普通の定食を食べたい

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数日前にこの記事が話題というかはてなブックマークのホットエントリーに入っていたので見たのだけど、なんというかタイトルだけで考えさせられるというか、世の不健全さというわけではないけれども、「西新宿だろうとどこだろうと夜と言わず昼と言わず普通の定食なんて普通に食べたいよね」と思った。
歩くと15分くらい掛かっちゃうかもしれないけど、フヅクエにも定食あるよ、野菜食おうぜ野菜、というか。
なんかこう、毎晩だいたい定食のおかずと味噌汁と丼に盛った大量の米を食っているんですけれども、煮物とか食って底に残った煮汁をガブガブ飲んで、「いやなんていうかこれほんと美味しいよね…」とか一人でうっとりするときとかあって、これは僕の料理の腕がどうとかっていうことではなくて、出汁をちゃんとというか真面目気味に取っていれば煮物と味噌汁はだいたい美味しい範囲に収まるように僕は思っているのでそれに依っているのだけど、出汁はまあとにかく美味い、
あれ、なんの話だっけ。出汁の話だったっけ。出汁の話だと仮定して続けると、出汁はイリコと昆布を水に一晩つけて、火にかけたあとでさば節とかつお節をそれぞれのタイミングで入れるとかそういう感じのやつなんだけど、まあなんといっても出汁は美味しくていいですよね。
ん、やっぱり出汁の話をしたいわけじゃなかった気がする。
そうそう、今日の昼間、読む本が途絶えてしまったというか、小説は引き続き『野生の探偵たち』を夜な夜な読んでいて事足りているのだけど小説でない読み物を今なにか読みたいけれど特別読みたいという本がないという状態だったので、何かいい本とあるいは自覚していなかった自分の欲望と出会い頭的な感じで出会いたい、というので下北沢のB&Bに行くことにして、誘惑に負けてというか一人で勝手に「負けました〜〜〜(^o^;)/」とか思いながらビール飲みながら棚を眺め、その結果『キッチン・コンフィデンシャル』の新装版とどちらにするか迷ったあとでマイケル・ポーラン『人間は料理をする』を買った。料理にまつわる何かを読みたいらしかった。
それでいくらか読んでいるのだけど、序論で「まあ料理わりと大切というか根源というかあれだよね〜」みたいなことが押し付けがましくない書かれ方で書かれていてそこからしてなんとなく信頼できそうな雰囲気なのだけど、「包装食品(フード)が誕生して100年経ったが、これからの100年は、包装食事(ミール)の時代になるだろう」というフード・マーケティング・コンサルタントの方の言葉が紹介されていて、それで、思い出す光景があった。
ジム・ジャームッシュの『ストレンジャー・ザン・パラダイス』で、ジョン・ルーリーがなんか銀色っぽい(モノクロなのでわからないけど)うっすいペラッペラの弁当箱みたいなやつの蓋あけてなんかカップヌードルの肉の大きいバージョンみたいなよくわからないかたまりを美味くもなさそうに食ってるところで、あれが30年前か。もうとっくに包装食事の時代になってるのかと思ってた、ということを思い出したんだっけな。 あの食事は本当に最低そうだなーと思って、なんというか、本当になんというか喜びが一瞬もなさそうな食事って何かを簡単に損ねそうで、僕もなるべく真面目に食事しようと思った、という話だっけ。
もうさっぱりなんの話かわからないというか最初から組み立てられてないというかあれなんだけど。