本の読める店

「あ、好きです」という瞬間

Entry blog fuzkue142

お客さんたちがそれぞれに座っていて、僕は厨房をうろうろしたり席についてカタカタしたりしていて、ふいに、「わ、今ここにいる人たち全員のこと俺好きだわ」という思いが強い実感を伴って湧いてくる瞬間というのがあって、もちろんお客さんそれぞれについては基本的には何も知らなくて、知っているのは「この時間をこの場所で過ごすことを選択してそしていま本を読んでいる、あるいは何かに打ち込んだりしている、あるいはゆっくりしている」というそのくらいの情報でしかないわけだけど、それでも、この人たち、全員好きだ、と思う時がある。それは僕にとってとても幸福な瞬間だ。
また、そういう時はわりと「うわー俺も客としてここで過ごしたいなー」とセットで思うことが多い。誰かに作らせた酒飲みながらここで本読みてーという強烈な欲望。

ファーストフードのお店のスタッフなり社長なりだれでもいいけど従事している人にとって、自分たちの生活のもとになるお金を落としていってくれる人たちであるところのお客さんは尊敬すべき愛すべき対象であるのか。自分たちが作って売っている食べ物を自分たちも喜んで食べたいと思うか。
あるいは安価なカジュアルブランド(っていうの?)の社長は自社の服を好んで着ているのか。そこに列をなす人たちを好きと言えるのか。
ソーシャルゲームを作って売っている人たちはユーザーに本当に敬意を払えるのか。彼らを好きなのか。自分たちもそのゲームに熱中してお金を使いまくるのか。

みたいな、たまにそういうことを思うんですけど、マクドナルドとユニクロとDeNAのことがしばしば頭に浮かぶんだけど、でも別にそれらに限った話ではないのだけど、暮らしの糧となる自分たちの商売の相手をどこまで「この人たち好きだなあ」と思えるか。どこまで自分たちの提供する商品なりサービスなりの熱烈なファンで自分もいられるか。

いわゆるビジネスっていうのはもしかしたらそんなことは関係ないのかもしれないし、こんなことを言っていると「どんだけピュアなんですか」と笑われちゃうかもしれないけど、僕のような小さな容量の器しか持たない感じの人間にとってはそれはすごく大事で、自分が好きだと思えない人たちに何かを提供したいとは思えないし、自分が好きと思えないものを提供したいとは思えなくて、それやっていると自己矛盾と自己欺瞞で頭おかしくなるというかいとも簡単に腐っていくタイプだから、できうる限り、自分が「いいぞ」って思える人たちを相手に自分が「いいよ」って思えるものを提供して、それで暮らしを成り立たせていけたら最高だよねと思っていて。そういう環境を作っていける可能性が十分にある環境にせっかくいるんだから、目指したいよねと思っていて。

だから、昨日ふいに訪れたようなそういう「あ、好きです」っていう瞬間は極めて気持ちがいいものだったし、だから本当に大事にしたいというか、忘れないぞ、この思い、みたいなところでいられたらなと思った。という話でした。

photo by 斉藤幸子

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