読書の日記(11/13-19)

2023.11.24
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抜粋

11月13日(月) 

ろうそく、と孫が言ったのを聞くと祖父は、すごい、と大きな声を出して、だから次は祖父のターンで、く、く、と二度言ったあと、くるま、と言ったそのあとに、もう言ったよね、と続けた。そこには、こりゃダメだな、同じこと言っちゃったな、やり直しだな、という自嘲とおかしみが含まれていたのだが、それを聞いた孫は、大人は2回言えるの? と不思議そうに訊ねた。祖父は即座に、いえいえ! とまた大きな声で否定した。

11月14日(火) 

「コテンラジオ」を聞きながら初台。呪物。そのまま聞きながらルーターの設置と接続をやって、手間取るということはなかったけれどなんのかんのと時間は掛かって無事にあたらしいやつにつながった。そのあとミーチングもあって飯を食う時間は取れず、昨日も今日もいい感じにお客さんがあってうれしい。4時に上がるとコーヒーをタンブラーに入れてパソコンと一緒に屋上に上がって大地と壁打ち。いい天気だと言われて空を見るといい天気で、薄い水色と薄い桃色が一緒にある時間だった。ジム・オルークのドローン作品のジャケットが思い出される。みずのないうみ。それで相談。だんだん空の明かりはなくなり、とっぷり暗くなり、ディスプレイの光に照らされた僕の顔だけが白く浮かび上がる。それがZoomの画面に映っている。冷静な意見をいろいろもらえてありがたい。どうするだろうな、と思う。

11月15日(水) 

11時半ごろボーナストラックを出て帰り、明日はノンシフトなので、というところで遅くまで仕事をしていた。夕飯は何を食べたのだったかと思って思い出せないからカメラロールを見るとスパゲティで、ミニトマトとなすとベーコン、どことどこの試合を見ていたのかはもうまったく。写真は2時49分となっており、ひどい時間の夕食。ここ数日左肩の痛みがずっとあって、行き過ぎた凝りみたいな状態になっていて、座っているだけで、だるいというよりも痛い。座っていられない感じ。土曜日に寝違えを感じて、その翌々日とかに強烈な重みとして感知されて、それからずっとある感じ。邪魔。4時ごろ寝た気がする。

11月16日(木) 

仙川まで出、ドトールで少し時間を潰すか少し迷ってから、ドトールに入っても15分だとわかって考え直してそのまま公園まで歩くことにした。やすやすと甲州街道には出ず線路沿いの道を歩いて線路はフェンス越しの見下ろすところにあっていい高さだ。そこから細い路地に入ると下り坂になって、線路の高さまでずんずん下りていくところなのだろう。仙川が高低差のある街だとは知らなかった。小さな工場とか家屋のあいだを歩いて正面が行き止まりでT字路で、そこに行き着く少し前、一瞬だけ、小学生時代の何かの感触が立ち上がった。左に折れて行き止まりになっていたところは川のようで暗渠になっている、緑色のシートが張られて野菜が育てられている。「仙川」と標識があった。これが川としての仙川かと思う。ひとつ道を挟んで水の姿が現れて、見下ろすと流れのまったくない川で、その中に何か大きなものが揺らめいているから焦点を合わせると太った魚だった。

11月17日(金) 

4時ごろ起きて1時間そのまま起きていた。昨日寝たのは9時だ、もう起きてもいいかもしれないがもう少し寝よう、7時にアラームを掛けて、7時に起きて動き出せたら一日が長くなって得した気持ちになりそうでいい作戦に思えた。それで寝ると9時前に起きてうまくいかないものだ。
雨が降っていたがほんの少しだった。電車に乗ってぼんやりしていると、窓が曇って向こうの景色が細部を失い色彩だけに近づく。家の屋根なのであろう黄緑がぺたっと潰れて、一瞬、窓の向こうに畑とか山とかが広がっているように感じられて得をした。12時間とか寝たのにまだまだ眠たい。

11月18日(土) 

だがそれは思い違いだ。その証拠に一六、一七年後、彼はワシントンの蚊たちのことをまだ記憶し続けているだろう。 マテマティコも同じだ。一九七九年のある朝、パリから飛び立ってストックホルムの空港へと降下しはじめる飛行機の中、じっと着陸を待つ合間、ポケットから財布を取り出し、紙幣とクレジットカードと身分証のあいだからトマーティスに新聞社のドアの所でもらった四つ折りの紙を取り出すが、紙の折り目はもう黄色というより茶色で、あまりに擦り減っているので、今しがたスチュワーデスが朝食の残りの載ったトレイを片付けたばかりの折り畳みテーブルの上で広げる際、すでに一部擦り切れた折り目が剥がれてしまわないようマテマティコは細心の注意を払う。けれどもマテマティコはタイプされたその五行詩を読みさえしない―ただ視線を走らせるだけだ、というのもその紙は、幾年もの時を重ね、単なる習慣により財布から財布、スーツからスーツ、大陸から大陸へと幾度も移し替えられつつ、マテマティコのほの温かい服のポケットに収まったまま歳月からほんの半ばだけ護られる中、すでにメッセージとしての性格を失ってオブジェ、とりわけ遺物と化し、その物質としての存在と、言うなれば、早晩それを呑み尽くすであろう忘却の淵とのあいだを行ったり来たりしているからだ。 フアン・ホセ・サエール『グロサ』(浜田和範訳、水声社)p.132,133
長い朝の21ブロック分の歩行の時間からぐんと離れて、その朝のことはまだ覚えられていて、その朝に語られた実際には見ていない夜のこともまだ覚えられていて、そのときの面々にその後起きたことが語られて、そのとき若かった面々も歳月を経て生きたり死んだりしている。たぶんこの瞬間を読みたくて読み続けた感じ。ぐーんと面白くてぐんぐん読んでそして店。

11月19日(日) 

電車で今日も『グロサ』が面白くこのまま最後まで行けそうな感じがあってうれしく、途中で座席が空いたので座って次の駅で入ってきて前に立った人に老人の気配を感じた。ご老人に席を譲る、ということは率先してやりたいことだが、そのためにはその人が老人かどうかを確認せねばならず、顔を上げて見ねばならず、そっぽを見るようなふりをして顔を上げて視界の端で像を捉え、そしてここでまたジャッジをする必要がある。これは老人と呼んで差し支えがない存在なのか。ただ今回はわりとはっきり差し支えがなさそうだったので譲る気で腰を浮かせ、座られますか、と訊ねると、いいのいいの大丈夫、そのまま本読んでて、と言われたので最後のところが面白くてへらへらした顔を浮かべ、あ、そうですか、と言うと腰を下ろしてそのまま本読んでた。
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