつど」の意味はあるが、全体としてまとまりのある意味を構成する必要はない。日記がそういうものだ。その日その日に何かを感じたり考えたりするが、全体として一つの意味を構成するわけではない。 保坂和志 『 試行錯誤に漂う 』(p.52)

とあって、僕がとても適切だと思っていたその説明がされたと思った。夜に告知をシェアする前にいくつかの予約が入って、まず人が自分からwebを見に行っていることに(そんなことは当然あろうけれど)なんだか驚いたし、そして予約がポンポン入ることに驚いた。驚いているうちに一晩のうちに予約が埋まった。読まれたがる書物。その書物が読まれたがっているということが可視化されるぐあいが面白く、そしてそれは幸せなことだった。僕も早く読みたい。早く、というのとはまた違う気がするが、とても強く読みたいと思っている。

まず思うのは自分が書いた字によって自分の考えが書く前には考えていなかったずっと先の方に引っぱられる。が、これは本当のところ書く効用のようなものの中心ではないのではないか。一般には書いた文が書くその人を牽引する、書くその人の考えをまとめる、と考えられているが、そうではなくて、人は書きつつ、書いた字や書くために考えたその考えに誘発されて、いろいろなことが拡散的に頭に去来する。
書くことはその去来したものを適宜挿入したりしながら、基本的には一本の流れにまとめあげることだが、書くという経験は結局は書かれなかったいろいろな去来した考えを経験することではないか。(…)
書くその時間、書きながらその文に誘発されていろいろな考えが頭を過る、いろいろな考えが池に投げた小石の波紋のように複数同時にパーッと広がる、その経験こそが重要なのではないか。 保坂和志 『 試行錯誤に漂う 』(p.53,54)

昼間洗濯をしながら『パリはわが町』をちょこちょこと読んでいた。静かでいい。晴れていた。いくら寒くてもこの冬はなんだか機嫌よく寒さを受け入れている気がする。寒いなかでずっと歩いていたいような、そんな気がしたのは数日前の午後だった。だがそれもいったん中に入ってそれから外に出たらただの寒さになっていて歯の根が露骨に合わないで笑った。でも寒いのはよかった、歩くのはよかった。歩きながら考える。

彼らはクールティ通りに住んでいた。この短い通りが、サン=ジェルマン大通りの端にあったことは知っていた。けれど、わたしはどちらの端か勘違いしてしまった。アール=オ=ヴァン(ワイン市場)の方、つまり東端に出てしまい、この大通りを端から端まで歩く羽目となった——モーベール、サン=ミシェル、オデオン、サン=ジェルマン=デ=プレ、ラスパーユ、ベルシャッス、ユニヴェルシテ、リール……そしてやっと、クールティ通りにたどり着いた。アシャール夫妻は相変わらず親しく迎えてくれたものの、わたしを必要とはしていなかった。 ロジェ・グルニエ 『 パリはわが町 』(p.30)

グルニエは歩きながら何を考えていたんだろうか。「グルニエは歩きながら何を考えていたんだろうか」なんて思ってもいないと思った。ただ不思議と間違えて端から端まで歩いたこの歩きが幸福なものに思える。歩きたい。夜が少しずつ少しずつ明けていく丸子橋を、歩きながら、延々と話す、しかしそれは悲しい、いやしかし幸せな、場面だ。少し前に行ったマルサラ飲食店がとてもよかった。何を食べてもおいしく、料理は目にも楽しく、器は素敵で、内装もかっこよかった。そこで女性二人が働いていた、その見え方が『親密さ』で平野鈴が働いているバーのようだった。たぶん頭上にワイングラスがぶら下がっていること、カウンターの形、二人の掛け合う雰囲気、それからそのときにいたお客さんの感じ、全部があの店とあの映画を思い出させた。そのときに僕が一緒だった人も、もしかしたらあの映画を思い出させる要素だった。なお『親密さ』のあの店は初台のまるカフェがロケ地で、それは初台に暮らす身として勝手に自慢をしたい項目になっている。初台ってなにがあるの?親密さでれいれいが働いていたバーのロケ地があるよ、濱口ついでにさらに言おうか、天国はまだ遠いでだいたいの時間写っている店があるよ。

1月19日

無駄に、完全に無駄に早起きをしてしまい辛い。寒い。早く起きたのでグルニエを読むことはしないで保坂和志を読むことにもしなかった、それで何をしていたのか。忘れたもで床屋に行って5ミリメートルに髪の毛と髭を切ってもらった、10時開店のその床屋に9時50分に行くとすでに一人お客さんがいてそのあとも続々ときた、一人でやっている店だから、3人待っていたら1時間以上待つことになる、僕は少し早く来てよかった、と思った。
午後、電車に乗って昨日から開いている高野文子の『るきさん』を読んでどのページもずっとよかった。そう思っていたら日暮里についた。髪を切ったので銭湯に行くことにしてそれが楽しみだった、それで銭湯に行った、広々とした、明るい、清潔な銭湯で、露天風呂があったので露天風呂に主に入っていた。寝そべるような姿勢で、何かの隙間から見える空をずっと見ていた、そこで空を見ていると曇っているように見えたが、本当は晴れていた。すぐにのぼせる人間なのでいつもは5分くらいで上がるものの露天風呂で湯温も38度とかだったので長くぼーっとしていた。「僕はぼーっとすることができないんです」と言った。それは銭湯にそうやって入っているときにぼーっとすることもできたため覆った。ぼーっとするをしたい。せっかくなので中のお湯にも入ろうと入った、頭の位置を下げていくと聞こえ方が増えていく音があった、蛇口かなにかの天井の照明に反射する光の光具合とその音は同調しているように思えた、僕がいろいろが未分化の幼児だったらその連関を正確にまるごと理解したはずだった、明るくなればなるほどそのハーシュノイズのような音は高まった。と、耳までお湯につかるとその音はハイライトを迎えた。

大きな喫茶店に入って本を読むことにしたためボラーニョの『ムッシュー・パン』を読んでいた。そこは大きな古い喫茶店でメニューはファミレスのそれで、変なところだった。暖房がききすぎていて半袖で過ごしていた。

「何を言い出す。私のような老人が判事の真似ごとをするのは間違いだというだけの話じゃないか……だが判事はいつか姿を現すよ、ピエール、それだけは間違いない、岩のように堅固な刑事、その前では慈悲という言葉の意味すら失われてしまうような判事がね。ときどき、まどろんでいるときに彼らが夢に現れるんだ。彼らが行動し、判決を下すのが見える。彼らは断片をつなぎ合わせる。冷酷で、我々には偶然の領域にあるとしか思えない規則に従って行動する。一言で言うなら、恐ろしく不可解な存在だ。もちろんその時が来れば、私はここにいないだろうがね」
「たぶん私が酔っているからだと思いますが、今夜は何か妙な臭いがします」
「夜はそれぞれ違った臭いをもつものだ、そうでなければ耐えがたいだろう。君はもうベッドに入ったほうがいい」
「でも今夜の臭いは特別です。まるで何かが路上を動き回っているみたいだ、何かぼんやりしたもの、よく知っているのに何かは思い出せないものが」
「もう寝なさい。ひと眠りしろ。精神を落ち着かせることだ。」
「そこまで臭いがついてくるんです」 ロベルト・ボラーニョ 『 ムッシュー・パン 』(p.52)

風呂に入って体が乾燥した。顔がヒリヒリするようだった、日暮里はかつて岡山からはるばる通った皮膚科のある町として記憶されていた。立ち上がるのにすら痛みで難儀するほどに酷くなったことがあって、それで著書を読んで行ってみようと思った皮膚科だった。ドラッグストアに行ってプロペトを買いたい、と思って喫茶店を出た、それで行った小さな手動の扉の薬局では「そういうものはありませんね」と困った顔をされた、次に行った薬局では「うちではそういうものは」と言われた、次に行ったところでは「うちにはハンドクリームと化粧水しかないですね」と言われた、「ドラッグストアであれば」とも付け加えられた、それで説明された場所に向かった、そこでは「白色ワセリンなら」と言われた、次に行ったところは見るからになさそうだった、そのため白色ワセリンを買いに先ほどのところに戻り白色ワセリンを買った。タリーズに入ってカフェラテを頼んだあとトイレに行ってワセリンを顔に塗った、体にも塗った、そうすると問題のないことになった、それで読書を続けた。

今「しゃっくりの性質」と言ったが、その特徴のひとつはおそらく、あくまで私の受けた印象だが、しゃっくりが自然に発生したらしいということだった。誰でも知っているとおり、しゃっくりは筋肉の収縮運動であり、横隔膜の痙攣が声門を急に妨げ、特徴的な音を断続的に引き起こすものだが、バジェホのしゃっくりはそれとは違い、患者の体とは関係なくそれ自体で完全に自律しているようだ、あたかもバジェホがしゃっくりに苦しんでいるのではなく、しゃっくりがバジェホに苦しんでいるかのように。それが私の考えたことだった。(…)
帰るときには疲れがどっと押し寄せてきた。激しい運動をしたあとのように両肩がずきずき痛み、喋る気力もなかった。誰の邪魔にもならない広い場所で思い切り咳き込み、夜になるまで独りで歩いていたい気分だった。この患者は治るという確信があり、私はその希望の真っただ中で、突飛ではあるが、あの部屋で私をそれぞれ異なる角度から見つめていた二人の女性とだけでなく、あそこで何が起きていたかも知りもしないパリの住民の大半と気持ちがひとつになったような気がした。 ロベルト・ボラーニョ 『 ムッシュー・パン 』(p.62,63)

なんだか本屋に行く週みたいになってしまったがパン屋の本屋に行ったところパンを買って本を買った。僕はこの本屋さんの話を聞いたときにとてもいいなと思って、行ってみてもすごくいいなと思った。大好きだった『触楽入門』の横にあった『触れることの科学』という本を買った。まったく知らない本だったのでそれはいい出会いだった。そのためコッペパンを食いながら歩いた、左手に霊園を見たかったがそこは通らずにとてもいい公園を通った。霊園といってずっと思い浮かべていたのは漱石の墓のことだったがそれがあるのは谷中霊園ではなく雑司ヶ谷霊園だった、今調べた。草葉の陰で、うんぬん、と兄が妹に言った、『親密さ』の場面を思い出す。あなたのその言葉で、私はこれからも生きていける気がします。と妹は言った。
そのあとでトルコ等のおいしい料理を出す店に入ると椅子ではなく座敷に座るスタイルで、大勢の人々がべったりと座っていた。入って少し経つとレストランの主人の方が大きな声で何かを言って、すると大勢が大笑いをした。その様子を見るとそれまでも起こったことのある笑いだったようだった。それからベリーダンスのショータイムになった。ダンサーが暗くなった店でダンスをし始めた。途中で主人の方が客の一人を立たせて踊るよう指示を出した。それで踊り始めた。踊らされている客の連れ合いの男は半裸になるように言われたためシャツ等を脱いだ。主人の人が何か言うたびに地震のような笑いが店内に響き渡った。どの人の顔も満面に笑みを浮かべており、同じようにしないとと思って僕は必死に口角を上げ続けた、口角を上げ続けながら、店の主人の方に見つからないように祈りの言葉をつぶやき続けた。アッラーフアクバルアッラーフアクバルとずっと言っていた。ラーイラーライッラッラーと言った。アッサラームアレイクム、ワアレークマッサラームと一人で二人分の挨拶をした。それをぶつぶつとずっと言っていると一瞬主人の人と目が合ったような気がしたので胸ポケットからコーランを出してちらっと見せた。すると目をそらしてそれきりこちらを見ないようになったので安心した。そのあいだもそれからもずっと人々は笑った。人々はずっと笑っていた。おかしくておかしくてしかたがないようだった。僕は何が面白いのかちっともわからなくて、でもこの場所では面白くなければならないはずだったので必死に笑顔を作った、口の端が疲れてきた。どんどん大きくなる笑い声が何度も店を揺らし、満たし、飲み込み、僕は祈りをつぶやくかわりに「楽しい!楽しい!楽しい!」と必死に言い聞かせた。「楽しい!楽しい!楽しい!」とずっとつぶやいて頭は何も考えないように顔はとにかく歯を店さえすれば笑顔になるとそれに努め、と、気がつくと誰ももう笑っていなかった、ただ出どころのわからない単声がずっと響いている、なんだろうと思うとその大きな鋭い何度も繰り返されている音は僕が発する「楽しい!楽しい!楽しい!」という声だった、人々は僕を見ていた、もう誰の顔にも笑みは残っておらず、冷たいいくつもの黒目が僕を見ていた、僕はまずいまずいまずいと思いながら「楽しい!楽しい!楽しい!」ともはや泣き顔にしか見えないであろう笑顔のつもりで作っている顔をそのままにしながら「楽しい!楽しい!楽しい!」と続けてまずいまずいまずい声は止めようとしても止まらないでずっと何度も口から吐き出されて知らぬ間に立ち上がっていた僕はぴょんぴょんと座敷の上で飛び回りながら涙をごうごうと流しながら顔面をおびただしい量の汗で濡らしながら「楽しい!楽しい!楽しい!」と僕は口から
という夜を過ごしたわけではなかった、僕の記憶が確かであれば僕はそのレストランには行かないで両脇に墓場のある坂道を静かな美しいステップを踏みながら歩いた。

「それに、想像という言葉を見くびるな」
「想像力というのは何だって想像しちまうものだ」
何だって」と痩せた男が言った。 ロベルト・ボラーニョ 『 ムッシュー・パン 』(p.70)

1月20日

リュックを漁っていると2つのパンが見つかったので食らった。アン・ドゥ・トロワ。ドゥ・パン・食らった。cosaとkid fresinoの「Swing at Somewhere」を朝から聞いていた。ワン・ツー・アンド・スリー・アンド・フォー。仲間以外に回す愛は持ち合わせない。勤勉で、できる限り善良で、気遣いのある人たちは踊ってくれ。傷を負い罪を背負ったその体で、孤独を引きずる人たちも加わってくれ。
とても寒い日になるということだったしどうせ暇だろうと思っていた定食屋はやっぱり暇だった。粘ることもなくむしろいつもより早いくらいの時間に閉めて、完全にやる気がなくなっている。早く2月になってほしい。2月にやってきてほしい。2月をこちらから迎えに行きたい。仕込みもなく時間がだいぶ空いたのでボラーニョを読もうかと思っていたが、ブログを書いたりしていたらわりと時間が過ぎ、それから「眠くて」というよりは「寝ておこう」という寝方の昼寝をした。ずいぶん寝た。なのでちょっとも本は開かなかった。2月になれば、昼寝ができなくなる、それはとても歓迎すべき事態に思える。

先週の驚くほど忙しかった金曜から一転して驚きの特にない暇っぷりを見せた営業がしまいになった後に友だちが3人店にやってきて、酒を飲みながらだらだらと話した。この店は2人だとまだ大丈夫だが4人で話すとなるととても話しにくい作りになっている。とにかく遠い。一直線にソファの端から僕の席まで声を投げ合う、あるいはソファの前に椅子を置き広い扇形を作る。今週はよく人と話した。16時間くらいは人間とのコミュニケーションの時間があった。それはとても珍しいことだった。今のところあまりないのだけど夜非番の日が週2回あるとやっぱりいい。ワークライフバランス。週2日半休+1日休日ができる状態を今年中に作りたい。が、どうか。

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