本の読める店

読書日記(9)

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11月26日

webをいじりはじめると本当に際限がなくなって、困る。どんどん細かい新しい気になる点が出てくる。そういうことを繰り返していると、むしろ、これまで何も気にしていなかった2年間のほうの感覚が信じられなくなる。どうして気にならなかったんだ。たぶん、気にしたところで自分で改修できると思っていなかったためというか、自分で改修できるようになったからそれならばと気になるのだろうけれど、気になり方と自分で負えるということがこれだけ関係しているというのは、不思議なものだ。
自分で変えられるとは思っていないからこそ気にならないでいられることがこの世界にはたぶんものすごい無数にあるということでもありそうで、変えられると思うのと変えられるだなんて考えたこともなかったというので、どちらがいい状態なのかはわからない。

私がドランブル通りのディンゴーというバーで、全くつまらぬ連中いく人かといっしょに坐っていたところへ、彼は入ってきて、自己紹介をし、それから、背の高い、感じのいい連れの男を、有名なピッチャーのダンク・チャップリンだと紹介した。 アーネスト・ヘミングウェイ 『 移動祝祭日 』(p.155)

「彼」はフィッツジェラルドのことで、「スコット・フィッツジェラルド」と題されたやつから3つ、それまでよりも長いページを割いてだいぶ仲良しだったらしい彼とのことが書かれている。ずいぶんエキセントリックなところのある人だったみたいで愉快だった、愉快で悲しかった。

私はこれを聞いてショックを受け、そりゃまるで売春と同じだと思う、と言った。彼は、たしかに売春行為だが、将来ちゃんとした本を書くために前もって資金を得る目的で、雑誌で金をもうけるんだから、そうする必要があるんだ、と言った。私は、だれでも、自分の書ける最上のやり方以外の書き方で、ものを書いたら、きっと自分の才能をこわしてしまうという確信をもっていると言った。ところが彼は、自分が本物のストーリーを最初に書いたのだから、しまいにそれをこわしたり変えたりしても、自分には何の害にもならないんだ、と言った。 アーネスト・ヘミングウェイ 『 移動祝祭日 』(p.165)

この「最上のやり方で書く」ということをヘミングウェイは何度も書いていて、カフェの客席で開いたノートに鉛筆で、少しずつ、書いている、手のつけられていないカフェオレがテーブルに乗っている、ウェイターたちが動き回る、人々はおしゃべりに興じる、そのにぎやかさの中で一人、大男がノートと向き合っている、彼は最上のやり方で、自分を損なわないやり方で、本物のストーリーだと信じるものを、書き続ける、その光景を想像してみるととてもなにかぐっとくるものがある。一方でフィッツジェラルドの姿勢も僕は好きな柔軟さであり、スコットいいね、と思う。
フィッツジェラルドは、妻のゼルダやパーティーや酒癖に邪魔されてなかなか仕事に取り掛かれない。同じようにフィッツジェラルドはヘミングウェイの仕事を邪魔するようになる、それでも、「こういうことが何年もつづいたが、その何年もの間、素面のときのスコットほど忠実な友を私がもたなかったことも事実である」とヘミングウェイは書く。なんだかとてもいいような、そしてやっぱりかなしい気持ちになった。あとがきで、これが遺作で、そしてヘミングウェイは自殺をした、と知った。かなしさに拍車をかけた。だが、それよりも。

「そうよ。行くまでにもう6週間足らずだわ。今年は、だれにもじゃまさせないわね?」
「させないさ。そして、パムプローナのあとマドリッドへ行き、それからヴァレンシアだ」
「むーむーむーむ」と彼女は猫のようにやさしい声を出した。
「かわいそうなスコット」と私。
「かわいそうな皆さん」とハドリーは言った。「お金のないぜいたく文士よ」
「ぼくたちは、全く幸運だね」
「あたしたち、心のもち方をよくして、運をにぎっていなくちゃ」 アーネスト・ヘミングウェイ 『 移動祝祭日 』(p.193)

愛妻のハドリーとの関係がこのたぶんわりとすぐあとに終わり、離婚している、という事実が、僕を動揺させた。この本を通してずっと、ハドリーはとても、とてもチャーミングに描かれている。かなしい。

朝に読むのでは長そうだったので夜に、甘いものがどうしても食べたくなってコンビニでチョコレート菓子を2つとクッキーを1つ買って、それら全部を皿に広げて、つまみつまみ、ウイスキーを飲み飲み読んだところ読み終わった。パリ。ずっとこのパリのなかにいたい、ヘミングウェイの描き出す1920年代のパリのなかにいたい、という気持ちを、ヘミングウェイは最後、読むものから離していくようだった。フィッツジェラルドをめぐる3つの長いやつの締めくくりはその数十年後、バーの主任との会話になっていて、その次、最後の「パリは終わらない」ではオーストリアの冬山の話を長く続ける。

オーストリアの冬のイメージからなだらかに推移するような感覚で、今度はゼーバルトを開く。アウステルリッツが相変わらずずーっと話しているその話に、心地よさとはまるで異なるまどろみのような感覚とともに、耳を傾け続ける、そうやって夜はどんどん静かになっていった。

バドミントンを終えても私たちはなおしばらく舞踏室に居残り、落日の低い太陽が、山査子の揺るぐ枝を透かして縦長のアーチ窓から向かいの壁に投げかける影絵を、消えてなくなるまで見つめていました。明るんだ壁面につぎつぎと映し出されるまばらな模様は、生まれ出る瞬間以上にはけっして続かないような、いかにもつかの間のもの、一瞬のうちに儚くなるものの趣がありましたが、それでいてその不断にあたらしいかたちをとる光と影の編み細工には、たしかに氷河渓流の流れる山の風景や、氷原や、高原や、ステップや、荒野や、花畑や、洋上に点在する島に、珊瑚礁や、多島海や、環礁や、嵐に撓んだ樹林や、小判草や、ただよう煙が見てとれたのです。私たちがしだいに暗く黄昏れていく世界に眼を凝らしていたとき、アデラが私のほうにかがみこんで、こう訊ねたことは忘れられません。あなたにはあの椰子の木の梢が見えて?あそこの砂漠を行く隊商が見えて? ——アウステルリッツが記憶に刻みこまれたアデラのこの問いをくり返したころ、私たちはすでにグリニッジからロンドン市街への帰路をたどっていた。タクシーは夕方の渋滞の中をのろのろと進んだ。雨が降りはじめ、車のライトがアスファルトに反射して光り、銀色の雨粒におおわれたフロントガラスを通して散り散りに輝いた。クリーク・ロード、イヴリン通り、ロウアー・ロード、ジャマイカ・ロードを通ってタワー・ブリッジへ、3マイルにもみたない距離を行くのに車は一時間近くも要した。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.109,110)

すべてのものは消え失せる、というか静かに崩壊するような、そんなイメージに長い時間浸されたためか、「フヅクエは閉店しました」という文言がwebに貼られた、それでいて読書日記だけが律儀に一週間ずつ更新されている、そんな様子が脳裏に浮かんだ。あいまいに死んでいるもの。が夜な夜な踊る、いびつでグロテスクな状況が脳裏に浮かんだ。

11月27日

ヘミングウェイを読み終えてしまい、そういう本が必要な気がした。少しだけ読んで、気分がうっとりとするような静かな本が必要だと感じた。

昨夜Amazonで『Robert Frank: In America』を買おうと見たところ、先日思いついて見たときに5,000円で出ていたものが7,900円からになっていて、その3,000円のギャップにどうしようか戸惑って、戸惑ったままパソコンから離れた、その画面がまだあったのでリロードしてみたところ5,000円で出ていたのでポチった。

空が暗くて気分が塞ぐ。

今まで幾度も読みふけった本のページを折りたたむ。すると書物が、鳥に似た異形の生物に変貌した。手紙をたたむときのようにいっしんに、一冊の中から一行だけが彼らの身に浮きあがるように折り込んでゆく。どの一行が現れるかは偶然にゆだねられ、この場面ならいいのに、という願望が果たされる可能性はほとんどない。ふいに見えてくる言葉こそが彼方からの応答であり、思いもよらぬ啓示となってこちらを招く。そのうちに、作者も時代も異なる書物から生まれたはずの彼らが、それぞれの身に浮かぶ一行を交わしあい、会話をしていることに気づいた。以来、皆の交信に耳をそばだたせた。たとえば消失した遠い星の物語、誰かの愛の顛末、こだまして呼びあう名前、書きつづけなさい、と励ます声。少しずつ本棚が空洞になってゆく。書物が一冊失われるたびに《翼あるもの》が一羽誕生する。そして皆、ただひとすじの響きを残して、ひとりでに天へ飛び立ち帰っていった。 福田尚代 『 ひかり埃のきみ: 美術と回文 』(p.192)

これはなんというか、すごい本だ。すごい本というか、すごい人だ。すごいというか凄い。展示を見てみたい。

どこを見回しても繋がりというものが見えません、文はほどけてばらばらの単語になり、単語はほどけていいくら加減な文字の羅列となり、文字は切れ切れの記号に、記号は鉛色の、なめくじか何かの遺した分泌物のようにところどころ銀色に光る痕跡となっていきました。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.122)

忙しい日曜日だった。金曜と土曜が暇だったので、もう暇だとばかり思っていたらすごい忙しい感じになって大喜びした。
なんとなく迎えた夜がつまらない、気鬱、それはヘミングウェイを読み終えてしまったかららしい。ゼーバルトがいるじゃないか、と思うのだけど。ゼーバルトだけでは何か不足があるのだろうか。
次に読むべきはヘミングウェイの何かなのか、それともフィクションのエル・ドラードから出ていたアレホ・カルペンティエールの『方法異説』なのか、と思って検索したらどうやら明日にはレイナルド・アレナスの『襲撃』というのが発売されるらしい。フィクションのエル・ドラード、突然どうしたんだ。黄金郷に置いていかれる。

あたたかい飲み物しか飲みたくないような気になってホットウイスキーを飲みながらゼーバルトを読む。

横になる前に、床の傍らのボルドーの木箱に置かれたラジオのスイッチを入れた。灯のともるその丸窓に、都市や放送局の名前が浮かび上がった。モンテ・チェーネリ、ローマ、リュブリアナ、ストックホルム、ベロミュンスター、ヒルヴァーシュム、プラハ……いずれも子供のころ、外国というイメージに繋がっていた名前ばかりだった。私は音をぎりぎりまで絞って、はるかな天空から伝わってくる意味のわからない言葉に耳をかたむけた。女性の声がときおり波にかき消えてはまた浮かび上がり、そこにいかにも入念な手つきによる演奏がいりまじる。私の知らぬどこかの場所で、ベーゼンドルファーかプレイエルの鍵盤をすべって奏でられた平均律クラヴィアの一節であるらしいその調べは、私の眠りの中にまでつきしたがった。翌朝目覚めると、スピーカーの目の細かい金網からは、ざあざあという雑音がかすかに聞こえるのみだった。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.160,161)

何度もフォークナーと響き合っているような気がしながら読んでいたけれど、アンソニー・ムーアともいろいろと響き合う。夕方の福田尚代もそうで、なんもかんもと響き合う。響き合うといっても「説教師の夫妻」とか「寄宿学校」とか「世話をしてくれるおねえさん」とか「ラジオ」とか「戦時のヨーロッパ」とか「切れ切れの文字」とかそういう話でしかないのだけど。

11月28日

ヘミングウェイはもういないので『夢の本屋ガイド』を開く。

「STREET BOOKS」というウェブ上の「本屋」をやっていて、街で読書をしている人たちに今読んでいる本を教えてもらい、写真と一緒にアップしている(…) 決めているのは、一日一人は必ず紹介すること。もちろん、毎日答えてもらえるとはかぎらないので、同じ日に複数答えてもらえた場合は、それを何日かに分けて紹介したりもする。気づけば三年続けてきて、これまでに取材を受けてくれたのは1232人。 まだまだ知らない 夢の本屋ガイド』(p.124-129)

本当にあったらこれはとても見てみたいなと思った。何かが続けられて量が蓄積されていくものに心惹かれる。それが本にまつわる光景であればなおのこと心惹かれる。でも今はこれじゃないんだよなやっぱりと思って、俺が読みたいのはパリなんだと思って、ふいにヘミングウェイが見たパリを、といってももうヘミングウェイが見たパリなんかはないだろうし、ヘミングウェイが見たあとにたくさんの人がパリを見たからヘミングウェイが見たと限定する必要は一つもないのだけど、パリを見てこようと思ってパリに行くことにした。
リュックにゼーバルトとスマホの充電器とパソコンをとりあえず入れて、調べたところ13時10分の便があるようだったのでそれに間に合えばということにして成田に向かった。
飛行機に乗るのは人生で10度もない程度に飛行機に乗ったことがない人間のため飛行機に乗るというだけで緊張するし、そもそも空港に向かったところでどうやって搭乗の手続きをしたらいいのかもよくわかっていなかったのだけど、そして成田までの行き方もまるで見当がついていなかったのだけど、京王新線でずっと奥まで行ってそこから京成本線というのに乗ればいいということで簡単だった。電車の中でゼーバルトを開いた。

そうして、危機一髪の瀬戸際で、とうとうあなたのお父さまは、とヴェラは私に語りました、とアウステルリッツは語った。3月14日の午後ようやく、遅すぎたとはいえルズィニェ空港からひとりパリに飛んだのです。眼に浮かんでくるのよ、とヴェラは語りました。別れを告げるとき、お父さまは素敵な深紫色のダブルのスーツに、鍔を深く折って緑のリボンを巻いた黒いフェルトの帽子をかぶっていた。翌朝、夜もまだ明けきらない時刻、激しい吹雪をついて、まるで地の底から湧き上がってでもきたかのように、ほんとうにドイツ軍がプラハに進駐してきた。戦車が橋を越えてナードロニー通りを進んでくると、街じゅうを深い沈黙がおおった。人々は顔をそむけ、その時から行く先知らぬ夢遊病者になったみたいにのろのろと歩くようになった。なかでもとまどったのは、一夜にして車が右側走行に変わったことだったのよ、とヴェラは言うのでした、とアウステルリッツは語った。右側を走りすぎていく車を眼にするたびに、わたしは心臓がぎゅっと縮まるような気になった。これからずっと、この左右が逆転した間違った世界で生きていかなくてはならないんだって、そう思えてしかたがなくて。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.166)

成田空港駅についたのが11時で、わかりそうな人にパリに行きたい旨を告げたところこの駅ではないということで空港第2ビル駅に行って、それからもう一度わかりそうな人に告げたら親切に全部教えてもらえたので飛行機に乗ることができた、乗ったら飛んだ。ゼーバルトを読んだりうとうとしたりしていたら意外にあっという間で、モスクワであれがあって、乗り換えみたいなやつ、モスクワっていうだけあって激烈に寒そうだったのだけど、中だったので暖かかった。乗り換えも2時間ちょっとの待ち時間で、知らないけどおそらくスムースな乗り換えの部類なんじゃないかと思うのだけど、少し時間があったので硬くて冷たいベンチで外のすごい吹雪いている景色を、見たら気温はマイナス30度とかっぽくて、すごい寒いんだろうなと思いながら、広い暗いだいたいこちらを反射する窓の外の景色を見たり、Facebookを見たりしていた。それからゼーバルトを開いた。ロシアはまったく関係ないけれど、なんとなくそんなに相容れない感じじゃないというか、親和性わりと高そう、少なくとも日本とゼーバルトよりは、と思いながらページをめくっていた。すると「ゼーバルトですか?」と声を掛けられた。見ると日本語を母語としているらしい同年輩の女性が横にいて、僕ではなく僕が開いている本に視線を落としているのが見えた。ちょうどいかにもゼーバルトらしい、写真と文章が併置されたページだった。それで「アウステルリッツです」と言うと、「いいですよね。でも私は土星の環がいちばん好きです」と小さな声が返ってきた。それは最初の声よりも自信がなさそうな響きをしていた。「ロウストフトでしたっけ、はしけのやつ。僕はあれの、なにか貴族的な人たちによる花火とかが打ち上がる明るい催しがおこなわれているその外で、川かなにかで、人々が明るむ空と城かなにかを見ながら浮かんでいる、その情景をこよなく愛する者です、ボンジュール、私は阿久津と申します。ところであなたはどちらまで?」「à paris」女の発音は完璧だった。それは僕にはアパキにしか聞こえなかったが、私はそれが「パリへ」という意味であることを即座に理解した。アンシャンテアンシャンテ、では、一緒に参りましょう、今この瞬間、私はわたしたちの宣戦布告という映画を思い出します、その映画にはこんな場面があるんです、と僕は言った。幼い我が子が病気を告げられた病院を出て乗ったタクシーの後部座席の窓に、妻の顔の横に、今急行列車で急ぐ夫の顔がオーヴァーラップで映し出されるのです、男が歌いだします、するとそれに呼応して女も歌いだすのです、とヴェラは語った、とアウステルリッツは続けた、とゼーバルトは書いた、と私は話した、とのちに彼女は言った。

11月29日

昨日MVPが発表されてパリーグは大谷がダントツな感じで選出された。一つの文句もない。大谷以外にありえないと思っている。ただ僕は、ベストナインの2部門受賞については疑問がある。DHはそうだと思う。と思ったあとに「メヒアは?」と思ったのだけど、調べたら一塁手として91試合、DHとして41試合のスタメン出場とのことで、それならやっぱりDHは大谷だと思う。でも投手としてはどうなんだ、というのがある。もちろん彼が残した成績は素晴らしいけれど、規定投球回には達していなくて、勝敗でいったら10勝4敗、春先に勝ち星がつかなかったとはいえ、10勝4敗だ。さすがに乱暴な言い方だと思うけど10勝2敗でWHIP1.05の高梨とどれだけ違うといえるか。WHIPは高梨よりもずっといい0.96だしもちろん投球回数や奪三振数は違うのだけど。それに大谷は夏場は長期離脱というか長期投手お休みをしている。それよりもシーズンを通して成績を出した和田であるとか石川であるとかの方が適切なのではないか。石川ではないか。
僕が言いたいのは、大谷は間違いなく2016年のMVPであり、プロ野球の主役であった、それは間違いない、しかしそれとベストナイン投手部門で選出されるべきかどうかというのは違う話なのではないか、ということで、というか、大谷を賞賛する枠組みとしてベストナインなんて必要のないもので、先日友だちと話していてそうだそうだと合点しながら大いに笑ったのだけど、彼は史上初の、あるいはベーブ・ルース以来の「プロの野球選手」という存在であって(プロの投手でもプロの野手でもなく)、ベストナインなんていう尺度では測れない場所に立っているし、そんな彼をふんわりした気分から投手部門でも選出することは、その稀有な、奇跡のような存在をどこか冒涜することでさえあるのではないか、来年は17勝3敗防御率1.76WHIP0.92なので、そのときに初めて選出すればいいのではないか、ということだ。

急勾配な階段をあがると小さな家だということが知れた。飲み屋になっている1階で会計を済ませた私は2階の、薄暗い台所の横のテーブルで小学生くらいの姉妹が弁当か何かを食べているのを見て「さっき食べたばかりだけど、まああのくらいの年の頃だとお腹いつでもペコペコなんだろうな」と納得というか言い聞かせるようにして通り過ぎた、姉と思しきショートカットの少女の日焼けしたやたらに細い体が印象に残った、たぶんなにか悲しさを覚えていた。そのまま3階へ上がった。少しかがまないと視界が抜けない、低い位置についた窓から外を見ると木々の頭と、それから水色の空が広がっていて、これはまったく悪くない、と思った。私が住んでいる部屋だった。そこで起きた。

『この世界の片隅に』を見にテアトル新宿に行った。今月はこの一本しか映画を見ていない。これは異常なことだった。見たい映画が見当たらなかったらしくしかたがないにせよ、これは異常なことだった。
もともと予告編を長いあいだにわたって何度も見てきて、コトリンゴの歌がとにかくいいなと、予告編見るたびに泣きそうになるなと思いながらも、あまり見る気もなかった。が、公開後にTwitter等でずいぶんな激賞というか感激の言葉をいくつか見たところがぜん見る気になったし見たお客さんがすごく見てよかったということをおっしゃっていてがぜん見る気になって以来、とても見たくなって、見ていないのに思い出し泣きをしそうになるような倒錯した事態に陥ったりしながら、見るのを楽しみにしていた。ずいぶん混みそうだったため日曜の時点でオンラインでチケットを取っていた。予約システムがとても混み合っていそうな動きというか不動の感じになっていた。それで見た。映画が始まる前に「ティッシュを持っていないな」と思っていそいでトイレに駆け込んでトイレットペーパーをいくらか取ってポケットにつっこんでおいた。それはけっきょく、とても役に立った。
考えてみたら『すべての見えない光』といい『アウステルリッツ』といい、ここのところわりと戦時下の暮らしみたいなものに触れている気がして、この世界と地続きのところでアンソニー・ムーアやゼーバルトが描いた世界もあったんだよな、と思ったりしながら見ていた。悲惨さが、悲惨さだけに収束しないで、でも悲惨さから決して目を背けない描き方を、なんというか「凄い」と思いながら見ていた。最後、本当に凄い、と思いながら見ていた。すごく見てよかった。

電車で移動しながら、見た映画のことを思い出していた。混み合った電車で少し泣きながら電車に乗っていた。虎ノ門で、扉が開いて、降りる人がいたのでホームに出たところ、乗れなくなってさっきまで乗っていた引き続き乗る予定だった電車を見送ることになった。ラッシュの電車は凄い、と思った。

前夜、アラートが出るようになってからずいぶん経ったしな、と思ってiOSのアップデートをおこなったところ、メールをアーカイブする手間が前よりも掛かるようになったであるとか、Appleミュージックの画面がやたらもっさりというかフォントサイズ間違えてない?という文字の大きさになったであるとか、今のところ特によくなったと感じる場面はないのだけど、なによりもモバイルデータ通信が使えなくなったことが痛手というかバカらしいことだった。
今はUQ moblieを契約しているのだけど、公式サイトでは対応機種としてiPhone6は表示されていなくて、でも基本的には使えて、ただ週に1回くらい使えなくなってプロファイルをアンインストールしてインストールし直すと使えるようになるというバカみたいなことはあって、ただ基本的には使えるし契約する前に問い合わせた時も「使えます」と電話の方は言っていたので使えて、公式サイトに載せていないのはiPhone5sか何かを抱き合わせで販売していることと関係しているような気がなんとなくしているのだけど、それはそれとして、アップデートの際などに動作確認が取れているのかどうか、本当は問い合わせて聞く必要があって、でも今回はずいぶんアップデートから時間も経っているし、もう大丈夫だろう、という臆断からアップデートしたところ、使えなくなった。wifiを切るとずっと「1x」と表示されている。
そのため今日は人と会う予定があったので事情を説明して前ケータイ時代的な待ち合わせをおこなった。時間が過ぎてもそこにいてください、なにかあったら公衆電話から電話します、では改札近くのキオスクのあたりで。
そういうわけでどこでもwifiを拾うことがなかったのでずっとつながっていない状態で過ごした一日はなんというか、悪くないものだった。

ゼーバルトを少し読んだらたちまち眠りに落ちた。

テレージエンシュタットは、一平方キロたらずの面積に、一時期六万人が詰め込まれていました。プラハから、その他の保護領から、スロヴェキアから、デンマークから、オランダから、ウィーンやミュンヘン、ケルンやベルリンから、プファルツから、マインフランケンやヴェストファーレンから連れてこられた、産業資本家や工場主、弁護士や医者、ラビや大学教授、歌手や作曲家、銀行頭取、商人、速記タイピスト、主婦、農夫、労働者や百万長者たちが、各人あたりおよそ二平方メートルの住居で生活を余儀なくされ、何らかの能力があるあいだは、あるいは〈積載〉されてさらにその東方へ移送されて行くまでのあいだは、対外取引部門が利益獲得のために創設した工場のいずれかで、一銭の報酬も受けることのないまま、全員が労働を義務づけられていました。包帯製造、袋物製造、装身具製造、木製靴裏と牛革のオーバーシューズ製造、炭焼き場、〈連珠ミユーレ〉〈メンシユ、エルゲレ・デイエ・ニヒト〉〈帽子とり〉といった盤上娯楽ゲームの製造、雲母の壁開、兎の毛狩り、粉インクの充填、親衛隊管轄下にある養蚕などがそれでしたが、ほかにもゲットー内部の運営にかかわる作業についた者もいました。たとえば衣料品縫製所、特別衣料修繕所、小売店、ぼろ切れ保管庫、書籍管轄グループ、調理班、馬鈴薯の皮むき、骨の処理、マットレス部局、医療・療養サービス、害虫駆除、鼠退治、住居割り当て局、中央登録局、BV兵舎・通称〈城〉に置かれていた自治組織の仕事、ゲットー内部の貨物運輸などです。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.229)

11月30日

5時過ぎに目が覚めた。そのまま8時くらいまで起きていた。10時くらいまで寝た。それから生きていた。ずっと眠かった。夕方、洗濯をしながらゼーバルトを読み終えた。

テレージエンシュタット映画の断片をスローで編集し直してはどうだろうと思い立ちました。そうやって一時間に引き伸ばされたテープでは、たしかにそれまで隠されていた事物や人物が眼に見えるようになり、私はこの四倍に引き延ばしたドキュメントを執拗にくり返し眺めたのです。今度は、作業所で働く男女は、あたかも寝ながら仕事をしているようでした。縫製では糸を通した針を上に持ちあげるまでにとてつもなく長い時間がかかり、とてつもなく重たげに瞼が下り、とてつもなくゆっくりと唇が、そしてカメラを向く顔が動いていきました。歩みはさながら空中浮遊で、まるで足が地面に着いていないかのようでした。身体の線はおぼろになり、わけても戸外の明るい陽光下で撮影されたシーンでは、輪郭線が溶け消えていて、ちょうど世紀転換期のころにパリのルイ・ドラジェが撮影した流態写真と電気写真エレクトログラフの中にあった人間の手の輪郭にそっくりでした。前には気づきませんでしたがテープには多数の損傷箇所があり、それらは映像を侵食し、溶解して、黒い斑点を散りばめた明るい白っぽい模様を作っていて、極北地方の航空写真か、顕微鏡で覗いた水滴の様相のようなものを想起させるのでした。 W.G.ゼーバルト 『 アウステルリッツ 』(p.237)

時間があったため昼寝をしたらずいぶん寝た。ずいぶん寝たがそれでもまだ時間があったのでスタバに行って昨日買ったカルペンティエールを読み始めた。30分ばかりの時間だったけれど外に出て人がいる環境に身を置くのはいいことだと感じました。ここのところよく聞いている『ミッドナイト・イン・パリ』のサントラを聞きながら読んだ。読み始めたカルペンティエールは、アフター・ゼーバルトの身なのでなんというか書き出しから「にぎやかだなwww」と思った。

……しかし、さっき寝たばかりだというのに、もうベルが鳴っている。6時15分。そんな馬鹿な。7時15分。もっと近づいてみよう。8時15分。確かにこの目覚まし時計はスイス製の高級品かもしれないが、針が細すぎてよく見えない。9時15分。いや、ちがう。眼鏡。10時15分、そうだ。それに、黄色いカーテンを透かして見える光も、早朝という感じではない。そしてこの家に戻ってくるといつも同じ、向こうにいるような気分で起き出すのは、いつでもどこでも、——自宅でもホテルでも、イギリス製の城でも我らが宮殿でも——肌身離さず持ち歩くこのハンモックのおかげだ。 アレホ・カルペンティエール 『 方法異説 』(p.15)

夜は会話のない読書会で、ジョン・ファンテの『満ちみてる生』を読む会だった。この場にいる全員があのすばらしい小説を読んでいると思うとすごくよかった。オーダーや洗い物がない時間が後半にわりとできたので僕も開いて、あっちこっちと読み返していた。やっぱりとてもよかった。

閉店後はなんとなく悄然とした気分で、ホットウイスキーを何杯も飲みながらチョコレートをつまみながらカルペンティエールを読んで過ごした。

12月1日

癖で、「#11月」と打ってから打ち直した。12月が始まった。
暇というのは本当によくなくて、エンジンがあたたまらないのでずっと眠いままで時間がすぎていく。いかなるやる気も出ないままで時間がすぎていく。そういう感じがする。

なんとなく好きな人たちがいる。「この人たち好きだな」という感情は自分で感じていてもうれしい。

昼の労働、暇だな、と思っていたら、扉の前で踵を返した人が何人かいたな、と思っていたら、今日は間違えてフヅクエの表札を出していた(「一人で過ごすための場所ですよ、お話はできませんよ」)ことに終わったあとに気がついて、ぼーっとしている自分にものすごいむしゃくしゃした。火曜は間違えてフヅクエの看板を路上に出していた。すごい腹が立つ。

今日はほんとうにだめだな。なんのやる気も出ないというか買い出しにいく足が動かない。仕込みも面倒。すごく虚脱感というか虚無感。という、日記というよりつぶやきになってきた。

あ・い・ふぉ・ん・・・っと。iPhoneiPhone・・・よいしょっ

まったく困っていないとはいえモバイルデータ通信ができないままというのもおかしいためUQ mobileのカスタマーサービスセンターかなにかに電話したところ、物腰の柔らかい男性が対応してくださり、機種を告げたところ上記の発言があった。のを私はたいそうよろこんだ。代わりのSIMカードを贈呈してくださるとのこと。感謝しかない。監督やコーチ、チームメイト、裏方さんや職員の方、そしてなによりもファンのみなさんに対する感謝しかない。感謝の気持ちだけが原動力です。すべての力の源泉はみなさんに対する感謝の思いです。大感謝。

日付と、日付のあいだに、距離を作るため、現在、<div style="height:42px"></div>というのを挿入している。が、気持ちは悪い。日付のh1にマージントップをやればあけられるのだけど、そうすると今度は写真と最初の日付のところが大きくあいてしまって、気持ちが悪くなる。マージントップをつけたh2を作って、2日目以降はh2で打つというのも手なんだろうけれど、こっちはh1であっちはh2みたいなのもなんとなしに気持ちが悪い。なんかよくわかっていないけどラスト・チャイルドみたいなやつとかってそういうなにかなんだろうか。末っ子。俺が欲しているのはでは長子。そういうのはあるそうだった。first-child。まったくあった。でも使い方がよくわからなかった。楽しんで、楽しんで。それよりもhrでぴーって線引いちゃった方がいいんじゃないか、と思って試してみたら悪くなかったけれど、このままでいいんじゃないか、と思った。ただなんだか、からっぽのdivがあるというのがなんとも言えず気持ちが悪い。

12月2日

ジャン=ジャックが彼女と暮らすアパルトマンに行く用があったため散歩がてらセーヌに沿って歩いた、かつて夜、ウディ・アレンがあそこで踊った、その川沿いを、歩いた、明るい時間だった。寒さは日本と変わらないくらいだったのでいつもと変わらない格好で歩いていると人がぽんぽんと座ったりしていて川は空を映していた。セーヌ、こっちは左岸だろうか、右岸だろうか。こっちを向いたら左岸に思えるし、あっちを向けば右岸に思える。座った。カルペンティエールを開いた。独裁者が独裁者らしい選挙をおこなっていたそのあとで、叛乱軍やその拠点の町の暮らす人々を殺戮する様子が世界を駆け巡り、療養のために訪れたパリで誰からも白い目で見られ、大統領はショックを受ける。他の土地ならいざしらず、パリから白い目で見られるなんて耐えられない、となる。
あっちでは独裁者もこっちではウェイターからも白い目で見られる老人にすぎず、彼が秘書とともにしょんぼりと歩いたその道を、私はまた歩いた。ジャン=ジャックは昨日と変わらない色の赤茶色のセーターを着ていてそれだけなのにしゃれているように見えて彼は扉を押し開いた腕と顔を伸ばした格好で、入りなよ、と言った、その後ろで腕を組んで微笑んでいる恋人、名前は忘れた、シルヴィアだったか、そんなふうな女が立っていたジャン=ジャックよりも背が高かったとてもいい顔をしていた。

夕方、『ブルーに生まれついて』を見に行こうかという気が起きたが見に行かなかった。代わりにチェット・ベイカーを聞きながら経理の作業をすることにした。すると週末の営業時間についての考えごとが始まった。そのためそれをブログに書き始めた。そうやって迎えた金曜の夜は激的に暇で、これは激的に暇な金曜の夜だと思いながらブログを更新しようとしたまさにその瞬間にお客さんが来られ、来られ、気がつけば満席近くまでいって大わらわになった。20時半から21時半のあいだにこの日のお客さんの82%が来店された。なんだったのか(うれしい)。
ウイスキーを飲みながらカルペンティエールをどんどん読んだ気がしたがたいしてページは進まなかった。久しぶりに読んでいるフィクションのエル・ドラードは、こんなに文字小さかったっけ、と開くたびに思う程度になんというか、文字が小さい。やっとこれが第一次大戦のあたりの話なんだということがわかった。独裁者は相変わらずパリで、秘書と二人、悲しげに町を逍遥する。すると再び蜂起の知らせ。帰途のニューヨークで過ごす夜、オペラを見に行こう。

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