本の読める店

2016年の目標:人間とじゅうぶんお話をする

Entry blog fuzkue316

ひどい目標になったなというところですし、そんなことを考えようと思ってノートを開いたわけではなかった。(なお写真は初日の入)
昼間、今日から開けた定食川越の時間のあいだ、近くのコーヒー屋さんに行って「いっちょ今年の目標でも考えてみようかな、漫然とっていうのもよろしくないだろうし」と思いリュックにいつも入れているノートを広げた。筆入れから万年筆を出し、なんて書こうかな、まずは「万年筆」とでも書こうかなとペン先を滑らせると、もうだいぶ長いあいだ使っていない万年筆だったためインクが固まったのか蒸発したのか何か知らないけど出ないのであきらめて無印良品のボールペン(とても好き)を出した。
そしてしかし何を書いたらいいのかわからないので「今年2016年の抱負というか何していくかなーということを考えようというか考えたいのだけど考え始まる気がしていない。2015の振り返りでもしたらいいのかなとりあえず。」と書いた。
それで1月から思い出そうとするのだけど一つも思い出せないのでブログを辿ってみたところブログに書かれたことは思い出せたのでそれを書いていった。
振り返ってみると面白いもので、はあ、あれも、これも、一年もたっていないのか!ということに感嘆した。なんせ店が始まったのが2014年の10月だからフヅクエの歴史としてはその大半が2015年だからあれやこれやの変化や始まりが2015年にたくさんあるのはまったく自然なことではあるのだけど、例えばカレーを出し始めたのって2月とかっぽくて、2月!と思ったりした。ということは2月以前はカレーはなかったのか!といった具合の。

それから面白かったのは、これは僕が何か働きかけてということではないからただ観察したものとして面白かったというだけだけど、4月に「戦略PRがどうのこうの」というのを書いたのだけど、要は「静かに一人で過ごせる店が今キテるらしいよみたいな空気が世論に醸成されていったらフヅクエに勝機あり」みたいな話だったかと思うのだけど、そこからの流れってけっこう華麗なくらいにそういうのちょこよこあったよなあというので。すぐさまに、うちは関係なかったけど日経MJでおしゃべり禁止カフェがどうのこうのという記事が上がって、そこからうちも取り上げていただいたものとしては読売新聞夕刊の「静けさを楽しめる店」とか北欧暮らしの道具店のリトルプレスの「ひとりも、好き」特集とか、秋冬にはOZマガジンの「夜外読書ノススメ」もそうだし、&プレミアムの扱いもそういう感じだし、というので、2015年は「ひとり・しずか・読書」みたいな感じがグイグイ来た一年だったのではないでしょうか。どうでしょうか。とかいって、それなのになんでこんな暇かな、とは思っているのだけど、これはもうあれですね、空気醸成中なので、焦らずに、というか、知らないけど。
まいいや。ほんとどうでもいい。

なんか、ついでにというところで、去年は望外な感じでそういった雑誌であるとかにいろいろ載せていただいて、雑誌とかってこんなに載っけてくれるもんなんだ!ちょろいもんだな!みたいな驚きと、そのつど嬉しい気分とがあったのだけど、その嬉しさってほんと意味ないというか空っぽだなと何度も思いもして、なんというか、そこに僕関係してないというか、少なくともその時々の僕は関係なくて、僕が評価されているとしたらこの店を開けた2014年10月までの僕が評価されているというか、という感覚で、2014年10月に始まった店がその媒体に発見された、その媒体の何かにフィットしたので拾われた、のがそのつどつどのことであり、そのつどつど僕がうれしくなる理由は実はない、みたいな感覚というか。 伝わるだろうか。伝わらなくてもいいや。もちろんその2014年の10月とやらから、店は進歩してもいるし充実してもいるけれど、その進歩によって媒体に届いたわけではない、みたいな。2014年の10月にこの店ができた時点で、いくつかのタイマーがセットされてそれが時間になっただけ、みたいな。
そういうわけでよろこんだあとになんでお前よろこんでんの、関係ないじゃん、とむなしくなったりした。

あ〜完全に話がずれた・・こんなことが書きたかったわけじゃなかったんだ・・

まいいや。そんなこんなで振り返っていたら、店はまあ、いろいろと変わったり始めたり、振り返る項目いくつもあって、なんだ、いっしょけんめいやっているじゃないか、という感じで充実したものとして処理していいかなというところだったのだけど、お店のこと以外にも暮らしというか交友であったりも含めて振り返っていたら、交友振り返ることねーなーみたいな、遊び行ってねーなーみたいな、お客さん以外の人間と接触する機会ほんとすくねーなーみたいな、そういったことが発見された。そういった自覚はあったけれど本当にそうだった感じが振り返るとぞっとするくらいあって、人間と関係していない。
そんな人間が年の暮れ、友人の集まりのような場所におもむいてみたところ、久しぶりに人間たちと接触することで浮き足立ち、変な勢いで酒を飲んでへべれけになったのだけど、へべれけだけならいいのだけど、たいして知らない人もたくさんいるなかで不要なディスというか罵詈というか雑言を発するというけっこう恥ずかしいことをやらかした。ディスって難しくて上手にやらないとただただ不格好になるんですよねと書いた矢先の出来事だった。人間たちとの距離の取り方を間違えた。反省した結果、性根が腐っている等々ありつつ、日頃のコミュニケーション演習の量が不足していることが主原因と推察された。推察されたというより、それを主原因としておきたい。

ほんとね、なんの話書いてたんだっけwwwと今思っているんですけど、なんでしたっけ、あそうか、今年の目標か。面倒くさくなったので端的にあれすると、だから、真人間になるにはもう少し人間とお話する機会を設けないといけないな、本を読んでニタニタ笑っているだけでもダメだし、ネット見てひとりごと言い続けるのとかもまずいぞ、ジムで走ればいいってもんでもない、人と話さないと脳が劣化するみたいな、3年分くらい、何に対して3年なのか忘れたので意味ないんだけど、3年くらい劣化すると聞いてぞっとしたんだった。
あとあれね、思ったのは、めったに口きかない人たちに囲まれて仕事しているじゃないですか、人たちというかお客さん方ですけど、なんかここでは人たちな気分なので人たち、で、そうするとなんか「こういうのがデフォルトなんだよね、世界って」とつい思っちゃうのだけど、よくよく考えるとというかよくよく考えるまでもなくそうじゃないよなと。この人たちは「ときには静かな時間を」というので黙っている人たちなので、というかそういうルールの店だから黙ってくださっているわけで、たいていの人は日常的には職場だったり家でだったりで他の人間とお話だったりきっとしているんだよなと。だから仕事中の情景に惑わされて「みんなこんな感じっぽいし俺も誰とも話さなくていいや」などと思ってはならない。
そのため本年は人と話す年にしたい。という結論に至ったとき、店と関係なさすぎてびっくりした。

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