本の読める店

続けること

Entry blog fuzkue203

先日SNSで投稿した話ですが休みにした日曜日に大宮に帰った。
夕方に友だちと会う予定があり、早めに大宮行って本読もうと思って、実家に居候していた去年の半年ほどのあいだに何度も足を運んだ気に入りの喫茶店に向かった。久しぶりだなああそこで本読むの、みたいな、ちょっとしたイベントですよね、こういう時間絶対大事、ワクワク、とか思いながら店に向かって歩いたのだけど通りを一本間違えたみたいで、「あれ、間違えたか」とか思いながら「あれ?あれれ?」とか思って歩いていて、「なんで俺こんなところで迷ってんのw」とか思って歩いていて、最初に入った通りをもう一度逆から歩いたら高いところに看板というか店の名前の案内板っていうのか、があって、あ、やっぱり合ってたんだ、なんで素通りしたんだろう、とか思ってその案内板の下に来たらやはり店は存在しなくて。
「え…?」と思い、どういう事態なのかいまだによくわからず、ちょうど横の店の人が表に出ていたので「あの」とうかがったところ、「5月一杯で」とのことで閉店とやっと知る。突然だったらしく、同じように「あの」と話しかけてくる人が何人もいるようだった。下ろされたシャッターには貼り紙の一枚もなかった。

僕はなんというか愕然としてしまって、SNSにおいては「ずっとあると思っていた場所がふいに消えたことにけっこうなショックというか、はしごを外された感じというか膝カックンくらった感じというか、なんか違う次元に迷い込んだ感じというか。気に入りの店がなくなるっていうのはこういうことなのか、と思った次第です。悲しい。」と書いたのだけど、この通りで、気に入りの店がなくなるっていうのは悲しいことなんだな、となんだか久しぶりにそれを実感した出来事だった。もうなんかぽっかり。喪失感。

どこかの店が閉店したりすると「え、なくなっちゃったの、最近行ってなかったけど、好きだったのに」と残念の思いを口にする人がいて(「閉まる前にもう一度行きたかった」等々)、だいぶ以前に何かのお店の方のブログだったかTwitterだったかで「悲しんだり惜しんだりする前に通ってください、お金を落としてください」みたいなことが書かれていて、それ読んだときの僕は「そうだよなーお金を落とすっていうのがその場所に続いてほしいと願う人が取りうる最も合理的な行動なんだよなー」と共感したのだけど、でも今回「気に入りで、でも最近は行っていなかった」店がなくなったのを目の当たりにしたときに感じたのは完全に「え、なくなっちゃったの、最近行ってなかったけど、好きだったのに」で、「そうそう行けないけれどもそこにあり続けてくれていることで安心であったり救いであったり勇気であったりを与えてくれる存在」ってあるんだよなーというのを改めて知ったというか。

何が言いたいのかな。ちょっとわからなくなったな。最初に書きたかったのは「続けるってのはそれだけでたいへん大切なことですね」ってことだったのだけど、「惜しむ前に云々」とか「行けないけど云々」とか言い出して論点というか話の筋を見失いました。

で、見失っているあいだに余計な道を見つけちゃったので書くと、「惜しむ前に云々」と「行けないけど云々」のミスマッチというか溝を埋めるためにどうこうする策としてこんなのはどうか、というのを思いついたというかかつても思ったことあって今久しぶりに思い出したという感じなのだけど、なんか送金できる仕組みとか、みたいな。「行けないけどあってほしいし応援したいから、がんばれよー」基金みたいな、

違うんだよ。そんなことが書きたかったんじゃないんだよ。もっとしめやかな文章書こうとしてたんだよ。「続けていくこと。なりふりは構いつつも、芯だけは絶対に手放すことなく、どうサバイブしていくか考えぬくこと。そして実践していくこと。それが大事だよなーと、そんなことを思った。フヅクエは僕が飽きるなりなんなりしない限りはずっと続きます、続かせます、という話でした」みたいな、たいしてしめやかでもねーなと今書きながら思ったけど、そういうこと書こうとしたんだけど「基金」とか一体なんの話なんだよwwwという感じになっちゃったんですが、という話でした。

photo by 東間 嶺

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