ディオゲネス・クラブというものを知った。
コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』の「ギリシャ語通訳」という短編に出てくる会員制のクラブで、喋っちゃいけないらしい。由来となったディオゲネスは古代ギリシャの哲学者でずいぶん変な人だったとか。
日本語版のWikipediaによると「人付き合いが嫌いな人間ばかりが集まるため、このクラブには「来客室以外で口をきいてはいけない」等の変わった規則が存在する」とのことで、情報少ないなと思って英語版の方で見ると、「内気さや人嫌いからなんかそういう集いみたいなやつには参加したくないわって人がたくさんいる。だけど彼らとて快適な椅子や最新の刊行物が嫌いなわけじゃない」とある(多分)。
「Yet they are not averse to〜」っていうのがとてもいい。averseって初めて見た単語だったけど、「だけど彼らとて〜が嫌いなわけじゃない」。そう、ほんと、「とて」なんだよなあ、という感じする。
続けて「ディオゲネス・クラブはそんなこんなで始まって、ここにはthe most unsociable and unclubable men in townが集まってくる」と。このunsociableとunclubableっていうのもまたなんともいい。特にunclubableっていうのはすごくいい。
僕は僕を会員にするようなクラブには入りたくないと思っているというわけではないけれども、集いみたいなものはたいがい苦手なタイプなので、なんかとても「いいね!」と。
ただ、フヅクエが人間嫌い、アンチコミュニケーショニスト(そんな言葉があるか知らないが)のための場所か、というとそこに限定されるわけでは全然ないんだよな、とも。
会話はご遠慮ではあるのだけど、お一人しかおられない状況で話しかけられた時は長々と話すようなこともあるし、お帰りの際に外でちょろちょろと話すこともしばしばある。そしてそれを今のところ少なくとも僕は楽しんでいる。
中には「ほんとにそういうのいいです」という方もおられるだろうし、できるだけそういう人にとって問題のない場所でありたいとも思うのだけど、見ている限りだと他者との関わりを完全に拒絶、みたいなモードの方ってそんなに多くないような気がしている。
コミュニケーションもいいけれど、時には脅かすものが何もない場所でしばらくのあいだ括弧つきの一人になる、みたいな、今は安全な場所に、みたいな、そういう感じなのかなと。
だから孤絶というよりは安全な孤独の場所というか。ただ安全/脅威の基準なんて人それぞれ違うから、そこのさじ加減はうまいことやらないと思ったり、僕の接客というか距離感でダメだったらそれはそれでしょうがないことかなとも思ったり。
そういうわけでここがディオゲネス・クラブかどうかはそもそもディオゲネス・クラブがどんな雰囲気かわからないのでわからないままなのだけど、そういう称され方があるのだなあというところで。
ディオゲネス!(くっつけた中指と人差し指をおでこから向こうへやるみたいな動作とともに)