本の読める店

「独りを楽しむために、会話はご遠慮を」(12月24日 朝日新聞デジタル&w)

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今日の日中、昨日買った二冊の本を読んでいた。一つは柴崎友香の『わたしがいなかった街で』で、いやほんとなんというかおそろしい。やっぱりとんでもねーなー…と思いながら数年ぶりに読んでいるところなのだけど、読んでいると背筋の冷たくなるような独り感というか、ほとんど孤絶感というか、を覚えるというか、「孤絶…」と思う。こわい言葉。孤絶…
それはそれなんですけど、掲題の通りフヅクエをご紹介いただいた。

<31>独りを楽しむために、会話はご遠慮を - bookcafe - 朝日新聞デジタル&w

なんで柴崎友香の話から始めたかというと、一箇所「おや?」と思ったところがあるからで、本文中に「一人だけど独りではない場所」とあるように、一人だけど独りではない、と、これは友達の受け売りで僕も使うようになった表現なのだけど、ここで過ごされた方がそういうふうに感じられる場所および時間をフヅクエは提供したいと、そのように思っており、そういうことを話しており、ちゃんとそのような理解をしていただけていたのだけど、タイトルを見たら「独りを楽しむ」になっていて、ありゃりゃ、と思いました、という話でした。なんだか独りを楽しむってコマみたいだなあと思ったら確かに独楽だった。まあ。いいや。

そういうわけでご紹介いただいた。僕も大人になったので、もはや「ブックカフェ!?うちをブックカフェなんていうふうにくくってもらっちゃ困るんですよ!」とわめきちらしながら猛烈に地団駄を踏んでそのあげく床に転がって泣き叫ぶようなこともしなくなったため、「ええ、そうです、そうです、おっしゃるとおりです、そうです、そうです、まことにその通りです」と言った。
それでも一時間とかの時間を掛けてああだこうだと話したものが短く切り取られると、むずかしいというか、いいようにまとめていただけたし、話しているあいだも店のありようをご理解いただけている感じが伝わってきて楽しい取材だなあと思いながらのものだったけれども、ニュアンスってむずかしいなと思わないでもなくて。僕はそもそも何かをスパっと言い切るようなタイプの人をあまり信用したがらないから、そういうふうにならないといいなと思いながらいくらか原稿を修正していただいた。
僕が強く希望したのは「オススメの3冊」というやつのところで、ここ3年の年越し時に読んでいた本を挙げることにしたのだけど、それを時系列にしてほしい、ということだったが、写真の順番がそうなっているからとのことだったので仕方がなかった。写真を見て驚いた。いずれも自立している。
写真といえば今回は僕の写真も撮るとのことだったのでカメラを向けられるのがきわめて苦手なのでどうかと思ったのだが、カメラマンの方のやわらかい感じというか人を圧してこない感じがあれだったのかあまり抵抗なく撮られることができ、そういう「嫌じゃないなー」と思いながら撮られたそれはどんなふうになるのだろうなと、それをやや楽しみにしていたが、そのカットは使われずに知らないときに撮られていた、持ち前の柔和な笑顔で話す私が使われていた。

つまり私が言いたいことはこういうことだ。「さあ去年までの3冊は挙がった。では今年はどうしようか?」
見当もつかない。何がいいのだろうか。バルガス=リョサのあたらしく出たやつがいいだろうか。あるいは今年とても評判がよかったという、去年に続いてのパワーズになっちゃうけれどもという、『オルフェオ』であろうか。数日後、書店で決めようかと思う。こんなに「いったい何を読もう…」と決めあぐねている年末は久しくなかった。ちゃんと越せるといいが。いちまつの不安。

いずれにせよ今日もう一冊の本であるところの『コーヒーの人』を読みながら思っていたことは、僕もここでいろいろと話している方々のように語る言葉を、厚みのある、実感をともなった、重みと豊かさのある言葉を語ることのできる人になりたいものだ、ということだった。今の僕はペラッペラの羊皮紙のようで、かすかな風が吹いたその刹那にちりぢりに砕けそこに店がありここに店をやっていた一人の男があったことが人間の記憶から消えることは明らかだった。

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