本の読める店

長居をされる方へ(TOKYO 2016)

Entry blog fuzkue329

写真は絶賛外壁工事中で養生されて外見えない、けどこれはこれで意外にいいな、の様子。

いくらか前にそこそこお客さん来られて、「お、いいじゃんいいじゃん!じゃんじゃん来て!じゃんじゃん!」と思った日があった。売上もよかった。ただ終わってみたときに、「うーん、なんだか一抹の何かが…」と思って、なんでだろうなこれは、と思ったとき、お客さんの滞在時間が総じていつもより短かったからなんじゃないのか、というところに思い当たった。
滞在時間の短さで覚えるこの一抹感の理由はたぶん2つあって、一つは損得勘定によるもので、フヅクエは「ゆっくり過ごしていただくための静かな店」と言っているように、ある程度以上長くいていただくことによってこそフヅクエ体験として豊かなものになるんじゃないかと思っているので、滞在が短いと満足度が高まりにくいんじゃないか、ちゃんとフヅクエの真価みたいなもの感じていただけたかしら?みたいなところ。(もちろん中にはフヅクエ水準では短い時間でも頻繁に来てくださる方もおられるし、「よかったっすー」って言いながらより多くのお金を置いて帰ってくださる方もおられるから、長さばっかりじゃないだろうとは承知している)
もう一つは単純に、「じっくりゆっくりされてるな〜そろいもそろって」という景色に喜びを見出すタイプなので、「あ、え、あ、そうですか?」みたいな、特に損得ではない感情のところで戸惑うというか。

そんなあれなんですけど、昨日、「〜さんがいいね!しました」で流れてきた記事を読んだ。
「儲かるかどうかじゃない」という美意識に惹かれる。 | Books&Apps

ほうほう、そうなー、むずかしいところよなー、と思って読んでいたら、「…!」となって、小心者なので心臓がちょっと早鐘を打った(今の今まで「そうしょう」だと思っていたのだけど「はやがね」なんすね)。
何年も前に自分が書いたブログが引用されていた。それが掲題のあれで、これで。
長居をされる方へ | cafe moyau

いい記事っすねー。色褪せない。
で、これは自分に突きつける問いとなるわけですよ。変わっていないか?どうなんだ、お前は今どう考えているんだ?と。
すると、やっぱり変わっていないんですよね。今もなんかつらつら書こうとしたのだけど、同じことを繰り返しそうになっていた。「限られた時間の中の小さくない割合をうちで過ごすことに割くという選択を」であるとか「滞在時間の長さが心地のよさに比例しているんじゃないか、長ければ長いほど」であるとか、同じこと繰り返しそうになった。なんというか、可処分時間の奪い合いの時代においてなんかすごい奪わせていただきましたーごっつぁんです、といったあんばいの。
やはり今でも、長くおられる方を見ていると、今はそういう方が大半なので新鮮味はどうしたって薄れはするのだけれど、ときおり「これはやっぱりすごいことだ」という気持ちが強烈な喜びとともに訪れる。勝手に「味方だなーこの人」とかも思う。

で、それは美意識か、という話で、これは美意識なんかじゃない。なんか好きなんすよねーというのを何の気なしに書いただけだったし、引用された記事にあるような「やせ我慢」なんかはなかったし今もない。そして「儲かるかどうかじゃない」なんて考えはない。やせ我慢する気は一切ない。ちゃんと儲けたい。
という気分はこれの次に補遺として書かれた記事がわりと説明していて。
一人でカンバセーションズ | cafe moyau

ここで「立地や家賃や広さという動かせない条件のもとで、こういう店でありたいという思想らしきものがあって、稼ぎ出したい金額があったときに、僕らがやるべきことはメニュー構成や値段や席の配置とかをチューニングして自分たちの持っていきたい状況を創出していく努力なのかなと」と書いているように、「長く気兼ねなくいられる店でありたい」という思想めいたもの信念めいたものが真ん中にあったときに、その実現を阻害するものがあるならいくらでも変わっていくつもりはある、ということで。信念によって苦しみながらただその苦しみに甘んじるつもりなんてことでは一つもなかった。いろいろな状況のなかで幸い特に手を打つ必要がなかった、というだけで。

この記事が書かれたあと、ツイッターやフェイスブックやはてブのコメント等でものすごい数のあれこれをいただいて、そのなかには当然ネガティブなものもあり、同業の方が「うちだってそういう気持ちは山々だけど家賃があれな東京じゃとても。地方だからできるんだよ」ということを書いているのを見かけたりもしたのだけど、それは間違っていると僕は思う。それはただ単に「ゆっくりしていただく」ことに対してのその人の優先順位が低いだけ、本気でそれを実現させてみたいと考えたこともないだけだ。そのときもそう思ったけど、今はよりいっそうそう思う。今僕はそれが東京でも可能であろうことを、道半ばながら、身を持って知っている。

今、その東京で、このフヅクエという、「酒飲んだりコーヒー飲んだりしながら本を読みたいという方にとって最高の場所を作りたい」という気持ちから、なんら気兼ねせずにゆっくりできることをメインの価値として提供する店をやっているわけで、そうすると来られる方の大半はゆっくりされていくという状況がうれしいことにあって。席数は10だ、現在の平均の滞在時間がある、稼ぎたいよねという金額がある、さあどうすっかな、というときに今のフヅクエの仕組みに整えていっただけで。必要なのは意志とチューニングだけだ。(あとはまあ集客なんですけど、時間が解決するといいですね)
仮に平均の滞在時間が今の倍になったとしたら、僕は「おーすげーなーこんなにゆっくりしたくなってそして実際できちゃう店なんて他にどこにもないだろこれものすごい栄えあることだろ」と喜びながらそれで店が成り立つように仕組みを変えるだろう。「すごい快適にゆっくり過ごせる」、それを追求していくだけだ。

改めまして、長居をされる方へ、トーキョー、2016。ぞんぶんにゆっくりしていってください。ここはそのために作った場所です。

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