たいしたことではないよ

296blog.png
「(…)たいしたことではない」
突然、そう言ってしまったあとで、それはたいしたことではなくなった。一瞬のうちに、ストーナーはみずから発した言葉の真実を感じ、この数ヶ月で初めて、自分でも意識しきれていなかった絶望の重みから解き放たれた。笑いだしたくなるような浮き立った気持ちで、同じ言葉をくり返す。
「たいしたことではないよ」
(ジョン・ウィリアムズ、東江一紀訳『ストーナー』作品社、P221)
この小説で僕がもっとも好きな一節がたぶんこれで、試しに口に出して読んでみる。目で読んだだけでも十分にあれなのだけど、読み上げてみるとより鮮やかに全部が自分に返ってくる。全部が。なにごとかに傷ついた、へこたれた、途方に暮れた人間の、傷つきを、へこたれを、トホーニクレを、こんなふうに静かに、軽やかに、やわらかく、それでいて劇的に無効化してくれる、ひっくり返してくれる文章をいま僕は他に思い浮かべられない。これさえあれば十分だとすら感じる。「たいしたことはない」と、クソのような、使い古した雑巾になったような、全部が敵みたいに感じられるような、世界から見放されたような、みじめな、孤絶した、唾棄したくなる、放棄したくもなる、ろくでもない、絶望とかつぶやきたくなるようなそんな夜、代わりにこの文章をつぶやいて自分の耳に届かせたい。
と、ここまで書いたら続きなに書いたらいいかわからなくなったしなみだでてくるししゅうりょう
あ終わらない。
小説はサプリメントじゃないだろ?という内なる声が聞こえたので終わらない。うっせーひっこんでろクソ自意識が!小説はサプリメントであってもいいんだよ死んでろ!!!(「であっても」のところ斜体か太文字か上に点々)
あーいそがしいいそがしい
ほんとなんていうかぴゃーって感じっすね
あ僕が昨今の僕がひどい気分で今だからこの文章が必要とかそういうあれではなく、元気なんですけど、でも脆弱メンタル人間なので一寸先は闇か病みかはたまたヤミーかわからないので備忘というかいつでも思い出そうぜというか的なところで書きたかったというか店ブログはいつのまにお前の備忘録になったんだよというか本当を言えば『ストーナー』の販促エントリーというか