読書の日記(6/12-18)

2023.06.23
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テキーラの死、今日はオフ、焼き肉/蔦屋書店、トークイベント、タイチャーハン/終わらない小説、『線が血を流すところ』、自分が何者なのかすらわからない/西荻窪2周年、オープン日の記憶、1万歩/忙しい土曜日、『桃を煮るひと』、死を幻視する/接客の目的、今日も死、ウォーキング

抜粋

6月12日(月) 

渡されたおしぼりはびっしゃびしゃだった。頼んだビールは冷たかった。一ヶ月近くぶりの休み。このしばらくのあいだお疲れ様でしたとグラスを合わせ、炭酸と苦味がスルスルと喉を通っていった。トマトのキムチと長芋のキムチとサラダを頼み、それからひとつずつ順繰りにハーフサイズの肉を頼み、少しずつ焼いた。僕はアウトカムという言葉がよくわかっていない。ルーブリックという言葉を教わった。少しずつ客席が埋まっていって周囲の音量が上がっていった。隣のテーブルに来た二人組はお相撲さんみたいな体格で、周辺視野で見るかぎり着物を着ているようにも見えた。椅子も焼き網も小さく見えた。たくさんの肉を同時に並べていた。はっけよいのこった。焼き網が土俵に見えてきた。土俵だとしたらみんなでぐるっと土俵入り。

6月13日(火) 

Tサイトは突然現れる。確信なく路地をうろうろ歩いていると突然現れる、この経路で来るのはいったいいつ以来だろうと思う。長いこと、僕にとってこの場所は自転車で来るところだった。山手通りををまっすぐ走って上がり下がりして旧山手通りになって、首都高をくぐると代官山のブロックに入ったと感じる。叙々苑とか、大使館とか、教会とか、公園とか、そういうものを通り過ぎながらまっすぐ進むと蔦屋書店の建物が現れて入っていく。駅から行くパターンで思い出すのは岡山に住んでいた時分で東京に遊びに行った、早朝に東京に着いた、ひっそりと静まった路地を迷いながら歩いて朝一番の蔦屋書店に着いた、佐々木敦の、白んでいく空みたいな色の本を買った気がする、そのときのことが思い出されて、それ以外は僕にとって蔦屋書店は旧山手通り側から入っていく場所だった。ということは最後に来た平倉圭と伊藤亜紗のやつのときは、まだ元代々木に住んでいたときだったのかもしれない。そうであれば僕たちは自転車とか下手をしたら歩いてとかで行っていた。たしかにそうかもしれない。少なくとも帰りは、夜の旧山手通りを歩いた、トークイベントがとにかく面白かったから、その興奮でたくさんの言葉を交わしながら歩いた。きっとまっすぐ歩いて帰ったのではなくて、神山町とかに行ってどこかに寄ったりしながら帰ったんじゃないか。SPBSとかフグレンとか。

6月14日(水) 

小説を読みながら帰る。ゆっくり読んできたが、気づけば終盤だ。この物語はどういうふうに終わるのだろう、ここから何が起こるのだろう、という興味がどうしても出てきて、いつも僕はこの感覚は読書には要らないんだよなと思う。すべての小説が終わらなければいいのに、という気持ちがどこかにある。こちらが読むのをやめるまではいつまでも終わらないものだけの世界。読了というものが存在しない世界。それは楽しそうだし難しそうだ。終わってくれるのは楽なことでもある。

6月15日(木) 

オープンの日は僕は一日西荻窪に張り付いた。本来は11時閉店の予定だったが時間短縮の時期で8時閉店だった。火曜とか木曜とかの平日で、だからなんでもない平日の、時間の短い営業の中で、未だにフヅクエのお客さん数記録となる数のお客さんが来られ、過ごされた。短い時間の人が多かった印象はなく、だから一日中まんべんなくお客さんがい続けたのだろう。酒井さんがいて太田さんもいて松原さんや尾崎さんもいたはずだ。ずうっといたのは酒井さんと太田さんで閉店すると僕たちはへとへとに疲れ果てた、その中で僕が猛スピードでレモンシロップを仕込んで鶏ハムを仕込んでその速さに酒井さんがびっくりしたのを覚えている。酒井さんが憔悴するような疲れ方をしていたのを覚えている。片付けが終わると3人で外の階段に腰掛けてハートランドを飲んだ。僕は一日、開店を楽しみにしてくれていたたくさんのお客さんの来店に、一日、深く感動していた。待望されていたフヅクエなんて、初めてのことだった。

6月16日(金) 

開店前に屋上に出て煙草を吸う。今日は快晴。空が明るい。首都高の横手前に立つ高層マンションは黒い防塵ネットで覆われている。風を受け、黒いさざなみが立ち続けている。店に戻ると視界が白く飛んだ。屋上は明るいし、夏場はサンルームみたいになる階段も真っ白の明るさだった、だからその強烈な明るさから屋内に入って光量が大幅に変わり、ホワイトバランスの調整が追いつかなかった。ホワイトバランス? 絞り値?

6月17日(土) 

ビールを飲みながら、今朝読んだ「Numero TOKYO」のインタビューでも触れられていることだったが、ミシマ社で出すことになった経緯を聞いてみたらその答えに感動して少し泣きそうになった。版元ってこんなに意思を持って選びうるものなんだな、こんなに素敵な版元選びの話は初めて聞いた。ミシマ社の人たちもうれしそうだった。担当編集の野崎さんは幸福そうだった。ここにはいい夜があった。テラス席はすごく気持ちのいい風が抜ける場所で、目の高さに広場の高い木の葉がそよぎ、見下ろすと広場では光が揺れる中でたくさんの人が歓談していた。右を見たらB&Bの店内で本がぎっしりと並ぶ。静かで気持ちよくて、ここはボーナストラック一番の特等席なんじゃないか。

6月18日(日) 

ナイキのアプリを見たらここまで2・4キロの歩行で、ラップタイムは9分ということだった、9分で1キロのペース。それはつまりなんだ、と思う。もう少し先まで歩くことや走り出すことも考えたが、大人しく堤防の往復で済ませることにした。なので復路はそのラップタイムについて考えていたら頭が全然わからず、距離、速さ、時間。き。は。じ。そういうやつを思い出してこの9分1キロというのをどう動かしたら時速に変換できるのか考えようとするし、そんなのは簡単に考えられそうな気もするのだが、頭がどうしてもうまく噛み合わず、あっけに取られるくらいわからないまま歩いていた、木偶が呆然としながら歩いていた。向こうの橋桁の下で何かが光った、見ると花火だった、誰かが大きく手を振るみたいに、高く掲げた花火をぐるぐると回していた、ぱらぱらと明るい粉を落としながら赤い光が円を描いた。
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