本の読める店

読書日記(8)

Entry blog fuzkue408

11月19日

空が暗い。それでもヘミングウェイを読んだら気が爽やかになった。そのあと読書日記を更新したら、更新するたびに、「もっとこう見せたほうがいい気がする」という箇所が出てきて、今日の場合は引用箇所の末尾の書誌情報というのか、のところだった。今はただtext-alignをrightにしているだけで、そうすると著者名とタイトルが長くなると折り返してそのまま右に寄ってしまってみっともなく見えるときがある。それを回避するためにはどうもテキストを入れる箱を先に作ってそれをtext-alignのrightにして、中のテキストはtext-alignをleftにして、displayをinline-blockにすればいいようだった。ただ僕の環境から直接変更させることはできないので、それをdockerなところでatomな感じでちまちまやってcommitしてpushして、反映をお願いすることになるのだけど、昨日久しぶりにitermを立ち上げてdockerなやつに行こうとしたらエラーが出ていけなくて、諦めた。そのため昨夜、「ここを」と思って変えようと思った読書会の開催概要箇所については、cssをいじるとかそういうのではなく、その場で直接スタイルを指定するという、たぶん荒業というか、きれいでないやりかたでやることになった。でも毎回コピペすればいいので、問題ないような気がしたが、そういう姿勢でいいのかどうかはわからない。

こうやって自分の通じていない、言葉の選び方や運用の仕方のわからないジャンルのことを書いていると先日読んだこの記事を思い出す。

ドラマに満ちたサヨナラ満塁弾 北海道日本ハムファイターズ・西川遥輝|スポーツ|GQ JAPAN

どうしてもモヤモヤする。「「DH」が「ダイエーホークス」の略だと思ってしまう程度には野球のルールに疎い」と書き出される記事で、とても野球のルールに疎いとは思えない言葉が並んでいる。紋切型というか、野球言語が完全にインストールされた、要はきれいなまでにテンプレな状態の言葉が並んでいる。
そうなると書き出しの疎いのだという宣言はただの誰に対するのかはわからないあれな態度(言葉が思い出せなくなった。思わせぶりとか、媚びを売る系の、媚びは違ったっけ、なんだっけ、説明もできなくなった、カタカナ4つだった気がする、ママカリ、ヌカヅケ、とか思うのだけど、ママカリはまだしもヌカヅケは糠漬けで、なんだったろう、ママカリ的な、4つの、カタカナ。思い出せない)でしかないか、あるいは編集者や他の人が手を入れて野球の言葉に書き換えたか、というところかと思うのだけど、あるいは付け焼き刃でここまで正確に野球の言葉を使いこなせるようになるのだとしたらライターというのはとてもすごいなと思うのだけど、むしろ、ダイエーホークス?という状態のままでどんなふうな言葉が使われるのかを僕は読んでみたい。スケコマシ、近い気がしてきた。スケがつくだろうか。ママ、スケ、ヌカヅケ。たぶん、自分の無知であるとかをなにかかわいらしさのようなものとして用いて好感度を上げようとするようなたぐいの、そういうなにかの言葉。ダメだ思いだせない。ババヌキ。ババ、ママ、スケ、ヌカヅケ。ダメだ思い出せない。

思い出しましたよ。カマトトだ。いやーすっきりした。カタカナじゃなかった。

かまととの「かま」は「蒲鉾」、「とと」は幼児語で「魚」のこと。 蒲鉾が魚から作られることを知らないふりして、「蒲鉾はトトからできているの?」 と、わざとらしく聞いたことから生まれたことから言葉である。 かまととが女性に対して多く使われる理由は、江戸末期の上方の遊郭で、うぶなふりをした遊女に対して使われ始めたことによる。 かまとと - 語源由来辞典

ゼーバルトをまた読みたくなったらしく、前日に手に取ったゼーバルトの『アウステルリッツ』を数ページだけ読んだ。開いたものの、動かない。

11月20日

再燃したというか直したい箇所が出てきて一日中webのことというかを考えていた。シェアボタンの見せ方を変えようと思い、それでHTMLとかをいじっていた、すると別の考えが生まれた、それでそれについて考えていた。
普段は本を読みながら眠るのだけど昨日はそうはしないでそのまま寝入ろうとしたところ、「さざえ 通報はあります 通報はありますね」という言葉が頭のなかでこだました。この場合の「さざえ」はサザエさんとは特に関係がないようで、何をも指し示していなかった。

11月21日

一日中ということは朝もであり、ヘミングウェイは昨日も今日も開かれなかった。 それから昨日に続く感じで「投げ銭」のことを考えていて、そのお知らせのブログを先に書いておかないとまた頭にこびりつきそうだと思ったため書いた。営業中にブログ2本、計5000字を書いていた。何をやっていたのか。そのあともwebの、もう手出しが能力的にできないのに、チェックというか、どうしようか、とか無意味に考えて閲覧していたところ、ブログを読み出した。僕は自分の文章を読み返すのが楽しいので好きなので楽しいので好きだった。なんかすごいわかります~その感じすごいわかります~言っていることも文章の呼吸とかリズムとかすごいしっくりきます~と思いながら、何記事も読んでしまった。先日作った記事一覧ページは本当にいいな、とも思った。どんどん他も読みたくなる。要は、自分が作ったものを愛で続ける、そんな調子で幸せだと思った。

寝際に読んでいたところ、ゼーバルトが少しドライブしてきた感じがあってよい。

驚くというのがせいぜいのところで、そしてこの驚きが恐怖に変わるのは、あともう一歩なのです。なぜなら、途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している、そのことを私たちは本能的に知っているのですから。——去りぎわに残されたその言葉を心にとどめつつ、私は翌朝、アウステルリッツがふたたび現れるのを心待ちして、彼が昨晩さっさと去ってしまったハンストハーン・マルクトの同じ店でコーヒーを飲んだ。そして待ちがてら新聞を広げているうちに、ハゼット・ヴァン・アントウェルベン紙だったか、ラ・リブル・ベルジック紙だったかいまやさだかではないが、ブレーンドンク要塞についての一記事に目をとめた。1940年、要塞がその史上二度目にドイツの手に落ちると同時に、ドイツはここに懲罰収容所を造営したのである。強制収容所は1944年8月まで存続し、戦後1947年以降は、国によって記念地として、またベルギーのレジスタンス博物館としてあたうるかぎり原型をとどめるかたちで保存されている、というのだった。もしも前日アウステルリッツとの話にブレーンドンク要塞の名が挙がらなければ、私はそもそも記事になど気づかなかったろうし、かりに気づいてもその日のうちに訪ねる気には毛頭ならなかっただろう。——私の乗った列車は、メヘレンまでの短い距離を行くのに、半時間あまりを要した。 W.G.ゼーバルト『アウステルリッツ』(P18,19)

何を読んでもそうだけれども、ひとつのセンテンスであるとかパラグラフであるとかで一気に景色が変わるような文章がとても好きでわくわくする。このパラグラフのなかでいったいどれだけ時間といい場所といい、移動しているのか、と思うとめまいがするような楽しさがある。

11月22日

朝、地震で目を覚ましてから1時間くらい、動物の動画とかを見て過ごした。それから寝て、起きて、ヘミングウェイを1編読んだ。不思議なほどに、読めば穏やかな心地が得られるという効果が持続している。とてもいい。ヘミングウェイは大昔に『 老人と海 』を読んだことがあるだけで、他を知らないので、これはもしかしたらヘミングウェイを読むタイミングなのかもしれない。

私は午後の日ざしを肩越しに受けながら、そのカフェの片隅に坐って、ノートブックに書いた。ウェイターは、ミルク入りのコーヒーをもってきた。それが冷めると、私はその半分を飲み、書いている間、それをテーブルの上に残しておいた。書くのを止めたとき、私はセーヌ河のそばを立去りたくない気持だった。河のよどみに、マスが見られたし、水面は丸太を打込んだ橋脚の抵抗にあって、押したり、なめらかにふくらんだりした。ストーリーは戦争からの帰還についてであったが、その中では、戦争のことには何もふれていなかった。 ともあれ、明け方には、河は相変わらずそこにあるだろう。私は、河や、国や、これからのすべての出来事を描かねばならない。そういうことを毎日やる日々が目の前につながっているのだ。他のことはすべてどうでもよかった。 アーネスト・ヘミングウェイ『移動祝祭日』(P84)

11月23日

朝早く目が覚めた。私はコーヒーを淹れ煙草を吸った。曜日の感覚が、週末が休日という人に比べれば薄いとは思うけれど平日と週末はやはり別物なので本来であればあるのだけど、11月に入ってからずっとない。ないというかずっと錯誤している。あれ、違った、となり続けている。たぶん木曜日と水曜日の祝日のせいという簡単な話なのだけど、それにしても調整されないままひと月を過ごしきろうとしている。

イギリスの植民地支配に対し輝かしい民族の勝利を収めたはずのエジプトは、この時代、政治的にはナセルによる独裁の闇のなかにあった。政府批判は弾圧され、獄に繋がれた政治犯は拷問された。「あの時代」、反英独立闘争の闘志たちが獄で体験した殴打の暴力は今、ナセルの独裁に意義を唱えるものたちが経験している暴力にほかならなかった。革命によって植民地支配から解放されはしたが、今度は、革命の英雄によって——かつて1952年のエジプト革命は「ナセル革命」の名で呼ばれもした——国民は依然、独裁支配のくびきに繋がれていたのだった。 岡真理『アラブ、祈りとしての文学』 (P121 )

大きな地震が来るやもしれぬ、と友だちが言う、そのリンク先を読んだらそんなことが書かれていて不安になった。ずっと地震をおそれている。地震によって何もかもが終わりにさせられるかもしれないとおそれている。地震の国で生きる不安、と思ったが、この日々の暮らしのなかに微妙に顕在し続ける不安は、もしかしたら中東や欧米やその他の場所ではテロや暴力への不安みたいなものとして同じように経験されているのかもしれないなと思った。どっちも嫌だ。

ひどく暇な祝日になった、昼からずっとwebの作業というかwebをお願いしている友人が再度来てくれて何やらをやっていて、サーバー移管とかそういうことをやっていて、それからひとまず実装したいやつをお願いして、というのの横にいた、僕はYouTubeを貼り付けたときの箱を作ったり引用時の書籍情報の箱を変えたりという、実にちまちましたことをおこなっていた、そのあとに迎えた営業はひどく暇な祝日になったが、webのことをずっと考えていたので悲しくはならなかった、明日は雪に本当になるのか、雪か、と予報を見ながら恐れつつも思ったが、考えてみたらまだ11月だ、11月に雪が降るということなんてあるのだろうか、すごい眠い、なんせとても早起きしたため睡眠時間が足りていないためだ、あたたかいものをたくさんお腹に入れたい。

11月24日

雪から雨に変わったのは12時39分だった。こんな天気で昼に働いてもしかたがない気もしたが、働かなくてもしかたがないので働いた。
また雪に変わったのは12時44分だった。

空から落ちるものがなくなったため根津で降りた。東京芸大の陳列館というところでやっていた「Robert Frank: Books and Films, 1947‒2016 in Tokyo」を見に行った。ロバート・フランクという人がどういう人かも知らなくて、人も多くて、通路は狭くて、それから、PCで埋め込みとかされている小さいサイズの動画を見る時とかにそうなりがちなのだけど、小さく映る動画を見ようとすると焦点が合わなくなって一気に眠くなるみたいな性質があって、同じ現象が起きたりもしていた、要は極めてぼんやりと見始めた、次第に見るものがどんどん僕の意識を惹きつけるようになり、興奮と幸福を感じながら見ていた。たぶん、妻のジューンの、しわくちゃの、素晴らしい笑顔の写真を見たところからだと思う。どんどんおもしろく、どんどんしあわせになるようだった。思うに、僕の写真は僕が忘れたくないと思っているものでありことなんだ。僕の本能が伝えてくるのはこういうことだ、それらは重要だ、それらは静かだ、それらは注意を求めていない、それらはからっぽじゃない。

入り口近くに、シュタイデルが手がけているロバート・フランクの写真集が天井からぶら下がっていて閲覧できるコーナーがあり、そこで見た『In America』という写真集がドキドキするようなかっこうよさだった。1950年代とかのアメリカの写真を、シルクハットをかぶる紳士たちを、生地の薄そうなワンピースを着る女たちを見ていたら、かつてたしかにこの人たちがこういうありさまで生きていた、ということが強く実感され、それがとても僕を喜ばせた。アメリカが好きなんだ、と思った。アメリカが好きだ。

上野駅へ、人が流れるのについていけば着けるような気がしたのでそうしたところ上野公園とおぼしき公園を通った。木々が黒々とあった。冷たい空気があった。会社の同僚の女性二人がいったい今日はなんだったのか、と驚きと楽しさのようなものの混ざった声で話していた。明日からはこの格好じゃ暑いでしょう、と言うと、暑いってことはないと思うけど、と言った。それを聞いたときに僕はなんだかそれまでの全部を含めて幸福を感じた。

赤羽で、総じて寒い場所で飲んでいるときに聞こえた「あさり売り」という言葉から思い出して帰りの電車で落語を聞いた。

もし、願いがかなったら、たずねてきてくれたらそのときは、祝いの、酒を、一緒に、飲もう 立川志の輔「しじみ売り」 - YouTube

こんな言葉をいつか誰かに言ってみたいように思った。泣くのを我慢しながら電車に乗っていた。

11月25日

朝、コーヒーを淹れてヘミングウェイを読む。ヘミングウェイは毎日カフェに行って仕事をしたり、友人と出くわして話をしたりする。仕事をしているときはだいたいミルク入りコーヒーを飲み、仕事が一段落したり人と話すときは酒を飲む。そういうのを僕は少しうらやましいようなものとして思っている。そんな場所があったら少し楽しいだろうなと。たぶん面倒だろうなとも思うが。

ずっとあとになって、ある日、私はジョイスに出会った。彼はひとりでマチネを見たあと、ブールヴァール・サン・ジェルマンをひとりで歩いていた。彼は俳優たちの顔が見えなかったけれど、その声に耳を傾けることを好んだ。彼は、一緒に一杯やろうと言って、二人はドゥー・マゴへ行き、ドライのシェリーを注文した。 アーネスト・ヘミングウェイ 『 移動祝祭日 』(P 137)

度し難く暇な金曜の夜になり、9時半くらいにはそして誰もいなくなったためモバイルのヘッダーを上スクロールで表示する仕様に変更した、それは水曜に友だちに作ってもらったフッターのやつの見よう見まねで実装することができた、そのあとこの感じということならば、とslickを導入しようとしたが、外部ライブラリというやつと何かがどう紐付いているのかわからず、そもそもjqueryというものを1ミリも理解しないまま生きているので、まったくわからないことになった。それでそのままわからないながらに右往左往した結果、わからないままになった。
2時。ヘミングウェイもゼーバルトも興に乗ってきたというか、どちらもページを開けばそれぞれの世界がそこにたしかにあり、どんどん読みたい、というよりはその世界のなかにもぐって、そのなかにいたい、というふうな感覚になっている、だからそれを読みたい、と思っているが、また余計なことに時間を取られた。

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